キリスト教の教えの核心は、最初の人間(アダム)が犯した原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)によって救われるということだ。
原罪とは、アダムとエバが神の命令に背いて禁断の果実を食べたことで、この行為は性欲を満足させるためであったとされている。アダムとエバのこの行為によって、人間は「原罪」を負い、生まれながらにして罪を持つ存在となった。>根拠の原理から外れる。
原罪によって、人間は個々の存在に分散し、これは、エントロピー増大の法則だ。キリストは、意志の否定、つまり自己中心的な欲望や意志を捨て、神の意志に従うことを示し、キリストの生涯とその犠牲は、人間が原罪から救われ、再び神と一体となる道を示した。>根拠の原理の復活。
「根拠の原理」とはすべての事象にはそれを引き起こす原因があり、それによって説明できるという考え方でキリスト教の文脈では、通常、出来事や存在の根拠は神の意志や計画に基づいて説明される。しかし、特定の事象や教義に関しては、「根拠の原理から解放された」とされる部分があり、これは、それらの事象や教義が理性や通常の因果関係では説明できない。
エントロピー増大の法則は、物理学の熱力学第二法則に基づく概念で、閉じた系ではエントロピー(無秩序の度合い)が常に増大するというもので、この法則は、自然界においてすべての物質やエネルギーが時間とともに無秩序な状態に向かうことを示している。実はエントロピー増大が時間だという説明を聞いたこともある。
エントロピー増大の法則は、無秩序が増大する方向に向かうという物理学の原則でセックス(性行為)は新しい生命が生まれ、人間社会は持続可能な形で存続する。これは、宇宙の無秩序への進行を防ぐ善きことになる。性行為がエントロピー増大に対抗する手段であるという考え方が成り立つ。
セックスをエントロピー増大の法則に対抗する手段として説明することは、キリスト教の教義に新たな視点を提供すると同時にショーペンハウエルの説にも新たな視点を提供する。
エントロピー増大の法則こそが難題を解く補助線になる気がしている。だけどまだまだスッキリとはわからない。
「カラマーゾフの兄弟」でイワンは神の存在を認めるが、神が創った世界を認めません。彼は、予定調和的な運命論や宿命論に対して強烈な批判を展開している。
イワンは「俺が受け入れないのは神じゃない。俺が受け入れないのは、神によって創られた世界だ。この世界を受け入れることに同意できないんだ。」
イワンは、神の存在は認めながらも、その神が創った世界に対して深い不満を持っています。彼はこの世界の不完全さや不条理に対する怒りから、「この世界への入場券を返す」とさえ言う。
福岡伸一は、生命現象とエントロピー増大の法則(熱力学第二法則)について語っている。エントロピー増大の法則は、無秩序が増大する方向に向かうという物理学の原則で福岡氏は、生命がこの法則に対抗するために、自らを壊して再構築するプロセスを持っていると説明しセックス(性行為)はエントロピー増大の法則に対抗する重要な手段だと。
イワンへの現代物理学の視点からの反論となっているのが非常に興味深い。もしイワンが仏教を知っていたならば、彼は「この世界への入場券を返す」相手(神)がいない=仏教は創造神を持たないことを理解し、怒りをぶつける対象がなくなるため、狂い死にを免れて修行に励んだかもしれない。
イワンが熱力学第二法則やショーペンハウエルを知っていたら神の意図=根拠の原理からの解放の意義すなわちエントロピー増大の法則に対抗する手段が存在することを深く理解したかもしれない。