先だって、政府のコロナの対応に業を煮やした医師会の会長が、国民への飲食自粛なら、まず「隗より始めよ」国会議員が率先して外での会食を自粛してほしいという趣旨の発言をしていました。痛烈な皮肉でしょうか。
昔中国の燕の昭王が失政して隣国に攻め込まれたので、国を立て直すのに有能な人物を招聘する方法を臣下の郭隗に尋ねたら、「手始めに目の前にいる隗(自分)を登用してくれ」と答えたそうです。自分程度の凡庸な人間が取り立てられると知ったら、もっと優れた人が集まってくるでしょうと。
自分を売り込んだのですが、これが奏功したようです。「隗より始めよ」の故事です。「魁」という文字を当てるのは間違いですが、意味はなんとなく通ります。これが転じて、大きなことを成すために、すぐ着手できる手近なことから始めようという意味に使われるようになりました。今では言い出しっぺがまずやればいい、というふうに使われますね。
議員先生はなにかと会食がお好きなようです。飲まなければ本音が言えないとか、それで人間関係を築くとか、あちらなりに理屈があるようです。ワタシらサラリーマンでも「ノミニケーション」などと言って、職場の連携や円滑な人間関係を作るうえでは必ずしも無益とは言えないのでしょう。
とはいえ、有事であります。緊急事態にかかわらず感染リスクを高める会食を自分たちは継続し、納税者は家に居ろ、というのはいささか見識不足と言われても仕方ないのですね。国会対策委員長 の森山さんは、議員は人と会わないようにするのは難しい、人の話を聞くことが大事なことだと言っていますが、世論調査に背を向けて知らんぷりしているのはあなた方なんですよ。
例えばオリンピックは8割の人が無理、と考えています。政府のコロナ対策は、6割の人が不十分で、緊急事態宣言も遅すぎたと感じています。今回の措置ではひと月で宣言解除に持ち込めないと考えているのは9割に達しています。仲間内だけで会食しているから、国民の声が耳に届かないのです。
おかげで、ワタシは冬ごもり、ほとんどが室内生活になっています。書道に費やす時間も増え腕は上がるばかり(笑)
書道で言えば、今年は雅号の使用が認められ、雅号印を含んだ三つの印を押印(落款)できるようになりました。これで、作品つくりに弾みが付きました。書道はいくら数多く書いていい出来栄えでも、落款を入れなければただの書きつけですから。
思えば4年半前、書道教室に通い始め、先生について一から書を学ぶようになりました。隗より始めたのが、「楷書」です。書道を学ぶ人たちはまず手始めに欧陽詢 の「九成宮醴泉銘 」から学びます。これが書の基本です。
それから行書、草書、隷書、篆書と徐々に広げていくのです。いろいろ書いているうちに調子が悪く、うまく書けない時期が来ます。すると、その時は原点回帰、楷書に戻します。
隗より始めよというのは、書道的には「楷」より始めよ、になりますかな。
漢字の形・字画を思い出し、基本が身につくとまた、ほかの書体に挑戦します。今は、篆刻印作りの流れで「篆書」がマイブーム、斗南先生の書の臨書が中心であります。
篆書というのは、甲骨文といわれるような象形文字から進化した漢字の原型となる字体全般を指します。紀元前始皇帝の時代にその書体が確立し、後世の楷書などの基になっている字で、今でも実印や篆刻印の書体に使われます。
線の太さや書く速度が均一で左右対称とか線が水平とかの理由で、味わいや面白みに欠けるという評価もあるようです。どうしてどうして、書いてみると面白いですよ。 これは蛇足でした