美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『バック・トゥー・ザ・サイレント・ムービー(その1)』

2022年05月18日 14時42分11秒 | 文化

澤登翠弁士

ASREADというサイトにいくつか文章を載せたことがあります。それらを当ブログに再アップしておきます。このところ、政治経済を論じた無粋な論考が続いておりますが、実は文化への関心も人並みにあります。タイトルに(その1)とありますが、残念ながら後が続きませんでした。考えすぎちゃったんだと思います。これを書いたときの熱とサイレント映画の記憶と記録のすべてをもはや失っているので、いまや続編は書けません。もったいないことをしたと思います。

***

2014年10月29日『ASREAD』掲載

 サイレント映画の良さについて語ろうと思います。

 サイレント映画とは、せりふや音響のない映画のことです。せりふや筋立ては画面と画面の間に挿入される字幕で説明され、日本では活弁士がそれを音声化しました。不思議なのは、日本でだけ活弁士が重要な存在になったことです。

活弁士が“日本でだけ”重要視された理由とは
 おそらくそれには、歌舞伎や人形浄瑠璃で舞台の脇に「語り手」がいて物語の進行役をつとめる表現様式に当時の日本の観客たちが慣れていたことや、落語や講談という話芸の伝統の存在が大きく影響しているのでしょう。ちなみに、「せりふ」の語源は「競(せ)り言ふ」だそうで、そこに演技者の「身ぶり」の意味は含まれていません(漢字の「科白」にはその意味が含まれています)。また、音響は生演奏が担当しました。日本初の完全なトーキー(発声)映画と評される五所平之助監督の『マダムと女房』の登場が1931年ですが、35年ごろまではサイレントが作られています。観客たちがトーキーに慣れるまで時間がかかったのでしょうね。

 先日池袋新文芸座で溝口健二監督の『瀧の白糸』(1933)と『折鶴お千』(1935)を観ました。もちろん両方ともにサイレント映画で、弁士付きです。

 『瀧の白糸』については、かつての名活弁士・徳川夢声による「活弁トーキー版」と澤登翠(さわとみどり)女史によるものとのふたつを観ました。また『折鶴お千』については、同女史によるものと斎藤裕子女史によるものとのふたつを観ました。

「言葉に対する感覚の鋭さ」を日本人は持つ
 いま、「澤登翠」の名が二度出てきました。どうやら彼女が現在の活弁界の第一人者ともくされているようです。あるインタビューによれば、若かりし日の彼女は定期大卒で入った出版社を早々に辞めた後、一人でできる仕事を探して思い悩む日々を過ごしていました。「人との競争や人間関係を上手にやっていくことが苦手だった」と率直に語っています。ある時、ひょんなことから無声映画鑑賞会で上映される『瀧の白糸』を観に出かけ、「映像と語りと音楽が一体になって、時にさざ波となり、時に大きなうねりとなって押し寄せてくるのを感じ、その心地よさに心身ともに、まさに至福の時間を過ごした」そうです。その時の弁士が、松田春翠氏。彼女はその感動をぜひ伝えたいと思い、氏の自宅を訪問しました。いろいろと話しているうちに、気がついたら、その場で弟子入りすることに。そのときを境に、彼女は活弁士の道を歩みはじめます。

 思えば、私がはじめてサイレント映画を見たのは三年前の四月二九日、作品は往年の大女優・栗島すみ子主演、島津保次郎監督の『麗人』(1930)でした。″六歳の高峰秀子が男の子役で出ているからとりあえず観ておこう″という軽い気持ちで池袋新文芸座に出かけたのでした。そのときの活弁士が、たまたまと申しましょうか、澤登翠女史だったのです。

 映画の細部はおおむね忘れてしまいました。覚えているのは、女史の活き活きとした見事な語りの力によって、80年あまりの時代のへだたりを超え、あまり鮮明とはいえない画面のなかにゆるゆると入っていく自分を感じたこと、主人公で女学生の鞘子(栗島)が、知人の男子学生・浅野(奈良真養)から乱暴を受けて妊娠してしまい一度は人生に絶望するがやがてひとりで生きていく決心をする殊勝なこころばえに(陳腐な筋立てだと十分に知りながらも熱い涙がこぼれてしまったこと、観終わったときおのずと会場の観衆と一緒に、映画と弁士に向けて心からの拍手をしたこと、そうして会場が懐かしいとしか言いようのない温かさでいっぱいになったこと。それくらいです。私がサイレント映画を人並み以上に熱心に観始めたのは、そういう経験がきっかけです。(つづく)
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第4回 交観会BUNSO 無事に終了しました(その2) 安裕会について

2019年07月16日 01時18分03秒 | 文化


②さいとうあや 「こんなことがありました」コーナー

さいとうさんからは、自民党・安藤裕衆議院議員の後援会「安裕会」の紹介がありました。

安藤裕議員のことは、「未来を考える会」の主催者として、個人的に以前から注目していました。「未来を考える会」は、国会議員の自己研鑽の場で、三橋貴明・藤井聡・中野剛志らの錚々たるメンバーを講師として招いている高水準の勉強会です。一言でいえば安藤議員は、国会議員が緊縮財政の呪縛から脱却しなければ、まともな政策議論などできないという問題意識の持ち主です。ここで、緊縮財政とは「税収で政策的経費をすべてまかなうのが理想である」という財政上の考え方を指しています。

緊縮財政に立脚するならば、どんな素晴らしい政策を立論したとしても、その財源を厳しく問い、それがはっきりしなければ、バッサリと切り捨てられます。また、財政赤字は緊縮財政真理教からすればハイパーインフレを招きかねないところのとんでもない異常事態なので、たとえ不景気下であろうと増税してでも改善すべき、という考え方に陥ってしまいます。当ブログを読んでいただいている方ならご存知の通り、いま話題のMMT(現代貨幣理論)は、その考え方とまっこうから対立します。で、安藤議員はMMTを真正面から肯定する立場にあります。

以下、長くなりますが、安藤議員のHPから引用します。MMTについての簡にして要を得た解説にもなっていますので、ご興味のおありの方はお読みください。

***

「現代貨幣理論とは何か」 2019年6月5日

最近、米国で急に激しく議論が交わされている「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory(MMT)、『現代金融理論』とも訳されます)」をご存知でしょうか。

新しい経済理論とも思えそうですが、実際は、現在の私たちが使っている「貨幣とは何か」、つまり「貨幣の本質」について説明している理論です。ところが、これが今、米国で大論争を巻き起こしつつあります。

なぜ、ただの「貨幣の本質」について説明しているにすぎない理論が大論争になっているのか。

それは、この理論が説明している「貨幣の本質」が、私たちが通常考えている「貨幣の本質」とまったく異なる概念だからです。

そして、私たちが普通考えている「貨幣」の概念と、実際の「貨幣の本質」が全く異なるということは、一般的に信じられていて正しいとされている「経済政策」も、「貨幣の本質」を間違えているために「経済政策全般を間違える」という現象が起きているということなのです。

通常私たちは「貨幣」とは「資産」であると考えています。例えば、労働することによって「貨幣」という資産を得、その貨幣を使うことによって貨幣という資産を減らす。国の借金である国債は、国民の資産である貨幣を借りることによって資金調達しているということであり、国民が預金などの貨幣を持っている間は国も国債を発行することができるが、そのうちに国民の預金という資産が枯渇してしまうので国債を発行することができなくなり破綻するということが一般に信じられています。

ところが、現代貨幣理論(MMT)は、下記のように主張しています。

貨幣の本質とは、資産ではなく負債である。ニクソンショックによって金本位制が完全に終わりをつげ、管理通貨制度に移行した現在においては、通貨とは金などの実体のあるものに裏付けられた「資産」ではなく、単なる帳簿記録上の「負債」に過ぎないものとなった。

国の経済成長を実現させるためには、政府は「財政赤字」であるのが通常の姿であり、政府が財政赤字を容認することによって民間に貨幣が新たに供給されるのである。政府が赤字を容認することにより、皆が豊かになる経済成長が実現するのである。
経済が成長するためには貨幣の供給を拡大していく必要があり、そのためには負債の拡大が必要である。そして、負債の拡大とは、「預金を持っている人がいるから借金ができる」のではなく、「借金をすることによって預金が生まれる」のである。銀行による「信用の創造」とは、「銀行が貸付を行うことによって預金通貨を新たに創造することができる」ということであり、これは「万年筆マネー」とも言われる。

この理論で衝撃的なのは、通常は「銀行は国民から預金を集め、その預金を企業などに貸し付けている」と考えられていますが、これがまったくの間違いであるということなのです。

銀行による融資とは、実際は下記のように行われます。

銀行は、融資を行うときにあらかじめ預金を準備しておく必要がない。「銀行が融資をする」、ということは、銀行から見て「貸付金」という「資産」と「銀行預金」という「負債」を「帳簿に書き込む」作業である。銀行がこの帳簿上の記録をすることによって企業は「銀行預金」という「資産」を得るとともに「借入金」という「負債」を負うことになる。(この作業をすることによって、銀行は「預金」という負債を新たに負うことになる。つまり、貨幣の本質とは負債である。)このように、銀行が帳簿に融資を記録することによって新たに預金通貨が発行されるのである。

このようなことを言われると「そんなばかな!」というように感じられるかも知れません。しかし、銀行実務は実際、このようになっています。もちろん、準備預金制度などがありますので、現実にはある程度の預金を集めることは必要ですが、融資の原理は上記の通りなのです。

私たちが日常使っている紙幣にも「日本銀行券」という印字がありますが、これは「日本銀行の負債である」ということを表しています。実際に日本銀行の貸借対照表を見ると、日本銀行の貸借対照表を見ると、現金は日本銀行券として「負債の部」に計上されています

これらの「貨幣の本質」をもとに今後考えるべき政策を考えると、経済政策の柱は下記のようになります。

①管理通貨制度の下では、主権国家は自国通貨をもっている場合、通貨発行権を有するために、国債が破綻することはあり得ない。したがって、日本や米国などでは財政破綻を心配する必要がないので、必要な財政支出は財政赤字を気にすることなく拡大することができる。

②しかし、野放図な財政支出拡大を意図するものではなく、真の国債の発行制約はインフレ率による。

③租税とは、政策経費を賄うために徴収されるものではなく、インフレ率の調整や各種の政策目的のために徴収されている。政府の財源として考えるべきではない。

右記①については、日本の財務省もホームページ上で下記のように主張しています。
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」(財務省ホームページ「外国格付け会社宛意見書要旨」より)

デフォルトとは「債務不履行」つまり「返済不能になること」を意味しますが、財務省は明確に自国通貨建て国債が返済不能になることはあり得ないと言っているのです。

これは、国は通貨発行権を持つ「中央銀行」が存在しているため、いくら国債の買い手がいなくても、言い換えれば国が借金したい時に国民の誰もが貸してくれない状態になったとしても、最後は中央銀行である日本銀行が貸してくれるし、貸してくれないことは通常考えられないので、国債発行により資金調達が不調に終わることは考えられず、したがって返済不能になることも考えられないということなのです。

実際に、日本銀行はすでに日本国債を466兆円も持っています。平成30年12月末現在の国債残高は1013億円ですが、そのうち46%は日本銀行の保有になっています。

皆さん、不思議に思いませんか?

日銀は、国債を466兆円も持っているのです。日銀は、いつからそんなに国債を買えるだけのお金を持っていたのでしょうか?

いいえ、日銀は当初からそんなお金は持っていませんでした。ところが、日銀は通貨発行権を持つので、国債を買い入れる時は「帳簿に記録するだけで買うことができる」のです。まさに「万年筆マネー」を実現しています。

実は、この理論については、私の主宰する「日本の未来を考える勉強会」では一昨年から取り上げていました。ぜひインターネットで勉強会の模様をご覧ください。この現代貨幣理論について解説している動画が3本あります。一昨年は「貨幣と租税」 。昨年は「貨幣と経済成長」。そして今年は「よくわかる現代貨幣理論(MMT)解説」というタイトルで見ることができます。

この理論がにわかに注目されたのは、米国の最年少女性下院議員のアレクサンドリア・オカシオコルテス氏が「MMTを使ってもっと財政支出を拡大すべき」という主張をしており、これを理論的に支えているのが民主党大統領候補であるバーニー・サンダース氏の政策アドバイザーであるステファニー・ケルトン教授である、という構図です。

今年の3月13日のブルームバーグの記事です。

「現代金融理論」にわかに脚光
米財政赤字拡大や「AOC」効果で
(一部省略して転載します)
何年も無視されてきたMMTが、なぜ今になって突如、米国の経済論議の焦点となったかを巡っては当然、疑問が生じる。次に幾つか考えられる答えを挙げてみる。

MMTの論旨は、自国通貨を持つ政府の支出余地は一般的に想定されるよりも大きく、全てを税金で賄う必要はないというものだ。この見解によれば、米国はいかなる債務返済に必要な貨幣も創出できるため、デフォルト(債務不履行)に追い込まれるリスクはゼロということになる。

米国の政治にMMTを持ち込んだのはバーニー・サンダース上院議員だ。しかし、サンダース議員がMMTをはっきりと支持したことはない。

支持を明確にしたのはサンダース議員の選挙運動に参加したこともあるニューヨーク州選出の新人議員で、AOCの頭文字で知られるアレクサンドリア・オカシオコルテス氏だ。オカシオコルテス氏はMMTについて、「会話でもっと盛り上げる」べきだとし、議会がその「財政権」を動員するよう呼び掛けている。

MMTの措置を本格的に活用したとほぼ言える国は日本だろう。日本では20年前に金利がゼロに達し、日本銀行が一部ファイナンスしている公的債務残高はGDPの約2.5倍の規模にある。
赤字続きでもインフレ高進はなく、債券市場からの資金逃避の動きもない。

米国トップの大学の著名エコノミストは一斉にMMTを批判している。ハーバード大学教授で元財務長官のラリー・サマーズ氏は、「重層的な誤り」があると論評。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏や、国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストを務めたオリビエ・ブランシャール氏もMMT攻撃に加わった。と同時に、こうした著名人らから、公的債務懸念は行き過ぎだとして赤字拡大の支出に好意的な姿勢が見られるのも最近は多くなってきた。

ここでは、日本がすでにこのMMTを実際に意図しないうちに実証しているのではないかと指摘がされています。

この貨幣論の概念を「資産」から「負債」へと変えるのは、まさしく「天動説」から「地動説」へと概念を変更した「コペルニクス的転換」と言えるかも知れません。今までの主流派経済学を使い、実践してきた経済学者から反発されるのは当然なのでしょう。実際に、この理論を米国で提唱しているケルトン教授は下記のように述べています。以下、4月17日の朝日新聞の記事より抜粋します。

「天動説から地動説へと私たちの考えが変わるまでには時間を要しました。いま私たちは租税が中心にあって、経済がその周りを回っていると考えています。増税がなければ、よい経済は築けないと。しかし、「コペルニクス的転回」は近づいています。じきに私たちは、租税は分配をコントロールしインフレリスクに対抗するものである、と考えるようになるでしょう。天動説から地動説へのような、思考の大きな飛躍が求められています」

今、日本では『消費税増税について最終的にどうなるのか』という議論がされています。

しかし、今日お話ししたように租税とは政策経費を賄うものではなく、インフレ率を調整するために存在するのだとしたら、また、自国通貨建ての国債が返済不能になることはあり得ず、日本の財政破綻の心配はまったくないのが本当だとしたら、大きく政策転換をする必要があるのではないでしょうか

私の勉強会では、以前から貨幣の概念が重要である、という観点からこの現代貨幣理論を取り上げてきました。それに基づいて、消費税増税の凍結や減税を主張してきました。

ここで米国からこのような議論が沸き起こってきたことは、まさに「神風」というべきかも知れません。デフレ脱却ができずに苦しむ日本をきちんとした経済成長路線に戻すためにも、既存の誤った概念に基づいて立案される誤った経済政策を繰り返すのではなく、正しい貨幣の概念を理解し、経済成長を取り戻すための正しい経済政策を実践していかなくてはなりません。

財務省はこの現代貨幣理論を大いに警戒し、早速反論資料を取りまとめて公表しています。新聞記事にも必ず「異端の理論MMT」といった否定的なタイトルが並びます。
しかし、私は、長い間デフレから脱却できず貧困化する日本を成長路線に戻すために正しい政策を主張していきたいと考えています。

ぜひ日本の未来を考える勉強会の動画を見て、現代貨幣理論への理解を深めていただきたいと思います。ご希望であれば、私も説明に伺いますので、お声掛け下さい。

どうぞよろしくお願いいたします。

***

安藤議員が、いかに重要な指摘をしているのか、彼が広めようとしている貨幣観・税金の本質論が政治エリート・言論エリートにおいて常識として定着することが日本の繁栄にとってどれほど重要なのか、上記の長い引用を読んでいただいた方ならよく分かるものと思われます。

ちなみに私は、さいとうあやさんのご紹介の後、安裕会に入会いたしました。

安裕会入会申込の概要は以下の通りです。

***

〇通常会員 年会費一口10000円(複数口も可)
      特典 各講演会、勉強会等のご案内
         「活動報告」の発送 等
〇特別会員 年会費 一口120000円(月額10000円)
      特典 会員限定による特別講演会・セミナーのご案内
         「活動報告」の発送
         国会案内や本会議・委員会傍聴のご案内 等
      *月額100000円の自動振替手続き(銀行)も承ります。
〇振込先 ●ゆうちょ銀行 00190-4-418761 安裕会(アンユウカイ)
     ●りそな銀行 衆議院支店 普通0055199 安裕会 代表 安藤裕
〇入会申込・お問い合わせ
・京都事務所 〒611-0042
       京都府宇治市小倉町神楽田35-1 MSKビル1階
       ☎0774-28-6789 📠0774-28-6787
      E-mail info@andouhiroshi.jp
・国会事務所 〒100-8982
       東京都千代田区永田町2-1-2
       衆議院第二議員会館705号室
       ☎03-3508-7409 📠03-3508-3889
E-mail i12690 shugi in.go.jp
〇WEB 衆議院議員 自民党京都府第六セミナー選挙区支部長
    あんどう裕 オフィシャルWEBサイト
    http.//www.andouhoroshi.jp/
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第4回 交観会BUNSO 無事に終了しました(その1)米中経済戦争について

2019年07月13日 18時19分59秒 | 文化


・実施日時と場所 令和元年七月七日(日)午前11:00~午後2:00
         新宿 珈琲西武 個室
・内容
①美津島明より 藤井厳喜氏「ケンブリッジ・フォーキャスト・レポート6月号」から
テーマ:米中経済戦争について

・チャイナは世界の通信覇権をアメリカから奪うべく、盛んに攻勢をかけてきた。その先頭に立っているのがファーウェイである。ファーウェイは英国旧植民地勢力(タックスヘイブン擁護派)と組んで、金融通信網の覇権も狙ってきた。

・ファーウェイは、海底光ファイバーケーブルの地球規模でのネットワーク構築を目指してきた。つまり携帯スマホの覇権だけを目的としていたわけではない。チャイナはこの海底光ファイバーケーブルに人民元決済のシステムを乗せることにより、米国のドル覇権を凌駕しようとの戦略を展開している。

・シティを中心とする英国タックスヘイブン養護派は、タックスヘイブンとしての香港を失いたくないので、香港の抗議デモを煽ってきた。これに対する習近平の妥協が、ロンドンと上海の株式相互上場の実現であった。

・1997年の香港返還に関して、一般に知られていない事実がある。それは99年間の租借で英国が香港に返還しなければならなかったのは、香港の新租界と呼ばれる地域だけだった、という事実である。香港の本体である香港島と九龍半島の先端部に関しては、99年間の租借地ではない。そこは純然たる英国の領土であって、英国は返還しなければならない理由はまったくなかったのだ。しかし英国は新租界のみならず,元来の自国領土である香港島と九龍半島の先端部分をチャイナに返還することを決定した。英国はタックスヘイブンあるであり、フリーポート(自由港)である香港で、イギリス企業が自由にビジネスを継続するために、香港全体の返還に応じたのである。この時点でイギリスは香港のデモクラシーをカネのために売り渡したのである。

・トランプ大統領が香港の抗議デモに冷淡なコメントしか寄せていないのは、抗議運動の背後に英国タックスヘイブン擁護派の金融資本の動きがあることを察知しているからである。

・習近平は「ファーウェイを擁護し、英国旧植民地勢力と組んで米国と対立する」のか、「ファーウェイを処分し、英国旧植民地勢力と断絶する」のかの二者択一を迫られている。

・米国は、江沢民派の人権弾圧に焦点をしぼり、江沢民派幹部の米国入国拒否や、彼らの隠れ資産摘発に動いている。米国務省と法輪功の協力関係から、それが読み取れる。

 *これは、トランプ米国が、習近平チャイナに対して、「江沢民の次は、習近平、お前だぞ」という警告を与えていると同時に、「当方の要求を呑むならば、このあたりで勘弁しておいてやるのみならず、お前の権力闘争を有利に運ぶサポートをすることだってできるんだぜ」というメッセージを送っているものと解釈できます。なかなかの高等戦術です。

・世界のデータケーブルの中心はロンドンであり、これが英国のタックスヘイブン利権と英国の特権を支えていた構造であった。これは大英帝国の遺産であり、英国はこの特権に依存してきたが、タックスヘイブンをめぐっての時代の趨勢から、もはや、それが継続できなくなりつつある。

・英国のEU離脱強硬派は、上記の特権的地位を利用して、EU離脱が容易にできるものとタカをくくっていたが、それができなくなり、苦境に陥っている。

・6月29日(水)の米中トップ会談では、わずかながらではあったが実質的な進展があった。それは第一に米中経済協議の再開が決まったことである。

・詳細は発表されていないが、チャイナはアメリカからの輸入、特に農産物の輸入を再開することに同意した。トランプはこれにより、2020年大統領選における中西部の農民票を固めることが出来た。これは現行の制裁関税の引き下げなしに勝ち得た成果である。

・米企業のファーウェイへの輸出に関しては、原則としてこれを認める方向で検討する。ファーウェイ製品の輸入は禁止したままである。ただし、ファーウェイ問題は米中経済協議の最後まで課題として残すことになっている。米国の安全保障にとって深刻な要素がからんでいるので当然のことである。つまり、即輸出が再開されたわけではない。

・チャイナ側は、対米経済協議の早期妥結が不可能であることを悟って、持久戦を覚悟した。習近平は、トランプが大統領選挙の圧力で妥協すると楽観視しているようだ。

・チャイナはアメリカよりはるかに苦しいがいまだに余力がある「フリをする余力」ならある。

・大統領選挙でトランプが安易な対中妥協をすれば、むしろ支持を失うので習近平の楽観的期待は空振りに終わるだろう。

・米中両国は以上のように虚々実々の激しい駆け引きを展開しているが、これをまったく無視するかのように、日本大手企業の対チャイナ傾斜が続いている。安全保障上、日本はアメリカと一体となってチャイナの脅威に対抗しなければならないのは明白である。日本大手企業の対チャイナ傾斜は、アメリカの目には利敵行為と映る。日本企業は、アメリカの厳しい制裁措置を覚悟しなければならないだろう。
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昭和喫茶、雑感

2019年05月30日 18時40分46秒 | 文化
珈琲西武/新宿駅近くの由緒正しき純喫茶で憩いの時間を過ごす巻


ていねいな暮らし系女子が紹介する大きなコーヒーゼリー【らんぶる/新宿】#28/ Big coffee jelly ate in cafe.



タイトルの「昭和喫茶」とは、昭和の雰囲気を色濃く残した喫茶店というほどの意味合いです。それについて、ちょっと思うところがあり、雑文をしたためてみることになりました。

5月19日(日)第3回交観会BUNSO終了後、参加者のMさんと新宿の喫茶店「西武」に行ってみることにしました。そこの個室が当会の集いの場として使えるかどうかを確認するためです。「西武」には、これまで一度行ったことがあるのですが、個室があるとは知りませんでした。

「西武」に行ってみると、六つある個室がすべてふさがっていて、部屋の確認ができない状況であると、お店のスタッフから告げられました。それに加えて、個室を利用しようと待機している人たちが長蛇の列を成しています。私たちは、下見を断念せざるをえませんでした。個室以外の一般席も満杯状態のようでした。

せっかくここまで来たのだから、ということで、「西武」と同じく昭和の雰囲気濃厚の「名曲喫茶らんぶる」に行ってみることにしました。「西武」と「らんぶる」とは、目と鼻の先なのです。、

ところが、「らんぶる」もまた、驚いたことに、千客万来の状態だったのです。ちなみに「らんぶる」は、100名くらい余裕で受け入れることができるだけの座席がある地上一階・地下中1階・地下一階の大きな喫茶店です(お店の最大の魅力は、おそらく、地下中一階の存在でしょう)。私たちは、店に入ろうと列を成している五,六組の客の後尾に回り、一〇数分ほどして席に案内されました。

Mさんも私も業種は違うけれど、同じ第三次産業系の自営業者なので、「流行っているお店」に関しては、おそらく人一倍敏感な方なのではないかと思われます。で、二人してあれこれと、目の当たりにしたふたつの「昭和喫茶」の盛況ぶりについて話し合うことになりました。お客が揃いも揃って、若いこざっぱりとした服装の男女のカップルか、シングルであるという点も気になりました。

で、私たちはこう考えるに至ったのです。これは「令和現象」のひとつなのではなかろうか、と。

つまり、令和の御世になったことで、センスの良いおしゃれな若者たちにとって、「昭和」が明治・大正・昭和の「明治」のようなイメージになり、レトロとしての価値がグッと高まった。だから、「西武」や「らんぶる」などのような昭和テイストを色濃く残す存在が、とても素敵なプラス・イメージを帯びることになっているのではなかろうか、と。思えば、Mさんも当方も、今回の御代替わりを機に昭和・平成・令和の三世を生きてきた身となりました。前回の東京オリンピックだって、アップ・トゥー・デイトに体験しているのです。

「らんぶる」なんて、四〇年ほど前一介の貧乏学生だった当方からすれば、がらんとした地下に、モーツアルトなんぞを聴いている数組が物哀しく点在する、いつ潰れてもおかしくない感じの喫茶店だったのですよ。記憶のなかの「らんぶる」はそうなのです、正直なところ。世の中わからんものですね。

ちなみに、「らんぶる」は、コーヒー一杯七五〇円、とかなりの強気です。ウエイターやウエイトレスは、イケメン・「カワイ子ちゃん」の粒ぞろいでした。けっこうな応募倍率なのでしょう。

だからと言って、「これからは《昭和》の時代だ!」と早合点して、大慌てで昭和テイストを演出した店づくりやサービスを展開したからと言って、お店が流行ることなど、おそらくないでしょう。地道にまじめに「《昭和》をしてきた」物静かなお店に、上質で若々しい消費者の柔らかい洗練された視線が向けられるという社会現象が起こるだけなのでしょう。
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平成天皇陛下について――岡部凜太郎さんの投稿「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」に関連して (天道公平)

2016年02月17日 10時52分03秒 | 文化


〔編集者より〕拙ブログに掲載された、岡部凜太郎さんの二月七日付の論考「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」が、少なからず反響を呼んでいます。現役の高校一年生が硬派の保守思想の論陣を張っていることへの驚きがもたらしたもの、という側面があるのはたしかなのでしょう。しかし、彼の真摯な論調が読み手の心に響いたがゆえのもの、という面があることも間違いないと思われます。逃げ場を作らない、潔い文章ならではのすがすがしさ・迫力は、人の心を動かすものです。

次にご紹介する、天道公平氏の、ご自身のブログに掲載なさった文章も、岡部さん(かなり年下なので、どうしても、「氏」ではなくて親しみを込めて「さん」付けになることをご容赦ください)の文章の真摯さに触発されて綴られたものであるように思われます。

岡部さんのコメント中に、「特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました」とあります。私もまったく同じ感想を持ちました。私は、根にそういう感性を有しない天皇論をまったく信用できないのです(あの政治学者・丸山眞男や文学者・中野重治でさえも、そういう感性をその言説の根に隠し持っていたと、私は思っています)。


***

平成天皇陛下について(岡部凜太郎さんの投稿「「欺瞞の時代」と奪れた天皇」に関連して)
2016-02-13 15:15:52 | 時事・風俗・情況


岡部凜太郎さんという方の、美津島明氏編集「直言の宴」に投稿された、「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/a0aa85ded6cdc2a5e0167f84562c93c6という論考を読み、若い世代(現役の高校生らしいです)の真摯な考察に感服しました。

しかし私としては、(多くは年齢の違いに帰してしまいそうで卑怯な言動になってしまいますが)氏の思考がとても気になり、また、そのブログにkkさんという方のコメント投稿がありましたが、その方の心情や考えにも歩み寄れるような気がしました。私とすれば、その方の考えに対するコメントを含め何か書きたいと思いました。

しかしながら、いつものように、たぶんいたずらに長く冗長になってしまうように思われ、コメント投稿にはなじまないとも思いますので、私のブログでその内容について、申しあげたいことを書かせていただきたいと思います。

今上平成天皇(そういう呼称が正しいかどうかも知りません)の人となりについては、ほぼ私の父に近い世代であり、また、昭和天皇が長く在位されたこともあり、自分の父親が煙たかったように、私は、あまり興味が持てませんでした。昭和天皇は幸いご壮健であり、日本国の有史以来の大敗北という苛酷な時代を経て、長らく、それこそ激動の時代を経て、経済的にも復興を遂げた昭和期を長く生きぬかれました。平成天皇とすれば、そんな方を父君としていただくことには、大きな重圧(?) があったのではないかと愚考します。

昭和天皇については、かつて吉本隆明が、ある対談の中で、「あの人が生きているうちは、私は死ねないと思っている」と述懐していたことを思い、戦中派の(天皇に対する)想念がアンビバレントで、複雑であったことを思います。

長らく一緒に暮らし、戦争期(太平洋戦争)のことは殆ど語らなかった、私の祖父母も、皇室を思いやり、 十分に尊王的でした。個人的には、無関心で、「既存秩序とはそんなもんだろ」と思い、大学に入るまでは「天皇及び天皇制」など考えてみたこともありませんでした。私のアドレセンス(青春期、発情期)までの道行きで、幼少期から、民放で「皇室アルバム」とか、明らかにアイドル番組のようにして、皇室の幸福なそして平凡で退屈な様子が放映されていたのも、その当時の自分の率直な気持ちに反映していました。

三島事件のときは、高一だったと思いますが、知識人が、自己の理念に対し現実的に命を懸けることは十分衝撃的でしたが、彼の檄文が、当時響いたかどうかといえば、田舎の高校生にはあまり影響はありませんでした。それが、当時の多くの人たちの社会通念というか雰囲気としてあまり間違っていたとは思えません。むしろ、しばらくして、村上一郎が、明らかに三島事件に呼応するかのように、頸動脈切断の自殺をした(1975年)ことに、私は決して熱心な読者ではなかった人でしたが、戦争を戦った軍人として、自己に殉じた行為として、当時の、いわゆる平和ボケ(?) の時代に背を向けたような、何か昏い記憶があります(昏い記憶といえば、吉本隆明に教わった、戦中の法華経系過激派宗教団体「死のう団事件」もその一つと思われます)。

その後、三島由紀夫の様々な、私的な事情が明らかになるにつれ、澁澤龍一が述べていた、「友人三嶋は、エロスの極北の行為として切腹したのだ」、といったようなことも、分からないことはないと思った覚えがあります。

大学時代(1974年~1978年)、当時の「反帝、反スタ」の隆盛の政治の時代においても、私自身は、天皇及び天皇家を積極的に敵と思えたかどうかについて特に感想はなく、ただ、大学のキャンパスのそばに京都御所があり(本当はその逆かもしれませんが(笑い))、皇宮警察が常駐し、二回生の中途から、電子警備となり、「(御所の周囲を流れる30cm幅くらいの)疎水溝を越え、白塀に近寄ると、センサー反応で、あいつら出てきよるで」という話を聞いて、「つまらんことで税金を使いやがって」と反発を覚えた思い出があります。当時、そのように考えたことが特殊であったとは思えません。多くの国民大衆はおおむね無関心であったのではないでしょうか。

昭和天皇の崩御を経て、ご闘病中に、私の義母、妻は、ご回復の記帳に参加させていただきましたが(言葉に、ちょっと「違和」を感じますが)、「まあ、寿命だからしょうがねー」、と私は参加しませんでした。

閑話休題、平成の御世になって、今上の天皇になられた、平成天皇が謙虚に勤勉に国務をお勤めになっていることは知っていました。我々の世代では、皇后美智子様とのご結婚のイベントは存じ上げなかったので、その後も、ひたすら、地味に、堅実であることを意識的に目指されているように思われました。また、二男一女をもうけられ、美智子妃を核としてそれぞれの育児に励まれ、親としても素晴らしい方であると思えます。後年、マスコミ会見などで話される彼らの様子を見ればよく分かります。

私が、今上天皇に、初めて、お会いした、と感じたのは、もちろん3.11の後のことです。

(石原慎太郎のような)周囲の諌言もあったでしょうが、私に最も印象深かったのは、厳しい日程の中で、自らを叱咤するように、個別の避難所を、目立たぬ普段着で懸命に巡回され、「時間がない」との側近からの制止もあったでしょうに、被災者に対し、子を亡くした、母を亡くした悲しみにより添うようにいつまでもひざまずかれたそのお姿でした。自分ながら不思議ですが、「かたじけない」というのが、それをみたときの正直な感想でした。万一、人智の及ばない大きな事件が起こった時に、国民の、その悲しみを受感し、共感していただく、というのが、大きな、陛下の仕事であることが良く分かりました。100年に一遍という大災害と国民の危機に、そのような仕事を直ちにできることが、今上陛下の偉いところです。

さすがに、偏向したサヨク商業新聞を含め、批判記事は見当たりませんでしたが(ばかサヨクとして国民にふくろ叩きになったろうからなー)、バカの民主党(なぜバカかは何度も書きましたが)の首班菅直人が、被災した災害時におたおたし、急遽現場へ行くなど、愚かな行為や迷走を繰り返し、何より東北地方の住民大衆に対し、未曽有の災害に対し適切な善後策が取れなかったことに比べ、なんと見事な行動であったか、時間がたつにつれても、諄々と国民の胸に迫るような尊い仕事でした。

私が思う天皇陛下は、やはり日本国の祭司です。お布施を捧げずとも、政治的に力を持たないとしても(あるいはそのように振る舞われることを嫌悪されても)、大惨事に際しては、国民により添い、国民と一緒に悲しみ、ひそかに国民の幸せを望んでおられるそのような賢い方です。その意味で私は「国民統合の象徴」という言葉に対し、何の疑問も、違和もありません。

しかしながら、祭司は、当然その日常生活を問われます。国民はそれを見ていると思います。たとえば、イギリスのチャールズ皇子の、自己欲望の開放の次第を考えれば、わが皇室と明らかに異質であり、他国の王族は、私は好きになれません。少なくとも、私には、天皇陛下はそれと無縁と信じられるからです。新興宗教の俗な教祖は別にして、日本国最大の祭司に、そのような、醜聞があろうはずはないではありませんか。

昔から今に至るまで、天皇家の外戚(?) というか、皇族の方々の素行が同時に、幾たびも女性週刊誌の俎上に上がりましたが、そんなことがあろうと、同根の、皇族提灯持ち記事と同様で、何の興味も、違和もありません。

先ごろ『「シャルリ」とは誰か』http://www.nikkei.com/article/DGKKZO97254170T10C16A2MY7000/ というエマニュエル・トッドさんの新書が出ていましたが、信仰なき、祭司なき、ロールモデルも不在のフランスの状況をお気の毒と思いましたが、もし「シャルリ誌」が、他国の聖者モハメッドを侮辱したように、日本の天災による原発事故をおひゃらかしたり、万一、天皇家を侮辱するような風刺(?) があれば、上京して、フランス大使館(どこにあるのか知りませんが)に抗議しに行くことを考えます。日本国民を侮辱したと直感的にそう思います。天皇家及び天皇制は、日本にとって誇るべき歴史であり、危機において発動する誇るべき制度なのです。

私が思うのは、私はバカ左翼でもなく、天皇陛下が政治的に行動することを求めるわけでもない、ただの保守的な人間ですが、福澤諭吉の「帝室論」で、「社会秩序が乱れるのは、情誼にもとづく徒な対立にあるのだから、そうした信念対立が非妥協的になって恐ろしい事態を起こさないためには、人民の激した感情を慰撫する不偏不党の大きな緩和勢力がなければならず、それはあらゆる政治勢力を超越した、すべての日本人にとって精神の源となるような形をとっていなくてはならない。それこそが帝室の役割だというのである。『国の安寧を維持するの方略』ときっぱり言い切っている。」(『日本の七大思想家』中「第7章福澤諭吉」篇p449の、著者小浜逸郎氏の現代語訳篇から孫引き)、と論じられたように、近代以降、天皇制は論じられてきたし、
たとえバイアスのかかったバカでも国民は国民であり、信憑対立を超え、また制度は制度のみでは味気ないものであり、「かたじけない」あるいは「勿体ない」と多くの国民に感じさせる祭司=人格者の存在は、日本国にとって是非に必要であると思います。

私は、莫大な皇室財産を解放せよ、とか、まったく考えておりませんが、エコロジスト天皇家のおかげで、皇室財産という誇るべき日本の森や自然が古来のまま守られ、現在までに、無慈悲で没義道なビジネスにおける乱開発で、腐った億ションや、腐ったリゾートに変わらず本当によかったと衷心から思っております。

しかしながら、君側の奸とまでは言いませんが、宮内庁の管轄での、箸墓などの古墳が、学術的な発掘も許されず、日本国の起源の解明につながっていかないのを大変に残念に思っています。
また、現在の日本国の皇太子も、気さくで、正直に思われる方であり、時々お見受けする、その人となりと、私の代ではまだ大丈夫(?) と、その温和な人間性に安堵しているところです。

岡部さんの論考とは随分違った安易なことを書いたかもしれませんが、こういうことを考える人間もいる、ということで理解していただければありがたいと思います。

今後も、ラジカルで(昔流行った言葉なのですが)、真摯な、岡部さんの活動を期待します。



〔コメント欄〕

岡部凜太郎 「記事ありがとうございます。」 2016-02-14 03:20:02小論についてブログで書いていただきありがとうございます。

小論を「直言の宴」に掲載後、各所から思わぬ反応があり、驚きながらも嬉しく思っています。
天道さんの実体験を踏まえた論考、人生経験の浅い私からすると他者の人生の経験の凄みを感じる圧倒的な文章であると感じました。

特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました。

比較はできませんが、私も天皇陛下のご尊顔を拝見したことがあり、その時に神はここにいるかもしれないと大袈裟かも知れませんが心の中で思ってしまいました。

最近ではその天皇陛下の御言葉を政治的に利用しようとする輩もおりますが、私も含めて天皇陛下について政治的な道具としないよう肝に銘じていきたいと思います。

ラディカルで急進的な私ではありますが(笑)、これからも執筆活動を行っていきたいと考えていますので、これからもよろしくお願いします。

天道公平 「コメントありがとうございました」2016-02-14 18:21:23 早速、コメントありがとうございました。

私が、大学に入ったサークルで、最初に皆で読んだのが、吉本隆明編著の「国家の思想」(筑摩戦後日本思想大系 (1969年)でした。名著であり、私にとってとても印象的な本です。ただ、戦中派の直接体験を考えれば、ひよってしまい、昭和天皇への言及は躊躇しがちになってしまうのが本音です。ブログ=コメントで言及された、長谷川先生の本は不勉強で読んでおりません。申し訳ありません。

もう一つ、ラディカルというのは、もう一つ、「根源的な」という意味があったと思います。それは岡部さんもご承知でしょうが、今後の岡部さんの営為と精進を見守りたいと思います。
 ついでに、与太話をしますが、私が就職した際(はるか昔ですが)に、新採研修で、ディベートする機会があり、その時、つい、「ラディカルな」と言ってしまい、しばらく、同期に「ラディカル君」と揶揄されました。たぶん、人事課は、瞬時に、私の出自を見抜いたでしょうが。笑ってやってください。
コメント (2)
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