日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

 エルサレムの平和

2009-04-12 | Weblog
  詩122篇
    
  祭儀律法により年三度の祭=過越祭・五旬節・仮庵祭の巡礼が定められていた。(出エジプト23章17節)。貧しい者や遠くに住む者は大きな喜びとして歌われた。

 1~2節 エルサレムへの巡礼のよろこび
  「主の家に私たちは行くとわたしに言った時、わたしは喜んだ」(1節)。巡礼の旅立ちに周囲の人々を誘い合う。
  「エルサレムよ、わたしたちの足は城門の中に立っている」(2節)。しかし、そのエルサレムはダビデ王朝の時代のそれではない。それを思い出す。

  3~5節 唯一の象徴であるエルサレム
  「エルサレムよ、町として建てられ、そこに一緒に結び合わされた」(3節)。岩波訳「固く結び合わされた」。町に結び合わされたという意味か、修理してつぎはぎになっている町のことか二通りの解釈がある。俯瞰的に考えると世界三大宗教がここを発祥地としていることになる。
  「そこにすべての主の部族が上った。主の名に感謝をささげるのはイスラエルの証」(4節)。宮詣に各部族出身の者たちが集うのであろうか。
「なぜなら、そこでダビデの家の座、裁きの座に彼らは座した」(5節)。

  6~9節 祈りの対象であるエルサレム
  「エルサレムの平和を求めよ。あなたを愛する者らが安心する(イシュラユ)ように」(6節)。岩波訳「讃え、エルサレムの平安を」。
  「あなたの城壁の中に平安(シャローム)が、あなたの宮殿に平和(シャルバー)があるように」(7節)。
  「わたしの兄弟とわたしの友のためわたしは語ろう。どうか平安があなたの中にあるように」(8節)。執り成しの祈り。ここに共同体の祈りが伺われる。
  「私たちの神、主の家のためにわたしは願う。あなたのために善(トーブ)を」(9節)。平和はあらゆる意味での健全を指す。神の全き支配によってなり、ただ城壁が守られるという物理的地理的な事柄ではなかった。これに対する失敗の経験が過去にあった(イザヤ46~47章)。エレミヤは厳しく批判している(7章4節)。

  エルサレムの平和を主イエスは願い涙された。 ルカ福音書19章42節