「1Q84」であるシーンを思い出す。電車に乗り合わせた女の子がエホバの証人と思しき親に連れられていくのをみている。
カルト2世問題(長井秀和や大川宏洋が2世でカルト被害を訴えている)がメディアに取り上げられているが2009年の発行で既に予見している。文学の予見性を感じる。
「母親は日傘を手に、何も言わずにさっと席をたった。・・・何かを訴えるような、不思議な光が宿っていた。ほんの微かな光なのだが、それを見てとることが天吾にはできた。この女の子は何かの信号を発しているのだ。」
「布教活動と集金業務の違いこそあれ、そんな役割を押しつけられることがどれほど深く子供の心を傷つけるものか、」
布教する女と連れ歩かれる子供という情景は村上春樹の「東京綺談集」にも描かれている。繰り返し描かれるこの情景は作者の重要なメッセージなのだろう。「布教活動と集金業務の違いこそあれ、そんな役割を押しつけられることがどれほど深く子供の心を傷つけるものか」青豆と天吾はそれぞれ布教活動と集金業務に連れ歩かれて深く傷ついた共通点で結びついている。