シャインマスカット、ぶどう棚の修繕と剪定を終えました。90L入りのごみ袋2杯分の剪定断行という荒業で、4m以上の四方に延びていた蔓を切り落とし、残った蔓も枯れこんだものや長すぎるものを切り、枯葉とひげ蔓まで取り除ききれいさっぱりといたしました。根は確りと張っているし、幹も大きくなっているので、丸坊主になっても、春には芽を吹きぐんぐんツルが伸びていくはずです。むしろ剪定によって、新梢や花芽の生成を促がす効果もあります。これだけの荒療治を施したのは、これが最後かもと腹を括ったからです。
今年は、新梢に花蕾が付き、半分以上を摘果したうえで、蔓がビニール屋根からはみ出さないように管理する、そしてしつこく消毒することを徹底するつもりです。もしそれでも期待するものが出来なかったらすべて掘り起こして処分するのです。そのケースを想定して相対的に病気には強いアメリカ系の交配種「藤稔」の苗木も買ってきました。ブドウは根を傷めるのを嫌います。植え替えはしない方がいいので本来直接地植えするのですが、あくまで保険の意味合いで先行的に栽培するため、果樹用の大きな鉢にしばらく仮植えしようと思います。
勤め人の時代は、誰か上司がいてその上に社長がいて、その人たちの指図通りに働けば済みました。余計なことを考えずひたすら決められたことを時間までやっていれば給料を貰えました。前進も後退もない退屈な日々でもありました。定年退職して一変したのは、この世にワタシに命令する人間はいない、毎日の行動はすべて自分で考えて決められるという日常でした。それまでの生活が「ゴロッと」変わったのです。
この6年間家内との共通の事項は相談しておりますが、それ以外はほぼ100%自分の思い付きや夢、やりたいことを自力で始め実践するという日々であります。メダカ飼育も園芸も書道・篆刻、蕎麦打ち、そしてこのブログもすべて自発的に始めております。いつやめても構わないのですが、やり始めるとわりとしつこいのがワタシの性分の様で、今のところ全てが継続中であります。やることなすこと、結果はすべて自己責任、うまくいくこともあれば期待外れもあります。だから、人生面白い。
思い付きの一つが先の寄席でありました。家族みんな落語が好きなのに、寄席に行く機会が無かったのです。念願の公演を観れたのが、1月16日でした。思い付きで彫った師匠方の落款印を持参し、じかに聞く落語の楽しさを堪能したのでした。
すると驚くべきことに、昨日「ぜん馬師匠」から、礼状が届きました。万一尋ねられた時にと、取り次いでくれた関係者の方にワタシの名刺を渡してあったのです。中には、師匠の直筆の手紙に、特製の「手拭」が同封されておりました。色紙の落款に使わせてもらうとしたためてありました。欣喜雀躍、望外のシアワセであります。まさか、師匠からそんな手紙が来るなどとは夢想だにしなかったのです。
落語界の大御所方に篆刻印を彫って差し上げるという無謀な試みでありましたが、彫った甲斐がありました✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌。受け取ってもらうだけでめっけものでしたのに。
ワタシにとって生きていくことの価値は、日々たとえ1mmでも前に進む、であります。立ち止まったままならばリスクもない代わりに、つかみ取ることもありません。なにかを為せば、誰かとの縁が生まれ、出会いがあり、お互いに刺激し合うこともありましょう。ブドウも篆刻も、わずかながら少し前に進んでいるのだと感じた充実の1日でありました。