植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

オリンピックに夢も感動もいらない

2021年06月13日 | 時事
 近代オリンピックの提唱者は 、クーベルタン男爵「参加することに意義がある」という言葉はあまりにも有名ですが、今やその文句は空疎となりました。あのぼったくり男爵なら「オリンピックは開催しなければ金にならぬ。」と言うところですね。

 菅総理がG7で「世界が団結し、人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを発信する。中略 子供や若者に夢や感動を伝える」ために五輪開催を強行するのだそうです。ワタシ達は日常的に色々なスポーツや、ドラマ、映画などを通して勇気づけたり、狂喜乱舞したり、時には涙したりもします。オリンピックじゃなくても感動を得ております。例えば、自分の孫が徒競走で必死に走っている、その姿に孫の成長とこれからの人生を思いやり、大きな喜びを感じます。歌一つで涙がにじむこともあります。

 夢とか感動などという抽象的かつ主観的な感情を理由に、人命や生活を犠牲にしてはならないと思うのです。もっと大事なこと、もっと今なすべきことがあり、その先にようやく光が見えるのだと思います。

 ここからはワタシの独断とひねくれた偏見であります。
 子供の親がわが子にスポーツをさせる目的の大半が、それで大金を稼げるようになるかもしれない、ということです。昔ならばプロ野球がスポーツの花形、Jリーグで盛り上がれば息子も「カズ」のようになるのでは、と淡い期待を寄せます。タイガーウッズのように、イチローのように、がっぽりと稼いでくれたらと思うのであります。

 凡庸な頭の自分とわが子をみて、肉体で稼ごうというのは分からないわけではありません。オリンピックに出てメダルをとれば、人生が変わりうまくすれば一生メダリストとして食っていけます。プロ野球の選手がメジャーに挑戦したがるのも、ワールドカップに出て海外チームに移籍する、などというのも突き詰めればお金をもっと稼ごうということであります。

 崇高な精神、純粋にスポーツを愛する方たちからしたら、なんと下世話で低俗な理屈だと言うかもしれんませんが、プロスポーツに限らず、半生をスポーツ競技に捧げる人たちは、無報酬で満足するわけも無く、金を払ってスポーツ競技に参加する人は市民マラソンくらいのものになります。オリンピックの舞台を踏み台にして栄光と金を手にしたい、というのがアスリートの夢なんですね。
「きれいごと言ってるんじゃないよ」

 五輪、は金の為なんですよ。
そしたら、JOC幹部の経理部長森谷さんが電車にはねられて亡くなりました。以前から週刊誌に何度も取り上がられているオリンピックにまつわる不透明な巨額な資金の実態を知ってる当事者の一人です。すでにして、招致した際にオリンピック選考関係者に莫大なお金が配られていることは周知の事実であります。週刊誌やネットでは様々な憶測や中傷記事が出ております。真相がわからぬまま論評は出来ません。監視カメラと目撃証言から「事故ではなく」「飛び込み自殺」と警察は断定してるようです。

 しかし、テレビでそのニュースを報道しているさ中に、ゾウが暴れているつまらぬ海外トピックスに差し替えられました。そしてJOCの山下会長が、自殺ではなく「事故死」と打ち消したことに、その裏にある闇の深さ、 おぞましさを感じざるを得ませんでした。

 人の一生を「病気や寿命でない」かたちで終えるのには理由と意味があります。そうでなくても、その死が伝える思いやメッセージを考える必要があるのだと思います。あのノンキャリアの赤木さんが自殺したのにも深いわけがありましたが、検察も財務省も政府も「何の意味も無い自殺」として扱い、ファイルの存在も認めませんでした。出て来る資料は黒く塗りつぶされました。訴えたかった事残したかったことが黒塗りのまま消え去ろうとしています。
 池田小学校で刺殺された児童たち、池袋で暴走上級国民に跳ね飛ばされた母子、みんなその死の意味、死なずにいられたはずの命の尊さを忘れてはならないと思います。

 若者たちに夢を与えるのは、スポーツではなく、みんなが安心して仕事に就いて家族を持て、老後のゆとりまで保障される、そんな国家や社会になることなんじゃありませんか。

 いまだにオリンピックを強行しようとする金の亡者たち、あなたたちに「夢や感動」などを口にしてほしくはありません。死んだら忘れ去ってしまいたいおぞましい存在なのです。
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