天下りポスト優先が水面下で図られないようにすべきだろう。今後のNTT法規制緩和で留意しなければならない
1995年9月28日 経団連・情報通信委員会・電気通信問題作業部会がNTT分割に慎重な姿勢を求める中間報告書を発表。
1995年10月3日 郵政省「21世紀に向けた新しい情報通信産業の将来像研究会」がNTT分割の必要性を強調する報告書を発表。
1996年1月12日 日野郵政大臣がNTT分割問題先送りを示唆。
1996年2月29日 郵政省「NTTの在り方に関する特別部会」が日野郵政大臣に長距離・地域2社分割答申報告書を提出。
1996年3月13日 NTT児島社長が三年ないし五年の先送りを提唱。
1996年3月21日 与党三党の分割問題ワーキングチームがNTT分離分割の先送りを決定。
こうした14年にわたる攻防を眺めるとなぜ郵政はここまで分割にこだわったのだろうか、分割による天下り先の確保が見える。競争政策の推進が大義名分だったがしかし後の東西電話料金で醍醐委員が別料金を唱えたときに強固に反対し醍醐委員を外してしまったのが郵政であることを考えるとき、本気で競争政策の推進と分割が結び付くとは考えていなかった。この辺りの洞察が今後の検討には必要だ。
NTT持ち株会社でうっちゃり
その後この答申に従った再編成が1999年に行われることになる。結果はNTT持ち株会社実現による以前にも増した一層の巨大会社の誕生であった。NTT側から見れば見事なうっちゃり劇とも見える。
分割再編成の世論で土俵際まで押されまくったNTTが独占禁止法で禁止されている持ち株会社を法律改正で実現させた時点で、下記の郵政省審議会・NTTの在り方についての特別部会の最終答申は完全に骨抜きにされたばかりか、NTTを一層の巨大グル-プへと押し上げてしまった。
1996年2月29日「NTTの在り方に関する特別部会」が日野郵政大臣に答申報告書を提出し、それに対して与党三党が先送りを決定した3月21日から12月5日の持ち株会社導入まで8か月間に大きな変化が起きた。
この間になにが起きたのか。当時金融バンが発生しており、銀行が生命保険や証券会社を傘下に収める持ち株会社の解禁(戦後に制定された独占禁止法によって、持株会社たる会社の設立及び既存の会社の持株会社化が禁止されていた)がNTT、郵政双方の視野に入ってきており、NTTの持ち株会社案の実現へ法律的にも障壁が無くなることが見えてきた。持ち株会社ならNTT労使も申し分ない。このために頑強に反対していたNTTが大きく方向転換することになったと推測される。自民党も丸く収まるとみて納得したことだろう。