まさおレポート

ティルタサリ楽団と演目の解説

バリ島のサンヒャンは、地元の社会の精神的な健康と調和を維持するための重要な儀式です。神聖な踊りとも呼ばれるサンヒャンは、村から悪、病気、その他の有害な影響を追い払うことを目的とした祈りとパフォーマンスの一部です。また、これは一種の神々や霊とのコミュニケーション手段でもあります。

この儀式は、お供え物、祈り、香の煙、そして伝統的なバリ音楽によって特徴付けられます。これらの要素が一緒になることで、特別なエネルギーと気分が作り出され、ダンサーたちはトランス状態に陥ります。このトランス状態は、神々や霊がダンサーに取り憑き、彼らを通して人々にメッセージを伝えるための道具となります。

この中でも特に重要なのが、ウィディアダリまたはダダリ(天のニンフ)として知られる存在です。彼女たちは純粋な若い女性の体に入り、特別な歌、リズミカルな詠唱、そして伝統的なガムランのメロディーに合わせて踊ります。これらのダンスは、神聖なエネルギーを注入し、コミュニティ全体を浄化します。それらはまた、神々と霊との繋がりを深め、彼らからの祝福と保護を確実にすることを目的としています。

このように、サンヒャンは単なるエンターテイメントではなく、コミュニティの一部としての調和と平和を維持するための重要な儀式です。それはまた、バリ島の人々が自然と精神世界と調和して生きるための方法を示しています。サンヒャンはバリ島の文化と精神生活の中心的な部分であり、それはその深遠な信仰と尊重を通じて表現されます。


 
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リジャンはバリ島の伝統的な踊りであり、その中心には神々への奉納があります。リジャンは純粋な女性が行う緩やかで繰り返される踊りで、その動きは細かく、制御されており、独特のリズムとパターンがあります。この踊りは極度に集中し、精神性を必要とし、その繊細さと繰り返しの中から美しさが生まれます。
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特にバリ島東部のカランガセム地区の村々では、この儀式的な踊りが重要な役割を果たします。踊り手たちは、葉や花で作られた美しい冠を頭につけます。これらの冠は自然とのつながりを象徴し、またポリネシアの一部の文化と共通の特徴を持っています。

この踊りのダンサーは、自分たちが神々の代理人となるという感覚を持つことが求められます。そのため、彼女たちは祈りや瞑想を通じて心を清め、精神的な調和を達成します。彼女たちの動きは、神々への深い敬意と尊敬を表しています。リジャンはまた、バリ島の伝統的な生活や価値観を反映しています。

リジャンは、個々の動きが一つ一つ丁寧に行われ、その結果、動き全体が一つの連続した流れとなるような踊りです。それぞれの動作は、神々への敬意と奉仕を表現するためのものであり、全体としては独特の美しさと平和を作り出します。それはまた、神々とのつながりと、自然と人間との共存を強調しています。


ラーマーヤナ叙事詩は、古代インドの重要なエピックであり、その物語は広範にわたる芸術、文学、舞踊、音楽などに影響を与えてきました。その中心には3人の主要な登場人物、ラーマ、シータ、そしてラワナがいます。これらのキャラクターは、視覚的な特徴と衣装を通じてそれぞれ独特の性格と役割を表現します。

まずラーマは、ヒンドゥー教の主要な神であるウィスヌの化身とされており、その役割は生命を保護し、宇宙の秩序を維持することです。ラーマの衣装は緑色で、これは生命と自然を象徴しています。彼の細い目と華奢な体は上品さと美しさを示し、これは彼が理想的な王であり、模範的な人間であることを示しています。

ラーマの妻であるシータは、彼の信念と愛情の象徴であり、その衣装はクリーム色です。クリーム色は純粋さと謙虚さを象徴しています。彼女もまた細い目と華奢な体を持ち、これは彼女が美しさと貞節の象徴であることを示しています。

一方、鬼王ラワナは物語の主要な敵役であり、彼の体は大きく、毛深く、目が突き出ています。これらの特徴は彼が強力で野蛮で、情熱によって動かされる存在であることを示しています。彼の赤い衣装は、その抑えられない情熱と激情を象徴しています。

ラーマとラワナが身に着けている王冠と背中の装飾は、彼らがともに王であることを示しています。しかし、彼らの王としてのスタイルは全く異なり、これはそれぞれが代表する理想と価値の違いを表しています。ラーマは正義と善を、ラワナは欲望と邪悪を象徴しています。これらの視覚的な要素は、物語の深い教訓と意味を表現するために重要な役割を果たしています。


 
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レゴン・ラッサムは、バリ島の伝統的な舞踊の一つで、レゴンというジャンルの中でも特に有名で親しまれています。その名前は、その出典となるジャワ島の古典文学「マラット」の登場人物、ラッサムから取られています。この舞踊は、美しい衣装、繊細な動き、そして力強い音楽が特徴的です。
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レゴン・ラッサムの舞踊は、チョンドンと呼ばれる侍女役による華やかな踊りから始まります。チョンドンの役は、視覚的に華やかで、舞踊の中でも特に華やかな部分を担当します。彼女たちは美しい衣装を着て、繊細な動きと高度な技術で観客を引きつけます。

その後、舞踊は2人のダンサーによる舞踏に移ります。この部分は、物語の核心部分を表現します。ダンサーたちは、音楽とともに劇的な表情と動きを使って物語を語ります。彼らの動きは、感情と情熱を伝えるために細かく繊細で、ときには力強いものとなります。

レゴン・ラッサムの舞踊は、見る者に深い感銘を与えるだけでなく、バリの伝統的な文化と芸術の深さを表現します。その精神性、芸術性、そして娯楽性は、古代から現代までバリ島の人々に愛され、また観光客にも深く感動を与えてきました。

また、この舞踊は、ガムランという伝統的な音楽演奏とともに行われます。ガムランのリズムと旋律は、舞踊の各部分とダンサーの動きと密接に結びついています。この音楽と舞踊の組み合わせは、物語の情感を高め、観客に深い感動を与えます。

「マラット」の一部であるこの物語は、愛と義務、そして名誉についての深い物語を描いています。ジャワ島ダハ王国の王女ランケサリが森に迷い込み、ラッサム王子に保護されるところから始まります。その美しさに惹かれたラッサム王子はランケサリに求婚を試みますが、すでに婚約者がいるため彼女はそれを拒みます。この交流は愛と忠誠の強い絆を描いており、また人間の欲望と倫理の間の葛藤を表しています。

絶望したラッサム王子はダハ王国への攻撃を決意しますが、神鳥ガルーダの予言により、彼が直面する運命を告げられます。これは死を予見する一方で、王子の勇敢さと決断力を強調しています。ガルーダの予言にも関わらず彼が戦場に進むという描写は、彼の名誉と義務感を強く象徴しています。

この物語は舞踊劇ガンブーにおいて表現されます。この舞踊では「カカン・カカン」の侍女役が重要な位置を占めています。これは歓迎と祝福の踊りであり、観客に祝福と祈りを伝える役割を果たします。装飾豊かな衣装と繊細なダンスムーブメントによって、この踊りは観客に感動を与え、物語の重要なテーマを視覚的に伝えます。

 

マリオは20世紀中頃に活躍したバリ島タバナン出身の天才舞踊家で、彼の舞踊はその表現力と技巧により多くの人々を魅了しました。彼の作品は独自のスタイルと創造性を持ち、特に女性の役割を演じるのを得意としていました。これは、バリ島の伝統舞踊で男性が女性の役割を演じることが一般的な要素で、この伝統はマリオが自身の作品に取り入れたものです。

彼の著名な舞踊、「クビャール・ドゥドゥック」は、座ったままで踊る独自のスタイルを持つ舞踊で、即興性と創造性が求められます。"クビャール"はバリ語で「閃光」または「稲妻」を意味し、これはこの舞踊の速さと動きの予測不可能性を表しています。

さらに舞踊への新しい要素として、楽器「トロンボン」を演奏しながら踊る部分が加えられています。これはダンサーに対して二重の挑戦をもたらします。一方で繊細で複雑な動きを作り出す舞踊をマスターする必要があり、一方でリズムと調和を保ちながら楽器を演奏する能力も求められます。

マリオのこの作品は、その美しい動きと音楽の融合、そして彼の表現力によってバリ舞踊の新たな次元を切り開いたと言えます。特に彼の中性的な表現は、男性と女性の役割、またはその間の領域を探求する独自の視点を提供します。これは舞踊におけるジェンダーの表現というテーマを掘り下げる貴重な機会を提供し、舞踊が個々の性別を超えて人間性を表現する手段であることを示しています。


スパリとスグリウォのエピソードは、「ラーマーヤナ」の中でも重要な部分を占めており、それぞれが誤解と敵対から和解と親愛へと進む濃密な兄弟関係を描いています。レゴン舞踊の中でこのエピソードを表現することで、観客はそのドラマチックな展開を体験し、共感と感動を得ることができます。

元々人間だったスパリとスグリウォが猿の姿に変えられるという事象は、神々や超自然的な存在が関与することを示しています。これは「ラーマーヤナ」の中でよく見られるテーマであり、人間の存在と神性との交流を描くことで、観客に対して生命、善悪、因果、運命など、人間存在の深遠なテーマを思索するきっかけを与えます。

続く洞窟での魔物退治のエピソードは、勇敢さ、忍耐力、兄弟の間の信頼(またはその欠如)など、さまざまなテーマを浮き彫りにします。スパリが魔物を倒すことで、彼の勇敢さと技量が示されますが、同時にスグリウォの誤解と疑念も明らかになります。

その後のスパリの脱出と兄弟の戦闘は、誤解と不信からくる敵対を描き、観客に衝撃と緊張感を与えます。これは、人間関係の困難さと誤解からくる痛みを表現しています。

この物語全体を通じて、レゴン舞踊は「ラーマーヤナ」の物語を豊かな動きと象徴的な表現で描き出します。観客はこの舞踊を通じて、「ラーマーヤナ」の世界を体験し、その中に含まれる普遍的なテーマとメッセージを感じ取ることができます。

 

この物語は、神々、精霊、人間が織り成す壮大な対立と和解のドラマを描いています。物語の主人公であるバロンは森と力の象徴であり、その力は神々さえも必要とするほどのものです。物語が進むにつれ、バロンの存在は神々と人間の間に生じる葛藤と紛争を解決するためのキーとなります。

シバ神の病気は、神々の世界にも不完全性や欠点が存在することを示しています。これにより、神々が地上の世界と深く関わっていることが強調され、神々と人間の間の相互依存関係が描かれます。

侍女たちが変身し地上の森を訪れるエピソードは、人間と自然の関係、人間と動物の関係、そして特に人間が自然を利用しようとする際の倫理的な問題を浮き彫りにします。これらの侍女が豚と戯れる場面やウマに叱られる場面などは、自然との調和の重要性と、自然に対する敬意の欠如が問題を引き起こすことを示しています。

バロンが登場し、チュルルックを追いかけるエピソードでは、自然の力と怒りが具現化され、人間が自然を無理に利用しようとする行為への警告が示されます。それでもなお、ウマがランダに変身し、バロンと対峙する場面では、人間の知恵と勇気が強調されます。

兵士が登場し、ランダにクリスを突きつけるが、逆に自らの身体にクリスを突き立てるという場面は、暴力と敵対行為が最終的には自身に災いをもたらすことを象徴しています。

物語の結末では、再びバロンが登場し、兵士たちを清め、舞台から去ることで、対立と混乱から平和と調和への回帰が示されます。これは、自然と人間、神々と人間との間の和解と再生を象徴しており、観客に対して深遠なメッセージを伝えます。


「レゴン・スマランダナ」は、インドネシアのバリ島の伝統的な舞踏劇で、このドラマはヒンドゥー教の神話に基づいています。この物語は愛の神スマラが、シバ神の深い瞑想を打ち破る任務を引き受け、最終的にその命を失うという悲劇的な結末を描いています。

物語は、ニラルドゥラカという存在が、シバ神から特別な力を与えられて天界を混乱させるところから始まります。神々がこの困難に直面している間、山で瞑想に耽るシバ神の助けが必要となります。しかし、その瞑想を妨げるのは極めて危険なこととされていたため、この重大な役割は愛の神スマラに与えられました。

スマラの妻、ラティは彼の命が危険にさらされることを悲しみ、泣き崩れますが、スマラは全てを受け入れ、山へと向かいます。山の中で瞑想しているシバ神を見つけたスマラは、シバ神の感覚を呼び覚ますために特別な矢を放ちます。

しかし、これがシバ神の怒りを招き、シバ神は第3の目から火を放ちスマラを焼き尽くします。怒りが静まった後、シバ神は事態を理解し、スマラを悼む。そして、スマラの魂が永遠に生き続けるようにと、その灰を地上に撒き散らします。

「レゴン・スマランダナ」ではこの物語が演じられますが、その後の物語ではシバ神とパールヴァティとの間に息子、カーマデーヴァが生まれ、この息子が怪物ニラルドゥラカを退治します。

この物語は、愛と犠牲、そして神々の間の力のバランスとその繊細さを描き出しています。それはまた、人間の行動が自然と宇宙の秩序にどのように影響を与えるかという深いメッセージも伝えています。その演技と音楽、美しい衣装と舞台装置は、観客に強烈な感情的な体験を提供し、そのテーマを生き生きと描き出します。

 
この物語に登場する主要なキャラクターは次のとおりです:
  1. シバ神:ヒンドゥー教の三大神の一つで、破壊と再生を司る神です。シバ神は深遠なる知識と瞑想の象徴であり、第三の目から放たれる破壊の炎は彼の全知全能を表しています。彼の瞑想は極めて深く、邪魔されると極めて危険な事態が起こります。

  2. スマラ:愛と欲望の神であり、その矢は目標の全ての感覚を目覚めさせ、愛を感じるようにするとされています。彼の勇敢さと犠牲精神は、天界を救うために自己の命を犠牲にするという彼の決断に現れています。

  3. ラティ:スマラの妻で、愛と欲望の女神です。彼女の愛する夫が危険にさらされることを悲しむシーンは、彼女の愛情と深い絆を示しています。

  4. ニラルドゥラカ:シバ神から特別な力を授かった存在で、その力によって天界を混乱させています。彼の存在は物語の背景を形成し、神々の困難やスマラの使命を引き立てています。

  5. カーマデーヴァ:物語の後半で登場する、シバ神とパールヴァティの息子であり、愛と欲望の神です。彼は父親であるシバ神から受け継いだ力を用いて、ニラルドゥラカを退治します。バリ島の舞踊は、しばしば宇宙の力のバランスを象徴的に描くものであり、それはバリ島の宗教や哲学の深い影響を反映しています。善と悪、陰と陽、混沌と秩序といった二元性が中心的なテーマとなっています。これらの対立する力がバランスを保つことにより、調和の取れた宇宙が成り立つと考えられています。


「テレック」と「ジャウック」の仮面舞踊は、このようなバリ島の世界観を見事に表現しています。テレック(美女)は陽の力を、そしてジャウック(男性)は陰の力を象徴します。テレックは純粋さ、善良さ、美しさを表現し、その舞踊は滑らかで優雅です。一方、ジャウックは力強さ、野性、そしてしばしば破壊的なエネルギーを象徴し、その舞踊は力強く、動きが大きいです。

しかし、これらの二つの力は対立するだけでなく、相互依存し、補完し合っているというのがバリの哲学です。それぞれが存在することによって、世界の力のバランスが保たれると考えられています。このように、テレックとジャウックの舞踊は、バリの宇宙観を象徴するための強力なツールとなっています。


「タルナ・ジャヤ」はバリ島の伝統的な舞踊で、バリ舞踊の巨匠であるI Wayan Gde Manikによって作られました。この舞踊は「若い勝利者」を意味し、力強さ、自信、そして青年の精神を象徴します。

タルナ・ジャヤは一般的に女性のダンサーによって演じられますが、踊りは男性的な性格を持っています。これは、男性的なエネルギー、精神、そして行動を表現するためのものです。女性が男性的な踊りを演じるということは、性別の役割を超越し、バリ島のダンスにおける表現の幅を広げることを示しています。

踊り自体は力強く、エネルギーに満ちています。ダンサーは、彼らの身体、手、顔の動きを通じて、若者の情熱、勇気、自信を表現します。これは、勝利を達成するための戦いと闘争を象徴しています。

音楽はこの踊りの重要な部分で、それはダンサーの動きと密接に関連しています。リズムは速く、強力で、ダンサーが表現するエネルギーと一致します。また、衣装は男性的で、しばしば戦士の装束を思わせるようなもので、この踊りの主題を強調しています。


「バリス」はバリ島の伝統的な男性のソロ舞踊で、文字通り「戦士の踊り」を意味します。この踊りは寺院や神聖な場所を守る戦士を描いており、精神的な献身と肉体的な力を象徴しています。

舞踊の動きは戦士の行動を模倣しており、踊り手はしばしば剣や盾を持って踊ります。踊りは緻密で力強い動きからなり、一方で優雅さと華麗さも持ち合わせています。ダンサーは戦士の戦闘技術と、脅威に対する緊張と覚悟を表現します。

「バリス」は教育的な側面も持ち合わせています。多くの場合、この踊りは少年が初めて学ぶ伝統的な踊りとなります。この踊りを通じて、彼らは身体のコントロール、精神的な集中、そしてリズムと音楽に対する感覚を磨くことができます。

また、バリスは一種の神聖な舞踊でもあり、バリのヒンドゥー教の祭りや儀式では重要な役割を果たします。バリスのパフォーマンスは神々への奉納の一部となり、聖域の保護と清浄化を象徴すると同時に、参加者や観客に精神的なインスピレーションを提供します。


「オレッグ・タムリリンガン」は、バリ島の伝統的な舞踊で、男性と女性のペアによる"蜜蜂の踊り"とも称されています。この踊りは1952年にイ・マリオ・スブリャナダナという著名なバリ舞踊家によって創作され、その美しさと感情的な強度で高く評価されています。

オレッグ・タムリリンガンは蜜蜂が花から花へと飛び回り、花粉を集める様子を表現しています。踊りの中で、メスの蜜蜂(女性ダンサー)は繊細で美しく、花から花へと軽やかに舞い回ります。一方、オスの蜜蜂(男性ダンサー)は力強く活発で、メス蜂に求愛する様子を表現します。

この踊りは、その華やかさと性的な帯びた動きにより、バリのダンスの中でも特に魅力的な一つとされています。また、踊りは音楽と密接に関連しており、ガムランと呼ばれる伝統的なバリ音楽が演奏されます。これらの音楽は踊りの動きと同期し、踊りの情感を深める役割を果たします。

このダンスはまた、恋愛と魅力、誘惑と拒絶、そして最終的には男女間の絆の形成という普遍的なテーマを探求しています。そのため、オレッグ・タムリリンガンは単に踊りとしてだけでなく、人間の感情と関係を象徴する作品としても見ることができます。


ティルタサリ楽団は、バリの伝統的な音楽とダンスのグループで、1978年にアナック・アグン・グデングラ・マンダラによって設立されました。マンダラはプリアタン村プリ・カレラン家出身で、その演出能力と創造力から「今世紀最高の演出家」とまで評されています。

楽団の名前は、「ティルタ」が「水」、そして「サリ」が「エッセンス」または「精神」を意味するバリ語から取られています。この名前は、バリの音楽と舞踊のエッセンスを伝えるという彼らの使命を象徴しています。

このグループは、甘い音色の音楽と、プリアタン村に古くから伝わるレゴン舞踊の融合により、国内外で注目を集め、一躍世界的なグループとなりました。彼らの音楽は本来王の寝所で演奏されていたもので、その優雅さと深遠な響きが特徴です。

運営はマンダラの息子たち、A.Aグデ・バグース・マンダラエラワンとA.A. グデ・オカ・ダラムによって続けられています。彼らのもとで、ティルタサリ楽団は日本やアメリカなど、世界各地での公演を成功させ、バリの伝統芸術を世界に広める重要な役割を果たしています。

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