植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

散り椿 美しい映画で元旦を迎える

2022年01月02日 | 雑感
 昨年末、気になったのがカレンダーです。毎年届けられていたレクサスとダイワハウスのカレンダーは今年は来ませんでした。ワタシが顧客リストから外れたか、企業が冗費・経費削減でカレンダー配布を縮小したのかもしれません。

井上陽水の初期の歌に「自己嫌悪」という名歌があります。その二番の歌詞がこういう文句です。
「病の男は淋しく見てる
あまりに薄い日めくりの紙
つきそう子供はたじろぎもせず
あなたの体よ天まで届け」
昔は、カレンダーの一つに4,5センチの厚みがある「日めくり」がありました。日にちと曜日の他にことわざやら「六曜」 などが印刷され、毎朝一枚づつ剥がすのです。最近は見かけませんが、何処かで売っているでしょうね。

 もし、年めくりのカレンダーがあったら、ワタシにとっては、病気でなくてもあまりに薄くなって淋しく見つめるようになるのでしょうか。毎年一年が過ぎるに従って自分のカレンダーの枚数が確実に少なくなっているのですから。

 年末年始のテレビ番組もほとんど観る時間がありませんでしたなぁ。紅白歌合戦などは20年以上見てないし、恒例だったボクシング世界戦も、話題性の乏しい日本人対決、注目されたのが両者にある入れ墨を見えないように隠すことくらいでした。子供たちが好きだった『笑ってはいけない』 もついに休止し、進行がグダグダのお笑い芸人の飲み会レベルの番組に変わりました。

 結局、WOWOWなどの映画を観るのが一番落ち着くのです。今年は東山紀之さんの「小川の辺」と 岡田准一主演の「散り椿」をやっていました。

 椿の花はポトリと落ちるので「首が落ちる」として武家の屋敷には植えないことが習わしでした。散り椿は、花弁が一枚一枚分かれて散るので風情がありますが、ツバキそのものの品種というより、近種である侘助や山茶花などの、花弁が散っていく類のものではないかと思いますね。

 日本の若手男優の中では、岡田准一さんは、小柄ながらだんだんと存在感が増し、とても良い役者さんに見えます。時代劇に向いた風貌でもあります。居合いに似た太刀捌きもえらくかっこいいし、大層演劇にまじめに取り組む勉強家であると聞きます、これからもいい脚本に出会って好演して欲しいものだと思いました。 

 また、実力のある女優さんたちが起用され、そういう方たちが、江戸時代の武家社会の様式美やら佇まいの美しさを演じるのです。畳に正座して両の手先を揃えて挨拶するその姿の美しい事!、お辞儀だけで言えば、世界一であろうと思います。また、卓越したカメラワークによる映像の美しさと、凄みのある殺陣も、過去の名作の時代劇に負けない出来栄えでした。題名といい、あの三船敏郎さんの「椿三十郎」を意識したようなこだわりの演出に見えました。音楽もあの加古隆さんが受け持ち、最後まで楽しむことが出来ました。

 不自然で若干無理のある筋立てで、そのシーンは必要ないかなと思わせる場面がいくつかありましたが、これは藤沢周平さんなどの作品同様、どの映画にもありがちな傾向です。残念なのは、エンドクレジットで流されるの出演者等の名前の字でした。この映画は、それが始まった時、いかにも字が下手に見えたのです。どうやら出演者や作成関係者全員が自筆でサインペンか何かで書いたらしく、筆跡がまちまち、しかも下手な字が目につきました。
 曲がりなりにも書道をやる人間としては、せっかくの美しい映画で余韻に浸るべき最後がちょっと興ざめでありました。「画竜点睛を欠く」と言うべきか。

 とはいえ新たな年を無事に迎えることが出来ました。冷え込みますが、風もなく晴天であります。子供二人とそれぞれの嫁さんが年末年始に集まり、昨日今日で帰っていきます。例年に比べると用意したお酒もご馳走もだいぶ多く残っています。残った年寄り二人でお煮しめなどを食べて明日までは残り物で間に合います。

 昨年末に痛めた腰が、3週間たってもじくじく痛みます。少し楽になると蕎麦を打ったり鉢物を動かしたり、掃除機をかけたりしてするので長引いているのですね。仕方ない、生きてる証拠であります。今日みんなが居なくなったら、メダカプールの水替えとバラの剪定をいたします。

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