植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

いよいよ泥舟が沈みかけてきた

2020年03月05日 | 時事
本日より、啓蟄であります。冬眠していた虫、蛹や幼虫が土からぞろぞろと出てくる時期、これから秋まで、こいつらと付き合う(駆除する)かと思うと、わずかながら闘志がわきます。

  最近、ちょっと気づいたことがあります。テレビの報道番組やニュースの中でちょいちょい安倍総理をまともに批判する論調や識者・政治家が増えてきたということです。いままで、圧倒的多数の与党と派閥をバックに、乱暴狼藉のかぎりを尽くし、法を捻じ曲げ敵視する人を遠ざけてきたこの方が、だいぶ瀬戸際に来ているように見受けられます。

 ちょっと振り返れば、文科省の次官前川さんが、加計学園の獣医学部新設に伴う疑惑に、政権に公然と逆らったら、変な出会い系バー通いを突き止め暴露され、次官もやめさせられました。籠池さん夫婦は、さんざん安倍さんと奥様に持ち上げられていい気になっていたら、疑惑報道を境に、地面にたたき落され、自己破産の挙句に刑事被告人であります。

 自分にたてつくものは、政治家でも、公務員でも、民間人でも容赦しないという非道の仕打ちを繰り返す一方、身内や自分の意に沿う者たちには、大甘に処遇し庇い、とりたてるというやり方が露骨でありました。今回の検察庁人事介入、北村担当大臣などを見ればよくわかります。一連の疑惑で、政府答弁に寄り添って忖度したという国家公務員の方々は、のきなみ出世しているそうです。

 しかし、自民党の中でも、「桜を見る会」あたりから、少しづつ風向きが変わってきたようです。今回の総理のドタバタをみて、盤石に見えた安倍一強体制が一気に崩れ始める予兆だと思います。

 ここからは、ワタシの妄想になります。
まず、某坊ちゃん大学をエスカレーターで卒業し苦労もなく首相にまでなった2世議員に、いいように蹂躙された国家公務員たちの逆襲です。疑惑の都度、政府方針に合わせて虚偽・隠ぺいを繰り返すことを余儀なくされた役人たちは、政権のほころびが見えたと判断したら、内部文書を極秘にリークするというようなことがあり得るでしょうね。安倍さんの嘘を立証する公文書がでてくれば、たちまち窮地に陥るでしょう。
 それから、自民党で冷や飯を食った有力議員、代表格は石破さんですが、こういう方たちが、反安倍を掲げていくタイミングを計っているように思われます。次期後継者と言われていた岸田さんも、ちょっとした観測気球を上げています。小泉さんや河野太郎さんは、どのみち当分お呼びで無いでしょうね。
 この中で、問題は安倍さんが最大派閥に属し、No2の麻生さんの派閥と合わせて、絶対的な議員数を誇ると行うことです。ですから、このままでは死に体のままゾンビのように長続きすることが確実なのです。とはいえ、政治家は勝ち組に乗り換えることはざらにある話。船が沈みかけると、ネズミたちがいっせいに逃げ出すそうであります。
 次は、選挙ですね。世論がもし自民党にNOを突き付けるような展開になれば、今の日本が変わるきっかけにはなります。そのためには分裂し雲散霧消した野党、とりわけ旧民主党が中心に、国民の信頼を回復し、選挙に耐えられるような政策統合・組織連帯・人材確保が不可欠です。昔の小沢一郎(決して好きではありませんが)さんのような強烈なリーダーシップと、高潔性先見性を備えたインパクトがある人が先頭に立たなくては、と考えるとうーーん、あまり見当たりませんね。

 論客として、タカ派としても名高いあの櫻井よしこさんは、極端に安倍内閣寄りの評論家としても著名でありますが、コロナ肺炎の対応を高く評価し「よくやっている。ほとんど寝ていないのでは。先日の総理の緊急声明も、安倍総理の思いそのままで、国民の心に響いた」と仰いました。総理の顔色の悪さや答弁の劣化具合を見るにつけ、相当に疲弊しているのは間違いないが、その気持ちは国民には響いていません。マスクもトイレットペーパーも、民間検査体制も、感染防止対策の何一つ庶民には届いていませんよ。

 ワタシ達にできる、この国を少しでも良くする方法はただ一つ、自民党とその候補者以外なら、だれでも何党でもいいから投票することに尽きるのかもしれませんね。


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3月 ガーデニングも本番 雑草も本番

2020年03月04日 | 植物
 今朝は、雨模様です。毎日お天気がくるくる入れ替わり、気温も5度位から20℃近くを行ったり来たりです。こうして、季節はゆっくりとしかし確実に春になっていくのですね。
 春雨が、毎晩のように地面を潤わせ、日中には暖かな陽光が降り注ぎます。植物たちの変化も大きい時期でもあります。じっと休眠していた球根類がどんどん上に芽や葉を延ばし、水仙に続いてクロッカスも咲き始めました。フリージアは、強い寒波に見舞われることが無かったので、葉が傷まず例年に無く青々と茂り、どんどんと花茎が出て、蕾が膨らんでいます。うー楽しみ。この花は、無職なので誰に気兼ねなく自由な生活が出来るというワタシの代名詞「フリーじゃ」です。

 昨年末以来冬越しの対策をしましたが、思わぬ暖冬に油断して、いくつかの鉢植えの植物たちを枯らしてしまいました。非耐寒性・半耐寒性の植物は、出来れば11月頃晩秋に、屋内に取り込んで休眠させるか、暖かくし水遣りしながら春を待つのですが、百以上もある鉢植えの中で、寒さに弱いのを見逃して屋外に出しっぱなしにしてしまったのです。
 「ガーデニアアフリカ」は、室内への移動のタイミングが遅かったか。オセアニア出身のカンガルーポー、これは屋上に放置してしまいました。アカバ千日紅(アルテルナンテラ)も気づいたらほとんど瀕死であります。調べて見たら、インド原産で5℃以上と書いてありました。ルリハナガサ、これもインド出身ですが、こちらはギリギリ屋外で永らえたようで、少し芽が出ていました。更に、ドラセナは葉を全部落としました。これで2回目やー。

 室内での植物の冬越しは、鉢底に潜むナメクジ・ダンゴムシ・ハサミムシなどなどがはい出すし、コバエが湧くしで家族に不評なのです。ちょっと早いのですが、しぶしぶ、屋上の温室以外の越冬隊の植物はすべて屋外に出しました。ま、いいか、2,3鉢枯らしたくらいなら上出来、これで、11月までは悩まずに済みます。

 そして、雑草です。今日は雨なので、草取りは中止。
草も、この時期の生長は尋常ではありません。草取りを毎日しても、翌日にはまた芽を出します。除草剤すら追いつかないくらいです。ワタシは、自分が植えた植物以外は基本雑草として除くことにしています。ただし高砂百合と玉すだれは例外扱いです。白花がきれいなので。
 例えばカタバミ。酢漿草、片喰と書きますね。ガーデニングを始めた頃アカカタバミが、びっしり生えて美しくグランドカバーにいいと思ったのですが、その繫殖力はすさまじいので、家内に即処分を命じられました。
 雑草はだてに雑草してません。生き残るために工夫をしています。このカタバミは、どうも人の手が入ることに適応した節があるのです。バラや樹々の根元に絡まるように深く長く地下茎を延ばします。壁際や細い隙間に生えるのも、草取りしにくい場所が生き残る有効な手段と知っているのです。カタバミと同じ科、一般に販売されている「オキザリス」は、改良種で、きれいな花が咲きます。葉っぱがカタバミとそっくりで、つい一緒に抜いてしまいます。暑さに弱く寒さに弱い、過湿にも弱い品種も多く、雑草とはだいぶ違いますね。

 ホトケノザやカタバミ、ムラサキツユクサなどは可憐な小花を咲かせて人間が抜くのを躊躇わせるように仕向けているとさえ思えます。

 それから、雑草の共通点は個体としてまだ幼い時点からどんどん開花して実をつけるという特徴があります。たとえは悪いが、人間でいうと後進国で多産系が多いとか、「貧乏人の子沢山」と同じ理屈でしょうか。自己の保持・生育より子孫を残すことに全力を尽くすのが雑草たるゆえんであります。

 ガーデニング・家庭菜園で、草抜き・草取りしたら、それを乾燥させた後、土に漉き込んで、たい肥代わりに使うという人の話をよく聞きます。これは、やめた方がいいのです。未熟なたい肥は害虫の住処となり、野菜の根張りの妨げになります。土中で発酵すると有害なアンモニアの発生と高温になり根を傷めます。なにより、雑草が生み出す種が土中に残り、また発芽するという悪循環になるのです。
 
 昔の農家さんは、雑草を刈ったり草取りしたら、野菜くずなどと一緒に乾かして焼却していましたね。草木灰は勿論農業に活用できます。また、いろいろな病気も防ぐのに有効でした。昭和の時代、どこのご家庭でも、紙ごみ・剪定後の葉や木、落ち葉などは庭先で燃していました。焼き芋も作りましたな。
 しかし、今はダイオキシンやら近所迷惑・地球温暖化・火災などの問題の為に、農業・農村部以外は、野外での焚火・焼却は禁止となりました。焼却炉の設置さえ厳しい設置基準が自治体ごとに決められています。
 
 ワタシは、多少高くても、市販される発酵たい肥類・腐葉土などを買うようにしています。あとは自作のボカシ肥料があります。抜いた草はいったん乾燥させて、軽くしたのちポリ袋に詰めて家庭ごみと一緒に出します。

 焼き芋は買うか、さもなくば石油ストーブの上にアルミホイルを巻いて作るかですね。


 
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恥を知れ Shame on you

2020年03月03日 | コロナ
 家内によると、使い捨てマスクの備蓄は、310枚だそうです。今年1月中旬にホームセンターに普通に積まれていたものを見かけ、2,3箱買っただけでした。すでに、コロナ肺炎の情報は出ていましたから、ある時に買おうと思いました。従って、決して買い占め、マスク不足には関与しておりません。

 家内によると、家にあるマスクの大半は、あの東北大震災の後に、息子の友人(関西在住)が、送ってくれたものだとか。彼は、神戸の震災の時に片付けや外出の際の粉塵がものすごかったので、当地に被害が及んでいるかと心配して段ボールで送ってきたのです。経験という情報と友情・好意の賜物でありますな。かれこれ8年ほどうちの納戸の奥に眠っていたのです。

 ワタシは、ほとんどマスクの必要は感じません。建物の裏手でのガーデニングと、ブログ・書道という一人の室内作業が生活の大半です。人と接触するとしたら、コンビニでコーヒーを買ったりお昼ご飯を外食にするくらいですから。町中のスーパーに出かけるときの1時間程度は着用することにしましたが。
 ただし、最悪の事態、つまりパンデミックになり、周囲が収拾が付かないくらいに蔓延した場合に備え、農薬散布に使う防塵マスク20枚とゴーグルを取り寄せました。かなりの出費でありましたが、使う機会が無ければそれでよし。殺虫剤他の薬を撒くときに使えるので無駄にはなりますまい。

 使い捨て、というネーミングは適当でないと思います。簡易タイプのマスクは、使用状況によって、あるいはメンテナンスによっては数日使うべきだと思います。人ゴミや濃厚接触に近い環境が長ければ、帰宅後すぐ捨てるとしても、普段用心して短時間つかったものなら、さっとアルコール消毒する程度で翌日利用しても構わないと思います。活発な町内活動家であるお向かいさんは、一日4枚使うと豪語しておりました。この人、何十年もマスクしています。マスクフェチですかな。

 政府は、例によってマスクの生産・供給体制を強化したとか、備蓄を放出するとか、テキトーなことを言っています。いくらメーカーが増産しても、高く売れるとわかっているものがおいそれと末端には出回りません。普段使わない人たちが毎日消費するようになったのですから、無くなるのは当たり前でもあります。政府の備蓄マスクの総量聞かれたら、答えられません。それは、そもそも満足な量の備蓄が無く、公務員が優先的に使って(横流しして)空っぽなのでしょう。初めから、自治体が備えることにしております、というべきでしたね。国の想像力の欠如・準備不足でしたと謝ればいいのに。

 マスクを着用して自衛し、人に感染させないようにするとは、誰でも言えます。しかし、ただ表を歩く時や一人だけでいるときまで着ける道理はありません。一つのマスクを適正に使用して長持ちさせれば早晩一時のマスク不足は解消するのです。
 手に入らない人、必要とする人に回す配慮を社会全体でするべきだとも思いますね。少なくとも、買い占めたり、転売したりする、さもしい根性は恥ずかしいことだ、という国民教育が必要でした。あのオイルショックの時に、日本人が持っていた素晴らしい相互扶助や廉恥も精神が変質したのを思い出します。

 S22に若い判事が栄養失調で亡くなった話は、その当時の日本でも大きな衝撃となりました。法律を守る立場の自分が、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考え、配給の食料だけで生活しようとした結果でした。この話は、教員であった亡父から何度も聞かされました。

 ヨーロッパの寒村では、当時流行したペストに村人たちが罹った時、閉鎖して一切の外部との接触を絶ったという実話もあります。村人の9割が亡くなっても、他への感染を防いだのでした。

 こうした、話の是非を問うことはいたしません。しかし、私欲の為にマスクやトイレットペーパーを買い占める人たち、更にテレビで繰り広げられる無責任な報道、そして空疎で不実の政府答弁や公務員の態度を見るにつけ、同じ日本人としてとても恥ずかしく思うのです。 

 
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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ もっと愚者は、なにも学ばない

2020年03月02日 | 植物
先日、ある討論番組を見ていましたら、高名な評論家センセイ、名前は伏せましょう(言葉の繋ぎに「えっ」という癖のある方)が仰っていました。
「愚者は失敗に学び、賢者は歴史に学ぶ」
 これを聞いてなんとなく違和感を感じたのでちょっと確認のために調べました。言ったのはビスマルク、あードイツ帝国の名宰相だったのか。すっかりそういうことは忘れています。どうも、元の言葉の直訳は「愚者は自分の経験に学ぶと信じる。私は、誤りを避けるため他人の経験に学ぶのを好む。」というようなことであったそうな。
 ワタシが感じた違和感は「失敗」という言葉だったのかもしれません。
 自分の経験や価値観のみで判断するのは愚かで、過去の事例や歴史の中に起きた失敗や誤ちを学んで、未然に誤りを犯さないことが賢明なのだ、と解することとして「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」が一般的な格言となっています。

 それは、なんとなく為政者としての心得としてよく出来た箴言でありましょう。では、ワタシ達庶民の立場からはどうでしょう。

 植物栽培で例えてみます。ワタシがいま栽培している苦手な(何度も枯らした)植物に「アジアンタム」と「フクシア」があります。栽培難易度からすると中くらいでしょうか。
 アジアンタムは、暖かな地域の湿度が高い山やジャングルの中で育つシダの仲間です。暑さ寒さに弱く乾燥にも弱いが根腐れも用心、というもの。室内での栽培にはそもそも無理があるのですが、沖縄辺りを除くと屋外ではほぼ栽培は困難です。日に当たると茶色に葉焼けし、少しの乾燥でチリチリになります。
 以前現役の頃、執務室内で栽培(笑)しましたが、育て方を調べ(他人の経験に学び)いつも注意を払っていましたので、涼し気に葉を揺らす繊細なこの植物の魅力を楽しみました。休みに入る前には段ボールに入れて保湿しましたね。
 ところが、退職後家に持ち帰ったらたちまち枯らすことになりました。自分の(成功)経験を過信し、簡単に扱えると誤ったのですね。それから、何度か買い替えてトライしましたがやはり、ちょっとした油断で葉がチリチリになりました。
 昨年性懲りもなく4回目の挑戦中です。常時霧吹きで葉水(シリンジ)するグループをまとめ、その一番下、絶対に直射日光が当たらないポジションに置きました。

 「フクシア」も、亜熱帯地域に自生する下向きの可憐な花「女王様の耳飾り・貴婦人のイヤリング」を咲かせます。年に数回開花しますが、亜熱帯出身にもかかわらず、暑さに弱いのです。以前はじめてこの植物に出会い、廊下で育てたことがありました。偶然、育て方がうまくいったのか数か月何度も咲く花に癒されました。ところが、春を過ぎて寒さの懸念がなくなったので、外に出して日陰に置いていたら梅雨の前後に枯れてしまいました。多湿はともかく、日本の暑さに負けてしまったのです。
 昨秋、再挑戦で二株を購入しました。今回は、徹底的に過保護にし、通年屋内栽培にするつもりです。これは、自分の経験(廊下ではうまく育った、暑い夏が越せない)から学び、かつフクシアの栽培法をもう一度詳しく調べなおします。
 
 つまり、歴史や他人の経験も大事だけれど、自分の経験を生かして行動を決めるのも非常に大事で、もっと上達するコツではないかと。あるいは、前例や常識に縛られることなく創意工夫することも必要ではないか、と考えるのであります。

 まず、愚者の下にもっとダメな層があるように思われます。それは、経験からも失敗からも学ばない人達ですね。また、失敗に懲りてあるいは失敗を恐れて何も為そうとしない人も同列です。ワタシが、上の植物を諦めたら何も学ばなかったと同義になりましょうね。

 冒頭の引用は、安倍総理の「武漢熱対策」の迷走ぶりを評して言われた言葉でした。かの評論家さんは意図的に経験という文句を「失敗」という言葉に置き換えたのかもしれません。
 あぁ、もしかしたらワタシの聞き間違いであったかも。
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欲望に弱い ワ タ シ

2020年03月01日 | 植物
もう、3月になったのですか。
月日の移ろいのなんと早いことか

今年の、ガーデニングの目標・指針はいくつかありました。
 まず、その1、球根類を主体に品種を特定し名前をわかるように札を付ける、ということです。球根類は地上部が枯れるので種別が分からなくなってしまいます。すでに、熱帯性の球根を除いては、ほとんど芽が出ていますしぽつぽつ咲いたものもあります。現在開花中は、水仙・クロッカス・ヒヤシンスというところ。流石にこれは見ればわかります。蕾が付いているフリージア、イフェイオンなども。しかし、恐らく私の7色畑とプランター類には30種類ほどの異なった球根類が植わっており、半分程度が品種不明に陥っております。
 大半が植えっぱなしなので、今年こそは、判明次第名札を立てて管理せねばと考えて居ります。鉢植えで耐寒性が無いものは、屋内に入れ冬越しさせましたが、これもチューベローズ・スパイダーリリー・クリダンサス・ツバメ水仙など入り交じっているのです。プランターの形で記憶を呼び起こすという情けない有様です。

 次なる目標その2、果樹栽培に一段高い技術と細かな配慮を施して、売れるような果実を作ろうと思います。実際に売るわけではありませんが。
 今年に開花が見込まれる(期待できる)果樹の中はたくさんありますが、昨年に植え付けしたものは期待しないことにします。桃クリ三年とかいうのは、種から育てるとそれだけかかるという目安ですが、出回る苗は、ほとんどが接ぎ木で、根がしっかりした品種の台木ですから、うまくいけば植えた年から花は咲きますね。でも、ここで実をならすと、樹木全体の生長がオロソカになるのです。翌年以降のために、1,2年は我慢するしかない、というのがワタシの結論です。

 昨年までは、自然が一番とばかりに花が咲いたらイコール収穫までそのままみたいな感覚でいました。いくらか、人工受粉の真似事や摘果をしたものの、数撃てば当たる農法で、中途半端に終わっていました。
 今年は、すでに蕾が付いているアーモンドと桃は、花が終わったら思い切って摘果するつもりです。サクラ科の果樹は、このほかに、サクランボ・李・ネクタリンなど計10本以上植えてあります。どれも食べたいので植えているのですが、多品種・同系統の果樹を混植することで受粉しやすくする目的なのです。
 
 例えば、アーモンドは自家受粉するので沢山開花し結実します。しかし、今までみているとどうも実が小さく、アーモンドの種が薄ぺらなのです。木の充実よりも実に栄養が回った結果でもあります。実を生らさないよう、50個以下まで摘果します。同様に、ぶどうも、桃・枇杷、柑橘類もすべて半分以上摘果して少数精鋭を目指します。この1,2月にとれた柑橘類はどれも小振りで、生育不足でした。
 それから、徹底すべきは、授粉です。いくら混植しても、開花時期がずれると無意味ですね。出来るだけ相性がいい(同じ時期に咲く)品種同士を植えたりはしますが、そう都合よくいきません。しかも、当地にはもはや数年前からミツバチの姿を見かけません。そうなると、早く咲いた花を摘んで瓶に入れ冷蔵庫に保管して、次の別の品種が咲いたら人工受粉する、という手間が必要になるのです。

 一昨年から昨年にかけて植えた果樹類はどれも順調に生長しているようです。ブドウでは「甲斐路」、これは、今までの経験から、今年は花をつけるのではないかと思います。じつはまだ、ぶどう棚が完成していないので、そろそろ自作しなければなりません。桃は、「西尾ゴールド」、プラムは「ケルシー」です。柑橘は「フィンガーライム」「はるか」「はれひめ」を植えました。これに、「モミジイチゴ」、ベビーキウイおよびマタタビ、そして期待の柿「花御所」が2年目となります。これらは、柑橘を除いて見たことも食べたこともない種類なのですから、期待は否が応でも膨らんできます。もし花が咲いても、実は生らさない、これが要諦であります。 

 でも、全部摘蕾摘果という選択肢はないやろ。一個くらいはいいか。万一のことを考えて二つまでは良しとするか。

 更に、昨年からの目標3が、もうこれ以上植物を増やさない、であります。屋上にも鉢と花壇がいっぱい、廊下もリビングも観葉植物と蘭がずらり。
 ローズガーデンは、植えどころがなく、とりあえず鉢へというのがすでに10鉢にもなっています。昨年末に「イングリッドバーグマン」「パローレ」「ブルーリバー」を衝動買いしてしまいた。 てへっ
 果樹エリアも30坪に40本以上ぎっしりと果樹を植えているのです。

あー、それなのに、また「アイスクリームバナナ」の苗を予約してもうた。耐寒性があり、バニラアイスのような味で甘い、という謳い文句に抗えない弱いワタシなのです。植えるところが無い!  あと苗が届くまで3,4か月あるのでゆっくり考えればいいか。
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