Hさんのキャラクターを述べる上で忘れてはならないことは建設工事全般に対する情熱だろう。Y銀行にオンラインバンキングシステムを導入するに当たってはY銀行のコンピュータシステム室の建設工事も自らのチームで手がけている。記憶の中では50*50メートル程度はあったであろうか。広大なスペースのフロアにフリーアクセスが施工され、その下に太い電源ケーブル等を引き込む工事をチーム自ら行った。当時も専門業者に任せるのがごく一般的であり効率も精度もいいに違いないにも関わらず、こうした建設工事を部下にあえて施工させるところに戦前・戦中の日本人技術者の心意気と精神性=思い入れを示したかったのだろうと思う。
後年、似たような光景を見た。ADSLの全国展開のためにNTT局舎内の建設工事を大規模に施工していたときの事だ。一般的には工事は専門会社に委託して工程の進捗のみ把握するのだが、技術者の中には工事そのものになみなみならぬ関心を持つ人がいた。長く大学にいたため何事も自分で一から開発する癖がついているのだろう。全体の効率という点からはあまり効果はないのだが、アナログ感覚で工程を把握しシステム全体を理解する習性はこんなところに行き続けていると興味を持ったものである。凝り性という一言では片付かない、開発全般に共通する「何か」があるのだろう。
安全性やタフネスを追求するあまりコストが全般的に高くなってしまう可能性もあっただろう。民間で開発し売られている製品は「民需品」と呼ばれHさんは頭から信用していないフシがあった。たとえば電源設備なども無停電で安定性の高い特別仕様を要求し購入する。民需品など採用するのは素人のすることだとの深い信念があったようだ。
はるか後年に道路公団の非効率無駄使いを追求している猪瀬氏がどこかで書いていた一文を読んだときに、この指摘のケースは似て非なるものだなと感じた。公団の技術者も安全性や頑強性への思い入れがあったかもしれないがやはり癒着によるコスト高の要素がはるかに大きいのだろう。猪瀬氏の指摘は道路におかれている非常用電話設備が民需製品に比べてコストが高いという点であった。猪瀬氏の批判は正しいと思う。結局動機が純か不純かがこうした大切な事に違いない。インフラの安全性や安定性や頑強性の追求は国民の安全に直結するため単なるコストパーフォマンスのみでは計り知れない部分があるのも事実だろう。一方では効率を求めなければならない。説明責任とは言うけれど本質的に難しい問題を含んでいるのも事実だろう。
回想のNTTデータ