先日約450年前の中国篆刻の祖「文彭さんの印」の紹介と、独断鑑定を致しました。2個3万円で落札した黒っぽい古印が、本物か否か。その続報であります。ヤフオクでまたしても同様の印が出品されました。Wikipediaでは伝存しないと(誤記述か)される文彭さんの彫った印です。実はその前にも「封書印」として青田石で作られたものが出品されていました。これだけ頻繁に見かけるのが、今に伝わっておらず、まとめられた印譜も存在しないとの記述では、説明が付きません。これは中国語版ウィキの誤訳、というワタシの説は満更でもないのです。
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それで、昨日、最終入札日となったその印をウォッチしておりました。(スクリーンショット笑)
ワタシが先日入手したもの(下の写真)と酷似した亀紐の印でした。
これがサイズも2㎝角で、違うのは出品中のは朱文(陽刻)で、側款が「三橋」であります。また、ワタシの手元にあるのは「蠟印」付きであります。文彭さんは、三橋、漁陽子、三橋居士などの号を持っているので、署名は同じと思っていいのです。印を捺した紙切れに汚い墨字で「文彭製印」と書かれておりましたから、出品者側ではその由来をご存じであったと思われます。 文彭さんが作ったか贋作者が作ったかは別にして、同じ人物が同じような印材を使って同じ時期に彫った、ということはほぼ確実です。
そこで10人ほどのウォッチがついておりまして、徐々に入札額も上がっていったのです。ちょいと迷いましたが乗りかけた船、毒食わば皿までとばかり、上限1万円で応札しておいたのです。しかし、すでに二個所有しているので、同じようなものがどうしても欲しいわけではありませんが。
そして夜中に目が覚めて、結果を見たところ落札額は10,500円で他の方が落札していました。いいのです、負け惜しみでは無く、これに1万円なら、また他の印にしてもいいと思っていたのです。ワタシは、蒐集欲というより、探求心や好奇心の方が先に行くので、これは落札出来なくてもいいのです。10,000円を使わずに済んだと同時に、やはり文彭さんの印は数多く伝承され現存しているのだ、という確信を持ちました。そして、それが1~2万円という値段が相場であろうと確認できたのです。
蛇足ながら、先日素敵な紐がついた灰白色の印にチェックを入れていました。¥15.000という値札が付いた「楊玉旋」という人の印でしたが、あれよあれよと値段が吊り上がり、なんと落札額70万円でありました。調べてみたら北京故宮博物院に収蔵 されるような清朝時代の彫刻家さんでした。それは実用の篆刻印としてではなく、極めて作品数が少ない「芸術品」として評価されたのでしょう。「¥」表示は、中国では人民元であることも知られています。すると、値札の値段は27万円ということになりますね。
夜は、ヤフオクで数多出品される印・印材を物色し、昼間は暇さえあればただただ無心に、やみくもに徐三庚さんの印の摸刻を続けております。目を肥やし、腕を磨き、玉石混交の印を大量に集めています。これで寸分たがわず同じ印影のものが彫れるようになったら、いよいよ「篆刻家デビュー」と独り合点しております。間違っても徐さんや文彭さんの「贋作家」にはならないですよ。
日本の去る国立機関の技術士官さんからのお墨付きをいただいています。驚くことに、その印には文彭が彫った3面以外に清時代の官吏であった李世倬と同じく朱文震までもが側款を1面ずつ彫っています。材は昌化鶏血石です。
ひょんな事から上田桑鳩、中原一耀と懇意にされた方の屋敷から出ました。
先日、台北故宮に連絡しましたら、まさかの素人騙しの返事がありました。そこで私が少し踏み込んだ質問をしたところ、あちらがしどろもどろになり明確な答えを返さず終い。はっきり言ってそのレベルの低さに呆れました。
実は私自身がプロの古物商であり鑑定士でありますが、世界的には全くの無名であります。しかし、鑑定眼だけは世界レベルだと自負しております。
ご興味がおありでしたらお写真をお見せできます。
いかがでしょうか?
また、私のメアドが公にならずにあなたに連絡を取る事は可能でしょうか?
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