日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

ソロモン

2012-06-05 | Weblog
 歴代誌上3章
  
  5節「エルサレムで彼に生まれた息子は次のとおりである。シムア、ショバブ、ナタン、ソロモンの四人。母はアミエルの娘バト・シュア」(新共同訳)

  1節「ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。長男はアムノン、母はイズレエル人アヒノアム。次男はダニエル、母はカルメル人アビガイル」。1節から2章15節の嫡流に戻る。ダビデに生れた息子たちのリストで1~4節はサムエル記3章2~5節に、5~9節は同5章13~15節にある。
9節「これが側女らによる子を除くダビデの子のすべてである。タマルは彼らの姉妹である。」何故かここにタマルの名が出ている。タマルに関わるダビデ家のスキャンダルは、三男アブサロムが妹タマルのことで長男アムノンを殺害し父ダビデとの確執から逃亡生活をすることになった。その後王位を狙って父ダビデがエルサレムから逃れて内乱にまで至り、戦場でアブサロムは殺されるという物語で、サムエル記下13~19章に出ている。四男アドニヤは王の継承は自分だと思い老齢のダビデの意志を確かめないまま座に着こうとして、バト・シェバの息子ソロモンと争い殺された記事は列王記上1~2章にある。平和の王ダビデの平和ならざる苦難と悩みの多い波乱の生涯であったことを、聖書は隠さないで忠実に書き記している。
   10節「ソロモンの子孫は子がレハブアム、孫がアビヤ、更にアサ、ヨシャファト~」。ソロモンからバビロン捕囚までの系図(12~16節)。ソロモンからヨシヤまでの15代は長子が王位継承者となったが、ヨシヤの後は王位を継承したのは、列王記下23~24章から判るとおり、ヨアハズ(23章31節=四男シャルム・エレミヤ22章11節see)、ヨヤキム(同36節=次男エルヤキム)、そしてヨヤキムの子エコンヤ(24章8節・ヨアキンと同一人物)である。リストにある15節長男ヨハナン、三男ゼデキヤ、16節ゼデキヤは王位継承者ではなかった。
  17~24節 捕囚後のリスト
  エコンヤ(ヨアキン)は捕囚によりバビロンに連行され、列王記下25章27節以下に捕囚生活が出てくる。その後の王位継承者はヨアキンのおじマタンヤでゼデキヤと改名させられた人物(同24章17~18節)。
19節「ゼルバベル」はエズラ・ネヘミヤ記に出てくる(エズラ3章22節、ネヘミヤ7章7節、12章1節)。またハガイ書、ゼカリヤ書にも登場する。
  マタイ福音書1章ダビデの系図で、12~13節にはエコンヤに続く三代目にゼルバベルが出ていることも忘れてはならないだろう。

 ローマ1章3節「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれた」が示される。



七男ダビデが生まれた

2012-06-04 | Weblog
  歴代誌上2章 

  13~15節「エッサイには…六男オツェム、七男ダビデが生まれた

  1節「イスラエルの子らは次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン~」。1章と同じでヤコブをイスラエル(族長)として記し、十二氏族名が先ず出てくる(2節)。ユダが嫡流で、その子五人の中で嫁タマルから生れたペレツが嫡流、ゼラは亜流となる(5~6節)。7節にアカルという人物が出ているが、献げものに対して不誠実な「災いをもたらす者」となっている(口語訳「アカルは奉納物について罪を犯し」)。ヨシュア記7章のアカンの罪を指していると思われる。ペレツから、ヘツロン、ラムと続くが、ヘツロンの子ケルバイ(新改訳カレブ)の子孫(18~20節)、セブグの子孫(21~23節)、エラフメエルの子孫(25~33節)が亜流として記載される。
  10節「ラムにはアミナダブが生まれ、アミナダブにはナフションが生まれ、彼はユダ族の首長となった」。ユダの子ペレツの子はヘツロンであるが、嫡流はラムの子孫として継がれ、エッサイ、ダビデに至る系図が示される(10~15節)。これはルツ記4章18~22節に基づいている。ここに本流があることを明記している。
  18節「ヘツロンの子カレブには、妻アズバとエリオトによって子が生まれたが、その子らがイエシェル、ショバブ、アルドンである」。9節のケルバイとカレブは同一人物でその系図が18~20節にあったが、この続きが42~50節に出てくる。モーセに導かれエジプト脱出後、荒れ野40年を旅し、唯二人ヨシュアと共にヨルダンを渡ったカレブと考えることが出来る。それは49節「カレブの娘はアクサ」である。ヨシュア記15章16~19節にそのことが出てくる。ヘツロンの子として生れたヤイルの子孫についても21~23節に記される。
  25節「ヘツロンの長男エラフメエルの子は、長男ラム、ブナ、オレン、オツェム、アヒヤ~」。亜流であるが、エラフメエルの子孫の系図が26~33節にある。27節の長男ラムは10節と同名であるが別人物。エラフメエルにはラム、オナム、シャマイ、ナダム、アバイム、イシュイ、シェシャンと子孫が続く(27~33節)。34~41節にはシェシャンの息子がなかったため、娘をエジプト人の召し使いヤハルに与えて、アタイを産み十二代の名が綴られている。
  42節「エラフメエルの兄弟カレブの子は、長男がメシャであって、メシャはジフの父である。次男はマレシャで、ヘブロンの父である」。カレブの三代目にへブロンが生れたとある。「へブロン」は地名。43~55節には系図の中に地名が織り込まれていることが判る。「ハラン」(46節)、「キリヤト・エリアム」(50節・サムエル記上6章21節)、「ベツレヘム」(51節)、「ハマト」(55節・ヨシュア記19章35節)などである。
  無味乾燥のような系図を読むと蜜林に迷い込んだ様になる。道筋が見えてこない。読み流してしまえばよいのだが、心が囚われる。「聖書味読」とは系図を指しているのかもしれない。第1ペトロ2章2~3節が示される。


アブラハムの子

2012-06-02 | Weblog
  歴代誌上1章 

 28節「アブラハムの子は、イサク、イシュマエル」(新共同訳)。

  歴代誌は、「歴史書」として読まれるが、原書名は「日々の出来事」(ディブレー・ハヤミーム)。ヘブライ語聖書では「諸文書」(ケスビーム)に分類される。内容は、創世記から列王記までの歴史を資料としてあり、特にダビデ王朝を視点にして綴られた文書である。1~9章まで「系図」である。「我が家の系図」と考えれば興味と関心が沸くが、他人の系図など無意味である。それと同じでイスラエルの民にとって系図は特別な意味を持つ。

  1節「アダム、セト、エノシュ~」。小見出しの通り、27節までアダムからアブラハムまでの系図。アダムとセトの間に創世記4章1~24節のカインからメレクの系図が排除されている。
4節「ノア、セム、ハム、ヤフェト」。ノアの息子三人の系図は、亜流のヤファト(5~7節)、ハム(8~16節)に続いて嫡流のセム(17~19節)になる。セムの場合も亜流ヨクタン(20~23節)から嫡流のアルパクシャド(24~27節)になり、アブラハムに至っている。
  28節「アブラハムの子は、イサク、イシュマエル」。アブラハムの子孫では亜流イシュマエル(29~33節)で、嫡流イサク(34節)からイスラエル(個人名として扱われヤコブはない)に言及はするが、亜流エサウ(35~42節)になる。
  43節「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドムの地を治めていた王たちは次のとおりである。ベオルの息子ベラ、その町の名はディンハバといった」。エサウはエドムの系図として取り上げられ、エドムの支配者たちの系図になる(43~51節)。これは創世記36章1~8節、31~43節に出てくる事柄を纏めたものである。

  ここで二人の名前に注目したい。それはアダムが人の罪の始まり、アブラハムが神の選びの始まりということである。これは系図の中に示されている聖書の二つの大きな流れである。そして新約聖書にそれは明らかにされている。マタイ福音書1章1~16節と、ルカ福音書3章23~38節の系図にそれを知ることができる。


毎日欠かさず王と食事を共にする

2012-06-01 | Weblog
 列王記下25章 

 29節「ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった」(新共同訳)

1節「ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた」。共同訳の小見出しにある通り1~21節にエルサレム陥落が記される。紀元前587年12月第二回捕囚とされている。エルサレムは周囲に堡塁が築かれ、二年間兵糧攻めに遭う(2~3節)。城の一角が破られて戦士たちは夜中に逃走し、王もアラバに向かったがエリコで捕えられ、バビロンの王がいるリブラで裁かれた(4~6節)。彼の目の前で王子たちは殺され、彼も目をつぶされ、足枷をされてバビロンに引かれていった(7節)。彼がバビロンに反旗を翻したことが原因で、この時預言者エレミヤエレミヤは警告したが無視されて、監視の庭に拘留された。更にバビロンへの降服を促したため謀られて水溜めの穴に投げ込まれた(エレミヤ37~38章see)。
  8節「第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て~」。彼はエルサレムにある神殿、王宮、町の家屋をすべて焼き払い、周囲の城壁を取り壊して、都に残っていた者は投降し、捕囚として連れ去れた(9~12節)。また神殿にあったすべての祭具と財宝、柱と柱頭を破壊して持ち去った(13~17節)。僅かに残っていた指導者も捕囚の民となり、宗教的、政治的機能は完全に失われた(18~21節)。これもエレミヤ39章に並行記事として出ている。詳細な記述は52章にある。
  22節「バビロンの王ネブカドネツァルは、彼が残して、ユダの地にとどまった民の上に、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤを総督として立てた」。シャファンはヨシャ王の神殿修築に際して為した宗教改革の時の書記官だった人物で(22章8~13節see)、ネブカドネツァルはゲダルヤを総督として立て、ミズパでユダの国を治めさせた。軍の長たちはこれを聞いて部下とともに彼のもとに集まって来たので、バビロンの王に仕えるなら幸せになると諭した(23~24節)。ところがその中にいた王族の一人、イシュマエルは部下十人を連れてきてゲダルヤを殺し、ミズパにいた人々も殺し、バビロンの報復を恐れてエジプトに逃亡した (25~26節)。この経緯もエレミヤ40~41章に記されている。この時エレミヤもエジプトに連れて行かれ、殺されている(ヘブライ11章37節see)。
  27~30節には第一回捕囚の時(紀元前598年)、バビロンに移送されたヨヤキンの晩年の記事がある。彼は18歳の時、在位僅か三ヶ月で捕囚としてバビロンに連れて来られた(24章8、15節see)。37年目とあるから、55歳であったことになる。バビロンの王エビル・メロダクの即位の時(561年)、恩赦を受けて出獄し、他に多数の征服された国王がいたのにも関わらず、王と食事を共にする待遇を受けたとある(29節)。反旗を翻したゼデキヤ王と何と対比されることであろう。「王と食事を共にする」とは何を意味するのか。その後イスラエルの回復を期待させるものとも理解されているが、むしろ歴史を見据えられる神は、エレミヤの預言にある「新しい契約によって結ばれるイスラエル」(31章31~34節)が示されるのではないか。その日には「大宴会」が催されることになる(ルカ福音書14章)。