植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

終戦記念日を戦争を知らない人間が考える

2023年08月15日 | 時事
8月15日は、終戦記念日であります。ポツダム宣言受諾の玉音放送が正午に流れ、そこで正式に日本が敗戦を認め、戦争に終止符が日ということになります。しかし、名付けるなら、戦争の愚かさ、その反省を込めて敗戦記念日とすべきだと思います。
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」などという言葉が録音放送されたのを、多くの国民が正座して聞き、泣き崩れる模様は、ニュース映像や戦争映画でしか知りませんから、実際国民がどのように受け止めてどんな反応をしたかは定かでありません。

ワタシは、S31年に生まれ、「戦争を知らない子供たち」の一人として戦後を生きて参りました。戦争を体験しなくても、戦後20年くらいまではその爪痕が残り、大人たちからも戦時中の話を聞かされました。

九州の山奥で育ったころは、まだ幼稚園までで戦争の事は何も知らず意識もしませんでした。小学校に上がった時、大分市内の旧大分空港のそばに転居しました。子供の遊び場は多くの空き地でしたが、コンクリートで固められた地面や防空壕などが野ざらしになっているところに登ったり隠れたりしていました。そこには空薬莢らしきものも落ちていました。大分空港は昔軍需基地になっていたのでしょう。小型機の格納庫がまだ残っていましたから、そこから戦闘機が出撃し、またアメリカ軍からの空襲・爆弾投下も多かった地域のそばに住んでいたのです。

ワタシの父も大学在籍時に徴兵され、広島の海軍に配属されていたと聞きました。あの原爆投下の時は、たまたま呉港にいて、広島へ帰る予定を延期したのが幸いして難を逃れたと聞きました。広島に帰っていたら被爆し、おそらくこのワタシも存在しなかったことになります。結局父は戦地に赴くこともなく、一発の銃も打たず交戦することなしで終戦を迎えたのです
一方母親は、九州の大分県の玖珠町というところに疎開していて「機銃掃射」に出くわしたと聞きます。ど田舎なので、日本兵もいない畑に機関銃を打ち込むのはアメリカ軍のいたずら程度だったのでしょうか。

父親の長兄は、南洋の激戦地「ブーゲンビル島」(ガダルカナルだったか)に派兵したそうです。後方支援どころか、配給そのものが完全に途絶えた数万人の兵士が孤島のジャングルに取り残されたのです。弾も兵糧も底をつき、マラリアで多くの人が病気になって大半が餓死したそうです。何万人も亡くなった中でわずかに生き残ったのが叔父でした。こめかみに傷があり、お酒を飲むたびに、このなかに、銃弾の破片が入っていると言っていました。

そうした戦争経験者は、ほとんどが鬼籍に入っています。太平洋戦争は、今から70年も前の事ですから、少年兵であったとしても生きている人は80歳後半になります。報道番組やネットのニュースでもこのところ当時の体験談をちゃんと話せるのはさすが帝国の軍人というところでしょう。特に特攻兵として、ゼロ戦などで体当たり攻撃、あるいは人間魚雷「回天」に乗って出撃して生き残った兵たちの言葉は重く響きます。戦争末期、爆弾を抱いて体当たりするしかなかったのです。「天皇陛下万歳」と叫びながら突入したのかどうか知りませんが、敵の銃弾を避け低空飛行で爆弾投下して帰還した飛行士こそほめたたえられるべき存在であったでしょう。

今、ウクライナをはじめもっと殺傷力の強い兵器や爆弾が市街地に投下されて、民間人の犠牲が後を絶たないようです。のみならずアフリカ・中東など6か国が戦争状態にあると聞きます。政治闘争などの内戦状態にある国を入れればその数倍もあります。プーチン、北の将軍、習近平はいつでも戦争する体制を整えてきました。その対象は、隣国というより「西側・自由主義国家」に向けられているように思えます。

そうして、その三つの国に共通するのが「核兵器の保有」であります。最も至近距離にある「西側国家」が、わが日本と韓国であります。もし核戦争の火ぶたが切られたら、真っ先に両国は焦土と化し、ほとんどの国民も焼かれてしますのです。これを絵空事・たわごとと片づけていいものでしょうか。

今の岸田政権が、アメリカにお尻を突かれ防衛費を増やしているのは、危機感の表れでしょうか。いやいや違います。軍備を拡充すればするほどかの共産圏・東側は日本に敵意をむき出しにし、戦略上ターゲットになるリスクを増やすようにしか思えません。

抑止力としての核兵器、と楽観的なことを言う政治家や軍事評論家が居ますが、なんかの拍子に手が滑って、あるいはとち狂った独裁者がボタンを押す可能性は否定できません。先に落とした方が勝ち、という戦術だってあり得るのです。

敗戦の日に、縁起でもないですが、人間は数千年にわたって戦争を絶やしておりません。いい加減、兵器や軍隊で優劣・勝ち負けを決める、途方もない被害を起こす戦争に替わる「平和的な手段」をみつける知恵が備わってほしいものであります。

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