美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

NHK放映「トマ・ピケティ講義」第2回・「所得不平等の構図~なぜ格差は拡大するのか~」(美津島明)

2015年01月30日 08時21分51秒 | 経済
NHK放映「トマ・ピケティ講義」第2回・「所得不平等の構図~なぜ格差は拡大するのか~」(美津島明)

前回、当講座第1回をアップしたところ、ある方から「ぜひ続けてくれ。勉強になる」という励ましのお声をかけていただきました。ありがたいことです。そういうお声をいただくと、がぜんやる気が湧いてきます。

今回は、こむずかしい数式や公式やらは出てきません。安心してごらんください。ピケティが言いたいことをより深く受けとめることができそうなポイントをいくつか前もって述べておきましょう。頭の片隅に置いていただくと、お役に立てるのではないかと思われます。


*社会を所得別に3つのグループに分けるのはなぜか

ピケティは、社会を以下のとおり、3つのグループに分けています。
・上位10% 上位層
・中位40% 中間層
・下位50% 下位層

そうして、各国のそれぞれの階層について、労働所得・資本所得・総所得の分布を通時的および共時的に比較するのです。

では、なぜそういうグループの分け方をするのでしょうか。『21世紀の資本』の言葉に耳を傾けてみましょう。

私の分析はすべてが十分位数(上位10パーセント、中位40パーセント、下位50パーセントなど)といった統計概念に基づいている。これは社会がちがってもまったく同じように定義できるからだ。こうすることで、それぞれの社会固有の困難さや、社会格差の持つ根本的な連続性構造を否定することなく、時間的にも空間的にも厳密で客観的な比較ができる。私の基本的な目的は、時間的にも空間的にもかけ離れた社会、基本的にまったくちがう社会の格差構図を比べることだ。

「十分位数」とは聞きなれない言葉ですね。度数分布で与えられた全データを十等分した点のことのようです。10%が単位になるわけです。だから、「百分位数」は、1%が単位になります。「百分位数」「千分位数」は、上位10%の所得や富(資本・資産)を精密に分析する際、活用されることになります。

ところで、「時間的にも空間的にもかけ離れた社会、基本的にまったくちがう社会の格差構図を比べること」を基本的な目的とするピケティは、「ジニ係数」やOECDなどの格差公式報告書にしばしば引用される「P90/P10」を手厳しく次のように批判しています。まずは、ジニ係数(完全に平等になれば0、絶対的不平等であれば1となる。社会的不平等の程度を示す、統計上の数値)について。

ジニ係数のような総合指標は、格差について抽象的で生気のない視点は与えてくれるが、現在の階層での自分の位置を人々が掴みにくくなってしまう(自分の位置を知るのはいつも有益なことだ。特に分配の百分位(トップの1パーセント――引用者注)に属しているくせにそれを忘れがちな人々はぜひやってほしい。経済学者たちはしばしばそういう人々の典型になっている)。指標はしばしば、元データに例外や矛盾があること、あるいは国同士やちがう時期のデータが直接比較できないという事実(中略)をあいまいにする。

次にP90/P10について。

国や国際機関の公式発表は本来、所得と富の分配に関する公式データベースを提供するはずなのに、実際には故意に不平等を楽観視するような操作が加えられている。

ちなみに、P90/P10とは、対象世帯の所得を100分割したとき、低い方から90%番目(上から10%番目)の世帯の所得金額が、低い方から10%番目の世帯の所得金額の何倍になっているかを表した数値です。

この手厳しさに、私は、ピケティの格差問題に臨む気迫と危機感を感じます。

*資本格差と労働所得格差

資本格差と労働所得格差について、ピケティは、次のように結論づけています。

実際に所得格差を比較すると、最初に気づく規則性は、資本の格差が、労働所得の格差よりも常に大きいということだ。資本所有権(そして資本所得)の分配は、常に労働所得の分配より集中している。

また、この規則性はデータが入手可能なあらゆる国のあらゆる時代に例外なく見られ、しかもその現れ方は常に相当強烈であると述べています。さらに、極度の資本集中は、主に財産相続の重要性とその累積効果によって説明できるとも述べています。

ここでつい思い込みをしがちな点について、ピケティは、注意をうながしています。それは、「労働所得分布のトップ10パーセントや最下位50パーセントを構成するのは、富の分布のトップ10パーセントや最下位50パーセントと同じ人たちではない」ということです。すなわち、「一番稼ぐ『1パーセント』は、一番所有している『1パーセント』とはちがう」のです。例えば、伝統社会では、大富豪は働かなかったため、労働所得の階層では最底辺に属したので、所有と財産保有は負の相関を示しました。現代社会では、これが正の相関を示すことが多いのですが、完全にそうであるというわけではありません。

*「世襲型の中流階級」は、20世紀の大きなイノベーションである

今回の講義ではあまり触れられていない論点を、ひとつ紹介しておきます。それは、真の「世襲(あるいは資産を持った)中流階級」の台頭は、二〇世紀の先進国における分配において、画期的な構造変化だった、ということです。

今から一世紀ほどさかのぼった1900年から1910年までの10年間、ヨーロッパのすべての国で、資本の集中は今日よりもずっと極端でした。最も豊かなトップの10%が実質的に国富のすべてを所有していたのです。そのシェアは90パーセントにもなります。最も豊かなトップ1パーセントだけでも全国富の50パーセント以上を所有していました。イギリスのようなとりわけ不平等な国では、それは60%を超えていました。

それに対して、中間の40パーセントが所有していたのは国富の5パーセントを上回る程度で、現在と同様に当時も5パーセント以下しか所有していなかった最も貧しい50パーセントをどうにか上回る程度でした。このことから、当時は中流階級が存在しなかったと結論づけることができます。

この富の極端な集中は、実は19世紀を通じて見られました。富の90パーセントをトップ10パーセントが所有し、50パーセント以上をトップ1パーセントが所有するという《規模感》は、アンシャン・レジーム期のフランスや18世紀イギリスの伝統的農村社会の特徴だったのです。

それゆえ20世紀における世襲型中流階級の出現は、脆弱なものかもしれませんが、重要な歴史的イノベーションといえるのです。むろん、そのことを過大評価してはなりません。基本的に、中流階級が手に入れたものはごくわずかだからです。このグループは、トップ10%の四倍の人々を抱えながら、富はその三分の1から二分の1しか所有していないのです。つまり、富の格差は歴史的に見て、多くの人々が考えているほど縮小していないのです。しかしそれでも、中流階級が獲得したわずかな富は重要であるし、その変化の歴史的重油性を過小評価してはいけないのです。一例を挙げれば(我田引水になりますが)、子どもを公教育とは別に学習塾に通わせるだけの余裕のある国民が一定数いる社会とそれが衰微する社会とでは、社会経済的な景観が著しく異なるということでしょう。

*戦間期のフランスにおける上位10%の混沌

講義のなかでピケティは、第一次世界大戦から第二次世界大戦までのフランスにおけるトップ1%とトップ10%の総所得格差(労働所得格差と資本所得格差の総合)に触れていますが、そこがちょっと分かりにくいのではないかと思われるので、補足しておきます。

以下いささか話が細かくなりますが、ピケティによれば、フランスにおける格差の歴史的展開は、他の大陸ヨーロッパで見られるそれの典型であり、日本のそれともだいたい共通しているとの由なので、ご理解ください(ちなみに、イギリスの事例は、大陸ヨーロッパと米国の事例の中間にあたる面が多いそうです)。

戦間期のフランスに触れる前に、20世紀フランスの格差の歴史を概観しておきましょう。
① フランスではベル・エポック期(19世紀末から第一次世界大戦勃発まで)以降格差が大幅に減少した。トップ10%が国民所得に占めるシェアは、第一次世界大戦の直前の45~50パーセントから現在は30~35パーセントに減少している。
② 20世紀を通じた所得格差大幅な縮小は、ほぼ最上位の資本所得の減少だけによる。
③ 格差の歴史は長い安定した歴史ではなかった。そこには紆余曲折があり、「自然」な均衡状態へと向かう抑えがたい規則的な傾向などなかった。端的にいえば、20世紀に格差を大幅に縮小させたのは、戦争の混沌とそれにともなう経済的、政治的ショックだった

以上です。

では、本題の戦間期のフランスについて触れることにしましょう。

1914年から45年までの間、トップ1%の総所得のシェアはほぼ一貫して減少し続け、1914年には20パーセントだったのが、1945年にはたった7パーセントにまでじわじわ下がりました。この着実な減少は、資本(と資本所得)がこの期間にほぼ途切れることなく受け続けた一連のショックを反映したものです。

それとは対照的に、トップ10%のシェアは、これほど一貫した下がり方ではありません。特に、1929年から1932年の世界恐慌の時期、トップ1%のシェアは減少する一方だったのに対して、トップ10%のシェアは、1929年の大恐慌後に急増し、それが少なくとも1935年まで続いたのです。

それはなぜなのでしょうか。

その疑問に答えるには、トップ10パーセントのうち、頂上の「1パーセント」と残りの「9パーセント」がまったく違う所得の流れを糧に生きていたことを理解する必要があります。

「1パーセント」の所得のほとんどは、資本所得でした。なかでも、株・債券の配当と利子による所得が大きい。これが、大恐慌によって得られなくなったので、彼らのシェアが急減したのです。

それに対して、「9パーセント」にはいわゆる管理職が多く含まれていました。彼らは彼らの下で働く被雇用者に比べれば、失業に苦しむことはずっと少なかった。そのなかでも、中級公務員と教師は特に順調でした。彼らは、大恐慌の直前の、1927年から31年における公務員賃金引き上げの受益者になったばかりなのでした。そんな彼らにとっては、大恐慌がもたらした厳しいデフレが実質的賃上げとなり、彼らは大恐慌中ですら増大した購買力を謳歌したのです。

それで、国民所得に占める「9パーセント」のシェアは、1929年から35年のフランスで大きく増加し、それが「1パーセント」のシェア減少より大きかったため、トップ10パーセントのシェアが5パーセント以上高まったのです。

*1980年以降のアメリカの格差の爆発的拡大

講義のなかでも、1980年以降の、アメリカにおける格差の拡大の異常さが指摘されています。これは、格差問題のひとつの大きなポイントになるので、本書から該当箇所をいくつか引いておきましょう。

目を引く事実は、20世紀初めから現在にかけての米国は、当初はフランス(そしてヨーロッパ全体)より平等だったのに、やがて著しく格差が拡大したということだ。

1980年以降、米国の所得格差は急上昇した。トップ百分位(超富裕層1パーセント――引用者注)のシェアは1970年代の国民所得の30~35パセントから、2000年代には45~50パーセントにまで増えた。これは国民所得の15ポイント増加にあたる。

私の考えでは、米国における格差拡大が金融不安の一因になったのはほぼまちがいない。理由は簡単。米国での格差拡大がもたらした結果のひとつとして、下層、中流階級の実質購買力は低迷し、おかげでどうしても質素な世帯が借金をする場合が増えたからだ。特に規制緩和され、金持ちたちがシステムに注入した預金で高収益をあげようとする恥知らずな銀行や金融仲介者が、ますます甘い条件で融資するのだからなおさらだ。

米国の国民所得の相当部分――約15ポイント――が、1980年以降最も貧しい90パーセントから最も裕福な10パーセントに移行した。

この社会集団間の内部移転額(国民所得の約15ポイントに相当)が、2000年代の米国のすさまじい貿易赤字額(国民所得の約4ポイント)のほぼ4倍に近いことにも着目してほしい。(中略)だからある種の問題の解決方法は、中国など他の国に求めるより米国国内で探した方がよさそうだということになる。

格差拡大は主に賃金格差が前代未聞の拡大をとげた結果であり、特に賃金階層の頂点、中でも大企業の重役たちがすさまじく高額の報酬を受け取るようになったせいが大きい。

キャピタル・ゲインを除けば、所得階層の上位0.01パーセントでも給与が(アメリカでは――引用者補)主な所得源となる。明確にしておくべき点として最後の、そしておそらく最も重要なものは、非常に高い所得と非常に高い給与の増加が何よりも「スーパー経営者」の出現によるものだということだ。スーパー経営者とは大企業重役で、自分の仕事の対価として非常に高額の、歴史的に見ても前例のない報酬を得る人々だ。

以上を踏まえていただくと、講義の内容がより鮮明になるものと思われます。


<英語版><トマ・ピケティ講義>第2回「所得不平等の構図」~なぜ格差は拡大するのか~


(第3回に続く)
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NHK放映「トマ・ピケティ講義」第1回《21世紀の資本論~格差はこうして生まれる~》(美津島明)

2015年01月27日 21時30分55秒 | 経済
NHK放映「トマ・ピケティ講義」第1回《21世紀の資本論~格差はこうして生まれる~》(美津島明)

いま読書人の間で話題沸騰のトマ・ピケティ『21世紀の資本』。経済学の専門書としては、異例のベスト・セラー本となり、アメリカでは五十万部売れたとの由。先進国のなかで、格差の拡大が最も進んでいるアメリカならではの現象である、とも言えますが、格差の拡大は一九八〇年代以降の世界同時多発現象でもあるので、アメリカのみならず世界の読書子が、多かれ少なかれ本書に注目しているものと思われます。先日の経済関係の勉強会でも、参加者の間から「ピケティ」の名が発せられたのは一度や二度ではありませんでした。世界二〇カ国で訳されているそうですからね。無理もありません。日本でも、大手の書店に行くと、必ずといっていいほど大量に平積みされているのを見かけます。

では、本書には、どういうことが書かれているのか。著者の言葉に耳を傾けてみましょう。

富の分配は、今日最も広く議論されて意見の分かれる問題のひとつだ。でもそれが長期にわたり、どう推移してきたかについて、本当にわかっているのは何だろう?19世紀にマルクスが信じていたように、私的な資本蓄積の力学により、富はますます少数者の手に集中してしまうのが必然なのだろうか?それともサイモン・クズネッツが20世紀に考えたように、成長と競争、技術進歩という均衡力のおかげで、発展の後期段階では階級間の格差が縮まり、もっと調和が高まるのだろうか?18世紀以来、富と所得がどう推移してきたかについて、本当にわかっていることは何だろうか、そうしてその知識からどんな教訓を引き出せるだろうか?本書で答えようとするのはこうした問題だ。

《アベノミクスで株価が上がっても、暮らし向きが良くなったとはまったく実感できない。むしろ3%の消費増税のせいで、物価高を身にしみて感じ、これから暮らしはどうなるのやらと不安になっている》という一般国民の素朴な思いを気にかけている方は、この書き出しにとても魅力を感じるのではないでしょうか。

しかし、です。600ページ以上もあるのですね、分量が。これじゃ、気安く読み始めるわけにはいきません。それに税抜きで5500円もしますし。さらには、なんと言っても専門書ですから、中途挫折のリスクも少なくありません。

そこで、《ピケティに関心はあるが、『21世紀の資本』を買って読むのはちょっとためらいがある。だから、もっと気安くしかも分かりやすい形でその内容に接する手はないのか。しかし、うさんくさい解説者のもっともらしい話はできたら聞きたくない》というニーズにお応えするために、NHKで放映された「トマ・ピケティ講義」を順次アップしますね。ご本人の講義を直に聴けるわけです。

話を聴いていれば、ピケティの言いたいことはおおむね伝わってくるようになってはいますが、さすがにいくつか登場する数式はいささかの注釈が必要であると思います(本人は「簡単だ」と言ってはいますけれど)。

まずは、番組をアップしますので関心がおありの方は気楽にご覧ください。数式についての若干のコメントはその後に列挙しておきます。むろん私の独創などまったくなくて、すべて本書から引いています。わずらわしければ、無視していただいてけっこうです。

<トマ・ピケティ講義>第1回「21世紀の資本論」~格差はこうして生まれる~


《資本収益比率(β)=総資産/毎年の総所得》について

まず、分子の《資本》(=《資産》)の定義から。ピケティによれば、《資本》とは、労働力・技能・訓練・能力などの「人的資本」を除く、すべての資産として、「所有できて何らかの市場で取引できるものの総和」です。いいかえれば、企業や個人や政府が使う、各種の不動産・金融資産・専門資産(工場、インフラ、機械、特許など)を指します。だから、「『資本』と『富』もしくは『財産』という言葉は入れ替え可能で、完全に同義なものとして扱」います。さらには、《国富》=《国民資本》は、「ある国でその時に政府や住民が所有しているものすべての総市場価値」となります。

次に、分母の《毎年の総所得》=《国民所得》=資本所得+労働所得となります。別な言い方をすれば、《国民所得》=GDPの約90%+外国からの純収入、です。GDPの約10%とは、減価償却費です。

それらをふまえたうえで、《資本収益比率(β)》の意味合いを、具体的数値例を挙げて説明しましょう。いま、β=6とすると、それは、ある国の総資本ストックが国民所得の約6年分に相当するということを意味しています。そうして、今日の先進国では、資本収益比率(β)はだいたい5から6くらいです。ちがった言い方をすると、富裕国の市民はそれぞれ2010年に3万ユーロ稼ぎ(国民所得)、3万×6=18万ユーロの資本を保有しているが、そのうちの半分の9万ユーロを住宅で、残りの9万は、株式・債券・貯蓄などで保有しているのです。むろんこれはすべてでこぼこをならしたうえでのお話しです。

《資本主義の第一基本法則 α=r×β》

αは、国民所得における資本所得の割合です。rは、資本収益率です。またβは、先ほど登場した資本/所得比率です。これは、資本ストックを、資本所得というフローと結びつける式です。

数値例を挙げます。たとえば、β=600%、r=5%なら、α=600×0.05=30%となります。つまり、国富が国民所得6年分あり、資本収益率が年5%なら、国民所得における資本のシェアは30%になる、ということをこの式は意味しています。

2010年頃の富裕国は、資本所得(利潤・金利・配当・賃料など)は国民所得のおおむね30%(α)で、資本/所得比率(β)が600%だったので、資本収益率(r)は、上記の関係式よりおのずと5%くらいとなります。そういうことがいえるわけです。

ところで資本収益率(r)は、多くの経済理論で中心的な概念となっています。これは、一年にわたる資本からの収益を、その法的な形態(利潤・賃料・配当・利子・ロイヤリティ・キャピタルゲインなど)にかかわらず、その投資された資本の価値に対する比率として表すものです。それゆえこれは、利潤率やさらには利子率よりも広い概念といえます。

いろいろと疑問が湧いてくるでしょうが、さしあたり、αとrとβという3つの変数が完全には独立していない、とおさえておけば問題はなさそうです。

《資本主義の第二基本法則 β=s/g》

βはたびたび登場した資本/所得比率、sは貯蓄率(貯蓄/国民所得)、gは国民所得の成長率です。この式は、右辺の分子Sすなわち貯蓄率が高いほど、また、分母gすなわち成長率が低いほど、左辺のβすなわち資本/所得比率が高くなることを意味しています。

数値例を挙げましょう。いまs=12%、g=2%なら、第二法則よりβ=12/2=600%となります。これは、たくさん蓄えて、ゆっくり成長する国は、長期的には(所得にくらべて)莫大な資本ストックを蓄積し、それが社会構造と富の分配に大きな影響をあたえることを意味しています。いいかえれば、ほとんど成長しない停滞した社会では、過去に蓄積された富が、異様なほどの重要性を持つようになるのは確実である、ということです。だから、(いささか先走りますけれど)これから順次講義で説かれるように、21世紀の資本/所得比率が18、19世紀の水準にならぶほどに構造的に高い水準になってしまうのは、低成長時代に復帰したせいだということができます。

《不平等をもたらす根本的な要因 r>g》

本編にあるとおり、この式は、経済的不平等を規定する要因は、資本の収益率(r)と経済成長率(g)の差である、という意味を表しています。だから、この式をめぐって当講義が展開されることになるものと思われるので、ここで私がしゃしゃり出ていろいろと申し上げることは控えます。さしあたり、次の文言を引用しておくにとどめましょう。

体系的に資本収益率が成長率よりも高くなる大きな理由はあるのか?はっきり言っておくが、私はこれを論理的必然ではなく、歴史的事実と考えている。たしかに長いことrがgよりも大きかったというのは、論争の余地のない歴史的事実だ。多くの人は最初にこの主張に直面した時、そんなはずはないと言って、驚きと戸惑いを露わにする。

(第2回へ続く)
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パリ銃撃事件の背景をよく考えてみよう (小浜逸郎)

2015年01月16日 11時51分24秒 | 小浜逸郎
編集者より;以下は、小浜逸郎氏のブログ「言葉の闘い」からの転載です。フランス・パリの連続多発テロ事件についての論考です

パリ銃撃事件の背景をよく考えてみよう



 以下の記述は、当ブログに掲載済みの「EU崩壊の足音聞こゆ」、およびポータルサイト「ASREAD」に掲載された拙稿「なぜ中東で戦争が起こるのか」と合わせて読んでいただければ幸いです。

EU崩壊:http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/3249423496d0112f3d568fc9b6fda158
なぜ中東で:http://asread.info/archives/1205

まずは、いきなりずっこけたことを言います。

ここ数日、パリ銃撃事件の報道を産経新聞と朝日新聞とで読み比べてきましたが、事実報道に関する限り、なんとあの朝日のほうが、突込みが深く、公正な視野をキープしているという印象を持ちました。と言って、別にいまさら朝日を擁護する気など毛頭ありませんが、メディアを論評する側も、個々の情報発信の仕方に関して公正な判断を要求されるので、このことを指摘すべきだと思いました。

具体的に言いましょう。

産経新聞は、ほとんどの記事が、欧米が至上の価値観とする「自由と民主主義」理念――この場合は「表現の自由」――に乗っかって、「テロはいかなる理由があろうとも許さない」という単純な主張で盛り上がっている欧米の空気をそのまま伝えているだけです。1月9日付では、ニューヨーク、サンパウロ、香港、東京における集会で「私はシャルリー(襲撃された週刊誌本社)」というプラカードを掲げる人たちの大きな写真を掲載していますが、いっぽうで、テロ実行者たちが属するイスラム文化圏の人々の複雑な背景については詳しい記述がありません。

これに対して、朝日新聞は、1月11日付で、フランスのニュース専門局によるテロ実行者へのインタビュー記事を載せ、彼らが「イスラム国」に所属しているという明確な証言を引き出しています。また警官と人質を殺してスーパーに立てこもったクリバリ容疑者がこのスーパーを選んだ動機はユダヤ人の店だからだという証言も引き出しています。12日付では、イエメンを拠点とする「アラビア半島のアルカイダ」、「イスラム国」、アルジェリアを拠点とする「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」などが今回の行為を支持している事実、これらの組織をめぐる複雑な事情、アフガニスタンやパキスタンでの、政権の公式声明と一部の国民の意識の間のギャップ、印刷工場に立てこもった兄弟のサイド、シェリフ両容疑者の、従業員に対する優しい態度などについて詳しく報じています。

まさか反日メディアの判官贔屓というわけでもないでしょうが、いずれにしても、こういう国際的なテロ事件に関しては、バイアスをなるべくかけない報道の仕方が大切で、ことに私たちが事情をあまり知らないイスラム文化圏にかかわる場合には、なぜこういうことになるのかをよくよく考えてみる必要があります。あらゆるテロをただひたすら一括りにして「絶対に許すな」と叫んで済ませているだけでは、そのへんの事情が見えてきません。それを見るための素材を少しでも提供してくれているという意味で、今回の朝日報道は評価されてしかるべきでしょう。

以上はまあ、話の枕のようなもので、これからが本題です。

次に思ったのは、今回のパリ警察の対応が、テロを取り締まる立場からすれば、最悪だったということです。

4人の人質が殺され、一人の容疑者を逃がしてしまい、3人の容疑者は銃殺されました。だれも逮捕されていません。これでは、犠牲者を出しながら、相手が属する組織や実行動機について確かな情報が何も得られません。フランスの警察は、8万人もの動員をかけながら、そのへんの配慮がどうも甘く、やり方が荒っぽすぎる。こんな失態を重ねるようでは、警察への不信感はいっそう深まるでしょう。どうも武力面だけは粗暴になっていて、肝心の秩序維持のためのインテリジェンスがはたらいていない。言葉にはなりにくいそういう現場の雰囲気を見逃してはなりません。

これは小さなことのようですが、国内の空気が想像以上に殺気立っていることを象徴しています。それもそのはず、フランス(だけでなく一般にEU諸国)は「開かれた自由な圏域」という建前を取りながら、かえってそのことのために移民との文化摩擦や治安の悪化を助長しており、みんなが異民族に対する警戒心で互いにピリピリしているのだと思われます。フランスの人口の約8%に当たる500万人はイスラム系です。その他ユダヤ系、スラヴ系、アフリカ系などの人種・民族・もたくさんいるので、パリなどは多様な人種・民族が混在する一種の「小アメリカ」といってもよいでしょう。

こういう地域では、いったん事が起きると、市民の間に緊張が走り、関連地域の住民はひっそりとドアの内側にこもり、自主的な戒厳令のような様相を呈します。今回の事件がまさにそうでした。日本人が当たり前と思っている、見知らぬ路傍の人同士の信頼関係などはまずないと考えた方がよい。フランスから初来日したある人は、電車の中で乗客が居眠りしているのにまずびっくりしたそうです。

昔から、ヨーロッパはジプシーその他による観光客相手のすり・泥棒が多く、日本人旅行者はいいカモにされると言われてきましたが、ここ数年、治安や人心の荒廃がより進んでいるような気がしてなりません。もちろん、一律にそうだとは言い切れませんし、見てきたようなことを言うのは危険だと承知の上ですが。

仮に私のこの推測が当たっているとして、なぜそういうことになるのでしょうか。答えは明らかです。域内グローバリズムおよび積極的な移民受け入れ政策が自ら招いた結果としか考えられません。

ヨーロッパは、国によってEU(欧州連合)に参加していない国(例:スイス、ノルウェー)、ユーロ圏に参加していない国(例:イギリス、スウェーデン)、国境検査の必要ないシェンゲン協定に参加していない国(例:イギリス、アイルランド)などいろいろです。しかし、二つの大戦のトラウマと冷戦期における西側諸国の対ソ連の結束の必要とに発した、「国境の壁を低くしてヨーロッパ人同士が互いに国を開くことはいいことだ。ナショナリズムを超えなければならない」という理念だけは、いまだに共通して生きていると言ってよいでしょう。

ところがこの理念がまさに曲者なのです。

この理念は、二つの大きな困難を生み出しました。

一つは、経済的な統合のために通貨の統一を図ったことにより、各国の経済的な主権が失われたことです。一国の経済政策は、金融政策と財政政策の連係プレーによって行われますが、ユーロ圏の諸国には金融政策の権利がありません。また、GDPに対する政府の負債の比の上限が決められていて、国情に合わせた自由な財政政策がとれないのです。もちろんこの比はまったく守られていませんが、それだけに一層、各国首脳陣は、借金が膨らんでしまった危機感を募らせているわけです。

そのため、不況や財政危機に陥った国がそれを克服しようとして他国からお金を借りようとする場合には、厳しい緊縮政策を取ることが条件となります(健全財政ぶりを見せなければ貸してくれないので)。しかしこれは同時に国民経済の成長を阻害し、国民を一層貧困化させる要因になります。財政破綻したギリシアがそのよい例で、現在この足枷を解くためにEU離脱も辞さないという勢力が急激に成長しつつあります。フランスの国民戦線、イギリスの独立党なども同じ方向性を目指して、多くの国民の支持を得ています。

二つ目は、大量の移民を受け入れたことによって、深刻な文化摩擦が発生し、さらに、低所得に甘んじる移民によって賃金競争が引き起こされ、一国の経済規模が全体として低成長(ゼロ成長あるいはマイナス成長)に陥り、デフレの悪循環に突っ込みつつあることです。移民問題は、現代のヨーロッパの理想と現実のギャップを象徴する最も頭の痛い問題で、彼らを露骨に排除するわけにもいかず、さりとてそこに生ずる宗教的な文化摩擦や経済問題を解決することもできません。

以上二つを合わせて考えると、なぜ今回のような事件が発生したか、その背景が少し見えてくるでしょう。ヨーロッパの主要国はいま「自由平等と人権と民主主義」を価値として信奉する世俗的・近代的な市民と、厳しい戒律を遵守するイスラム系の移民との間に存在する妥協不可能な対立意識が沸騰していると言っても過言ではありません。そのうえに、経済の停滞による格差の拡大、貧困層の増加、失業率の高止まりという問題が重なり合います。フランスはいま、移民であると否とを問わず、低所得者層に不満が鬱積しているわけです。

ヨーロッパの外に目を向けてみましょう。

もともと中東地域は大英帝国の植民地でした。強い宗教的色彩を帯びたイスラム文化圏であるにもかかわらず、その国家区分と統治のスタイルは、オスマントルコ滅亡後にヨーロッパ近代が自分たちの世俗的な国民国家モデルを無理に押し付けたところに成立しています。その形態がどこでも通用する普遍的で最高の形態なのだという傲慢さと優越意識が当時のイギリスにはあったのでしょう。今回の事件の場合にもこの負の歴史的遺産が影を落としていることは明らかです。

思えば、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏とは、十字軍の昔から、深い交流あるがゆえに歴史的な近親憎悪を繰り返してきました。近親憎悪というのは、両宗教が母胎(ユダヤ教)を同じくしながら互いに相手を異端視する一神教であるという意味です。

さまざまな風土的・社会的条件が幸いして豊かな産業社会の確立に成功したヨーロッパと比較して、隣接する中東地域は、古代におけるあの隆盛をよそに繁栄から取り残され、世界でも有数の貧困地域に落ち込んでしまいました。宗教的な近親憎悪にこの経済的なギャップが加わります。2001年の9・11テロもそうですが、今回のような事件には、中東側のそうした長きにわたる怨嗟の歴史が関わっています。よく、イスラム圏の内外におけるテロ事件が発生するたびに、欧米諸国の政府は「自由」を普遍的価値としてことさら強調しますが(日本政府もそれに追随していますが)、そういう言い括りは、現在のイスラム圏にそのまま通用すると考えるほうが無理でしょう。

ところで1月11日、パリで犠牲者の追悼と表現の自由を訴える数十万人の集会とデモが行われ、フランス全土では、370万人が反テロのデモに参加したと伝えられています。この状況を私はとうてい素直に受け入れるわけにはいきません。それにはいくつもの理由があります。

第一に、この集会とデモが政府の呼びかけによる官制デモだということ(官制デモは反日を掲げるどこかの国もやりましたっけ)。参加した50か国の首脳の多くは、もちろんイデオロギーを同じくする西側自由主義諸国(国連も含む)の人々です。この何やら大げさな運動によって、「自由」を普遍的価値として掲げる強国の威力はいやがうえにも世界に印象づけられたと言えるでしょう。もとよりこれは、グローバリズムの恰好の宣伝になります。

ちなみにオランド大統領は、デモを呼びかける前に国民戦線のルペン党首をひそかに呼び何ごとかを言い含めたそうです。そうしてルペン党首は、集会に招かれませんでした。おそらく大統領は国民戦線がデモで排外主義的表現行動に出ることを恐れたのでしょう。ここには、「表現の自由」を掲げながら、いわゆる「極右」にはそれを許さないという政治的欺瞞の臭いが紛々です。結果的に、この事件とデモとは、ヨーロッパ・グローバリズムの政治的な意図に巧妙に利用されたのです。すべての思想や宗教的信条に寛容であるかのような建前は、それが権力を握る者の口から発せられるメッセージであることによって、実際には自分だけが正しいという主張に転化します。ですから、この数十万人のデモには、おそらく多くの穏健なイスラム教徒も、テロリストと自分たちとを区別して見せるために、慌てて参加せざるを得なかったでしょう。

第二に、ごく一般的に言って「テロ=絶対に許せない悪」と一口に言い括れるのかどうか。たとえば大義のない戦争として名高いイラク戦争は、多くの民間人犠牲者が出ているにもかかわらず、アメリカはそのことについて公式的に反省したという話を聞きません。また原爆投下や日本本土無差別爆撃は、明らかに民間人の大量殺戮であり、テロどころではありません。これは連合軍がナチス・ドイツを裁くときに自らレトリックとして用いた「人道に対する罪」にどう見ても匹敵しますが、彼らはそのことを一度も認めたことがありません。もしテロを一方的に道徳的非難の対象にするなら、それらについてまず公式見解を出してからにすべきでしょう。単に、一国の治安維持のためにテロから国民や市民を断固として守るというだけなら理解できますが。

第三に、今回のテロは、9・11テロと同一視できない面があります。9・11テロにおける貿易センタービル攻撃は、その目標がアメリカの繁栄の象徴を打ち砕くという多分に観念的な動機に基づいています。これは明らかに無辜の民衆をも巻き込んだ無差別テロです。これに対して、今回の事件は、イスラムの最高預言者・ムハンマドを「諷刺」し続けてきた特定の週刊誌の執筆者たちを狙ったのであり、それは実行者たちおよびその背後の勢力の直接的な屈辱感情に裏付けられている面があります。無関係な人質4人を殺した行為は、平和を享受している私たちから見れば確かに道徳的に非難されてしかるべきですが、これは警察の目をひきつけるための一種の陽動作戦とも解釈できます。けっして実行者たちを擁護するわけではありませんが、彼らにしてみれば命を捨てることを覚悟の上での決死の作戦なのですから、道徳的な非難を浴びせても何の効果もないでしょう。

第四に、そもそも「表現の自由」という理念の抽象性にもっぱら依存することは、実質上どんな問題を引き起こすでしょうか。
まず浮かぶのは、だれもが指摘するように、その線引きが難しいという点です(今回のシャルリー・エブドの表現についてどう判断すべきかは後述します)。

次に、表現の自由をじゅうぶんに行使するには、いろいろな意味での「力」が必要とされるという点です。才能、意志力、心の余裕、経済力、文化環境、政治的バックボーン、等々。これはすでに誰かが指摘していたことですが、たとえば現在のフランスで、移民二世、三世としてのイスラム系の普通の人が、シャルリー・エブド誌に対抗してキリスト教やヨーロッパ市民主義を「諷刺」しようと思って、同誌に匹敵するだけの「力」を発揮することはまず無理でしょう。強者のみが表現の自由を行使できるのです。社会的弱者は強者の表現という権力行使を我慢するより外に道はありません。表現の自由を普遍的価値として声高に叫ぶことは、そうした現実を隠蔽する作用として機能します。

第五に、肝心のシャルリー・エブド誌のイラストが、具体的にどんな性格のものだったかを検証せずに、いまここで表現の自由の大切さを唱えることには意味がありません。

すでに事件後初めて刊行された同誌の表紙は、いくつかのメディアに公表されているので、ご覧になった方も多いでしょう。ムハンマドが「私はシャルリー」と書いた紙を胸元に掲げながら、涙を流している絵で、上に「すべては許される」と書かれています。これだけでもかなりイスラム教徒に対する挑発的なメッセージですが、事件以前のものは、もっとずっと下品で、イスラム教徒を激しく愚弄し、侮辱しているとしか思えません。二つだけ紹介しておきましょう。

①素っ裸のムハンマドが尻をこちらに向けて陰嚢をだらりとたらし、肛門部分に黄色い星があてがわれ、上に「星は生まれぬ」と書かれている。(私はコーランに詳しくないので推測ですが、この言葉はきっと神聖な語句として有名なのでしょう)。

②イスラム教のウラマー(法学者)がコーランを前に掲げているところに、たくさんの弾丸が飛んできてコーランを貫いている。「コーランは弾除けにならない」との文句があり、表題部には「コーランは糞だ」と書かれている。

*なおこれらは「シャルリー・エブド イスラム教 諷刺画 動画」と検索すれば閲覧できます。

こういうのを風刺というのでしょうか。だれが見てもただの愚弄、侮辱、嘲笑い、差別表現に他なりません。これで怒りを感じないイスラム教徒がいたらお目にかかりたい。よく言われるように、イスラム教徒の間では、ムハンマドの肖像を描くだけでも冒涜とされます。かつてムハンマドを侮蔑したあるアメリカ映画が元で、駐リビア大使をはじめとする数人のアメリカ人が殺された事件がありましたが、私は、この映画のダイジェスト版を見る機会がありました。言葉は半分くらいしかわかりませんでしたが、映像を見ただけでも、これではイスラム教徒が怒って当然だと思いました。これらは許されるべき「表現の自由」などではなく、日本でもいま話題となっている「ヘイト・スピーチ」と何ら変わりません

じつはここには、移民の増加に対する一種の無意識の「恐怖」が作用しているのだと思います。経済評論家の三橋貴明氏が語っていましたがアラブ系の住民が多く住むパリのある地区(おそらく18区か19区だと思われます)で、広い範囲にわたって交通を遮断し、大勢のイスラム教徒たちがいっせいに礼拝をしていた映像を見たことがあり、戦慄を感じたとのことでした。こういうことがたびたび起きているとすると、もともとのパリジャンが不安や恐怖を抱いても不思議ではありません。

つまりこういうことです。

シャルリー・エブドの制作者や読者であるパリジャンは、そういうメディアを広めたり愛読したりすることのできる文化環境や政治的バックボーンを手にしてはいるが、じつは自分たちのナショナリティが移民たちによって脅かされつつあることをじわじわと察知している。そのために対抗手段としての侮蔑的な表現に手を出す。そうしてそれが暴力によって否定されると、その潜在的な不安や恐怖の解消手段として、極度に単純化された「テロを許すな。表現の自由を守れ!」というスローガンにヒステリックなまでに縋ることになる。「表現の自由」とは、じつは彼らにとってだけの「表現の自由」であり、イスラム系移民にはそんなものは許されていない!……数十万人のデモの実態はおそらくそれです。

問題は深刻です。なぜなら、「自由、平等、人権尊重」を表面上謳ってきたはずのフランス人の多くが、グローバリズムの進展とともに生じた社会矛盾の現実の前で、じつは差別意識や排外主義を少しも解消できていないことがあらわとなったからです。

いまやヨーロッパ諸国は移民だらけです。そうして、そういう地域で差別意識や排外主義的感情がなくなるわけがないのです。

ヨーロッパでは、表現の自由を最大限尊重しているかのように誰もが言います。しかしフロイトではありませんが、何を言ってはいけないか(たとえば、人種差別的、女性差別的言辞、ナチス肯定的言辞、特定宗教を批判する言辞)というタブー感覚が骨身にしみているので、かなりきつい無意識の拘束と抑圧と緊張の下にあり、そのためむしろ表現の自由などさほど許されてはいないのだと思います。だからこそ、シャルリー・エブド的な刺激的ガス抜き表現が噴き出すのでしょう。

ここには、一種の心理的な戦争状態があり、それは現実の戦争や革命を不気味に予告してもいるのです。それでも自分たちにとってだけ都合の良い「表現の自由」を守りたいと考えるなら、それが何を代償として成り立つのかについて、よくよくの覚悟が必要でしょう。

ちなみに、フランス共和国建国の理念は、「自由、平等、同胞愛」であって、多くのメディアが間違えているように「自由、平等、博愛」ではありません。fraterniteには、普遍的な人類愛などというニュアンスはまったくないのです。フランス革命はルイ16世をギロチンにかけ、さらに恐怖政治へと突っ走りましたが、この種の「同胞愛」は、暴力革命(=テロリズム)を遂行するための結束が成り立つところでだけ生きるのだということを、私たちもわきまえておいた方がよいでしょう。現代フランス人だけでなく、先進国のパワーエリートは、いまイスラム系移民に代表される貧困階層の「同胞愛」によって脅かされつつあります。フランス議会の議員たちは、90年ぶりに「ラ・マルセイエーズ」を歌ったそうですが、それが彼ら自身の葬送行進曲にならないことを祈ります。



編集部より:参考までに、「ラ・マルセイエーズ」の一番の歌詞を掲げておきます。

祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
血塗られた軍旗がかかげられた
どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
子どもや妻たちの首をかっ切るために、
やつらは我々の元へやってきているのだ!
武器をとれ、市民たちよ
自らの軍を組織せよ
前進しよう、前進しよう!
我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!
http://www.bourgognissimo.com/Bourgogne/1ARTL/BR_007_1.htm
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「偏愛的文学談義(その3)」 上田→後藤 (後藤隆浩・上田仁志)

2015年01月13日 18時24分46秒 | 後藤隆浩・上田仁志
「偏愛的文学談義(その3)」 上田→後藤 (後藤隆浩・上田仁志)


「現役職人と退役軍人」http://fiorenkiri.cocolog-nifty.com/kirienikki/2010/09/post-47a7.html?cid=113958800#comment-113958800(サイト名・切り絵職人の日記)より

後藤さん、こんにちは。

木田元氏の話題の続きです。
昨年末に出た『KAWADE道の手帖 木田元 軽妙洒脱な反哲学』(河出書房新社 2014年12月刊)はもうお読みになったでしょうか。木田元氏の仕事をふりかえるのに役立ちますね。
たとえば、鷲田清一、高田珠樹両氏による対談「思想史の世界をめぐり続けて――木田元の遺したもの」は、タイトルどおり、哲学者・木田元が日本の哲学・思想界に果たした独自の仕事ぶりを語り合っています。

鷲田 木田さんは、廣松渉さんのように自分の体系を構築するというタイプでもなければ、大森荘蔵さんのように哲学史の文脈を超えてみずからの思考を紡いでゆくというタイプでもなく、むしろ哲学史の流れを自分流に解釈することが中心で、そういう意味ではすごく禁欲的なところがある。
その禁欲的なところが、ハイデガー解釈の仕方の面白さにも繋がっていますね。ハイデガーの体系を評価するというよりも、彼が講義で扱ったアリストテレスから同時代までの哲学者の仕事を独自に脈絡をつけながら解釈することをこそ楽しまれていたように思います。その結果、単なる文献解釈にとどまらない、とてもダイナミックな読みを哲学史とか思想史で展開されることになった。

 たしかに木田さんは、ハイデガーならハイデガーの思想体系を考えるときに、同時代的な思想史の文脈とのかかわりを忘れることはありませんでした。木田さんは、そうした思想史的なアプローチを、生松敬三氏をはじめとする思想史仲間との交流を通じて体得したもののようです。しかし、そのあたり、学会の常識や流儀とはくいちがうところがあったのかもしれません。
ハイデガーは、『存在と時間』の未完に終わった第一部第三編「時間と存在」において、中心主題として「テンポラリテート」という概念を論じるはずでした。ハイデガーの専門家である高田氏はこう述べています。

 高田 ハイデガー研究者の間では、テンポラリテートは、ハイデガーが書くことができなかったすごく奥底にあるもののようなものとして考えられてきました。私もその種のイメージを持っていたので、これまでにこの主題に関わるのは遠慮してきたんですけれども、木田さんはむしろオープンに書いてこられた。
初めて『「存在と時間」の構築』を読んだときは、展開の軸を、ハイデガーの言うテンポタリテートを当時の哲学史の文脈と通じる話だというところに持っていかれている点に戸惑うと同時に少し拍子抜けした記憶がありますが、今回読み直してみて、確かにテンポラリテートというものを、自分たちは何だかわからないままに少しありがたがりすぎているのかもしれない、と感じました。ハイデガーの奥の奥というよりも、要するにテンポラリテートというのは、一種の人間存在の地平の形成作用の最も中核であって、結局のところ、ユクスキュルなどの環境世界論などと繋がるような話だと、ざっくばらんに指摘しておられる。当時の人々の共通の問題意識のなかにある話だという木田さんの指摘にはそれなりに納得しました。


「木を見て山を見ず」とはこのことかもしれませんが、専門家というのは、ややもすると細部にとらわれて大局を見失いがちです。くわえて、「ひいきの引き倒し」ではありませんが、自分の研究対象を崇め奉る専門家は、目がくもって適切な距離をたもてなくなるものです。しかし、木田さんはそうした幣を免れていたといっていいでしょう。なにしろ木田さんは、鷲田氏もいうように、「ハイデガーを論じるにせよ、ニーチェを論じるにせよ、なんか対等の口ぶり」なのです。木田さんのそうした態度は、もとより横柄さとは異なるもので、おそらくは、完全に確信がもてるようになるまで徹底して文献を読みぬいたことからもたらされたものなのです。
木田さんが、まずもって、メルロ=ポンティやフッサールの名翻訳者として知られたこともまた思い出されます。木田さんの翻訳が名訳たるゆえんは、わかりやすいばかりか文章にリズムがあるからだといわれます。木田さんは、単に「意味」を訳すにとどまらず、「文体」そのものを訳した(=創作した)のだといえるでしょう。

 木田元の翻訳の特徴は、その訳文のリズムにある。
 木田元によると、翻訳をおこなうときは、四、五回は書き直し、しかも五、六行書いては書き直し、十行くらい書いては書き直す、という。それは文章のリズムを整えるためだったらしい
。(加國尚志「反‐哲学者の足跡」)

文献講読にしろ、翻訳にしろ、木田さんの仕事ぶりはおよそ徹底しています。こうした作業を納得いくまで積み重ねることこそが、木田さんの哲学にたいする付き合い方だったのでしょう。そして、この根気のいる読みの仕事が、思想史的なアプローチと組み合わされるなかで、木田さんの「反哲学史」の構想も形を成したものと考えられます。
 ところで、前回の便りで、私にとって木田さんは、現象学やハイデガー哲学のすぐれた解説者であるという趣旨のことを書いたのですが、ここで、木田さんの呼称はどうあるべきかについて一言したいと思います。
 鷲田氏は、先の引用中で、廣松渉や大森荘蔵を引き合いに出して、木田さんの特長を説明していましたが、それは、露骨な言い方をすれば、前二者が独自の体系なり構想を提示した「哲学者」であるのに対して、木田さんはあくまでも、哲学史、思想史の解釈を行なった「哲学研究者」もしくは「哲学史家」にすぎないと受けとることもできそうです。
 「大森哲学」や「廣松哲学」という呼称が可能なように、はたして「木田哲学」という言い方は可能なのでしょうか。
 実際的なことをいえば、木田哲学という言い方は使われていますし、木田さん自身「闇屋になりそこねた哲学者」を名のったこともありました。したがって呼び方自体にこだわる意味は薄いのですが、私の観るところでは、木田さんは「哲学者」というよりは「哲学(の歴史)家」であろうと思います。というのも、「歴史(ゲシヒテ)」という言葉は、「生起する(ゲシェーエン)」に由来するのですから、「哲学(の歴)史」とは、ハイデガー風にいえば、「哲学の生起」ということになり、「ある」を「つくられてある」と考えたプラトン=アリストテレス以来の哲学(という)制度をのりこえるものとしての「反哲学」を意味することになるからです。それはまさに木田哲学の精髄にほかなりません。
 言葉遊びのような解釈はさておき、木田元氏の呼称について、もう少々付言します。
 木田さんの盟友の一人、徳永恂氏による追悼文「木田元君を偲んで」は、木田さんの人となりばかりでなく、仲間たちとの交流をも蘇らせて感動的なのですが、以下のくだりは、哲学者・木田元の本質をものの見事にとらえています。

 だが、「哲学者とは何か」、木田元は「どういう意味で哲学者だったか」というのは、むずかしい問題だ。(中略)木田元の哲学者イメージには、先人のテキストをしっかり読み、わかったことだけをハッキリ言葉にする「職人」という趣きがある。彼の夥しい作品は、著作も翻訳も含めて、そういう手仕事の名手が生んだ珠玉の成果だったと言えようか。アカデミックな講壇哲学が陥りがちの権威主義からは、彼は終始頑なに一線を画し、学会主流派への同調や従属、心酔する対象への同一化を斥け、しかるべき距離をとって見るべきものを見、平明な言葉でそれを語ることができた。おそらく彼の文章の平明さは、他人に判りやすく語ろうとする解説者の配慮というよりは、自分で判らないことは語らないという厳しい自己把持に根ざしていたのではなかろうか。そういう生活態度を潔癖に守ることに、彼は一貫してリゴリスティックであり、禁欲的であったと私は思う。メルロ=ポンティを始めとする彼の数十冊に及ぶ翻訳によって、日本の哲学書の文体は一新したと言えよう。それが彼が果たした哲学への寄与の第一だったのではなかろうか。

 書き写しながらも、つくづく木田さんという人を適格にとらえた文章だとあらめて感銘を深くします。木田さんには本当に「職人」という言葉が似合っているようです――「哲学職人」、「翻訳職人」、「エッセイ職人」。職人というのは、〈観念〉ではなく、〈もの〉と向き合う仕事です。哲学はもちろん、〈観念〉とは切り離せませんが、哲学職人のあつかう観念とは、同時に〈もの〉であるような観念――手ごたえもあれば、不透明感もあるような観念のことでしょう。ですから、とりあつかいには慎重を期さなければならず、時間をかけて練りあげる必要があります。そうして、ついに自家薬篭中のものになった〈観念〉=〈もの〉だけが平明な言葉となって語られるのです。木田さんの書いた文章は、形態はともあれそういう性格をもっていたといえそうですが、わけても翻訳の文章は職人芸の結晶であったのです。
 木田さんは、哲学以外にも、詩歌から英米のミステリ小説にわたる大変な読書家であったということが知られています。しかし今回、『KAWADE道の手帖 木田元』に収められた文章を読んで初めて知ったのですが、木田さんが歌謡曲、とりわけ、ちあきなおみの大ファンだったということです。しかしそれについてはまたの機会に書きたいと思います。

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