故事成語って、むずかしい
私がなりわいにしている個別指導の学習塾の話です。
今日は、学校で国語の内申が1の中1の生徒の授業がありました。今日の授業内容は、学校の国語の授業で配られたプリントを完成させることでした。プリントの中身は、二〇個分ずらりと故事成語の意味が書いてあって、それに合う故事成語を空欄内のリストから選んで書き写す、というものでした。
先日の投稿でお話したとおり、その生徒は、「まあ、だいたいこんな感じ」という「器用な」分かり方が基本的にはできません。「なるほど」と思えなければ「分かった」ことになりにくいのですね。言いかえれば、自分で自分をとりあえずダマすのがきわめて不得手なお子さん、ということになるでしょうか。
日常生活は、話を中学生に限っても「自分で自分をとりあえずダマす」必要にあふれています。授業中のみならず、休み時間に仲間と語らうときもそうです。相手の言っていることが少々分からなくても、「まあ、だいたいこんな感じ」だろうと受け流さなければならない局面がたくさんあることでしょう。そうしなければ、「イチイチこちらの言葉にこだわるノリの悪いヤツ」というレッテルを貼られたり、「相槌をほとんど打たない変なヤツ」と見なされたりしてしまいます。そうなれば、クラスでの人間関係がうまくいかなくなってしまい、いわゆる「スクール・カースト」の最下層に位置するヤツと判断され周知されてしまうことになりかねません。
つまり、彼のそういうちょっとした弱点は、つつがない学校生活を送るうえでけっこうリスキーなものなのです。だから、精神科医から「障害」と診断されて通院しているのでしょう。
しかし、そのちょっとした弱点は、八〇分のときをともに過ごすたびに、私にいろいろと実り豊かなものをもたらしてくれることも確かです。というのは、ときにはあらぬ方向に小さな「暴走」をするときもありますが、その主体性を包みこむというスタンスをこちらがキープできている限り、彼がこちらの話を全身で受けとめようとしてくれるからです。その姿勢の根本には、どうやら、相手の言うことが分からなくなることへの恐怖感や不安があるような気がします。実はそれはだれの心にも潜在しているのでしょうが、彼の場合、それがとりわけ強いような感触があります。そこには、「分かり」に関して、自分がほかのひとびとより劣っていて、そのことで成績があまり良くなかったりするというような不利な結果を招いている、という認識が横たわっているような気がします。
故事成語って、「分かる」うえでの(つまり、教えるうえでの)ハードルがけっこう高いのではないかと思います。そう考えて、さてどうして教えたものかと、私はちょっと思案しました。
ハードルのひとつめ。ふつうの熟語の場合とちがって、その字面をいくら眺めていても、その意味が浮びあがってくることがありません。たとえば、「守株」という字面をいくら眺めていても、「古い習慣にとらわれて、まったく進歩のないこと」という意味は、その片鱗さえも浮びあがってきませんよね。それが浮びあがってくるためには、「宋の国の人に、畑を耕している者があった。畑に切り株があり、ウサギが駆けてくるなり、切り株に当たり、くびを折って死んでしまった。それからというもの、男は自分の耡(すき)をほうり出して切り株の見張りをし、もう一度ウサギをせしめてくれようと念じた。だが、ウサギは二度とは手に入らず、その身は宋国の笑い者になった」という故事をふまえる必要があります。
だから、プリントにあった二十個の故事成語をきちんと説明するためには、それらにまつわる故事をきちんとふまえていなければならないことになります。とくに、ごまかした教え方が通用しない彼に対してはそうです。
その点、とくにダメだったのは、「朝三暮四」です。恥をさらしますが、たしか「朝令暮改」とは意味が違うんだったよな、くらいのことしか浮かんできませんでした。それで、正直に「ちょっと自信がないので調べてみるね」と告げ、インターネットで検索してみました。すると、「春秋時代、宋の国に狙公(そこう)という猿好きでたくさんの猿を飼っている人がいた。ところが急に貧乏になり、エサを減らさなくてはいけなくなってしまった。そこで、まず猿たちをだましてこう言った。『エサのどんぐりの実を、朝三つ、夕方四つにしようと思う。』すると予想通り猿たちは立ち上がり怒りだした。そこで『それなら、朝四つ、夕方三つにしよう』と言った。すると猿たちはみな大喜びをした。結果としては、どちらもどんぐり七つで同じ数だが、猿たちは目先の数が増えたことで、喜んでしまったのである」という含蓄に富んだ故事が出てきました。「とすると、この言葉の意味は、どれになるのかな」と問うてみたところ、彼はちゃんと「⑦の『結果的には同じであるのに、目先の差にこだわわること』じゃないかなぁ」と正解を言うことができました。
彼は、「鼎の軽重を問う」ような浅はかなマネをしない奇特な生徒さんで、「いちいちインターネットで調べなければ教えられないなんて、もしかたら、このセンセイ、実力がないんじゃないか」と疑ったりしないので、このあたりのキャッチ・ボールはスムーズに行きます。ありがたいことです。
さて、ハードルのふたつめ。それは、故事が分かり意味が分かったとしても、読みや書きのむずかしい故事成語がけっこうあることです。たとえば、「守株」は、「しゅかぶ」ではなくて「しゅしゅ」。「画竜点睛」は、「がりゅうてんせい」ではなくて「がりょうてんせい」。また、「睛」の字は、よく注意しないと、つい「晴」と書いてしまいそうです。「臥薪嘗胆」の「嘗」がよく分からないというので、200ポイントに拡大して見せました。彼から、「鼎の軽重を問う」の「鼎」がどうなっているのか、また、書き順も分からないといわれたときは、けっこうヒヤっとしました。それで、「ちょっと待って」と言って、漢字の書き順サイトを探したところよさそうなのがあったので、それを彼に見せました。これは重宝します。こんな感じのサイトです。
http://kakijun.jp/page/kanae200.html なかなかいいとは思いませんか?
ちょっと細かい話になりますが、「五十步百歩」は、「ごじっぽひゃっぽ」であって「ごじゅっぽひゃっぽ」ではありませんね。これ、大人でもけっこう微妙な気がしますので、老婆心ながら申し上げた次第です。昔、おエライセンセイが公開講座で「約定」を「やくてい、やくてい」と繰り返していました。これは、もちろん「やくじょう」なのですが、けっこう学識の高い人でも、やらかすときはやらかしてしまうもんなのです。ましてや一般人であるわれわれにおいておや。
これは、漢字ではないのですが、私の父方の伯父が、大学生だったころの私の前でしきりに「カリスマ」を「カリマス、カリマス」とやらかして連発するのには閉口しました。「おじさん、『カリマス』ではなくて『カリスマ』だよ」とはなかなか言えないものです。ついでに、同じような話をもうひとつ。昔、ある大家さんから事務所を借りていたとき、その大家さんが、「オレはダンコンの世代だからさぁ」と半ば以上肯定的に語っているのを聞いたときは、笑いをこらえるのにかなり苦労しました。彼は、「団塊」をそう読んだのでした。誰からも指摘されなければ、「団塊」を一生「ダンコン」と言い続けるのでしょうね。彼は、ワンマン社長でしたからその可能性大です。ああ、恥ずかしい。お互い、そういうことを率直に指摘しあえる気の置けない仲間を持ちたいものですね。
掛け値なしに申し上げます。その中1の生徒は、私の、物事をけっこう分かったような気になっているいい加減さを、本人が知らないうちに心地よく木っ端微塵にしてくれる貴重な存在です。
私がなりわいにしている個別指導の学習塾の話です。
今日は、学校で国語の内申が1の中1の生徒の授業がありました。今日の授業内容は、学校の国語の授業で配られたプリントを完成させることでした。プリントの中身は、二〇個分ずらりと故事成語の意味が書いてあって、それに合う故事成語を空欄内のリストから選んで書き写す、というものでした。
先日の投稿でお話したとおり、その生徒は、「まあ、だいたいこんな感じ」という「器用な」分かり方が基本的にはできません。「なるほど」と思えなければ「分かった」ことになりにくいのですね。言いかえれば、自分で自分をとりあえずダマすのがきわめて不得手なお子さん、ということになるでしょうか。
日常生活は、話を中学生に限っても「自分で自分をとりあえずダマす」必要にあふれています。授業中のみならず、休み時間に仲間と語らうときもそうです。相手の言っていることが少々分からなくても、「まあ、だいたいこんな感じ」だろうと受け流さなければならない局面がたくさんあることでしょう。そうしなければ、「イチイチこちらの言葉にこだわるノリの悪いヤツ」というレッテルを貼られたり、「相槌をほとんど打たない変なヤツ」と見なされたりしてしまいます。そうなれば、クラスでの人間関係がうまくいかなくなってしまい、いわゆる「スクール・カースト」の最下層に位置するヤツと判断され周知されてしまうことになりかねません。
つまり、彼のそういうちょっとした弱点は、つつがない学校生活を送るうえでけっこうリスキーなものなのです。だから、精神科医から「障害」と診断されて通院しているのでしょう。
しかし、そのちょっとした弱点は、八〇分のときをともに過ごすたびに、私にいろいろと実り豊かなものをもたらしてくれることも確かです。というのは、ときにはあらぬ方向に小さな「暴走」をするときもありますが、その主体性を包みこむというスタンスをこちらがキープできている限り、彼がこちらの話を全身で受けとめようとしてくれるからです。その姿勢の根本には、どうやら、相手の言うことが分からなくなることへの恐怖感や不安があるような気がします。実はそれはだれの心にも潜在しているのでしょうが、彼の場合、それがとりわけ強いような感触があります。そこには、「分かり」に関して、自分がほかのひとびとより劣っていて、そのことで成績があまり良くなかったりするというような不利な結果を招いている、という認識が横たわっているような気がします。
故事成語って、「分かる」うえでの(つまり、教えるうえでの)ハードルがけっこう高いのではないかと思います。そう考えて、さてどうして教えたものかと、私はちょっと思案しました。
ハードルのひとつめ。ふつうの熟語の場合とちがって、その字面をいくら眺めていても、その意味が浮びあがってくることがありません。たとえば、「守株」という字面をいくら眺めていても、「古い習慣にとらわれて、まったく進歩のないこと」という意味は、その片鱗さえも浮びあがってきませんよね。それが浮びあがってくるためには、「宋の国の人に、畑を耕している者があった。畑に切り株があり、ウサギが駆けてくるなり、切り株に当たり、くびを折って死んでしまった。それからというもの、男は自分の耡(すき)をほうり出して切り株の見張りをし、もう一度ウサギをせしめてくれようと念じた。だが、ウサギは二度とは手に入らず、その身は宋国の笑い者になった」という故事をふまえる必要があります。
だから、プリントにあった二十個の故事成語をきちんと説明するためには、それらにまつわる故事をきちんとふまえていなければならないことになります。とくに、ごまかした教え方が通用しない彼に対してはそうです。
その点、とくにダメだったのは、「朝三暮四」です。恥をさらしますが、たしか「朝令暮改」とは意味が違うんだったよな、くらいのことしか浮かんできませんでした。それで、正直に「ちょっと自信がないので調べてみるね」と告げ、インターネットで検索してみました。すると、「春秋時代、宋の国に狙公(そこう)という猿好きでたくさんの猿を飼っている人がいた。ところが急に貧乏になり、エサを減らさなくてはいけなくなってしまった。そこで、まず猿たちをだましてこう言った。『エサのどんぐりの実を、朝三つ、夕方四つにしようと思う。』すると予想通り猿たちは立ち上がり怒りだした。そこで『それなら、朝四つ、夕方三つにしよう』と言った。すると猿たちはみな大喜びをした。結果としては、どちらもどんぐり七つで同じ数だが、猿たちは目先の数が増えたことで、喜んでしまったのである」という含蓄に富んだ故事が出てきました。「とすると、この言葉の意味は、どれになるのかな」と問うてみたところ、彼はちゃんと「⑦の『結果的には同じであるのに、目先の差にこだわわること』じゃないかなぁ」と正解を言うことができました。
彼は、「鼎の軽重を問う」ような浅はかなマネをしない奇特な生徒さんで、「いちいちインターネットで調べなければ教えられないなんて、もしかたら、このセンセイ、実力がないんじゃないか」と疑ったりしないので、このあたりのキャッチ・ボールはスムーズに行きます。ありがたいことです。
さて、ハードルのふたつめ。それは、故事が分かり意味が分かったとしても、読みや書きのむずかしい故事成語がけっこうあることです。たとえば、「守株」は、「しゅかぶ」ではなくて「しゅしゅ」。「画竜点睛」は、「がりゅうてんせい」ではなくて「がりょうてんせい」。また、「睛」の字は、よく注意しないと、つい「晴」と書いてしまいそうです。「臥薪嘗胆」の「嘗」がよく分からないというので、200ポイントに拡大して見せました。彼から、「鼎の軽重を問う」の「鼎」がどうなっているのか、また、書き順も分からないといわれたときは、けっこうヒヤっとしました。それで、「ちょっと待って」と言って、漢字の書き順サイトを探したところよさそうなのがあったので、それを彼に見せました。これは重宝します。こんな感じのサイトです。
http://kakijun.jp/page/kanae200.html なかなかいいとは思いませんか?
ちょっと細かい話になりますが、「五十步百歩」は、「ごじっぽひゃっぽ」であって「ごじゅっぽひゃっぽ」ではありませんね。これ、大人でもけっこう微妙な気がしますので、老婆心ながら申し上げた次第です。昔、おエライセンセイが公開講座で「約定」を「やくてい、やくてい」と繰り返していました。これは、もちろん「やくじょう」なのですが、けっこう学識の高い人でも、やらかすときはやらかしてしまうもんなのです。ましてや一般人であるわれわれにおいておや。
これは、漢字ではないのですが、私の父方の伯父が、大学生だったころの私の前でしきりに「カリスマ」を「カリマス、カリマス」とやらかして連発するのには閉口しました。「おじさん、『カリマス』ではなくて『カリスマ』だよ」とはなかなか言えないものです。ついでに、同じような話をもうひとつ。昔、ある大家さんから事務所を借りていたとき、その大家さんが、「オレはダンコンの世代だからさぁ」と半ば以上肯定的に語っているのを聞いたときは、笑いをこらえるのにかなり苦労しました。彼は、「団塊」をそう読んだのでした。誰からも指摘されなければ、「団塊」を一生「ダンコン」と言い続けるのでしょうね。彼は、ワンマン社長でしたからその可能性大です。ああ、恥ずかしい。お互い、そういうことを率直に指摘しあえる気の置けない仲間を持ちたいものですね。
掛け値なしに申し上げます。その中1の生徒は、私の、物事をけっこう分かったような気になっているいい加減さを、本人が知らないうちに心地よく木っ端微塵にしてくれる貴重な存在です。