まさおレポート

地縁を感じたバリ滞在

今回のバリ長期滞在で帰国寸前の最後の数日間は大変な危機だったと言えるかもしれない。10日ほど熱が下がらずいよいよカシイブ病院で診察の準備までした。病院へ行くために海外医療保険の準備も整えて朝に自分でも熱が下がっているのが自覚でき、バリ在住のAさんが送ってくれたオムロン体温計で測ってみたら熱が下がっている。 

これで熱が下がっていなければカシイブで即刻入院になっただろう。一旦入院すると10日くらいは退院できない。(バリで入院を経験した人たちの話からの推測だが)すると先に帰国していた妻が看病に再来しなければならず、2ヶ月の延長ビザも期限切れで延長ペナルティーも相当な額になる。入院費も保険で150万円までカバーできるが色々な話を総合すると軽くオーバーしてしまうらしい。まさに危機一髪で入院を免れた。

体調が悪い時に困るのが食べるものがないということで、普段なら大好きなバリのローカル料理を受け付けない。何を食べても鼻につき、受け付けない。味覚までおかしくなっているからなのだが。

そんな時にバリ在住のAさんが連絡をしてきてくれた。白いご飯と漬物が食べたいと希望を述べた。それもバリのコメ、ナシでは喉を通らない、日本で食べているようなシンプルな普通のコメが食べたいと言ってみた。

バリの食べ物配送は便利になり、アプリで直ちに配送される。Aさんが手作りのおにぎりなどを連日配送してくれた。これなら喉を通る。体調の良い時にはことさらに思わないおにぎりと漬物がこんなにうまいものとは。その後も色々な喉を通りそうなレトルトなどを送り続けてくださり、数日後の無事帰国まで漕ぎ着けることができた。

ところで表題の地縁てなあにって感じだけど、この親切にしていただいた方が私が住んだ國領や仙川それに柴崎などさらに辻堂さらにさらに広島・宮島など地縁があることがわかり少しばかり内心驚いた。こんな地縁というものに私は昔から少なからず不思議な結びつきを感じていて、誰もほとんど関心を持たないが私はすごくその縁を感じている。

ついでに言えばわたしが住んだ狛江、調布などはかつて帰化人の住んだ場所であり、大阪の池田に本籍があり綾羽町と言ったいかにも帰化人の住みそうな町名だ。こんな話誰の興味もひかないがわたしの心の深くではずしりと重く残っている。

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