植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ぽりこれって、何?

2021年02月17日 | 時事
昨日から春の嵐が吹き荒れております。

 オリンピックの開催にやきもきするどころか、東京五輪 組織委員会の会長人選が難航しています。先日、うちの地元の自治会長選出には1時間かかりましたから、数日を要してもなんら不思議はないのです。女性がいいだの若い方がいいだの、あちこちからちょっかいが出ているようです。
 もとはと言えば森さんの不用意な発言が事の起こりです。
女性を蔑視したとかオリンピック憲章の精神と逆行しているとか、非難ごうごうでした。そのおかげで「ジェンダー」という言葉が再認識されたというのも皮肉ではあります。
 
 ジェンダーという言葉は、生物的な性別ではなく、人間社会や文化的に分類区別された性別由来の差別・不平等を指すようです。昔、看護婦さんと呼んでいたのに、それが女性固有の職業という偏見を呼ぶので「看護士」という呼び名に変わりました。ジェンダー=不平等・悪という見方が定着してきたのですね。産婆さん、これはどうか?産爺さんとは言いませんね。家政夫という表現も違和感があります。女性でなければ務まらない仕事もありますから、一概に男女差別不可と決めつけるのはどうかと思います。
 女医さん・女優さん、女性騎手・棋士などと言うのも、ジェンダーだと言うひとがいるかもしれませんが、これらはむしろ、特別優れていると尊敬の意味を込めて呼んでいるのです。

 しかしながら、世界的に男女平等であるべきという考え方が浸透しつつあるのはいいことでしょう。アジアでは、最近まで中国の一人っ子政策が行われ、女児の出産が疎まれました。インドでも、もともと階級社会で差別が激しく、男尊女卑のため女性が虐げられたり、商品扱いされることも知られています。
 日本では、2020年のジェンダーギャップ指数で0.652で、153ヶ国中121位 と極めて低い(男女格差が大きい)のだそうです。女性の社会進出が阻害され、組織・団体内では、指導的な立場からは遠ざけらているのです。

 こうした差別を表向きに解消させる方法の一つがポリティカル・コレクトネス という概念で、最近急にこの言葉が注目されています。略して「ポリコレ」(笑)、直訳すると政治的な適正さとなりましょうか。初めて聞いたときは、新しくどこかでファッションショーが始まったのかと思いました。
 性・民族・宗教などに由来した偏見や差別が起きないように、政治的な配慮から中立的でソフトな表現に変えようという考え方だそうです。平たく言えば、言葉だけは当たり障りのない言い方にしようということです。

 この考え自体には異論もなく、ありうべきことかな、とは思いますが、表現だけを改めても考え方や行動が変わらなければ意味がありません。また、何でもかんでも「差別表現だ」という強い意見が席巻することで、本質を見失ったり、場合によって社会的脅威になりかねないような思想や集団を擁護する恐れもあります。

 日本でも、うわべだけ取り繕い放送禁止用語や呼び名の言いかえで満足しているように感じます。安倍政権が、いかにも女性の社会参加を促がしたかのような論調が見受けられますが、パートや派遣を増やしただけで、一方で正規雇用の枠が狭まってしまいました。正社員でなければ管理職への登用もありません。パート収入の税制や社会保障制度の壁のおかげで100万円以上の収入の道も閉ざされたままです。

 かつて、日本を神の国とのたまわった森さんの不用意な発言は、日本人、とりわけ男性社会では女性への差別感がなんら変わっていないことの表れだったのです。

 NHKでは、相変わらず「紅白歌合戦」では、男女にグループ分けをして競わせるという男女差別化もどきのイベントを続けています。女性を不浄のものとして神聖な土俵には上げない、という極端な男尊女卑の大相撲を当たり前のように公共放送が独占して放送していることを「これはおかしいのではなかろうか」と、ジャーナリズム・メディア・政治などの男性から声が上がらないことが、日本の根底にある問題ではなかろうかと思いますが。

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