植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

親の因果が子に報い アブラムシと蟻

2022年07月24日 | 時事
仏教用語で誰でも知っている言葉の一つが「因果応報」であります。すべての結果には必ず原因がある 。言い換えれば自分やあるいは近親者や先祖のしでかしたことは、それが善いことであれ悪事であれ、いずれその報いがあるという教えです。

家内によると、その報いは「弱いものに出る」のだそうです。つまり極悪非道な人間は、邪悪が半端ないので神仏も手が出せない代わりに、その子供や孫に障りが出る、という意味になります。親の因果が子に報い、という諺・慣用句はそれを表しておりますな。今の宗教家はそれを引き合いにして、あんたの先祖が悪いことをしたから、寄付しなさい・壷を買いなさいとか、脅かしお金を巻きあげるようですが。

安倍さんが、非業の死を遂げた当初「民主主義を踏みにじる」暴漢による暗殺と喧伝されました。自民党は選挙運動に使ったのです。かつての宰相がそうであったように、偉大な指導者であるが故、国に仕え正義を通そうとして斃れたと仕立てようとしたのです。しかし、実際は、親が身ぐるみはがされ破産するまでに至った新興宗教「世界統一教」に親兄弟・財産を失った「ある意味まっとうな行動や思考」をとった息子に殺されることになりました。

彼の行為を擁護支持する理由は毫もありません。しかし、彼が金銭的にも精神的にも追い詰められ、教会の指導者の代わりに狙った相手は、ある意味最も効果があり合理的とさえ思える標的でした。日本にその宗教が深く進行し、多くの被害者を出しても勢力を広げたのに大きく関わったのが安倍さんの祖父・岸元首相であったからです。安倍さんは祖父の因果をもろに食ったという事になるのでしょうか。結果として、その「宗教団体」から献金を受け、信者からの支援・選挙協力を受けてきた与党の議員が数多くいるという事に、多くの国民が愕然とし、事の深刻さを思い知った、それが山上氏の狙いであったともいえます。

長きにわたってタブー視され、ほとんど社会問題として取り上げられることが無かったのは、安倍一族や自民党が、統一教会を保護しアブラムシに集る蟻のような存在であったからなのです。アブラムシは植物の弱い柔らかい部分(花芽、新葉等)に憑りつきコロニーを作り、樹液や花のエキスを吸い取ります。のみならず様々なウィルス・病原菌を植物に移し、徐々に植物は弱っていきます。蟻はそのアブラムシが分泌する「蜜」を狙って集まり、アブラムシを捕食する昆虫や寄生虫から守ろうとするのです。

これは、植物(国民)の弱い部分を狙って搾り取り、いずれ破滅させるアブラムシ(統一教会)に、甘い蜜(献金と票=排泄物)を貰おうと集まる蟻(自民党議員)が、教会を保護するという構図であります。国会議員がどれだけ統一教会から金を貰い、選挙運動してもらっていたか、徐々に明らかになっていますが残念ながらそれは、まだ自民党が強大なために、うやむやにされ表層部分に終わるでしょう。我が国では、「創価学会」という宗教団体が政治の主導権を握っているというもう一つの構造的な病巣もあります。今回の安倍さんの事件には一切無言を貫いているのがその証拠であります。

わが国のマスコミも政治家も、日本国憲法 20条 「信教の自由」で規制できないと防御線を張ります。また、一方で「政教分離」というありもしないお題目を唱えたりもします。

信教・宗教は自由で良かろう、それは世界の多くに共通する考えであり、宗教戦争を避ける知恵でもあります。だからといって、インチキ宗教団体を野放しにしていいはずがありません。あのオウム教団の一連の犯罪を見る時、それが両刃の刃であることは明らかであります。今でも「名前を変えたオウム真理教=ひかりの輪・アレフ」の信者は多くいるようです。それだけでは無く、銭湯の旦那さんに神が降臨したという「大山ネズの命神示教会 」、エホバの証人、大川隆法の幸福の科学、芸能人が多く入会するという「真如苑」など枚挙にいとまがありません。

これらのカルトといっていいような教団の共通点は特定の個人を神格化する、多額のお布施・寄付を強要する、精神的に不安にさせ日常の行動制限を強いるなどが挙げられます。本来は心の弱い人救いを求めている人たちを支え衆生を救うことが役割であったはずの宗教が、お金を吸い上げるための巨大な集金マシンとなっていると思えるのです。

ワタシは、信教や信条・思想の自由を否定するものではありません。しかし、宗教団体そのものは、公序良俗に反しない様、一定の要件を具備して許認可事項を設け、会計や運営を開示させる義務を負わせるべきだと思います。少なくとも人々から金を巻き上げて、中心のグループが非課税で収入を独り占めするという禍々しきシステムを排し、宗教法人と言えど「課税対象団体」とすべきだと思います。それと、信教の自由は矛盾しません。

もっとも、憲法20条の改正やそうした規制をを法制化しようと思ったら「仏教団体」「神社団体」から猛烈な反発を食らうでしょうから、まず実現の見込みはありません。自民党は公明党の言いなりですし。

そういう意味では、安倍さんのような権力者で強固な改憲論者が居ても良かったのですが、死んでしまいました。もっとも彼は、自衛隊を憲法で認める事しか考えてなかったし、統一教会から鼻薬を貰っていたらしいのでやるわけはありません。

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