青空の好天に恵まれた練習でした。
小学校の行事と重なったり、風邪ひきの子がいたり、欠席者も多かったのですが、
それでも、本当にいい天気で気持ちよく練習ができました。
練習が始まって、一番に気になったのは、
いつもより声が少なかったこと。
特に、珍しく高学年に欠席者が多かったこともあって、
高学年の声の少なさを感じました。
さて、どうしよう?
ずっと、考えながら指導していました。
「声が出せない。」
このことに関しては、結構こだわって指導しています。
単に、声が小さいとか大きいだけでなくて、
友達とのコミュニケーションがとれるかどうか?
集団の中で、一人一人が楽しくサッカーができるかどうか?
そんなところにも影響する。
もちろん、練習やプレーに対する集中力が高まる。
友達や自分自身に、やる気を出させる。
・・・
数限りなく、「声を出す」ということにはプラス効果が生まれると思ってます。
今日の高学年の練習で・・・
いつもなら、僕の笛でスタートしたり、僕の声で始めるところを、
「4箇所同じぐらいの人数に分かれて、インサイドのシュートはじめろな。」と伝えて、
僕はグランドの整備をしながら、見ていないふりを続けました。
4箇所に分かれるところまでは、早かったです。
でも、なかなか練習が始まらない。
いつものように僕が指示するのを待っている。
僕自身、そう子ども達が感じていることはわかっていたのですが、
あえて、見ていないふりを続けました。
かなりの時間がたってから、
やっと「練習はじめようや!インサイドのシュートからやで!」という声が聞こえました。
6年生のキャプテンが休んでいたことも、もちろんあったとは思いますが、
あまりにも、その判断が遅かった。
おそらく、僕の「4箇所同じぐらいの人数に分かれて、インサイドのシュートはじめろな。」
という指示をわかっていた子がほとんだったと思います。
でも、誰も動けない。誰も声を出さない。
ただ、次の指示を待っていた。笛の合図を待っていた。
僕に「練習初めていいですか?」と聞いてもいいと思う。それもなかった。
僕がいつも気にしている受け身の姿勢。
これが、はっきりと表れた出来事でした。
最近の子ども達の特徴
学校では、先生の指示にしたがって、
家では、親の指示にしたがって、
クラブでは、コーチの指示にしたがって、
本当に、まじめに行動する。
これは、もちろん良いことだと思うのですが・・・
自分から行動する。
自分から声を出す。
自分からわからないことを聞く。
その部分に関しては、平均的に低下してきていると思っています。
僕自身もずっとその点を意識して指導しているのですが、
今日は、特に、その点が気になりました。
僕が笛をふけば、僕が声を出せば、
子ども達はまじめに練習に取り組む。
わかっているけど、あえて我慢する。
あえて、子ども達の行動を待つ。
あえて、子ども達の声を待つ。
そんな「我慢の指導」
やっぱり必要なんだろうな。。。
今日は、そんなことを考えていました。(^-^)ニコ