まさおレポート

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中学での本田宗一郎講演 おぼろげな記憶をネット検索で推理する

2020-02-13 | 心の旅路・my life・詫間回想

大阪府箕面市立第二中学校がわたしの母校になるのだが、その体育館で確か本田宗一郎の講演を聞いた記憶がある。しかし本当にそうかと言われるとやや心もとない。

本田宗一郎は1906年生まれだからわたしが中学生の当時は1959年ごろでありすでに50代なかば、油ののった現役の大経営者であり大阪府の田舎の一中学に講演をしてくれるような暇はなかったと思うのが筋である。しかし頭の片隅に体育館で聞いたイメージがおぼろげに残っている。町工場でたたき上げてきた話を聞いたことがあるのだ。

どう考えればよいだろう。おそらく箕面第二中学と本田一郎の双方に縁のある大物が講演を引き受けさせたのではないか。そもそも本田宗一郎は講演などしていたのか。

稲盛氏の塾講和集によると当時本田一郎氏は講演を盛んにしていた時期であり稲盛氏は30代の頃に有馬温泉で講演を聞いたと話している。だから箕面の中学に来て講演をしたというのもそうとんでもないわけではない。では誰が引き受けさせたのだろうか。勝手な想像をたくましくすると箕面第二中学に縁のある大物として笹川良一氏が頭に浮かんできた。

笹川良一氏は箕面の出身で特に競艇の世界の大御所である。甥っ子が一学年上にいたので通学圏内に実家があったのだろう。

ネットで調べてみると笹川良一と本田宗一郎は浜松競艇で結び付いていた。あまりに推理が当たったのでうれしくなってくる。

まことに勝手な憶測だがそういった縁を考慮するとあのおぼろげな本田宗一郎講演はどうも事実の記憶だったのだなと思えてきた。当時の箕面第二中学校長からの縁で笹川良一氏に中学での記念講演の話が持ち込まれ、彼から本田氏に依頼されて来校の運びとなった。そう考えても全く見当はずれではないのではないか。

長年の間、頭の片隅に残っていた疑問が自分なりに氷解したというお話でした。

 

 


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