美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ジョーの四度の泪

2014年08月30日 00時00分24秒 | マンガ

白石葉子

私は子どものころ、むさぼるようにマンガを読み、テレビでそれらが放映されるのをかじりつくようにして観た人間です。とりわけ『巨人の星』と『あしたのジョー』からは、強烈な印象を受けました。まあ、そういう世代であるということです。

今回ひょんなことから『あしたのジョー』を文庫版で読み返してみました。驚いたのは、子どものころより、五五歳になったいまのほうが、感動の度合いがはなはだしいことです。この作品が不朽の名作と言われる所以を肌身で感じた、ということになるでしょう。それで、その魅力の一端について語ってみたい気分になったのです。

この作品の主人公である矢吹丈は、擁護施設を転々とした果てに、東京のドヤ街に流れ着きます。そこで丹下段平に出会い、さらに少年院で《永遠のライバル》力石徹に出会うことで、プロ・ボクサーを目指すことになります。そのプロセスは、一見、教養小説(ビルドゥングスロマーン)のそれをなぞっているかのようですが、主人公がどこまでも不良であり続けている点や、破滅に向けて疾走している点で、その核心においては、強烈なアンチ教養小説であるといえましょう。読み手は、あしたに向かってひたむきに走り続けるジョーのどこか悲劇的なトーンを感知してしまうと、彼の一挙手一投足から目が離せなくなってしまいます。つまり、この作品のとりこになってしまいます。矢吹丈が魅力的なのは、自分のカタストロフィックな行く末をどこかで察知しながらも、男らしさとおおらかさとを失わないからです。ひとことで言えば、彼はあくまでもひたむきなのです。ひたむきな自分を愛する隙がないほどにひたむきなのです。

文庫版は一巻から一二巻までありますが、五巻までが第一部です。内容的には、主人公が、ドヤ街に流れ着いて、宿敵力石と一戦を交え、主人公のテンプルへの一撃が、力石を死に到らしめるまでです。そのなかで主人公は、四度泪を流しています。

一度目は、東光特等少年院へ向かう護送車のなかでです。矢吹丈は、暴力・窃盗・詐欺・恐喝などの悪事を重ねた末に、一年一ヶ月の刑を喰らいます。虚勢を張ってはみるものの、丈は、自分の荒ぶる心をもてあましてどうしたらよいのか皆目見当がつきません。きりきり舞いの状態なのですね。ひっそりとした薄暗い車内でうっぷしながら、そういう情けなくてみじめな自分といやでも向き合うよりほかがなくなり、思わず涙がにじんだのでしょう。暗闇に目が慣れてくると、丈は、もうひとりの囚人の存在に気がつきます。後に無二の親友となる西です。彼と丈は、鑑別所で大暴れを演じていたのではありますが。

二度目の泪は、少年院でのボクシングの試合の最中に流されます。丈は、宿敵力石を倒すために、丹下段平の指導を受けたくてしょうがないのですが、段平は、丈のそういう思いに対して知らんぷりを決めこみます。そうして、青山まもるという、見るからにひ弱そうな青年にボクシングのテクニックを伝授します。丈は、そういう段平の態度が腑に落ちなくて、焦燥感にかられます。青山に対しては逆恨み的な感情を抱きます(実は攻撃一方の丈に防禦の大切さを身にしみて分からせようという、段平の深謀遠慮なのですが)。丈はどうしようもない暴れん坊ですが、そういう女々しい感情を抱いたのは初めてです。精神的に追い詰められた状態で緒戦に臨んだ丈は、あえて自分から選んだ、六オンスの重くて大きなグローブが災いして、有効打がなかなか決められません。かえって、たいして強くもない相手から、パンチを喰らってしまいます。試合のレフェリーを担当する団平のつめたい視線に逆上した丈は、「くるったぜ、もう・・・」のセリフを吐くと、頭突き・肘鉄・蹴り・回し蹴りなどの反則を繰り出し、相手をメチャクチャに殴りつけます。そのとき、それを見ていたヒロインの白木葉子が思わず立ち上がって心のなかで次のようにつぶやきます。「だれも・・・だれも気がついていないようだけど・・・かれは打ちあいながらないているわ・・・ないているわ・・・かれ。あの負けずぎらいの矢吹丈が、相手を打ちながらないている・・・」。なぜ、深窓の令嬢である白木葉子が、少年院の囚人たちのボクシングの試合を観ているのかちょっと不思議ですが、それを説明しだすと妙に長くなるので、遠慮しておきます。この泪は、頼りにしている人から見放されても、目の前の闘いに勝って、宿敵力石となんとしても闘いたい丈の、孤独で切ない心持ちの表れでしょう。



三度目の泪は、少年院を退院し約一年ぶりにドヤ街に戻ってきた真夜中、蒲団のなかで流されます。出所した丈を驚かしたのは、泪橋のたもとの「丹下拳闘クラブ」の看板でした。その看板を一緒に見ながら、団平は、丈に次のように語りかけます。「プロの拳闘界に生きようとすることはつらいこともあれば苦しいこともある。なみだはやっぱりつきものさ。だが、これは負け犬が流すくそなみだじゃねえ。きびしい精進のために流すりっぱな汗のなみだだ!なあジョーよ・・・。ふたりで苦しみふたりでくいしばってこのなみだ橋を逆にわたっていこう」。そこに、丈を親分として慕う子供たち、つまり、サチや太郎やきのこやひょろ松らが集まってきます。西も丹下ジム所属のボクサーとして顔を出します(ボクサー名はマンモス西です)。そうして、ドヤ街の住人たちもそれぞれに酒びんや肴やお菓子などを持ち寄って、丈の出所と丹下ジムの立ち上げを心から祝して夜遅くまで酒盛りをします。みなが引き上げて行き、屋根裏の寝床にもぐりこんだ丈は、酔いつぶれた段平や西に気づかれないようにボロ蒲団の端をかみしめてひとり泣きます。「ジョーが人間の愛になみだを流したのは今夜がはじめてのことであった」とナレーションは語ります。丈は、自分を精神的に支えてくれるものの所在をはじめて認識したのです。




四度目の泪は、宿敵力石の死をめぐって流されます。力石は、丈との死闘を制します。しかしながら、テンプルに喰らった丈の左の一撃が原因で、力石はほどなく死にます。むろん丈は、深甚な衝撃を受けるのですが、力石の葬式に顔を出しません。出せなかったのでしょう。力石の死という現実を受け入れるには、彼のショックはあまりにも大きすぎた、ということだと思います。それをいぶかしく思ったマスコミ連中は、ドヤ街に行きます。彼らは、ドヤ街の子どもたちと遊び戯れる丈を目撃し、軽蔑の念さえ抱きます。場面は、真夜中の公園でひとりぽつんと佇む丈のしおれた姿を映し出します。こらえていたものがどっと溢れてくるかのように、丈は、地べたにはいつくばります。そうして、力石の名を呻くようにつぶやいて小刻みに震えながら崩折れます。なんと、その一部始終を、白石葉子が木陰から見ているのです。彼女は、ありのままの丈の心を理解しているのです。なんとなく自分を凝める視線を感じて丈が背後を振り返りますが、そこには木の葉が揺れているだけ。そういうドラマティックな場面です。


力石徹

丈は、負けずぎらいで、向こう気が強くて、思ったことをズバズバ言う青年です。しかし、多感で血も泪もある青年でもあるのです。また、段平から「ひいき」された青山を逆恨みした自分を恥じて、率直に謝る潔さも兼ね備えています。梶原一騎とちばてつやは、それぞれの個性を活かした共同作業によって、丈のそういう多面的で人間味のある姿を魅力的に描くことに成功しています。

それにしても、歳のせいでしょうか、オシャマなサチのことが可愛くてしょうがありません。

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高橋洋一は「使えるエコノミスト」である(その3)消費増税議論

2014年08月24日 23時40分19秒 | 経済


私がほぼ毎日、夕刊フジの高橋洋一氏のコラム「『日本』の解き方」を読んでいることは、以前に申し上げました。

確かに、氏には竹中平蔵流の新自由主義政策を持ち上げるという悪癖があります。そこは厳しく批判されてしかるべきであると思っています。

しかし、氏に消費増税批判をやらせたら天下一品であることもまた事実なのです。そこは捨てがたいところであるとも私は考えるのです。

その意味で、最近の同コラムは絶好調です。で、それをご紹介したいと思います。

八月十九日から二一日までの同コラムでは、消費税増税議論が展開されていました。それは、八月十三日に内閣府から発表されたGDP1次速報値をめぐるものです。その発表内容は、″二〇一四年四月~六月期のGDP成長率(季節調整済前期比)は、実質▲1.7%(年率6.8%)、名目▲0.1%(年率▲0.4%)となった。実質成長率については2四半期ぶり、名目成長率については7四半期ぶりのマイナス成長となった″という、予想どおりの悪いものでした。とりわけ私は、民間住宅が実質▲10.3%という数値に衝撃を受けました。そうして暗い気持ちになりました。なぜなら民間住宅投資は、関連する素材の需要喚起や耐久財などの消費を誘発する効果も見込まれ、景気への影響が大きいので、景気の動向を判断するうえでの重要な指標であるからです。その指標の数値の低下ぶりは、今後の景気動向が予断を許さないものであることを物語っています。

いま私は「予想どおり」と申し上げましたが、こういう結果になることが分かっていた人々は、こぞって消費増税に反対してきました。高橋氏も、消費増税が愚策であることを主張し、警鐘を鳴らし続けてきた有力な論者のひとりです。では賛成していた人々の反応は?、というのが、八月十九日のコラム「懲りない増税論者の行動原理(後略)」でした。

4~6月期GDPに対するエコノミストの反応が面白かった。3カ月前まで、成長率が「マイナス4%」程度で済むと予測し、消費税増税大賛成と政府の背中を押し続けてきたエコノミストが、発表の1週間前に「マイナス7%超」と見通しを修正して、実際の数字が「マイナス6・8%」と公表されると「想定内」とコメントしていたのにはあきれてしまった。

文中のエコノミストが誰なのかは分かりませんが、さもありなん、ですね。はじめに消費増税は正しいという結論があり、それを固持するための理由付けはどんどん変える、というのが増税賛成論者の特徴ですからね。彼らは、理由付け相互間の合理性や論理的一貫性などには頓着しないのです。″「マイナス4%」から「マイナス7%」に予想を変えた時点で、あなたの増税賛成論は破綻しているではないか″と難詰されても一向に意に介さないという不思議な特徴を持っているのです。それどころか、彼らは「7~9月には再びプラス転換する」などとうそぶいて、10%の再増税についてもまったく問題ないと主張する始末です。そういう、恥知らずで無茶苦茶な、彼らの言動を支えている合理性とはいったいなんであるのかについて、氏はこう語っています。

エコノミスト個人の思想というより、彼らの大半はサラリーマンであるので、所属会社の意向が大きいだろう。サラリーマンは会社の中で出世することが物心ともに最大の幸福になるので、会社の命令を無視して、個人の思想を優先することはまずありえない。そもそも会社が増税を応援するのは、財務省にいい顔をしたいからだ。その背後にあるのは、財務省が持っている権力へのすり寄りである。これは、会社にとって具体的な利益になる可能性がある。

軽減税率の適用を希望している新聞業界しかり、財務省所管の外為資金の運用者あるいはその予備軍の金融機関しかり、財務省の予算配分の受益者である政治家や公共団体しかり、国税庁、国税局と税務上のトラブルを避けたい一般企業しかり、というわけです。 このように、財務省の権力は幅広く強力なのです。その分、受益者群も膨大になります。このため、財務省をサポートする増税勢力は社会の至る所にいるのです。

大元締めである財務省にとって、増税が実現すれば予算歳出権が拡大し、財務省自体の権力がパワーアップする。それを見越して増税勢力も拡大するといった具合に、財務省と増税勢力の相互作用で増税スパイラルが加速している。

このように、「増税スパイラル」には申し分がないほどの合理的な根拠があるのです。始末がわるいことに、増税勢力は、社会的経済的エリートに集中しています。だから、サイレント・マジョリティの声なき声を織り込まない増税賛成・増税不可避の大合唱だけがマスメディアという壊れたスピーカーからうんざりするほどに鳴り響いてくることになるわけです。この「増税スパイラル」の問題点は何なのか。氏は、簡潔に次のように述べています。

この増税スパイラルの問題点は、財務省の権力に近い既得権者のみが有利になることだ。増税論者は財政再建のために増税が必要だという大義名分を唱えるが、実は財政再建のために必要なのは増税ではなく経済成長である。この点からみても、成長を鈍化させる過度な増税は国民経済に悪影響で、既得権者の利益にしかならないことが明らかだろう。

「既得権者」という新自由主義者が好んで使う言葉の頻出ぶりは、ちょっと気になるところでありますが、「財政再建のために必要なのは増税ではなく経済成長である」という見解に、私は100%賛成します。その意味で、私は徹底した経済成長論者です。経済政策の中心に経世済民の理念を置こうとするならばそうであらざるをえないのです。

話をGDPに戻すと、では、消費増税によって大きく減少したGDPは、増税賛成論者が言うように、今後本当に回復するのでしょうか。それについて論じられているのが、翌二〇日の「GDPは本当に回復するのか 当てにできないエコノミスト(後略)」です。取り上げられているのは、甘利経済財政・再生相の発言です。

甘利明経済財政・再生相は、「景気は緩やかな回復基調が続いている」としている。1~3月期と4~6月期の実質GDPの平均は昨年10~12月期を上回っていることを理由にしているようだ。昨年10~12月期、今年1~3月期、4~6月期の実質GDPは、それぞれ527.5兆円、536.1兆円、527.0兆円である(季節調整済みの値)。今年1~3月期と4~6月期の平均は531.6兆円なので、昨年10~12月期の527.5兆円を上回っているというのである。

「四~六月はチョット下がったけれど、一月~三月の数値を含めてならしてみると、ほら、去年の十月~十二月よりチョットだけ良いでしょ。だからダイジョウブだよ」と言っているわけです。この発言が、いかにデタラメで意味のないものであるのかを、氏は、次のように暴いてみせます。氏はまず″消費税増税の影響を考えるには、「増税なかりせば」の場合と「増税した現実」の値を比較しなければいけない″ともっともな指摘をします。

増税前の実質GDP成長率は2%程度になっていたのだから、「増税なかりせば」の場合、1~3月期はその前年同期比2%増で532.1兆円、4~6月期は前年同期比2%増で535.8兆円と計算できる。これから考えると、実際の実質GDPと増税しなかった場合では、1~3月期は駆け込み需要増でプラス4兆円、4~6月期はその反動減と増税による消費減少でマイナス8.8兆円分の差異がある。

以上をふまえて4~6月期の実質GDPを比較検討すると、増税しなかった場合535・8兆円であるのに対し、増税を行った結果は527・0兆円です。増税した場合のほうがしなかった場合より8.8兆円も低くなっているのです。今年1~3月期との平均が昨年の10~12月期より高いなんて言い草が、まったく筋の通らぬ寝言のようなものであることがお分かりいただけるでしょう。マスコミは、そのような馬鹿げた数値をありがたくちょうだいしてそのまま報道している場合ではないのです。経済産業省のパワー・エリートたちは、マスコミ連中などその程度の詭弁で煙に巻けるとナメ切っているのでしょう。まったくそのとおりですが。

もっとも氏によれば、″ものすごく落ちた後は、少しは上がるものだ″そうです。これを市場では、「死んだネコでも高いところから落とせば弾む」(Dead Cat Bounce)というとの由。氏によれば、経済のプロと目されているエコノミストのなかの少なからざる人々も、甘利大臣をあざ笑うことができないそうです。

日本の著名なエコノミスト40人程度によるESPフォーキャスト調査がある。1カ月前の7月調査では、平均値で4~6月期の成長率は前期比年率換算でマイナス4・9%、7~9月期はプラス2・65%と予測している。8月調査で4~6月期がマイナス6・81%、7~9月期がプラス4・08%。8月調査段階では各種統計が出そろっているので、4~6月期の数字を当てるのはたやすい。1カ月前より慌てて下方修正した分、7~9月期の数字を上方修正したような感じだ。

優秀なはずの「著名な」エコノミストたちは、なぜ七~九月の数字を上方修正したのでしょうか。前日の氏の話を加味すれば、おおよそのところは想像がつきます。要するに、あくまでも「想定内」という言い方ができるようなつじつま合せをして、増税路線の財務省にリップ・サーヴィスをしようという目論見なのでしょう。

しかし、平成26年度版の『経済財政白書』を見るかぎり、8%消費増税の影響は、「想定内」などとはとても言ってられません。消費税を3%から5%へ上げたことによってもたらされたいわゆる〈橋本デフレ〉の元年に当たる一九九七年と比べて、今回の消費増税によるマイナスの効果は、消費総合指数や資本財総供給や実質輸出や鉱工業生産においてむしろ大きく、住宅着工や機械受注に関してはトントンという惨状なのです。かろうじて、公共事業出来高だけが明るい材料となっています。藤井聡氏が唱導した国土強靭化計画のおかげです。しかしながら、それも財務省の緊縮財政路線によって脅かされているのが現状です。

私でさえ、このような状況になることは容易に想像できました。事実、このブログでもたびたびそう申し上げてきました。しかし、「消費増税を実施しても景気は悪化しない」と主張し続けた経済学者が少なからずいる、というのが残念ながら現実なのです。高橋氏は、翌二一日の「増税の景気への影響は軽微と主張していた経済学者の責任(後略)」で、そういう学者のひとりとして、土居丈朗(たけろう)氏を槍玉にあげます。

土居丈朗(たけろう)・慶応大学教授は、景気が悪い状態で増税をしたらもっとひどくなるのではないかという批判に対して、「消費税増税によって1997年に家計の消費が減少したという現象は観察されないという経済学の研究がある」「消費税が引き上げられるということが予告されたならば、それを織り込んで、できるだけ早めに買い物をしようと思うので、デフレが止まる」と主張していた。さらに、「消費税増税を含む緊縮的な財政政策は、むしろ円安要因になるということが経済学では知られているので、輸出が再び多くなるということを通じて、景気に対する影響は軽微である」と指摘。日本の消費税率と経済成長率が低く、欧州の消費税率と経済成長率が高いことを、「消費税率と経済成長率の関係」といい、消費税増税しても大丈夫と強調していた。

ついついいろいろと言いたくなってくるような、悪質でふざけた言い草のオンパレードであるとは思いますが、ここでは高橋氏の議論を紹介するのが主眼なので、控えておきましょう。氏の言葉に耳を傾けてみましょうね。

一連のロジックは、財務省の増税主張のロジックとまったく同じであった。土居氏が財務省の言いなりというより、ともに増税指向なので、結果として似てくるのだろう。財務省としては、土居氏のような学者がテレビなどで前面に出てくれれば弾よけになるので、うれしいだろう。

土居氏が財務省の御用学者を意図的にやっているという単純な話ではなくて、主張がもともと似ているので、おのずと財務省翼賛会傘下の既成マス・メディアでの露出度がはなはだしくなった、というのがふるっています。私の耳に氏の言葉が、″土居は役得目当てに財務省寄りの発言ができるような悪知恵などなくて、おのずと財務省の意に添った発言をしてしまっているだけの馬鹿にすぎない″と言っているように響くのは、ただの空耳でしょうか。

1997年の不況が消費税増税によるものでないという理屈は、当時の財務省で考えたものだ。筆者はその検討チームにおり、アジア危機が不況の原因とする説について「震源地の韓国のほうが早く回復しているので、アジア危機では説明できない」などと主張したが却下された。駆け込み需要によるデフレ脱却説も、駆け込み需要の反動減や消費増税による可処分所得減の影響を考慮していないので間違いだ。円安による輸出増でカバーできるという考えは、理論的にも間違いだ。十分な金融緩和であれば、マンデル=フレミング効果はないからだ。要するに、金融緩和の時の財政緊縮は、金融緩和に大きなブレーキをかける。さらに、長期の円高で、生産拠点が海外に移転したので、輸出がすぐ増えないという事情もある。

文中の「マンデル=フレミング効果」とは、平たくいえば、変動相場制のもとで景気刺激のためには金融政策が有効であり、財政政策は無効となるという考え方のことです。要するに氏は、十分に金融緩和をしていれば財政政策は無効ではないと言っているのです。むしろ金融緩和実施時の財政緊縮は、デフレ不況を長引かせることで金融緩和に大きなブレーキをかけるので、適切な財政政策こそが必要となるから、土居氏のように緊縮財政を是とするのは百害あって一利なしである、と言っているのです。まったくの正論というよりほかはありません。

こうした主張をしていた学者は土居氏以外にもいる。それらの学者は東日本大震災の復興増税も主張した人が多い。もちろん、セオリーは何百年に一回のショックは時間分散して吸収すべきなので、増税はまったく誤りだ。復興増税、消費税増税と続けて間違ったが、誰も反省していないのだろうか。

ここを目にすると、私の脳裏には伊藤元重という名が自ずと浮かんできますが、いまそれに踏み込むのはよしましょう。こういう、日本経済にとって害毒を垂れ流しているだけの、百害あって一利なしの、無駄飯食いの学者連中の虚偽を暴く高橋氏の鋭い言動を、私は支持するよりほかにないと思うのです。


すでにご賢察のことと思われますが、私が、高橋氏のコラムを紹介することで申し上げたいのは、消費増税10%などもってのほかだ、ということです。それを擁護するマトモな議論など、私は一度も聞いたことがありません。またこれからも、おそらくないでしょう。安倍内閣の最近における支持率の低下や地方選挙での自民党の不覚の根本原因は、集団的自衛権問題でもなんでもなくて、おそらく消費増税による一般国民レベルでの経済状態の悪化であると私は思っています。庶民の暮らし向きが思わしくなくなっているということです。もしも、安倍総理が10%増税を決断したならば、彼の思惑とはうらはらに、安倍内閣は十中八九短命に終わります。国民の心が完全に安倍首相から離れてしまうからです。安倍一次内閣は、経済で失敗し空中分解してしまったのですが、このまま推移すれば、同じ過ちを繰り返すことにどうやらなりそうです。そうなれば、日本国民をデフレ不況の泥沼にふたたび叩きこんだ愚かな首相、というのが彼の評価として定まることになるのではないかと思われます。日本を取り戻すもなにもあったものではありません。
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萩原葉子『父・萩原朔太郎』について

2014年08月19日 23時17分29秒 | 文学


萩原葉子は、詩人萩原朔太郎の長女である。そんな彼女が本書において描き出す朔太郎像は、一度読んだら忘れられないほどに鮮烈である。その意味で、本書は朔太郎に関心を抱くすべての人々にとって貴重な書物であると言えよう。

萩原朔太郎が日本近代詩人の最高峰であることは、贅言を要すまい。また、その詩群は、いまだに生々しいほどの生命を保っている。言葉がまったく死んでいないのだ。例えば個人的な経験を述べると、気心の知れた少人数でしんみりと酒を呑んでいるとき、不意に記憶の闇の底から、「夜の酒場の壁に穴がある」という『夜の酒場』の一節が生々しく浮かんできたりするのである。

高校時代の現代国語の授業ではじめて彼の名とその詩風を知ったという方がけっこういらっしゃるのではなかろうか。かくいう私もそのひとりである。高校二年生のときの授業で、彼の処女詩集『月に吠える』所収の「竹とその哀傷」に触れて衝撃を受けた。そうして、その詩世界に強い興味を抱き、彼の詩集を紐解くことになった。のみならず、その後も折に触れその詩世界を顧みてきた。どうやら、朔太郎のポエジーは、私の、世界に対する構え方に少なからず影を落としているようなのだ。いささか気障な言い草に響くのかもしれないが、私の身体の奥底にある、厭世観としか名づけようのない心性の種子は、半ば以上、朔太郎の詩を読み込むことで植えつけられたような気がする。坂口安吾が、「文学は毒である」と言ったのは本当のことだといまさらながらに思う。

本書において萩原葉子は、いろいろな意味で特異な存在である朔太郎の娘として生育した自らの宿命と真摯に向き合おうとしている。そうして、その姿勢の底には、父朔太郎への切ない愛情の泉が人知れずこんこんと湧き出しているのが感じられる。その愛情が哀しいのは、普通の意味での父の愛を、彼女がどうやら十分に感じた経験がないからである。彼女は、母の穏やかな愛さえも知らない。父の孤独と同じくらいに娘の孤独は深い。

小見出しを掲載順に挙げておこう。「晩年の父」、「幼いころの日々」、「父の再婚」、「再会」、「折にふれての思い出(一)」、「折りにふれての思い出(二)」。発行は、昭和三四年十一月十五日。私が生まれたのはその前年だから、いまから五四年前のこと。私が購入したのは、紙がすっかり日焼けしてしまったボロボロの初版本なのである。

印象深かったところをいくつか記しておこう。

まずは、「晩年の父」所収の「手品」から。朔太郎の、若い頃からの手品好きは有名である。その片鱗は、次の詩からもうかがわれる。

みよわが賽(さい)は空にあり、
賽は純銀、
はあと(原文、傍点あり)の「A」は指にはじかれ、
緑卓のうへ、
同志の瞳は愛にもゆ。

みよわが光は空にあり、
空は白金、
ふきあげのみづちりこぼれて、
わが賽は魚となり、
卓上の手はみどりをくむ。

             (「純銀の賽」より)

本書によれば朔太郎は、晩年の五十二、三歳の頃、阿部徳蔵氏主催の「アマチュア・マジシャン・クラブ」に入会した。そのことがとても嬉しかったようで、その会への出席の日は、祖母(朔太郎にとっては母)が出してくれる真っ白いハンカチをポケットに入れ、威厳を帯びた表情で出かけて行ったという。酔ったときのだらしない姿とは大違いとの由。その会で手に入れた手品の道具は、二階の書斎のいくつも引き出しのある小物入れに鍵をかけて入れてあった。朔太郎の死後、それらの引き出しの鍵が開けられることになった。手品の道具は、どれもこれも安っぽくて、まるで幼児の喜ぶ玩具のようなものばかりだった。

 私は父の亡きあと、まもなくひとりで二階にいって、それらの入った引き出しを見た時、唖然として立ちすくんでしまった。私は、そこに父の姿を目の当たり見たように思い、もう父はこの世のどこにもいないのだという激しい悲しみが改めて全身を襲ってきて、泣いた。
 なんてことだろうと思った。こんなものが、こんなに大切だった父の心を思うと、しばらくは悲しみのため、そこを動くことができなかった。


ここを目にして、なんの鎧(よろい)も着けないままの、詩人朔太郎の魂の生地を目の当たりにする思いがするのは、私だけではないだろう。

晩年の朔太郎は、同居する母の支配から逃れるようにして、連日のように飲みに出かけたそうだ。身なりに無頓着で、赤い鼻緒の下駄だろうとなんだろうと目に触れたものを履いて外出しようとするので、家の者たちは気が気でなかったという(若いころは、蝶ネクタイにトルコ帽を身につけるような伊達男だった)。その飲み方は度を越した深酒で、深夜心配して父を捜しに外へ出て、その姿をやっと見つけて言葉をかけようとする筆者の存在にさえ気がつかないほどであったらしい。ぼんやり灯っている街灯の下、筆者の方に近づいてくるのでも佇んでいるのでもなく、また歩いているようにも見えない不思議な影として朔太郎の姿は描かれている。ちなみにしらふのときでも、朔太郎の歩き方はとても奇妙で、ふわふわと身体が宙に浮くような早足で歩いたという。そのぎこちなさや非現実感は、まるであやつり人形のようであったらしい。

このくだりを目にしながら、私は、中沢新一『チベットのモーツァルト』のなかの「風の行者」を思い浮かべた。「風の行者」とは、神秘的な風(ルン)の力によって深い瞑想状態のまま石だらけの荒野をすっすっと駆け抜ける、チベット仏教の修行僧である。そのイメージが、不思議な歩き方をする朔太郎の姿とダブるのだ。少なくとも、歩いているときの朔太郎が、しばしば深い瞑想状態に陥ったことは間違いないような気がする。私見によれば、朔太郎の詩は本質的にリアリズムである。リアリズムであることにおいて、それがすっぽりと夢に浸潤されているのである。彼は、幻想的な詩を作ろうなどと意図して詩を作ったことなど、おそらく一度もないのではないかと私は思う。幻想的であることは、彼の宿命であり、本能なのである。その幻想の衣が襤褸(らんる)と成り果てたとき、彼は『氷島』という無残で痛切なスワン・ソングを歌うよりほかはなかった。そのことについては、のちに触れよう。

朔太郎が娘の葉子を喫茶店に誘ったエピソードも忘れがたい。朔太郎がちょっと笑いながら娘に「お前は喫茶店に行ったことがあるか」と尋ねたのである。むろん、葉子にはそんな経験はなかった。そして、新宿に繰り出してある喫茶店に入りすぐにそこを出た後、通りに面した「大衆酒場のような店」の前にさしかかったとき、朔太郎が振り返って「ちょっと寄ってもいいだろう?」と許しを請うように言った(朔太郎は、最初からそういう魂胆だったのだろう。母のお咎めを避けるために娘を誘い出したにちがいない)。扉を開けると女たちが朔太郎のところに近寄ってきて「しばらくね!先生」と声をかけた。

汚いテーブルにはお酒が運ばれ、和服を着た女の人達は、かわるがわる馴れたしなやかな手さばきで、父にぐいぐいお酒を注いだ。父はソフトをかぶったまま、お酒を受けて飲んだ。女の人達も飲んで、瞬くまに空になったお銚子は、テーブルの上に並んでしまった。(中略)父はそのとき顔を挙げると、急に思い出したように、たもとに手をつっこんで大きな口金付の皮のガマ口を出して勘定を払った。それからざらざらとテーブルの上に、残りのお金をみんな空けてしまうように落とした。五十銭銀貨や十銭銅貨が重なり合ってガマ口から落ちた。「みんなで分けてくれ」と父がいうと、まわりに集まった女の人達の「ありがとうございます」という声と一緒に、たちまち白い手がそこに集まり、お金は一瞬にして、テーブルの上から消えてしまった。

朔太郎の愛読者がここを目にするならば、『氷島』所収の「喫茶店 酔月」のなかの

我まさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂泊の悔(くい)を知らむ。
女達群がりて卓を囲み
我れの酔態を見て憫(あわれ)みしが
たちまち罵りて財布を奪い
残りなく銭を数えて盗み去れり


という一節をありありと思い浮かべるにちがいない。端的にいえば晩年の朔太郎は、『氷島』の世界を日々生きていたのである。朔太郎自身、その自序に「この詩集の正しい批判は、おそらく芸術品であるよりも、著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記であるのだろう」と書き記している。ここから、例の「氷島問題」が惹起することになった。つまり、日本語で書かれた口語自由詩における前人未到の領域を力強く切り開いた萩原朔太郎が、晩年に到って文語定型詩に「後退」したことを否定的に評価すべきかどうかの是非問題である。ここでその詳細に触れるつもりはないが、この問題は、『氷島』の、作品としての是非という芸術評価的な観点を超えて、日本における近代の本質に触れるものをはらんでいる、とだけは言っておきたい気がする。

と言っただけでは、「なにを思わせぶりな。『日本における近代の本質に触れるもの』とは何か、はっきり言ってみろ」とお叱りを受けても致し方がないとも思われるので、端的に申し上げておこう。「日本における近代の本質」とは、日本近代には中国問題をめぐってアメリカと衝突せざるをえないという文明論的な意味での不可避性が存したこと、である。日本近代は、その不可避性が次第に癌細胞のように肥大化する過程としてイメージすることが可能であると私は考える。言いかえれば、日本近代は二〇世紀の覇権国家としてのアメリカによって完膚無きまでに叩きのめされる宿命にあった。そういう悲痛極まりない帰結を、朔太郎は詩的本能としか名付けようのないものによって、自分自身の私生活の破綻に重ね合わせるようにして、『氷島』における無残なリリシズムとして鋭敏にも先取りしていたのではなかろうか、と私は考えるのである。言語表現の近代化の最前線に長らく独りでぽつんと位置していたからこそ、朔太郎は、いわば身体まるごとで、日本近代の宿命を感知することになってしまったのではないだろうか。ちなみに、『氷島』が刊行されたのは昭和九年、大東亜戦争が火ぶたを切る七年前である。本物の詩人の感性は、それくらいには鋭いのだ。

その「無残なリリシズム」は、『氷島』全編に鳴り響いているともいえるが、とりわけ、次の詩句にいちじるしい。

日は断崖の上に登り
憂いは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。
(中略)
ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

           (「漂白者の歌」より)

作中の「漂白者」は、帰るべき家郷をすでに失い、あてもなく彷徨う。そうしてどこへ行くのか。この詩の寒々とした敗残の響きは、彼には破滅よりほかに待ち受けるものがないことを暗示する。私は、作中の「漂泊者」が晩年の朔太郎の自画像であることにおいて、日本近代の帰するところを象徴し、その暗い行く末を詩の響きとその巌のような肌ざわりそれ自体で表現していると感じる。それは、朔太郎が意識していたのかどうかとは、まったく関わりのないことである(誤解を恐れて付け加えるのだが、私はここで、詩人という存在はかけがえのないものである、と言いたいのである)。

最後に、朔太郎の死の場面に触れておこう。

朔太郎が亡くなる前の晩に筆者は悪夢とも幻覚ともつかないものを見る。血の気がなくすでに死んでいる朔太郎が二階の書斎に横たわっている。筆者は危うくその場に倒れてしまいそうなほどに不吉なものを感じて驚き、確かに生きているはずの父を捜しに階下へ逃げるように降りてくる。するとこんどは居間にも同じ姿となった朔太郎が横たわっているのである。筆者は、それをふり払うようにして、急いで自分の部屋に入るとまた同じ姿の朔太郎が横たわっているのだ。筆者は夢のなかで、″これはたしかに夢なのだ″と念じて、必死に目覚めようとあせる。むし暑い夜半、首筋にべっとりと汗がにじみ、夜中の二時を打つ柱時計の音をどこかにぼんやり聞き、また眠りに落ちていく。すると、二階にさっきとまったく同じ姿の朔太郎が今度は二体も横たわっている。筆者が、重い足をひきずりながら急いで階下に下りてくると、そこにも死んだ朔太郎が二体横たわっている。筆者は必死に目覚めようともがき、ふと目が覚めると、暗い部屋の壁にも同じ姿の朔太郎が映っているのである。そうして、そんな状態が明け方まで続く。錯乱状態と隣合わせの精神状態にかろうじて踏みとどまりながら、間近に迫った父の死を全身全霊で受けとめようとする筆者のなまなましい姿が読み手を圧倒する。いよいよ臨終の場面である。

その夜は祖母(朔太郎の母――引用者注)と私と妹の三人が附添っていたが、十二時を過ぎたころまではいくらか呼吸も楽に落ち着いたように思われたが、急に荒いいきづかいになってきて大きく胸を不規則に波立たせ、顔は透きとおるように白く、手足のむくみは激しくなっていた。Y医に急いで電話をかけようとした時だった。ふいに瞳孔の定まらないおそろしいほど大きな目を一瞬見開いてあたりを見たかと思うと、次の瞬間には深く目を閉じ、同時に深い呼吸を一つつき、ふいにそれっきり呼吸が止まったのである。その時私と妹は同時に「お父さま!」と大きな声を挙げて呼んだ。しかし父はもう何も答えてはくれなかった。
 昭和十七年五月十一日、かぞえ年で五十七歳だった。


ここで本書は終わっている。上の引用でうまく伝わるかどうか心もとないのではあるが、私はここを目にして、しばし絶句状態に陥り、肉親の最期をこのように書き切った筆者の作家魂に感服するとともに、本書を読み終えたバスの中で不意にこみあげてくるものがあり、それをこらえるのに一苦労したものだった。

インターネットで検索してみてはじめて知ったのだが、映像作家の萩原朔美氏は、著者のご子息であるとの由。骨がらみの表現者の業(ごう)は深い。
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ブリテッシュ・フォークの名曲(その4)Steelye Span 「The Blacksmith」二つのヴァージョン

2014年08月17日 01時41分33秒 | 音楽


みなさまからソッポを向かれるのではないかと危惧しつつ、おそるおそる始めてみた当シリーズだったのですが、おかげさまで、思ってもみなかったほどの閲覧数をいただいているようで、心から嬉しく思っております。世間から忘れ去られていくよりほかにない運命にある佳曲を、ひとつひとつ丁寧にみなさまに紹介できるブログの有り難みをしみじみと感じます。

今回ご紹介するのは、スティーライ・スパンの代表曲「The Blacksmith」の二つのヴァージョンです。

一つ目は、彼らのデヴューアルバム『Hark! The Village Wait』(1970)収録の初出ヴァージョンです。できうるならば、「前口上の歌」とともに聴いていただきたいと思います。というのは、それがあるのとないのとでは、同曲の輝き具合が変わってくるからです。

同曲を聴いていただく前に、スティーライ・スパンのデヴュー・アルバムができるまでの経緯について、説明しておこうと思います。というのは、その経緯が、私というひとりのブリティッシュ・フォーク・ファンの好事家的な興味を超えた、貴重な歴史的事実を提示したものになっていると思うからです。無理強いするわけではありませんから、そういうことに興味のない方は、すっ飛ばしていただいて結構です。

フェアポート・コンベンションのベーシストとして『Liege & Lief』(1969)という記念碑的なアルバムを作ったばかりのアシュレー・ハッチングスは、キール・フォーク・フェスティバルの会場で、「トラディショナル音楽における電気楽器使用の可能性」というテーマの討論会を催しました。そこに、ボブ&キャロル・ペグ(その後トラッド・バンド、Mr. FOXを結成)等とともにティム・ハート&マディ・プライアが参加しました。いまから考えれば、どうしてそんなことが議論のテーマになるのか不思議な気がするのですが、その数年前にアメリカのボブ・ディランが生ギターをエレキ・ギターに持ちかえたところ、聴衆から猛反発を喰らった事実を考えれば、ちょっと分かる気がします。ブリティッシュ・フォークの電気音楽化の最前線に位置するアシュレ-は、そういう反発を回避するために彼なりに周到に振舞おうとしたのでしょうね。フォーク・ソングは、それをシリアスに支持する人々にとって、アンチ・コマーシャリズムの牙城のような存在だったので、それに電気楽器を導入するのは、コマーシャリズムの安易な受け入れ・堕落と受け取られかねないリスクが常に存在したのです。

それはともかくとして、その討論会をきっかけに、アシュレーは、ティム・ハート&マディ・プライアとバンドを組むことになりました。さらに、アシュレーと交流のあった、アイルランドのスィニーズ・メンのメンバーのテリー&ゲイ・ウッズが加わり、それにゲストとしてフェアポート・コンベンションのドラマーのデイヴ・マタックスとフォザリンゲイのドラマーのゲリー・コンウェイの二人も加わって、スティーライ・スパンとしてのデヴュー・アルバム『Hark! The Village Wait』が誕生します。

ちなみに、スイニーズ・メンのほかのメンバーだったジョニー・モイニハンとアンディ・アーヴィングは、ソロ活動の後にプランク・シティやディ・ダナンを結成し、アイリッシュ・トラッドの中心的な存在になります。

では、お聴きください。「前口上の歌」は0:00~1:13、「The Blacksmith」はそれに続いて4:53までです。

Steeleye Span_ Hark! the village wait 1970 (full album)



A CALLING-ON SONG

Good people pray heed our petition
(善男善女のみなさま、われらが願いをお気にとめてくださいませ)
Your attention we beg and we crave
(お気にとめてくださることを伏してお願い奉ります)
And if you are inclined for to listen
(そうして、もしも耳を傾けてくださるならば)
An abundance of pastime we'll have.
(みなさまの気晴らしになることをたくさん提供いたします)
We are come to relate many stories
(われらが語るは、たくさんの物語)
Concerning our forefathers' times
(われらが父祖の時代の出来事)
And we trust they will drive out your worries
(みなさまの憂さを晴らすこと、間違いなし)
Of this we are all in one mind
(一同の者皆心をひとつにして)
Many tales of the poor and the gentry
(貧しき者の、貴族の方々の、)
Of labor and love will arise
(労苦の、愛の、もろもろのお話しを提供いたします)
There are no finer songs in this country
(こんな見事なお話しは、ほかのどこでも聞かれますまい)
In Scotland and Ireland likewise
(スコットランドでも、アイルランドでも)
There's one thing more needing mention
(もう一言だけ、申し上げることをお許しくださいませ)
The dances we've done's all in fun
(踊りの曲を入れたのは、ほんの戯れごと)
So now that you've heard our intention
(さあさあ、こんなところでございます)
We'll play on to the beat of the drum
(太鼓の拍子に合わせて、始めることにいたします)

THE BLACK SMITH
A blacksmith courted me nine months and better
(鍛冶屋は、私を口説きました、九ヶ月以上も)
He fairly won my heart. He wrote me a letter
(彼はもののみごとに私の心を射止めました。そして彼から手紙を受け取りました)
With his hammer in his hand he looked so clever
(手にハンマーを持っていると、彼はとても賢そうに見えました)
*ハンマーは、男性器の隠喩。『古事記』の天の石屋戸の場面に登場する鍛冶屋のアマツマラを連想します。
And if I were with my love,I would live forever.
(もしも愛するあの人と一緒なら、私は永遠に生きることでしょう)

Oh,where has my love gone with his cheeks like roses?
(ああ、薔薇のような頬をした私の恋人は、どこに行ってしまったのかしら)
He's gone across the sea gathering primroses
(彼はサクラソウを集めに、海を越えていきました)
I'm afraid the shining sun might burn and scorch his beauty
(輝く太陽が、彼の美しい体を焼き焦がしてしまうのかしら)
And if I were with my love,I would do my duty.
(もしも恋人と一緒だったら、私は妻の本分をまっとうすることでしょう)


   サクラソウ

Strange news is a-come to town.
(おかしな知らせが町に来ました)
Strange news is a-carried
(おかしな知らせが風の便りに運ばれてきました)
Strange news flies up and down that my love is married
(おかしな知らせが噂されるのです、恋人が結婚したという知らせが)
Oh,I wish them that much joy though they don't hear me
聞いてはくれないでしょうが、ふたりにおめでとうといいたいの)
And if I were with my love,I would do my duty.

Oh,what did you promise me when you lay beside me?
(ああ、そばに寝そべっていたとき、あなたは私に何を約束しましたか)
You said you'd marry me and not deny me
(あなたは言いましたね、「結婚しよう。お前を拒みはしない」と)
If I said I'd marry you it was only to try you
(「もしも俺が結婚すると言ったとしても、お前を試しただけのこと。」)
So bring your witness love,and I'll not deny you.
(「証人を連れてこいよ。そうしたら、お前を拒んだりしないから」)


Ah,witness have I none
(ああ、証人なんていやしない)
Save God almighty
(全能なる神よ、我を救いたまえ)
And may he reward you well for the slighting of me
(私を軽んじたがゆえに、神よ、彼を罰してくださいませ)
Her lips grew pale and white.
(そういう言葉を発した彼女の唇は真っ青になり)
It's made her poor heart tremble
(彼女の哀れな心はわなないた)
For to think she loved one and he proved deceitful.
(愛した男が、自分を欺いたことを考えたがゆえに)

A black smith courted me nine months and better
He fairly won my heart. He wrote me a letter
With his hammer in his hand he looked so clever
And if I were with my love,I would live forever.

二つ目は、彼らのセカンドアルバム『Please to see the King』に収録されているヴァージョンです。ファーストアルバムを出した後、ウッズ夫妻が抜けたのと入れ替えに、ギターのマーチン・カーシーとフィドラーのピーター・ナイトがグループに参加しました。むろん、ゲストのドラマー二人も抜けました。その結果、発信される音に大きな変化が生じました。その変化は、あわあわとした牧歌的な印象の同曲が、なんとも重々しくて壮麗な曲に生まれ変わったことによって、端的に示されています。私の耳に、ファーストアルバムの同曲が、愛らしい佳曲として響くのに対して、セカンドアルバムの同曲は、味わい深い絶品として響きます。みなさまのお耳には、いかように響きますことやら。冒頭から4:45までです。

Steeleye Span_ Please to see the king 1971 (full album)
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高橋洋一VS三橋貴明ヴァージョン2――コメンテーター「空き地」さんに応える (小浜逸郎)

2014年08月13日 17時15分43秒 | 小浜逸郎
*ブログ管理人より:以下は、小浜逸郎氏ブログ「ことばの闘い」に投稿された論考を転載したものです。当論考へのコメントは、すべて小浜氏にお伝えしますので、氏のブログへ直接コメントした場合と同等の扱いとなります。当論考へは、たくさんのコメントが寄せられているようです。鋭いセンサーの持ち主たちの興味・関心に的中したからでしょう。

高橋洋一VS三橋貴明ヴァージョン2――コメンテーター「空き地」さんに応える




 立秋を過ぎて、やや暑さがおさまってきたようですね。けっこうなことです。

 ところで、当ブログの7月27日付記事「高橋洋一VS三橋貴明」
(http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/94ad439f6c7708f9b4d88c10bb6b3bdd)
に対して、「空き地」さんという方から以下のような批判的コメントをいただきました。対立点は明白で、しかもかなり重要な問題に触れています。「空き地」さん、ありがとうございます。
 直接コメントをお返ししてもいいのですが、どちらの言い分がより妥当か、なるべく多くの方に判定してもらうほうが言論の発展に貢献するだろうと考え、私からのお応えを新たにブログ記事として掲載することにしました。なお、少々他のことにかまけていたためにお返事が遅くなりましたことをお詫びいたします。
 では以下に、「空き地」さんのコメントを全文コピペします。


Unknown (空き地)2014-08-03 09:56:17

私と真逆の見解だったので楽しく拝見させていただきました。

全般的に三橋貴明氏の主張を鵜呑みにしすぎではないかと思いますね。氏は「物価と価格」の区別も付いていないような御仁ですので、そういう人の語る「経済学もどき」の言説が「弱者保護や国民の利益」に適うとは到底思えません。

主さんは大学教員であられるそうですが、そのような一定の社会的影響力を持つ方であれば、「リフレ派が何を主張しているのか」と言った基本的なことは事実を正確に把握された方が宜しいかと思います。少なくともリフレ派は金融政策万能論者でもリバタリアン的な市場原理主義者でもありません。「傲っている、毒されている」などといった情緒的な表現で批判する前に事実関係をご自身の目や耳で確かめられるべきだと考えます。

世の中「善意の強い方が正しい」ということはありません。口先で「弱者に優しい」だのとほざいても、理に適っていない善意はむしろ弱者を弱者のままに押し留めることになりかねません。あなたが「机上の空論」と切って捨てる経済理論の方が実際には「社会全体の幸福」を増進させるということは歴史上明らかなのです。

長々と失礼いたしました。

私の見解はコチラ↓にまとめてありますので、もし興味がおありでしたらお読みいただければと思います。

http://ameblo.jp/akichi-3kan4on/entry-11896627528.html


 それでは上に掲げられているURL掲載の「空き地」さんの見解も参考にさせていただいたうえで、反論いたします。
 
 まず単なる修辞上の問題に過ぎないといえばいえるのですが、私が「傲っている(正しくは『傲慢な』)、毒されている」といった表現を使ったことに対して、「空き地」さんは、事実関係を確かめない「情緒的な表現」と批判されています。しかしそれを言うなら、「空き地」さんご自身も、三橋氏の言説をその中身もじゅうぶん確かめないままに「経済学もどき」と決めつけているようですし、「口先で『弱者に優しい』だのとほざいても」などとずいぶん情緒的な表現を使っているのではありませんか。反論相手に対してきちんと論拠を示しつつ「情緒的表現」を使うことを私はけっして否定しません。はばかりながらそういうことをこれまでもさんざんやってきました。
 ちなみに私はくだんの記事で、高橋氏のどこが「傲慢」であるか、また安倍総理が市場原理主義者(新自由主義者)にいかに「毒されている」か、その論拠をきちんと示しています。安倍政権の経済政策の誤りについて、この記事だけでは説明不足だと思う向きは、当ブログ、以下のURLへどうぞ。

http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/3249423496d0112f3d568fc9b6fda158
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/55b73e611e35e242be65e08d68f02b94
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/53ad286cccfdf5c42140b2da39762e32

 なお、リフレ派「一般」が、金融政策万能主義者でもリバタリアン的な市場原理主義者でもないことは、経済学の素人である私も知っておりました。クルーグマンやスティグリッツはリフレ派ですが、彼らは同時にケインズ的な財政出動の意味を大きく認めていますね。
 その点で、リフレ派「一般」が金融政策しか頭にない「机上の」理論家であるかのような表現を私が取ったことは、たしかに誤解を招きやすい点がありました。そのことを率直に認めたいと思います。そのうえで、改めて私の趣旨を述べます。
 私のこの記事での眼目は、二つあります。
 一つは、アベノミクス第一の矢の推進に大きな功績のあった「日本のリフレ派経済学者の多く」が、積極的な財政出動に対して概して冷淡であり、金融と財政のパッケージとしての意義を深く自覚せず、場合によっては、公共事業派と不毛な論争を続けていることです(例:原田泰氏)。
 もう一つは、この記事はそもそも、高橋洋一氏というひとりのリフレ派「代表」格の一発言を問題としたものであり、その発言が、ある現実的な課題(この場合はタクシー規制緩和の見直し)を突き付けられると、いかにただの市場原理主義の間違った法則をオウムのように反復することしかできないかということを示そうとしたものです。
 その法則とは、規制緩和を徹底させて自由な競争市場に任せ、モノやサービスを提供しさえすれば、需要はいつもそのまま自動的についてきて、需給バランスがとれ、消費者に安価なサービスを提供できるような幸せな社会になるという「机上の」理論です。
 この法則が間違っている点は、二つあります。
 一つは、デフレ期にはこの法則が通用しないという現実があること。まさに消費が冷え込んでいかに供給だけを増やしても需要がついてこない状態がデフレなのですから。状況によって政策を変えなくてはいけないのに、それを「理論」という名の硬直したイデオロギーが阻んでいる事態こそが問題なのです。
 もう一つは、デフレ下では、物価が下がって一見消費者にとってありがたいように見えても、その現象が同時に、生産現場での投資の停滞、企業の倒産、雇用の悪化、賃金の低下、失業の増大などを生み出している事実に目を配ろうとしないこと。少し考えればわかるように、タクシー運転手は、タクシーを運転しているときにはサービスの提供者ですが、その同じ人が、給料をもらって生活するときには、少なくて不安定な生活費で家族を養わなくてはならない消費者でもありますね。
 安いものが買えてよいというのは、収入が安定していてある程度余裕のある人(例えば年金だけで生活できる人)の満足感をあらわしているだけです。デフレ現象は、マクロ経済全体の不活性状態ですから、結局、投資と消費(と輸出)によって構成されるGDPを押し下げ、平均的な国民全体の生活を貧しくするのです。現にここ二十年の日本ではそうなってきたし、安倍政権の経済政策によっても、この事態は少しも解決していません(実質賃金の低下、消費の冷え込み、など)。
 高橋氏は、「タクシー運転手の給料が低いのは当たり前だ」とか「規制緩和して料金が下がれば、それで食べていけない人は自然と他業種に移る」などと言い放つことによって、自身がマクロ経済の全体の力学にまったく関心がないことを自己暴露しているのです。これで公共精神があるなどと言えますか?
 つまりはそれが「新自由主義」の「理論」という名のイデオロギーなのであって、高橋氏はリフレ派経済学者を気取りながら、このイデオロギーに完全に拘束されています。要するに彼は正しい意味でのリフレ派ではないのですね。日本のリフレ派経済学者と呼ばれる人には、なぜかこの種の人が多いことを改めて問題視しておきます。

 ところで、「空き地」さんは、三橋氏を「『物価と価格』の区別も付いていないような御仁」と決めつけていますが、察するにこれは、タクシー料金という「価格」の一事例を材料にしてその格安性を問題にすることと、デフレ現象の指標である「物価」の下落を問題にすることとの混同であるという趣旨と受け取れます。それ以外に、三橋氏がこの「区別をつけていない」ような議論をしている他の例を寡聞にして知りませんので。
 でもね、「空き地」さん。私たちが問題にしている新聞記事は、もともと、個別具体事例を通して、二人の経済論客がどういう見識を示すかという枠組みによって編まれたものです。言うなれば、「タクシー料金」というのは、この場合、現在の国民経済の状態をどう見るかという問題に関する象徴的な材料の意味をもっています。
 その意味で、生鮮食料品や原油など、毎日変動する品目ではなく、ある程度恒常性をもったタクシー料金という個別一事例について語ることは、「物価」一般について語ること(たとえばCPIを問題にすること)とそんなに大きな隔たりはないと思いますよ。現に高橋氏だって、これを材料として、「規制緩和」一般の正当性を強く主張しているではありませんか。
「空き地」さんが、三橋氏を「物価と価格の区別も付いていないような経済学もどきの言説を語る御仁」と決めつけるからには、そういう証拠を彼の発言のなかから集めてきて示してほしいものです。ご自身のブログの文章も読ませていただきましたが、そこにも他の証拠らしいものは見当たりませんでした。また、三橋氏が果たして「口先で『弱者に優しい』だのとほざいて」いるだけの人かどうか、これも論証の必要がありそうですね。「情緒的な表現で批判する前に事実関係をご自身の目や耳で確かめられるべきだと考えます。」

 さらに「空き地」さんは、「あなたが『机上の空論』と切って捨てる経済理論の方が実際には『社会全体の幸福』を増進させるということは歴史上明らかなのです。」と、すごい(スケールがバカでかいという意味です)認識を示しておられます。
 私が「机上の空論」としているのは、新古典派に発し、いまもなおグローバリズムの牽引役を果たしている競争原理主義、新自由主義であって、どんな状況下でも政府の介入を排して個人・民間の「自由な」競争にゆだねるのが「社会全体の幸福」につながるとするような理論傾向のことです(アダム・スミスをその元祖とするのは誤解です)。この理論傾向は、歴史の教えるところによれば、世界恐慌を食い止めることができず、結果的にケインズらの提唱による管理通貨制度への移行に頼らざるを得なかったのではありませんか。
 やがて経済学界では、反ケインズ派(シカゴ学派など)が勢力を盛り返し、現在も経済政策の決定に当たってその隠然たる力を示しています。アメリカでは、共和党の「小さな政府」論がその代表です。EUの経済理念もこの立場に立っていますね。日本の代表者は、言うまでもなく構造改革・規制緩和を押し進める竹中平蔵氏一派です。
 さてこの傾向がアメリカ社会やEU社会や日本社会全体の幸福を増進させたことが本当に「歴史上明らか」ですか。これこそ、いくつもの事例の提示と壮大な証明が必要なのではありませんか。
 ちなみに私の貧しい認識によれば、この傾向は、アメリカ社会の貧困層を著しく増大させ、EUの国家間格差を思い切り広げて優勝劣敗を明確化させ(ドイツは国家単位としてはひとり勝ちしていますが、平均的な国民の生活は貧しくなっています)、さらに日本の経済社会のよき慣習を破壊しつつあります。これらの国々において、どのような意味で幸福な社会が実現しているのでしょうか。

 長くなるので引用しませんが、「空き地」さんがご自身のブログで展開しておられる「経済理論」なるものは、まったく素朴なレベルの需要と供給の「均衡理論」以外の何ものでもありません。民間の自由競争に任せれば自然に市場メカニズムが作用して均衡点に落ち着くというだけのものです。この理論では、繰り返しますが、供給さえ整っていれば、需要はそれに応じて自然についてくる(セーの法則)という非現実的な仮定が前提とされており、また、価格が均衡点に達するのが「本来の」姿であり、その場合には完全雇用が実現し、非自発的な失業はあり得ないとされています。
 残念ながらこの古典的な理論だけでは、実際に起きている不況や失業の問題が解決できなかったので、ケインズ理論が見直されつつあるわけです。その日本における代表者の一人が三橋氏であると私は考えています。
 ケインズ理論は、もともと数学のように「絶対的・普遍的正しさ」が要求されるような場で新古典派経済学との間に理論的な決着をつけるような性格のものではありません(そういうことを経済学に要求するのがそもそも間違っているのです)。しかし、資本主義を肯定しつつ、不況や失業や広範囲の貧困をいかにして食い止めるかという公共精神の抱き方、倫理的態度において、新古典派経済学よりもはるかに優っているというのが、私なりの見立てです。
 なお、「空き地」さんのブログにおける三橋批判は、彼が言おうとしていることの誤解と歪曲に満ちており、いちいち論駁する煩に堪えません。まあ、いい年をして代理戦争を買って出るのも大人げないのでやめておきましょう。

 大きなお世話ですが、最後に一言だけ申し上げておきます。「空き地」さんは、どうも「正統派経済学」なるアカデミックな観念に金縛りになっているようですが、豊かな実地経験と驚くべき情報収集能力と自力で考え抜く知性をもった三橋氏のようなすぐれた「経済評論家」や、現代社会が抱えている思想課題に対する真剣な問題意識をもった私のような「素人」をバカにしてはいけませんよ。

 それではまた、お互いにもう少し勉強してから出会うことにいたしましょう。妄言多謝。


*この稿をアップしたのちに、前回の記事にある人から寄せられたコメントに接し、大いに参考になりました。そのコメントで紹介されている記事によれば、そもそもタクシー業界に規制緩和を適用することは、この業種の特殊性からして不適切であるというのです。なぜそう言えるのかがたいへん具体的に、冷静に分析されています。この記事の書き手は、どちらかといえば規制緩和の方向性自体には賛成のようで、それだけによけい説得力があると感じました。(紹介記事のURL http://www.capital-tribune.com/archives/2758
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