新電電各社の発足当時から根強くNTT経営陣や通信産業会を呪縛してきた言葉がある。クリ-ムスキミング cream skimmingでミルクの上澄みつまりバター成分を掬いとることから「いいとこどり」の意味に使われる。平成初頭の通信業界の風潮としてクリ-ムスキミング批判が底流として流れていた。
当時のクリ-ムスキミング批判で印象に残っていることがある。日本高速通信(現KDDIに合併吸収)に転職した翌年、1990年のこと、電気通信事業者協会の中で折々に問題になったテ-マを掘り下げて研究する部会が設置されていた。新電電三社や通信メ-カから参加者を募り年に一回その成果の発表会を開催するなどの啓蒙活動を行っていた。外部から学者やジャ-ナリスト等の有識者を呼んでの講演会も開催され、ある日2人の講師が招かれた。
直江重彦氏(当時 NTT電気通信総合研究所スタッフ その後中央大学教授)と朝日新聞記者の原氏で、原氏は米国駐在が長く米国の電話事情に関する著書もある。直江氏は当時まだ日本に導入されていなかったアクセスチャ-ジ(新電電各社がNTTに支払う接続料金)の導入の必要性を語った。直江重彦氏の勤務するNTT電気通信総合研究所は乃木坂の蕎麦屋「長寿庵」を細い道に入って少し歩いたところにあり電気通信政策を研究するNTTの一部門である。米国の通信事情研究に強い。後に日本橋の新大橋通りに移った。
NTT電気通信総合研究所はNTTの子会社でありながら客観的に発言できる空気があった。多くは直江氏のパ-ソナリティ-からくるものだろうと思うがその講演で歯に衣着せずNTTの相互接続問題全般を批判し、特にアクセスチャ-ジ化されていないことを切りまくっていた。
原氏は当時の米国での長距離電話料金(つまり州をまたがる電話料金でLATA間通信と呼ばれた)がいかに日本に比べて安いか、又市内電話は定額でこれまた日本に比べて格段に安いことについて滞米経験を踏まえて熱く語っていた。
お二方の話が終わり質疑応答に移り沖電気の社員と名乗った聴衆の一人が挙手をして発言した。この人は「はっきり言って新電電三社は結局電話事業のいいとこ取りをしようとしているだけですよね」と苦々しい表情で言い放った。当時沖電気は電電ファミリ-の一つとはいえ、社員が公然とこんな意見を述べる事が強く印象に残った。しかしこれはこの社員のみならず沖電気上層部の考えを代弁したものであり、御三家と言われた富士通、日本電気、日立をはじめとした電気通信産業会の平均的な認識だったと思う。すると別の席から「それならNTTも独占に胡坐をかいて親方日の丸ですよね」とのヤジが飛んだ。これに対して講演者がどう回答をしたかは記憶にない。ただ30年経ってもこの沖電気社員の質問が耳朶に残っている。
他にもこの種のエピソードは事欠かない。当時の上司の伍堂日本高速通信常務から聞いた伝聞だが、経団連が情報通信分野の規制緩和を求める提言書をまとめる会合に当時のNTT社長の児島氏が出席した。新電電各幹部は相互接続の何かの懸案事項で児島社長(当時)を責めた。児島社長(当時)は頭に来たのだろうか「結局あんた方はNTT(の設備)がなければ何もできないのだろう」と言い放ったという。伍堂氏もよほどこの言葉が腹に据えかねたのか、ことある毎にこの会議の発言を聞かされたものだ。
最後にソフトバンクでのエピソードを述べておきたい。2004年頃ソフトバンクがMDF自前工事を要求して総務省紛争委員会に調停を持ち込み、委員会の裁定としてMDF自前工事への道を開くような交渉を促したことがある。早速孫正義氏はNTT西の上野社長とトップ交渉を行った。その場で上野社長は「自前工事を行うなら全国一斉に行ってほしい」と要求した。これもユニバーサルサービス義務を逆手にとったものと言うべきで「いいとこ取りは受け入れられない」との態度表明であった。クリームスキミングを思い出したのは言うまでもない。この当時はユニバーサルサービス基金負担金支払いの実施前のことで、ソフトバンクには相当にこたえる反撃となった。
さてなぜクリームスキミングと言われるのか、つまりいいとこ取りと言われたのか。面倒な市内足回り回線を離島や僻地にまで義務化するユニバーサルサービス義務をNTT法に明記している。この義務を新電電各社は負わずに収益性の高い県間通信のみを扱ったからだ。一応肯ける論であると思う。後に制度化されるユニバーサルサービス負担の原則を第一種電気通信事業者にも課するむねを電気通信事業法で宣言しておけばこうしたクリ-ムスキミング批判は生まれなかった。更にいえば長期増分費用方式の導入も無かった。通信行政の失敗例として挙げておきたい。
その後長い間NTTのユニバーサルサービスへの貢献は相互接続問題を一定の枠内に封じるためのNTTの錦の御旗でもあり続け、しかしそれがNTTから見て屈辱的な長期増分費用方式の導入を導いた。NTT経営陣もクリ-ムスキミングと同じ発想の根があったのだが、それなら新電電側のユニバーサルサービス負担金支払いを積極的に主張するなどもっと戦い方があったと思うのだが不満は潜在したまま2006年まで続いた。
クリームスキミングとユニバーサルサービスの関係を端的に示していたのが公専公接続の禁止だった。公専公とは専用線の両端にPBX等を接続し一般公衆網と接続するサービスでNTTや中継系NCC等の第一種電気通信事業者の提供する専用線を利用する契約者が,その専用線の両端(公-専-公接続)あるいは片端(公-専接続)に設置した自社の交換機によりNTTの電話回線と接続することを云う。国会の附帯決議で事実上禁止されていた。
電気通信事業法の一部を改正する法律案に対する国会の附帯決議(昭和62(1987)年)(抜粋) 「第二種電気通信事業者が回線の単純再販を行うことを目的として約款外役務の申込みを行った場合には、第一種電気通信事業者がこれに応じないことを認めること。」(衆議院逓信委員会)
1996年10月の国内における公-専-公接続の解禁に伴い,幾つかの事業者が格安料金の電話サービスを開始した(東京~大阪90円/3分後)。さらに1997年12月には国際通信でも公-専-公接続が解禁された。
1996年2月に蓋をあけてみると、あらたな公専公事業者にシェアを奪われると云うこともなく、経営に特段の影響はなかった。この当時、いずれ新電電も50円近く下がるだろう、そんな厳しい県間通信事業にあえて参入することはないとの読み筋だったのではないか。市場も新規参入を考えている企業も、価格が下がる傾向にある事業には参入を躊躇する。しかし1997年12月に実施された国際公専公解禁では国際電話料金が高止まりしていたために多くの外資系2種事業者(BTネットワ-ク情報サービス、日本ケ-ブル・アンド・ワイヤレスCSL 外資ではないがDDIが1998年10月から国際公専公に)が参入したが国内公専公開放では「大山鳴動して鼠一匹」のことわざのように新電電各社には特段の影響はなかった。
国際公専公では多少のインパクトがあったかもしれないがその声はあまり大きくなかったと記憶している。1996年の国内公専公解禁後の新電電各社への収益の影響などみると、公専公解禁によるクリ-ムスキミングなどは幻影以外のなにものでもなかったことが証明されたことになる。又、長距離部門で地域のユニバーサルサービスの負担を補っているという主張もNTT再編成後の会計公開や2006年のユニバーサルサービス制度(基礎的電気通信役務基金制度)が導入された後では、本質的には幻影であることが証明されたことになる。
通話料金も当初はユニバーサルチャージという付加料金の考え方はなかったがNTS(non traffic sensitive)と称せられる通話比例のコストが厳密に接続料金から切り分けられる議論が始まった時に、同時に見直しがなされた。
参考 ユニバ-サル基金の推移は以下のようになる。低廉傾向にあることがわかる。
2008年1月1日 - 月額7.35円(税込)から月額6.3円(税込)に値下げとなる。
2009年2月1日 - 月額6.3円(税込)が、月額8.4円(税込)に値上げとなる。
2011年2月1日 - 月額8.4円(税込)から月額7.35円(税込)に値下げとなる.
2012年1月1日 - 月額7.35円(税込)から月額5.25円(税込)に値下げとなる。
2012年7月1日 - 月額5.25円(税込)から月額3.15円(税込)に値下げとなる。
クリ-ムスキミング批判はユニバーサルサービス基金導入で霧消することになる。2006年になりようやくNTTへの接続を行う全事業者がユニバーサルサービス基金への負担を担うこととなった。NTTが主張し続けた錦の御旗も蓋を開けてみると電話番号1つあたりひと月7.35円(消費税込)の拠出であり、それがさらに2012年7月からは3.15円にまで下がることになる。すでに顧客に転嫁されているがそれほど影響のある金額ではない。
2006年11月 - 日本の基礎的電気通信役務基金制度つまりユニバーサルサービス基金制度が実施となる。ついで2007年1月に 電話番号1つあたり7.35円(消費税込)の拠出が全電気通信事業者に求められることとなった。これにより、対象の各電気通信事業者の多くは利用者にその分を転与して7.35円(税込)を料金に加算して請求されていた。
クリ-ムスキミングのエピソード
通信事業にいてミルクにかかわる言葉がクリ-ムスキミング以外にもう一つある。シャ-ン=churnミルクを撹拌してバタ-を作る装置や撹拌する行為を意味する。攪拌機のふちにへばりつくことの連想からマ-ケティング用語で他社の顧客に移ることを意味することになった。通信業界の中でもとくにケ-ブルテレビのマ-ケティングでこのシャ-ンという言葉をよく聞いた。ある会社の顧客が他の会社の顧客になることはシャ-ン率が高いという事になる。これは顧客をとられることになり、これもネガティブな響きを持つ用語である。クリ-ムスキミングと言い、シャ-ンと言い酪農業界が聴いたら迷惑に思うかもしれない。
ユニバーサルサービスのエピソード
MDF自前工事の協議がNTT西との間で始まった。孫正義氏はこの協議のために風邪気味の体を押してNTT西の上野社長に会うために早朝のJALで大阪に飛んだ。大阪市内を車で移動中に走行車線の反対側にある薬局まですたすたと歩いていき、風邪薬を2本買ってその場で飲んでいたので相当体調は悪かったのだろう。
NTT西の本社に到着し大阪城の見える比較的小さな応接室で上野社長(当時)佐々木取締役(当時)、元太接続推進部長と面談した。上野社長は冒頭、協議再開に際してMDF自前工事は局所的ではなく全国ベースが前提だと切り出した。局所的な実施ではユニバーサルサービスとの関係で整合性がとれないという理由を説明した。つまり採算のとれない地方を都市部で補っているので、都市部等ばかりを自前工事化してもらっても困るといういきなりの先制パンチである。
上野社長は「ユニバーサルサービスの責務がある当社は、費用のかかる離島も、費用効率の良い都市部も均一工事料金でサービスすることをNTT法で余儀なくさせられている。その前提の上に立った工事料金なので、経営効率の良いところだけつまり都市部だけをソフトバンクがサービスするというのは受け入れられない」と説明した。MDF工事と雖もクリ-ムスキミングと呼ばれる「いいとこどり」は駄目だという事を云ったのだ。
これは先制パンチとしてはかなり強烈で、ソフトバンクとしてもいきなり全国の局舎で一斉にMDF工事を始めることはハ-ドルがかなり高くなるどころか現実問題として不可能である。全国の各局舎でMDF自前工事を実施するにはそれなりの工事量が局ごとになければ採算割れするのは必至である。上野社長(当時)は「総務省紛争処理委員会の協議再開命令通りにやるが、全国ベースでやってほしい」と実に痛い点をついてきたわけだ。
ユニバーサルサービスの筋論としては工事単金を局舎ごとに設定してさらにその工事料金にユニバーサルサービス付加料的料金を乗せることになるが、総務省の協力がなければNTTも長期増分費用方式の際のような労力をかけて付加料金を計算する仕事をおいそれとはやらないだろう。ソフトバンクだけでプッシュしてもこのような仕事はまず不可能だ。
ユニバーサルサービス義務はNTTとの交渉時には常に考えておかねばならない重要な考え方で、こうした問題の際は必ずユニバーサルサービス問題を引き合いに出してきた。全国同時同質のサービスを提供できなければクリ-ムスキミングだと非難してくる。ユニバーサルチャージが通話料に付加されているが、これはあくまでも通話に限定した付加料金であり、工事料金にも同様の考え方が検討されるべきだとのNTTの主張だった。
NTT法でユニバーサルサービスの義務を負わせながら接続料金や工事料金の交渉を行うことはどこか無理筋の感を抱いていた。NTTとしてもすっきりしない感覚は理解できる。米国は1985年にATTを分割したがユニバーサルサービスの義務を負っていない。いかにも日本的なユニバーサルサービスは離島の多い日本では必要な法ではあるが競争促進の観点からは問題を起こした。