私は泳ぎながらオルフェウスが死の国に辿りつくために渡らねばならなかった冥土の川のことを思いだした。世界には数えきれないほどの様々の形の宗教や神話があるが、人々が死について思いつくことはみんな大抵同じなのだ。オルフェウスは舟に乗って闇の川を渡った。
「言葉のあやだよ」と私は言った。「どんな軍隊にも旗は必要なんだ」
「でもね、もし」と娘は言った。組織《システム》と工場《ファクトリー》が同じ一人の人間の手によって操られていたとしたらどう?つまり左手がものを盗み、右手がそれを守るの」
結局のところ組織《システム》は国家をまきこんだ私企業にすぎないのよ。私企業の目的は営利の追求よ。営利の追求のためにはなんだってやるわ。組織《システム》は情報所有権の保護を表向きの看板にしているけれど、そんなのは口先だけのことよ。祖父はもし自分がこのまま研究をつづけたら事態はもっとひどいことになるだろうと予測したの。脳を好き放題に改造し改変する技術がどんどん進んでいったら、世界の状況や人間存在はむちゃくちゃになってしまうだろうってね。そこには抑制と歯止めがなくちゃいけないのよ。でも組織《システム》にも工場《ファクトリー》にもそれはないわ。だから祖父はプロジェクトを降りたの。
ゼリーのようにどんよりとした不気味な闇だった。まるで体じゅうの神経という神経に憎悪のやすりをかけられているような気がしたのだ。
ときおり冷たく頬を撫でる風が死んだ魚のような嫌な臭いをはこんできて、そのたびに私は息が詰まりそうになった。内臓がはみだして虫のわいた巨大な魚の体内にはまりこんでしまったような気分だった。
私は自分がとても不十分で不適切な人生を送ってきたような気がした。私はユーゴスラビアの田舎で羊飼いとして生まれ、毎晩北斗七星を眺めながら暮すことだってできたんじゃないかとふと思った。
昨日というのは漠然としたひとつの時間のかたまりにすぎなかった。それはまるで水を吸って膨んでしまった巨大な玉葱のような形をしている。
地底の迷路をめぐりめぐってやってきたあとでは、そんなどぶの臭いさえなつかしく親密に感じられた。
音は十秒か十五秒つづいてから、水道のコックをゆっくりと閉めるときのようにだんだん小さくなり、消えてしまった。
彼女のふくらはぎは私に白くてつるりとした中国野菜を連想させた。スカートはぐっしょりと濡れて彼女の太腿に身寄りのない子供たちのようにぴったりとまつわりついていた。
なにしろそれが流行ったのはもう二十年も前の話なのだ。二十年前にいったい誰がパンティー・ストッキングの出現を予測できただろう?
路線図では銀座線はいつも黄色いラインで示されている。どうして黄色なのかはわからないが、とにかくそれは黄色と決まっているのだ。だから私は銀座線のことを思うたびに黄色のことを考える。
私には昨日いつ小便をしたかさえロクに思いだせないのだ。何週間も前のことなんてまるで古代史みたいなものだ。
「たぶん私がチェスに凝るのと原理的には同じようなものだろう。意味もないし、どこにも辿りつかない。しかしそんなことはどうでもいいのさ。誰も意味なんて必要としないし、どこかに辿りつきたいと思っているわけではないからね。我々はここでみんなそれぞれに純粋な穴を掘りつづけているんだ。目的のない行為、進歩のない努力、どこにも辿りつかない歩行、素晴しいとは思わんかね。誰も傷つかないし、誰も傷つけない。誰も追い越さないし、誰にも追い抜かれない。勝利もなく、敗北もない」
「あるいは君にはこの街のなりたちのいくつかのものが不自然に映るかもしれん。しかし我我にとってはこれが自然のことなのだ。自然で、純粋で、安らかだ。君にもきっといつかそれがわかるだろうし、わかってほしいと私は思う。私は長いあいだ軍人として人生を送ってきたし、それはそれで後悔はしていない。それはそれなりに楽しい人生だったよ。硝煙や血の臭いや銃剣のきらめきや突撃のラッパとかのことは今でもときどき思いだす。
しかし私は我々をその戦いに駆りたてたものをもう思いだすことはできんのだ。名誉や愛国心や闘争心や憎しみや、そういうものをね。君は今、心というものを失うことに怯えておるかもしらん。私だって怯えた。それは何も恥かしいことではない」大佐はそこで言葉を切って、しばらく言葉を探し求めるように宙を見つめていた。「しかし心を捨てれば安らぎがやってくる。これまでに君が味わったことのないほどの深い安らぎだ。そのことだけは忘れんようにしなさい」
地下鉄というのは人々にとっては有効に都市空間を移動するための便宜的手段にすぎないのだ。誰も心を踊らせて地下鉄に乗ったりはしない。
しかし私にはそうなるとは思えなかった。ジム・モリソンが死んで十年以上になるが、ドアーズの音楽を流しながら走っているタクシーにめぐりあったことは一度もない。世間には変化することとしないことがあるのだ。変化しないことはいつまでたっても変化しない。タクシーの音楽もそのひとつだ。タクシーのラジオからはいつも歌謡番組か品の悪いトーク・ショーか野球中継が流れているものなのだ。デパートの拡声装置からはレーモン・ルフェーブル・オーケストラが流れ、ビヤホールではポルカがかかり、歳末の商店街ではヴェンチャーズのクリスマス・ソングが聴こえるものなのだ。
小さな女の子が大声を出したり、父親がそれをたしなめたりしていた。コンピューターのキイボードの音も聴こえた。世界は正常に動いているようだった。
だいたい私は昔から浴室に下着やストッキングを干されるというのがあまり好きではない。どうしてかときかれても困るけれど、とにかく好きではないのだ。
私は少し迷ったが、結局ズボンを下ろして見せてやることにした。これ以上の論争をするには私は疲れすぎていたし、それにどうせあと少ししかこの世界にはいないのだ。十七歳の女の子に勃起した健全なペニスを見せたからといって、それが重大な社会問題に発展するとも思えなかった。
果してそれは帰るだけの価値のある世界で、戻るだけの価値のある僕自身なんだろうか?
「金も財産も地位も存在しない。訴訟もないし、病院もない」と影はつけ加えた。「そして年老いることもなく、死の予感に怯えることもない。そうだね?」
エントロピーは常に増大する。この街はそれをいったいどこに排出しているんだろう?
君は俺にこの街には戦いも憎しみも欲望もないと言った。それはそれで立派だ。俺だって元気があれば拍手したいくらいのもんさ。しかし戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ。
それからもちろん愛情のことがある。君のいうその図書館の女の子のことにしてもそうだ。君はたしかに彼女を愛しているかもしれない。しかしその気持はどこにも辿りつかない。何故ならそれは彼女に心というものがないからだ。心のない人間はただの歩く幻にすぎない。そんなものを手に入れることにいったいどんな意味があるっていうんだ?
そんな永遠の生を君は求めているのかい? 君自身もそんな幻になりたいのか? 俺がここで死ねば君も連中の仲間入りをして永遠にこの街を出ることはできなくなってしまうんだぜ」
コイン・ランドリーにはコイン・ランドリーの法則というものがあって、「待っている乾燥機は半永久的に停まらない」というのがそのひとつだ。
ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。
ジョニー・マティスのベスト・セレクションとツビン・メータの指揮するシェーンベルクの『浄夜』とケニー・バレルの『ストーミー・サンデイ』とデューク・エリントンの『ポピュラー・エリントン』とトレヴァー・ピノックの『ブランデンブルク・コンチェルト』と『ライク・ア・ローリング・ストーン』の入ったボブ・ディラン
私はボブ・ディランのテープをデッキにつっこんで『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー』を聴きながら
J・D・サリンジャーとジョージ・ハリソンが好きだった十七歳の女の子が何年か後に革命活動家の子供を二人産んでそのまま行方不明になるなんて誰に予測できるだろう。
ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を唄っていた。
「一度君とゆっくり話したいな」と私は言った。
彼女はにっこり笑ってほんの少し首を傾けた。気の利いた女の子というのは三百種類くらいの返事のしかたを知っているのだ。そして離婚経験のある三十五歳の疲れた男に対しても平等にそれを与えてくれるのだ。
そして革命活動家と結婚するのがどういうことなのかと想像をめぐらしてみた。革命活動家というのはひとつの職業として捉えることが可能なのだろうか? もちろん革命は正確には職業ではない。しかし政治が職業となり得るなら、革命もその一種の変形であるはずだった。しかし私にはそのあたりのことはうまく判断できなかった。
仕事から帰ってきた夫は食卓でビールを飲みながら革命の進捗状況について話をするのだろうか?
「いいえ、それはできないわ。私の心はひとつにまとまって吸いこまれているわけじゃないのよ。私の心はばらばらになって、いろんな獣の中に吸いこまれ、その断片は他の人の心の断片と一緒に見わけがつかないくらい複雑に絡みあっているのよ。あなたにはそのうちのどれが私の思いでどれが他の人の思いか選りわけることはできないはずよ。だってあなたはこれまでずっと古い夢を読んできたけれど、どれが私の夢か言いあてることはできないでしょ? 古い夢とはそういうものなの。誰にもそれをときほぐすことはできないの。混沌は混沌のままで消えていくのよ」
「あなたは川の中に落ちた雨粒を選りわけようとしているのよ」
「いいかい、心というのは雨粒とは違う。それは空から降ってくるものじゃないし、他のものと見わけがつかないものじゃないんだ。もし君に僕を信じることができるんなら、僕を信じてくれ。僕は必ずそれをみつける。ここには何もかもがあるし、何もかもがない。そして僕は僕の求めているものをきっとみつけだすことができる」
皿の上に並んだ黒いねじはみんな幸せそうに見えた。
じっと見ていると高校生というのはみんなどことなく不自然な存在であるように思えた。みんなどこかが拡大されすぎていて、何かが足りないのだ。もっとも彼らの目から見れば私の存在の方がずっと不自然に映ることだろう。世の中というのはそういうものなのだ。人はそれをジェネレーション・ギャップと呼ぶ。
老人たちは日曜日の午後を雑誌閲覧室で雑誌を読んだり四種類の新聞を読んだりして過すのだ。そして象のように知識を溜めこんで、夕食の待つ我が家へと帰っていくのだ。老人たちの姿には高校生ほどの不自然さは感じられなかった。
白い皿に盛ったねじのことも頭に浮かんだ。ホワイト・ソースをかけてとなりにクレソンをあしらうとねじもなかなか美味そうに見えた。
「『ブランデンブルク』ね?」と彼女は言った。
「好きなの?」
「ええ、大好きよ。いつも聴いてるわ。カール・リヒターのものがいちばん良いと思うけど、これはわりに新しい録音ね。えーと、誰かしら?」
「トレヴァー・ピノック」と私は言った。
「ピノックが好きなの?」
「いや、べつに」と私は言った。「目についたから買ったんだ。でも悪くないよ」
「パブロ・カザルスの『ブランデンブルク』は聴いたことある?」
「ない」
「あれは一度聴いてみるべきね。正統的とは言えないにしてもなかなか凄味があるわよ
イタリア料理店の庭に梅の木がはえているというのも何かしら不思議な気がしたが、本当はそれほど不思議ではないことなのかもしれない。イタリアにも梅の木はあるのかもしれない。フランスにだってかわうそがいるのだ。
まずオードヴルに小海老のサラダ苺ソースかけと生ガキ、イタリア風レバームース、イカの墨煮、なすのチーズ揚げ、わかさぎのマリネをとり、パスタに私はタリアテルカサリンカを、彼女はバジリコ・スパゲティーを選んだ。
マカロニの魚ソースあえ
「アーモンドをあしらった蒸し焼き
「『僕のせいじゃない』というのは『異邦人』の主人公の口ぐせだったわね、たしか。あの人なんていう名前だったかしら、えーと」
「ムルソー」と私は言った。
「そう、ムルソー」と彼女は繰りかえした。「高校時代に読んだわ。でも今の高校生って『異邦人』なんてぜんぜん読まないのよ。この前図書館で調査したの。あなたはどんな作家が好きなの?」
「ツルゲーネフ」
「ツルゲーネフはそんなたいした作家じゃないわ。時代遅れだし」
「そうかもしれない」と私は言った。「でも好きなんだ。フローベールとトマス・ハーディーも良いけど」
「新しいものは読まないの?」
「サマセット・モームならときどき読むね」
「サマセット・モームを新しい作家だなんていう人今どきあまりいないわよ」と彼女はワインのグラスを傾けながら言った。「ジュークボックスにベニー・グッドマンのレコードが入ってないのと同じよ」
「でも面白いよ。『剃刀の刃』なんて三回も読んだ。あれはたいした小説じゃないけど読ませる。逆よりずっと良い」
「意識の底の方には本人に感知できない核のようなものがある。僕の場合のそれはひとつの街なんだ。街には川が一本流れていて、まわりは高い煉瓦の壁に囲まれている。街の住人はその外に出ることはできない。出ることができるのは一角獣だけなんだ。一角獣は住人たちの自我やエゴを吸いとり紙みたいに吸いとって街の外にはこびだしちゃうんだ。だから街には自我もなくエゴもない。僕はそんな街に住んでいる——ということさ。僕は実際に自分の目で見たわけじゃないからそれ以上のことはわからないけどね」
なにしろ今回の出来事に関しては僕の主体性というものはそもそもの最初から無視されてるんだ。あしかの水球チームに一人だけ人間がまじったみたいなものさ。
僕の場合は簡単に説明すれば情報戦争にまきこまれちまっているんだ。要するにコンピューターが自我を持ちはじめるまでのつなぎさ。まにあわせなんだ」
「バター・ソースの作り方にコツがあるんだ」と私は言った。「エシャロットを細かく切って良いバターに混ぜて、丁寧に焼くんだ。焼くときに手を抜くと良い味がつかない」
「料理というものは十九世紀からほとんど進化していないんだ。少くとも美味い料理に関してはね。材料の新鮮さ・手間・味覚・美感、そういうものは永久に進化しない」
私が適当に選んだテープにはジャッキー・マクリーンとかマイルズ・デイヴィスとかウィントン・ケリーとか、その手の音楽が入っていた。私はピツァが焼けるまで、『バッグズ・クルーヴ』とか『飾りのついた四輪馬車』とかを聴きながら一人でウィスキーを飲んだ。
「バスの中でヘアー・スプレイを使っている若い男に注意したら、相手が鉄の花瓶で殴りかかってきたの」
「どうして若い男が鉄の花瓶なんか持っていたんだろう?」
「わからないわ」と彼女は言った。「見当もつかないわ」
私にも見当がつかなかった。
「それにしてもバスの中で殴り殺されるなんてひどい死に方だと思わない?」
スピーカーからはパット・ブーンの『アイル・ビー・ホーム』が流れていた。
彼女がパンティー・ストッキングをくるくると丸めるように脱いでいるところで曲はレイ・チャールズの『ジョージア・オン・マイ・マインド』にかわった。
そして私の手からグラスをとり、シャツのボタンをいんげんの筋をとるときのようにひとつずつゆっくりと外していった。
私はビング・クロスビーの唄にあわせて『ダニー・ボーイ』を唄った。
「小学校のときハーモニカ・コンクールでこの曲を吹いて優勝して鉛筆を一ダースもらったんだ。昔はすごくハーモニカが上手くてね」
「今朝老人たちが僕の部屋の前で穴を掘っていた。何を埋めるための穴かはわからないけれど、とても大きな穴だった。僕は彼らのシャベルの音で目が覚めたんだ。それはまるで、僕の頭の中に穴を掘っているようだった。雪が降ってその穴を埋めた」
ねじまき鳥の庭で穴を掘るのと重なる
僕には心を捨てることはできないのだ、と僕は思った。それがどのように重く、時には暗いものであれ、あるときにはそれは鳥のように風の中を舞い、永遠を見わたすこともできるのだ。この小さな手風琴の響きの中にさえ、僕は僕の心をもぐりこませることができるのだ。
誰も彼もが秋のいなごのように私の豊潤な眠りを奪っていくのだ。
私の中の何かが大きな鉄の花瓶で私の頭を打っていた。
「セックスのせいじゃないかしら」と彼女は言った。「セックスをしたあとって人間はだいたい内省的になりがちなものだから」
「台風が去った次の朝に海岸に行くと、浜辺にいろんなものが落ちていた。波で打ちあげられたんだ。想像もつかないようなものが、いっぱい見つかる。瓶やら下駄やら帽子やら眼鏡ケースから椅子・机に至るまでなんだって落ちているんだ。どうしてそんなものが浜辺に打ちあげられるのか、僕には見当もつかない。でもそういうのを探すのがとても好きで、台風が来るのが楽しみだった。たぶんどこかの浜に捨てられていたものが波でさらわれて、それがまた打ちあげられるんだろうね」
「海から打ちあげられたものはどんなものでも不思議に浄化されているんだ。使いようのないがらくたばかりだけれど、みんな清潔なんだ。汚なくて触ることのできないようなものは何ひとつとしてない。海というのは特殊なものなんだ。僕は自分のこれまでの生活を振りかえるとき、いつもそんな浜辺のがらくたのことを思いだす。僕の生活というのはいつもそんな具合だった。がらくたを集めて自分なりに清潔にして別の場所に放りだす——しかし使いみちはない。そこで朽ちはてるだけだ」
「夜明け前の暗い時間って好きよ」と彼女は言った。「清潔で使いみちがないからね、きっと」
「でもそんな時間はすぐに終ってしまう。夜が明けて新聞配達やら牛乳配達やらがやってくるし、電車も走り出す」
太陽の光がくっきりと隣家の屋根を染め、鳥が庭にやってきて、去っていった。
ロジャー・ウィリアムズが『枯葉』を弾いていた。
フランク・チャックスフィールド・オーケストラの『ニューヨークの秋』に変った。
まるでウィリアム・シェイクスピアの|科《せり》|白《ふ》みたいだ。世界は台所だ。
そういう匂いについての良い描写がジョン・アップダイクの小説の中に出てくる、と言った。
次の曲はウディー・ハーマンの『アーリー・オータム』だった。
女の子より先に服を着ないというのが私のジンクスなのだ。文明社会では礼儀というのかもしれない。
「どちらでも変りはない。入口と出口がついている犬小屋のようなものさ。どっちから出てどっちから入ってもたいした変りはない」
「ベイリーフとオレガノがあればもっとうまくできたよ」
タクシーの運転手が運転中に心臓発作を起して陸橋の橋桁につっこみ、死んでいた。客は三十二歳の女性と四歳の女の子で、どちらも重傷を負った。どこかの市議会の昼食に出た弁当のカキフライが腐っていて、二人が死んだ。外務大臣がアメリカの高金利政策に対して遺憾の意を表明し、アメリカの銀行家の会議は中南米への貸付け金の利子について検討し、ペルーの蔵相はアメリカの南米に対する経済侵略を非難し、西ドイツの外相は対日貿易収支の不均衡の是正を強く求めていた。シリアがイスラエルを非難し、イスラエルはシリアを非難していた。父親に暴力をふるう十八歳の息子についての相談が載っていた。
「僕には君の言うことを信じることができる。たぶん川はそこに通じているんだろう。我々があとに残してきた世界にね。僕も今では少しずつその世界のことを思いだせる。空気や音や光や、そういうものをね。唄がそんなものを僕に思いださせてくれたんだ」
ミラー・ハイライフの金色の缶は秋の太陽に染まったようにきらきらと光り輝いていた。デューク・エリントンの音楽もよく晴れた十月の朝にぴたりとあっていた。もっともデューク・エリントンの音楽なら大みそかの南極基地にだってぴたりとあうかもしれない。
『ドゥー・ナッシン・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』のユニークなローレンス・ブラウンのトロンボーン・ソロにあわせて口笛を吹きながら車を運転した。それからジョニー・ホッジスが『ソフィスティケーティッド・レディー』のソロをとった。
月曜日の朝の公園は飛行機が出払ってしまったあとの航空母艦の甲板みたいにがらんとして静かだった。鳩の群がウォーミング・アップでもしているみたいに芝生のあちこちを歩きまわっているだけだった。
「どうして離婚したの?」と彼女が訊いた。
「旅行するとき電車の窓側の席に座れないから」と私は言った。
「冗談でしょ?」
「J・D・サリンジャーの小説にそういう科白があったんだ。高校生のときに読んだ」