全電通その後のNTT労働組合と接続料金、この間には直接的にはかかわりはない。あえて共通点を挙げるとすると、どちらもNTT経営層にとってはその扱いを間違えると命取りになる可能性を秘める重要問題だ。それにもかかわらずNTT経営陣の両者に対する扱いようには随分と差があるように感じ続けてきた。その周辺の記憶を集めてみた。
津田元委員長と東邦生命事件についてはNTT労働組合との関連から記憶に蘇ってきたものを記してみた。従ってテーマから離れるが、東邦生命事件という不可解も未だに気になる。NTT管理者の献金問題と合わせて巨額の金が政治がらみで闇に消えたまま、解明されていない。
表題のテーマとはずれるが、宮津社長(当時)と津田氏率いるNTT労働組合は当時手を携えて合理化を進めていた。そして突然にみえる300億円の無断借用が発覚し、津田氏の辞任となり事件はあいまいのうちに幕が引かれた。
新電電との競争激化→NTT経営合理化圧力が増大→NTT労組の合理化協力という歴史的変化→東邦生命事件発覚→津田氏の辞任という一連の流れはなにかしら興味をそそるものがあり、あえて稿に加えた。
<NTT社長 労働畑出身が異例に多い>
NTTの経営陣は労使問題が自分の命取りになることをよく理解している。そのために他の民間会社からみると労働組合(かつては全電通 全国電気通信労働組合 現在はNTT労働組合)には異常なくらいの気を使ってきている。そのことは労働組合対策の経験を積み労交畑と言われる部門の本流を歩んできた幹部が社長になるケースが多いことからもわかる。相互接続畑の幹部が社長になった例をあえて言えばNTT西の上野元社長だけで、これも本体の社長ではない。本体の社長は児島、和田、三浦の各氏いずれも労働畑で、NTTドコモの前社長中村氏も労働畑である。
津田元委員長以前の労働組合は電電公社の経営効率化合理化の大きな障壁となってきたと思うが、NTT歴代経営者は腫物を扱うようにしてこの合理化問題に対峙することを避けてきた。電電公社時代には労使畑の人材は貴重であり、事務系と技術系たすき掛けの社長就任が慣例化する中で、事務系の番では労働畑の人材が選抜されて歴代の社長になるのが慣行化されてきた。
最近ではたすき掛け人事も守られなくなってきて特に労働畑出身者が顕著である。労働組合の支援が社長就任の暗黙の条件になっているのだろうかと思えるほどの偏りだ。
<労働問題と接続問題 影響の大きさは>
労働問題対策と接続交渉は類似点が多い。政治的判断が必要な点、経営に重大な影響を与える問題が多い、交渉相手はNTT育ちにとっては不慣れな対等交渉であり疎ましいといってもよい相手である等、類似の点が多い。ところが労働組合には生理的に重要視する感覚が身についているのに新電電各社に対しては単なる疎ましい相手とみなしてしまう空気が社内に存在していたのではなかろうか。労働組合対策のエリートと同様に接続交渉畑も社内における存在感を示せるエリート人材層を築けなかったのだろうかと疑問だ。
<社長の最大関心は労使問題>
ちなみにNTT経営陣が接続交渉にあまり大きな関心を避けなかったのではないかとの憶測を強めた一つの機会があった。ある日の夕刻に郵政の外郭団体が主催するセミナーを聞きに行った事がある。時の話題の事業者のトップを呼ぶシリーズで、講師は当時NTT社長に就任直後の宮津社長(1996(平成8)年6月、第4代 日本電信電話株式会社社長に就任。2002(平成14)年、社長を退任)だった。
宮津氏は軽くビールなどを飲んでの気楽なスタイルで、ざっくばらんな口調が持ち味で、弁舌があまり得意ではなさそうだったがそれでも独特の味のある語り口だった。人によっては「ちょっとくだけすぎだ」と思ったかも知れない。このあたり公共企業体や役人出身の幹部特有の「しゃべり」方に共通した横柄さが感じられなくもない。それはさておき、気楽な口調でしゃべり出したが話の内容は結構切実でNTTの労働事情と台所の内実の苦しさを訴えていた。訴えていたと言うより嘆いていた。
高度成長時代に毎年1万人ちかい職員を採用をした。この団塊世代が高齢化し実は余剰化している。他の職種への転用もできない。人員整理もこの位の規模になると社会問題化する。従って団塊世代が定年を迎えるまではじっと我慢の子だ。その後はスリム化して強い体質のNTTに生まれ変わる。そんな話だったかと記憶している。宮津社長の最大関心事は労働問題であると強く感じた。
それが事実だとしたら苦しいのはわかるが、接続交渉の話も多少あってもと思ったが一切その話はなかった。とにかく自然退職でスリムになるまで我慢することが私のミッションだと訴えていた。防戦一方の将軍の言であり、接続交渉などというNTTからみればマイナス要因にしか思えない話に真剣に立ち向かう気分にはとてもなれないだろうなとそのときに思ったものだ。同時に労働問題をしくじれば致命傷になるが、相互接続交渉マターをしくじれば致命傷になるとは歴代の社長は考えなかった。
<NTT労組の合理化受けいれ>
2001年8月30日 津田委員長(当時)率いるNTT労組は定期全国大会で経営側の合理化案の正式受諾を正式決定した。これは長い全電通の歴史のなかで歴史的な合理化受け入れであったが、津田氏の委員長在任は異例に短く、その後は歴代の全電通委員長が歩む政治家への転身やNTT共済組合役員にも就任せずに引退した。
1998年12月1日に全電通がNTT労組に名称を変更した。津田氏がNTT労組名では初代委員長に就任。2000年12月13日には年功重視型から成果・業績主義の賃金体制への変更をNTT側に提案する。組合が会社より先行してこうした賃金体制を提案するというのもおかしな感じをうけるが、言われてから実施を余儀なくされるよりも自ら進んで改革に乗り出そうとする意欲が覗える提案である。古い体質からの脱皮を意図していることもよく理解できる。
ところが津田氏の在任中に突然に東邦生命事件というスキャンダラスな事件が明るみに出る。
2000年12月15日 読売新聞(朝刊)の見出し 情報労連6千人分の年金共済3百億を無断解約 運用失敗 回収滞る 東邦生命と覚書 戻ったのは85億円。
情報産業労働組合連合会(情報労連、津田淳二郎委員長、約二十七万人)傘下のNTT労組組合員らが加入する年金共済の保険料約六千人分、約三百億円が加入者に無断で解約され、商品先物取引などに投資されていたことが十四日、読売新聞社の調べでわかった。
解約金は五年間、大手投資会社で運用し、積立先の東邦生命保険(昨年六月破たん、GEエジソン生命に事業譲渡)に戻される約束だったが、解約から七年たった現在も大半の回収が滞っている。情報労連側は、別の金融機関から三百億円近くの融資を受けて一時的に積み立ての穴埋めをしている。
他のメディア報道などを参考にするとこの事件の概要は以下のようになる。
1993年山岸元委員長の時代から年金共済300億円が無断解約され、運用損失を出しているが、当時の情報労連生命共済の理事長の独断行為とされている。
1.組合員6000名の共済年金預かり金300億円を年利5%の保証で5年間の期限で東邦生命に先物取引や商品ファンドでの運用を委託した。これは情報労連生命共済理事長の独断行為だとある。
2.これがなぜか先物取引会社、東京ゼネラルに運用を一任し、その運用に失敗して300億円は85億円に目減りした。
3.東邦生命は金利の逆ざや現象で経営破綻し、それをきっかけに情報労連共済は預け金引き上げを要求し、資金回収ができないことを知った。情報労連=NTT労働組合は300億円を借り受け手当した。
何とも謎の多い不可解な事件だ。この事件の発端は1993年の山岸元委員長にまで遡るという。当時の理事長が無断で山岸氏の印鑑をついたというのだ。これも一般企業の感覚からはにわかには信じられない。しかしこの理事長が独断で背任的行為をしたという事で、山岸氏には特に責任追及の声は上がらず一件落着している。その後の組合執行部を引き継いだ津田委員長が辞任したという事は、事件とは無関係としながらも各種のプレッシャーが働いたのであろうと推測できる。
この事件で220億円が消えてしまった。山岸元連合委員長の際に細川政権誕生の軍資金に使われたとかの噂もネットで散見される。あるいは単純にNTT労組生命共済理事長の単独犯で、先物の運用に失敗しただけの話かもしれない。推理小説的興味で行けば前者の方が俄然面白いのだがこれもまた闇のなかである。
2001年1月5日 NTT労組、春のベースアップ要求2年連続見送り。
2001年7月31日 NTT労組がNTT合理化案を受け入れ表明。
2001年8月31日 NTT宮津社長が合理化案のNTT労組受諾を歴史的決定と高く評価。
(余話1)
宮津社長のスピーチで、団塊の世代の余剰を抱えたNTT台所事情の話は結構説得力を持つのだが、やはり相当割り引いて考えなければいけないことを痛感したことがある。ある時、NTT接続料金関連で総務省主催のヒヤリングが行われた。本来基本料金に含まれるべき費用項目(交換機の加入者対応部分で、トラフィックに比例しない機能)が接続料金に含まれており、その改善が問題になった。NTTはこの接続料から控除すべき費用を基本料金に転嫁を余儀なくされると主張した。
NTTの自助努力ではその費用負担を吸収しきれないとして基本料を値上げせざるを得ないとの主張は言葉通りの素直なものではない。総務省も国民の反対が予測される電話基本料の値上げには腰が引けるだろうと読んだ上での主張である。これに対して新電電各社は転嫁せずにNTTの経営合理化努力で吸収すべきだと主張した。
KDDIの小野寺社長(当時)はNTTの主張に対し興味深い反論を述べたので記憶に残っている。以前からNTTは経営が苦しいという理由で接続料金の値下げ要求を退けてきた。しかし、過去にも何回かこうした主張があったが、結果的にNTTはかなりの高収益をあげてきている。経営に余裕のある時にこそこうした接続料金の不適切な費用控除に関する対応をすべきではなかったかと鋭く追求した。一般企業でいえば業績が好調な時に表に出せなかった不良在庫処分など一括損益を計上するのが常識であるが、それを怠っていたと言うことだろう。
つまり「経営が大変だ大変だ」と声高に主張することはNTTの値下げ待避の作戦ではないかと突いたわけである。なるほどポイントを突いていると感心したものだ。労働組合に対してもこうした「経営が大変だ大変だ」との主張は有効だろうが、少しレームダックぶりが見透かされるようで、経営としては洗練されていなくて、あまり上手な方法ではない。
(余話2)
かつて真藤社長のころオレンジ委員会という社内組織があった。顧客からのクレームを、たとえ些細な事案でもひとつひとつ常務クラスの経営陣がオレンジ委員会で取り上げ、何らかの議論と対応をしていた時期があった。その議論の内容が役員の実名入りで速記録風に記録され、オレンジ委員会広報誌で頻繁に全電電公社社員に回覧されていた。現場を認識できないことを恐れた真藤氏の発案で始まったものだと思うが、役員も速記録に掲載されるのでうかつなことが言えない。役員の関心度合いがわかって大変面白かった。
ひるがえって接続交渉案件でオレンジ委員会や労使交渉でみせる関心の十分の一でも経営陣が払っていれば常に郵政省・総務省に接続を「余儀なくされる」ような展開は見せなかったのではないかと思ってしまう。新電電各社との相互接続協議では多くの協議事項にNTTの経営に極めて大きな影響をもたらす問題を含んでいるケースが多い。収益の点から見れば新電電各社は超巨大顧客である。それにも関わらず関心が無さすぎたことが問題を発生させたのだろうと思う。
(余話3)
私が電電公社~NTTに在職していた当時は全電通あるいはNTT労連と呼ばれ、27万人の組合員を擁する日本最大規模の単一労働組合として、日本の労働運動や出身議員を多数抱える社会党を通じて政界に大きな力をもって存在していた。選挙のたびごとに動員と称して電電公社出身の議員の応援のために組合員がかり出された。歴代の委員長は及川・山岸と続いてきており、かれらは労組のトップを退いた後も参議院議員や評論家として発言力を持ち続けた。当然津田氏もそういう道を選ぶのだろうと漠然と思っていたが、一切そういう関わりを切ったという。
昔NTTデータがデータ通信本部、デ本と呼ばれていた頃、17森ビルにデータ通信本部があり、そこには全電通データ通信本部分会があった。1970年代の初め、彼はその分会の分会長か書記長をしていて、ハンドスピーカーを手に挨拶や教育宣伝活動の先頭に立っていた。
NTT労働組合は2001年に組合員11万名を対象とし、子会社移籍と賃金30%カットを柱とする大リストラ計画を受け入れていた。私にはこれは相当な決断に思われた。さぞ組合員の突き上げはきつかっただろう。全電通の歴史を通じてもっともつらい仕事を引き受けたのだろうと心中ひそかに推測した。
<余話4>
東邦生命から10年以上も前に「重要書類」と表面に印刷された郵便物が届いたことを思い出した。私もNTT時代に東邦生命の生命共済に加入していた。入院保険もセットでついており、長期にわたって加入していた。サラリーマン時代に合計三回ほど入院したがその都度入院保険が迅速に出て助かった記憶がある。突然の封書になんだろうと開封するとエジソン生命に譲渡する旨が記されており、入院保障などの条件も少しばかり悪くなっていた。そのときは深く考えもせず新会社に移行する書類にサインをして提出した。エジソン生命への移行を東邦生命の倒産によるものとは全く考えが及ばなかった。
<余話5>
これはバリの、あるビラオーナーとの会話。
「組合は会社じゃないのにどうして300億円もの大金を自由に扱えるのか。」
「それは20万人も組合員がいれば組合費だけでも相当なものだよ。私も長い間組合費を納めていたけど、確か毎月2000円程度払っていた記憶があるよ。」
2000円だとして20万人では年間50億円近い金が集まることになる。これが毎年毎年プールされていくわけだから、長い間には巨額の金をプールできる仕掛けだと説明した。
<参考>
読売新聞5月19日 逮捕の東京ゼネラル社長、300億円返済猶予を懇願
商品先物取引大手「東京ゼネラル」の虚偽報告事件で、逮捕された同社社長の飯田克己容疑者(65)は約300億円の運用を同社に委託した「情報産業労働組合連合会」(情報労連)に、直筆の手紙で「資金の保全は十分で絶対に迷惑はかけない」と償還猶予を求め、「ホテルが近く売れる」などと言って返済を先送りしていた。情報労連の委託資金のうち約230億円は未返済で、飯田容疑者が様々な口実をつけ、引き延ばしを図っていた実態が浮かび上がった。
東京ゼネラルは1993年10月、情報労連から約300億円を5年間で運用するよう委託され、元利を合わせて約389億円を償還する契約を結んだ。関係者によると、飯田容疑者は、償還目前の98年10月、同時に逮捕された側近の元専務・向野(むくの)忠洋容疑者(60)に手紙を持たせた。同社はそれまでも資金繰りがつかないことを理由に、「運用利益分(約85億円)だけ償還する。元本は再運用させてほしい」と提案していたが、情報労連は当初契約通りの支払いを求めていた。
手紙では、元本支払いが滞っている理由について、「手を尽くしたが、昨今の金融情勢ではおぼつかない」「先物取引運用及び商品ファンド運用が不振だ」と説明。そのうえで、「我々は懸命に取り組んで参る所存だ。元本部分の償還はあと3年の猶予をいただきたい」と訴えていた。さらに、「どうか1度だけチャンスを与えてください。資金の保全は十分しており、絶対みな様にご迷惑はおかけしません」と懇願し、「何とぞ大英断を切にお願いします」と結んでいた。しかし、情報労連側は手紙を送り返し、元本返済を改めて強く求めた。情報労連によると、飯田容疑者は「ハワイに所有するホテルが近々売れそうだ。数十億円になる」と何度も返済を約束する言葉を繰り返したが、実現しなかった。