お盆を過ぎるとやはり朝晩は秋めいてきます。よく耳をすませば秋の虫が鳴き、セミの声は聞こえなくなりました。一方で、残り少なくなった時間で子孫を残すため、藪蚊達が死に物狂いで血を吸いに来ます。普段だったら寝てるか人間の周りを用心深く飛び回り、取りついてもこちらの気配ですぐに逃げるのです。今はワタシを察知すると躊躇なく飛んできて、ぱちんと潰されるリスクを覚悟で、止まった瞬間から嘴を刺します。
自分の種を守るためには命懸けなのです。そこにいくと、人間様はのんきなものです。すでに地球上では、環境にあった個体数を大きく上回ったため、自ずと淘汰され衰退していくという自然の摂理が働いているのかもしれません。中国では長きにわたって一人っ子政策を取り続けたために年齢のひずみが生じ、高齢化の波と働き手の減少による経済生産性の低減が大きく影を落とし始めています。不動産バブルがはじけ、銀行では現金の引き出しが出来ず、若者の失業率は15%とも20%とも言われています。
人間社会ではゆるやかに人口増があり、徐々に賃金が増え、将来の不動産や株式の値上がりの期待があってこそ経済発展し、人民も繫栄していくものです。しかし、一つ間違うと急激なバブルを生じ、それはいずれはじける、その時のダメージがとてつもなく大きい、というのが日本の昭和の終わりでありました。
結果、企業の投資減少・不動産価格の下落・実質可処分所得の低落などのマイナス要因に加えて、消費税・社会保険料をはじめとした国民の負担は重くなって日本人全体が貧しく劣化してしまいました。正規雇用も減り給与も減り若者が食うのがやっとの状態なので結婚しない、結婚しても子供を作らない、産んでも一人がやっとという状況が、40年近く続いたために、日本の人口減少に歯止めが掛からなくなったのです。
そんな日本にしたのは、引きこもったり非正規雇用に甘んじている若者のせいでしょうか。自分たちが楽しく暮らすため子供を作らないか一人にしているご夫婦たちが悪いの?
そうではないのです。あのバブルに便乗して踊った銀行や大手企業不動産屋などの始末は一過性であったのです。ところが、その時まで空前の税収を享受した役人と国会議員が、野放図な支出構造を温存し利権にしがみつき、省益と自分たちの個人的な利益を手放そうとしなかったのです。バブルの後始末のために必要だった公費は、その後も景気対策の名のもとに箱モノや公共投資に浪費され急激に政府の負債(国債)が増加しました。
今国債をいくら発行してもいいのだ、引き受けた方の資産が増えて出回る流動性の資金が経済を支えるからという無責任な財政均衡論があたかも正論のように言われています。そして国の財産は国債残高に匹敵するから健全などと空論で国民を欺いています。国債はとうとう1000兆円を超えました、しかし資産は1400兆円位あるから大丈夫と嘯いています。 しかし、もし国がデフォルトになったとしたら、1400兆円の大半は評価額が大きく下がり、そんな価格で現金化出来ません。もしそれを買うとしたら中国政府くらいのものです。
毎年の税収で、期日到来分が支払われるのだから、問題ないという均衡論は重大なリスクを隠しています。一つは金利、1995年の平均利回りは3.47%、これが2022年で0.19%です。仮に30年前の長期金利水準が3.2%として、国民や国債引き受けの投資家は、30兆円を受け取り損なっているのです。これが、利息収入が無くなって、消費を落ち込ませた大きな原因でもあり、実質増税となっていることにもっと危機感を持つべきなのです。
もう一つ、景気が低迷しているのは、そうした国債の利払いや返済のための原資を確保するため、ただでさえ硬直化した財政が弾力性を失い(義務的・経費的支払いの割合が増す)、常に増税圧力がかかるということです。有効な景気対策も金が無くて人件費など固定費に回ってしまうのです。
かくして、日本政府は、円安にも無力、賃金の上昇を伴わない国内の悪性インフレの抑制も出来ません。電力不足・小麦など輸入食糧の高騰は国内業者の値上げに拍車をかけていても、知らんぷり。今は、統一教会との癒着隠しに躍起となっています。
日本人はこの先どうなってしまうのか、それが心配なのです。国民が、更に貧しくなり生活が困窮していくのではないか。気づけば周りは外国人だらけ、不動産は中国人が爆買い、残ったのは支払い不能の国債残高だけなんてことになりはしないか、これって杞憂なのでしょうか。
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