美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

EU崩壊の足音聞こゆ(小浜逸郎)

2014年05月29日 02時04分03秒 | 小浜逸郎
*ブログ主人より一言:下記論考は、小浜逸郎氏のブログ「ことばの闘い」から転載したものです。先日の欧州議会選挙の結果をどう見るかは、今後の世界の動向を探るうえで、とても大きな論点になるものと思われます。朝日新聞の社説のように、グローバリズムべったりの立場から、EUに対して異議申し立てをする勢力を国粋主義、あるいは極右などとレッテル貼りをする(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11159032.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11159032)のは論外として、地理的にEUからはるか遠くに位置する私たち日本人も、どうやら、EUの動向を「対岸の火事」としてながめてばかりもいられないようです。

EU崩壊の足音聞こゆ


フランス国民戦線党首マリーヌ・ルペン

 25日までに行われたEUの欧州議会選で、反EU勢力が躍進しました。フランスでは「極右」と称されるFN(国民戦線)が得票率25%で首位に立ち、イギリスでもEUからの離脱を掲げる独立党が得票率27.5%でトップ、その他、ギリシャ、イタリアなど、財政悪化や高い失業率に悩むラテン諸国でも、EUが緊縮財政を強いてくることに反発する勢力が得票率を伸ばしています。欧州議会全体では、反EU勢力は約2割を占める140議席程度になるとのこと。
 このような動きは、だいぶ前から予想されていました。フランスのオランド大統領は就任後2年を経ても成果を上げておらず、支持率は史上最低の10%台。またイギリスは、すでに、2017年末までにEU残留・離脱を問う国民投票を実施することを決めており、前倒しも検討されています。
 私たち日本人は、はるか遠くのヨーロッパのこの変動を、何となく「対岸の火事」のように感じていないでしょうか。しかしそれは、いくつかの点から見て大きな間違いです。

 まずEUが抱えている経済危機の深刻化は、グローバル化が極限まで進んだ今日、世界経済、ひいては日本経済に大きな悪影響を及ぼします。ちなみにEU統計局が今月上旬に公表した今年1~3月期の経済成長率はゼロだそうです。
 おそらく今回のニュースだけでユーロの価値は相当下落するでしょう。これが崩壊ということにでもなれば国際市場の大混乱が予想されます。かねてから為替市場における「避難所」と位置付けられてきた円は、買いが殺到して再び急騰するかもしれません。そうなると、せっかくアベノミクス異次元緩和による円安で一息ついたトヨタなど輸出関連企業は、壊滅的な打撃をこうむるでしょう。

 第二に、ヨーロッパは、古くから移民問題という悩ましい課題を抱えています。ヨーロッパは、第二次大戦における過激な民族主義に対する反動から、コスモポリタン的な理想に基いて移民に対して寛大な政策をとってきましたが、これは現実には多くの軋轢を生み出す結果になっています。賃金競争による単純労働者の所得の低下、雇用の不安定や失業率の増大、宗教・言語の違いによるコミュニケーション障壁や文化摩擦の高まりなど。
 こうした現象は、移民受け入れ策の必然的な結果と言ってもよいもので、だからこそ、移民規制の強化を訴えるナショナリズム的政党が国民の支持を得るのです。
 それなのに日本の安倍政権は、欧米に見習え式に「少子化に備えてこれから日本も移民を」などと愚かな政策を掲げています。欧米がこの問題でどんなに苦しんでいるか、そのリアリティを政策担当者はきちんと繰り込もうとしないのです。少子化対策を真剣に考えるなら、まず「勤労していない日本国民」、たとえば元気な高齢者やニートに焦点を当てるべきでしょう。移民受け入れは国益(国民の利益)を損なうことが明瞭です。
 安倍政権は、新自由主義にたぶらかされて、この問題の深刻さが見えなくなっているのです。経済界における新自由主義は、一部グローバル企業経営者や富裕な金融投資家の思想的バックボーンですから、国境を取り外し、自由な競争をあまねく行き渡らせることが善であるという信念に取りつかれています。
 日本の社会経済政策が、この信念をそのまま引き継ぎ、規制を緩和して市場をもっと世界に向かって開かないといけないなどという方向に走っている事態には、まことに嘆かわしいものがあります。むしろフランスの国民戦線やイギリスの独立党が、なぜ反EUの声を上げるのか、その現実的な事情をよくよく見るべきなのです。

 もともとEUモデルは破綻しています。これが破綻する理由は、私のような素人でもわかる単純なことです。
 一国の経済政策は、金融政策と財政政策との呼吸の合ったパッケージによって成り立ちます。
 金融政策は、中央銀行が担うもので、通貨量や公的金利の調節、手持ち公債の売りや市場に出回る公債の買い上げなどによって、景気の安定を図ります。たとえばデフレ期は供給過剰(モノがありすぎ)、需要不足(買いたくてもおカネがない)の状態ですから、モノが売れず物価が下がります。すると企業は投資を控えますから、そのしわ寄せがまず勤労者の所得に襲いかかります。すると消費がますます冷え込みます。この状態から脱するために中央銀行は、通貨の発行量を増やしたり金利を下げたり公債を買い上げたりすることによって、貨幣が市場に潤沢に出回るようにするわけです。アベノミクス第一の矢は、この政策のうちに含まれます。
 ところが、金融政策だけでは限界があります。というか、そもそも金融政策は、籠の片棒を担ぐ役割しかないのです。もう片方を担ぐ人がいなければ籠は持ち上がりません。それを担うのが財政政策です。これは政府が受け持つしかない。つまり公共投資を積極的に行って、国内の民需を引き出すのです。これをやらないと、企業はデフレマインドのまま足踏みし、いくら中央銀行が量的緩和を行っても、金融機関から企業にお金が回りません。
 銀行にお金ジャブジャブあるね、でもそれ借りて新しく設備や機械導入したり人雇ったりする経営者いないね。この状態を下世話な言葉で、「ブタ積み」状態と言います。
 そうすると得をするのはだれでしょうか。景気が良くなったと騒がれながらちっともその実感を持てないのはだれでしょうか。答えは明らかですね。
 もともとアベノミクス第二の矢とは、この積極的な財政出動を意味していました。しかしこれを果敢に行うには、財務省、マスコミなどの抵抗勢力があまりに強い。財務省が抵抗するのは、インフレ恐怖症、ケチ礼賛病という長年の宿あによるものですが、マスコミは単にバカなだけです。
 ともかく第二の矢は、公共事業の予算を早くも削られて、苦戦を強いられています。代わりに安倍政権は、デフレ期にはけっしてやってはいけない逆進性(低所得層に負担が多くかかる)を持つ消費増税などを断行して民を苦しめているわけです。
 おまけに経済学界では、金融緩和派(リフレ派)と公共投資派とが、理論をめぐって争い合う始末です。本来この両派はタグを組んでこそ意味があるのに……。特にリフレ派は、学者のメンツを保ちたいためか、いたずらに公共投資派に対する不毛な反論に明け暮れています。もちろん、すでにブタ積み状態になっているおカネを有効に使わせる政策を打つべき(第二の矢を適切に放つべき)と主張している公共投資派が正しいのです。

 EUに話を戻します。
 EUモデルがもともと破綻しているというのは、思い切りわかりやすく言えば、いま述べてきた金融政策と財政政策の担い手を、EU中央銀行(ECB)と各国政府に分裂させているからです。これはユーロという統一通貨を用いながら、その使い方は各国の方針に任せられるということを意味します。しかしより厳密に言うと、この財政政策でさえ、各国の自由に任せられているわけではないのですが、それはすぐ後で述べます。
 ヨーロッパには昔から国民性の違いが顕著で、勤勉な国、遊び好きで怠け者の国の区別がはっきりしていますね。そういう重要な(しかし計量化しにくい)国情の違いを無視して、統一通貨で一緒にやっていきましょうというのは、理想は麗しいかもしれませんが、現実には無理なのです。
 現にギリシャは財政破綻し、イタリア、スペイン、ポルトガルなどは破綻しかけていますが、危機を自国の金融政策で乗り切ろうとしても、それができない構造になっています。そこで、EU(実質的にはドイツ)に何とかしてくれと縋るわけですが、EUとしてはその要請をただで聞いてやるわけにはいかない。結果、要請国に厳しい緊縮財政を強いることになります。これがまた、その国の国民の不満を買います。
 そりゃそうですね。ただでさえ経営不振や失業で悩んでいるところへ持ってきて、おカネを使うな(デフレに甘んじろ)と言われたら、ますます国民の経済的な士気は下がってしまいます。悪循環です。

 この厳しい緊縮財政の縛りについては、次のようなからくりがあります。
 1993年に発効したマーストリヒト条約には、EU加盟の条件として「年間財政赤字額の名目GDP比が3%を超えず、かつ政府債務残高の名目GDP比が60%以内であること」と謳われています。同条約成立後に多少緩和されたようですが、文言としては生きています。この文言が生きている限り、EU諸国がデフレ傾向を脱却するために積極財政に打って出るのは極めて困難になります。
 しかも2008年のリーマンショック以後、実際には、「政府債務残高の名目GDP比が60%以内であること」という条件を守れている加盟国はほとんどなく、上に挙げた四か国以外にも、ドイツ、フランス、ベルギー、アイルランドなど、みな60%を超えてしまいました。つまり、この条件は実質的には空文化していることになり、だからこそやばいと思って、各国こぞって「財政健全化」、つまり緊縮財政に走らざるを得ないわけです。自縄自縛というべきでしょう。
 ちなみに、けっして財政赤字や債務残高の割合だけがその国の経済状態の健全・不健全を測る指標ではないのですが、この種の数字だけの尺度を金科玉条のように用いるところに、EUエリート集団の浅はかさが象徴されていると言えるでしょう(この点は、そのまま日本の「財政健全化」路線にも当てはまります)。

 こうして、EUの未来は暗いのです。
 ヨーロッパを一つにしようというこの構想は、もちろん、国際競争力で アメリカやソ連(当時)や日本に負けないようにしようという経済的な動機が大きかった。EUは、もとはEEC(ヨーロッパ経済共同体)と呼ばれ、域内貿易の自由化(グローバル化)などを目指したゆるい連合体でした。この段階では、斬新な試みとして内外の評判も良かったようです。
 しかし先にも述べたように、この構想は、集団心理学的には、二度の世界大戦で勝者も敗者もひどい目に遭ってこりごりしたそのトラウマに発していると言えるでしょう。「民族」の汚点をなるべく消したい。そのためには統一ヨーロッパという消しゴムが必要だ――しかしこの消しゴムは、それぞれの国の伝統を消し去ることはできませんでした。いまその矛盾が噴出しつつあるわけです。

 ところで、「対岸の火事」ではないと述べた最大の理由は、次の点です。
 域内グローバリズムを理想と考えたEUモデルは、そのまま世界のグローバリズムの縮小版なのです。新自由主義者たちが理想と考えるように、域内でヒト、モノ、カネが極端に自由に行き来するようになると、結局はどういうことになるか。各地域や国の特殊性、伝統、慣習、そして文化までもが蹂躙され、そのことによって多極化したエスニックな情熱がかえって奮然と盛り上がるのです。
 それが人性というもので、人性をきちんと織り込まない理想は必ず失敗するというのが歴史の教訓です。共産主義の理想が一番わかりやすいですね。EUの黄昏は、世界資本主義の未来を不気味に暗示していると言えるでしょう。
 ちなみに、EU当局が、財政破綻しかけた国の要請を聞き入れる代わりに条件として打ち出す緊縮財政の要求は、世界的視野に広げてみた時、かつての韓国、アルゼンチン、トルコ、一部のアフリカ諸国などにIMF(国際通貨基金)が突きつけた要求とそっくりです。こうして世界経済の覇権は、一部の国ではなく、ごく一部のグローバル資本家、グローバル投資家の手に移って行くのです。

 最後に、経済政策においてどこまでもおバカな日本政府に一言警告。
 新自由主義の申し子であるアベノミクス第三の矢・成長戦略などにうつつを抜かしていると、第一と第二の矢の連携の重要性を忘れ、一国内でも、EUと同じような金融政策と財政政策の深刻な分裂をきたしますよ(もうきたしているか)。
 EUモデルの破綻は、単に世界のグローバリズムの縮小版であるだけではなく、一国内の経済政策運営に対する強い警鐘の意味も持つのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『無法松の一生(度胸千両入り)』カヴァー・ベスト3

2014年05月27日 18時08分06秒 | 音楽
『無法松の一生(度胸千両入り)』カヴァー・ベスト3

『無法松の一生』(作詞・吉野夫二郎、作曲・古賀政男 一九五八年)は、『王将』とともに、村田英雄(2002年死没)のオハコとして名高い。村田英雄の名が大きすぎるせいかどうか定かではないのですが、男性歌手が同曲をカヴァーしている例はほとんどありません(管見の限り、氷川きよしが唯ひとりその例外ですが、you tube にアップされたものの録音・録画状態が悪いせいで印象が薄いのが残念です)。

それに対して、同曲をカヴァーしている女性歌手は、枚挙にいとまがないくらいです。you tube にアップされたものを列挙すると、島倉千代子・神野美伽・坂本冬美・天童よしみ・伍代夏子・中村美律子・長保有紀・石川さゆり・美空ひばり・島津亜矢・長山洋子の11名です。錚錚(そうそう)たる顔ぶれですね。女流演歌界のトップレベルの名で、ここにないのは、ちあきなおみと都はるみくらいではないでしょうか(ちあきなおみは、同曲をカヴァーしているようなのですが、残念ながらyou tube にはアップされていません)。

そのなかから、タイトルにあるように、ベスト3を選んでみました。その基準は、いつも申し上げているように、歌いっぷりが私のハートを揺さぶった度合い、という、私には自明だが余人に対しては決して明らかにしえない性質のものですから、お聞きになる方の感じ方とかけ離れていたらごめんなさいとしかいいようがありません。

第三位 石川さゆり
『天城越え』や『津軽海峡冬景色』で有名な石川さゆりですが、私個人としては、正直にいえば、これまであまり注目してこなかった歌手です。今回、彼女の歌いっぷりに接して、その歌手としての美質を再認識した次第です。それを端的に言えば、“歌詞が耳にすっと入ってくるすがすがしい美声”となります。その意味で彼女は、意外にも、春日八郎の流れを引き継ぐ歌手と言えるのでしょう。彼女には、その美質をもっと自覚していただきたいような気がします。ドラマテックな演出などあまり気にしないほうがいいのではないでしょうか。

無法松の一生(度胸千両入り) 石川さゆり 83 UPL-0056

第二位 天童よしみ
天童よしみといえば、私が小学校高学年のころに流行った『いなかっぺ大将』(原作・作画 川崎のぼる)の主題歌を歌った歌手、というくらいの認識しかなかったのですが、当カヴァー曲を聴いて、石川さゆりと同様に、その実力のほどを再認識しました。彼女は、この難曲を、楽しそうに歌う余裕さえ感じさせるほどの実力を有するすごい歌手なのです。似たような歌い方をする島津亜矢を選ぼうか天童よしみを選ぼうか、ちょっと迷うところもあったのですが、歌詞が聞き手の耳に届くときの明瞭さと軽やかな持ち味の有無という点で、天童よしみに軍配を上げました。
*アップしていた動画が削除されて、再アップしようとしたら島津亜矢との共演しかありませんでした。島津亜矢もなかなかのもですが、天童よしみには及ばないと思いました。(2019・03・20)
島津亜矢×天童よしみ 無法松の一生〜度胸千両入り〜


第一位 美空ひばり
変な言い方になりますが、できうることなら、第一位に選びたくなかった歌手です。「演歌の女王」と称される人を第一位に選ぶなんて、月並みですからね。しかし、卓越していると感じてしまったのですから、仕方がありません。では、その卓越性とは何なのか。それは、他の歌手が、作中の主人公である松五郎になり切って歌うことを表現の核心にしているのに対して、美空ひばりの場合、松五郎になり切るのと同時に、身体を張って生きている松五郎の切ない心を包みこむ優しいまなざしがキープされている点です。そうであるがゆえに、美空ひばりが、歌の最後の「男女波」(みょうとなみ)という歌詞を歌うとき、吉岡未亡人に対する松五郎の報われぬ恋心への哀悼の意がおのずと織り込まれることになるのです。その結果、玄界灘の荒波の鮮やかな像が聞き手の心中に陰影深く結ばれることになります。そういう芸当のできる歌手は、ほかにはいません。彼女がその歌手人生の最期に『川の流れのように』を歌うことは、その意味で、表現者としての彼女の必然的な帰結であった。そのことに、今回やっと得心が行きました。(お聴きになられる場合、もともとの音量があまり高くないので、ボリゥ-ムを上げてください)


美空ひばり/無法松の一生
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』に登場する神々について(その9)スサノオ・アマテラス神話⑤

2014年05月21日 18時50分38秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その9)スサノオ・アマテラス神話⑤

今回は、天の石屋戸(あまのいわやど)の場面の後段を扱います。前回の冒頭で申し上げたように、天の石屋戸は、スサノオ・アマテラス神話の最大のヤマ場であると同時に、『古事記』神代(かみよ)篇のそれでもあります。そのなかでも後段はとりわけ重要である、という感触があります。なぜそうなのかを含めて、今回いろいろとお話ができればと思っています。

『古事記』に関連する本を少しずつ読み進めていて、それなりに知識が蓄えられてきた感がなきにしもあらずですから、場合によっては細かい話が出てくることもあるとは思われますが、いたずらにトリビアリズムに陥るつもりはありません。『古事記』の本質に少しでも近づくことができればと思っての試みであることをご了承ください。

前置きはこれくらいにして、そろそろ本文に入っていきましょう。

弟スサノオの、高天原における乱暴狼藉の限りを尽くした振る舞いをかばいきれなくなった姉アマテラスは、天の石屋戸にこもってしまいました。すると、高天原はすっかり暗くなり、葦原中つ国のどこもかしこも暗闇になってしまいました。それゆえ、常夜(とこよ)が続くことになり、悪い神々の声がそこらじゅうに蠅の羽音のように満ち、禍がいろいろと起こります。とんでもないことになってしまったわけですね。

ここで注意したいのは、「石屋戸」とあるからといって、すぐに洞穴のようなものを連想してしまっては、ちょっと行き過ぎた解釈になってしまうということです(さっそく細かい話が出てきました)。というのは、「石」(いは)というのは、「天の磐盾(いはたて)」「天の磐船(いはふね)」「天の磐靫(いはゆぎ)」などの例があるように、呪言、すなわち、まじないに唱える言葉であるからです。いずれも、「岩でできた、石でできた」としてしまうのはどこかおかしいですよね。意味的には、「立派な」とか「ゆるぎない」とかいったニュアンスを添える言葉として受けとめるのが妥当のように思われます。本居宣長は、「石屋戸」について、次のように言っています。

必ずしも実の岩窟(いはや)には非じ、石(いは)とはただ堅固(かたき)を云るにて、天之石位(いはくら)・天之石靫(いはゆぎ)・天之磐船(いはふね)などの類にて、ただ尋常の殿(との)をかく云るなるべし。
(『古事記伝』)

また、西郷信綱氏は、宣長の上の言葉を踏まえて、次のように言っています。

「石屋戸」という語のという語の本体はヤドである。ただ、そういってしまったのではやはり片手落ちになろう。「天の石屋戸」という語がかたがた岩窟をも暗示していることは否めない(中略)。つまり「天の石屋戸」は両義にわたっているわけで、それは祭式のレベルと物語のレベルとがこの段では重なりあっていることに、関係がある。
(『古事記 注釈 第二巻』)

最後の方の、「それは祭式のレベルと物語のレベルとがこの段では重なりあっていることに、関係がある」という言い方になにやら聞き流し難いものを感じられた方は、なかなか勘が鋭いと思います。というのは、これは、『古事記』の根幹に婉曲に触れている言葉であるからです。「祭式のレベルと物語のレベルとがこの段では重なりあっている」とは、いったいどういう事態を指しているのでしょうか。さしあたり、氏の次の言葉を引きましょう。

天の石屋戸にしても、実際の岩窟ではない。天の岩屋戸の本体はヤドであり、やはり大嘗宮を下地にした表象であると考えられる。
(『古事記研究』)

氏は、天の石屋戸が、「大嘗宮を下地にした表象である」と言い切っています。それは、天の石屋戸神話と大嘗祭との間に深いつながりがあることを指し示しています。氏の、この主張を目にしてからというもの、私は頭のどこかでいつもそのことを考えている状態が続いています。そうして、考えるほどに、この主張あるいは指摘が、『古事記』神話の最深部に達するものであるという印象が強まってくるのです。言いかえればそこには、神話とは何か、神話と祭式との関係はいかなるものか、古代王権とは何か、さらには、天皇とは、日本とは何かという問題に深くつながるものがある。

このまま突き進んでもいいのですが、それでは(書き手と読み手の双方にとって)肩が凝ってくるような思いに襲われそうなので、いささか話の角度を変えましょう。

科学の洗礼を受けた私たち現代人の目に、この天の石屋戸神話は、日食現象をモチーフにしているものとして映ります。神話は、詩と同様に、意味の多義性や多層性を特徴としています。だから、そういう科学的な解釈を無下に否定するにはおよびません。

問題は、そういう解釈や理解によって何が導かれるか、ということでしょう。その解釈に従えば、神話とは、自然現象を科学的に理解し解明する知的レベルに達していなかった古代人が、彼らなりの原始的なやり方で自然現象を説明しようとした言語的試みの集積である、となるでしょう。それは、端的に言えば、十九世紀の西欧人がアジア人やアフリカ人に対して向けた眼差しと同質のものを含んでいます。そこには、自分たちの、科学に対する手放しの信頼を相対化する契機がまったくありません。そうして、私たち現代人は、十九世紀の西欧人の末裔です。それゆえ、私たち現代人にとっては、科学こそが信仰の対象なのです。私たち現代人はみな、多かれ少なかれ、科学教の信者であるほかはないのです。そのことが死角になってはじめて、先の神話観が出てくるのです。それではつまらないですね。猿山の猿たちが、彼らを眺めている観客を眺めながら、自分たちを観客だと勘違いしているのと変わりはないのですから。

だから私は、石屋戸神話日食現象説を無下に否定しませんが、それほど重宝する気にもなれないのです。

その点、天の石屋戸神話と大嘗祭との間の深いつながりに目を凝らそうとする西郷説は、実り多いものがもたらされそうな予感があるので、私は惹かれてしまうのです。

ということでふたたび西郷説に戻りましょう。氏は、「かくる」と「こもる」の違いに着目します。というのは、原文に、アマテラスが天の石屋戸に「刺(さし)こもり坐(ま)しき」とあるからです。この段は、俗に天の岩戸がくれの神話と呼ばれます。しかし、原文では記紀ともに、あくまでも「かくる」ではなくて「こもる」が使われているのです。その違いについて、氏は次のように述べています。

「こもる」は外界との関係を遮断することであり、今でもオコモリとか参籠(さんろう)とか使われているが、こうした語感を「かくる」は全く持っていない。ただの岩窟なら「かくる」でいい。しかし大嘗宮ならどうしても「こもる」でなければおかしい。
(『古事記研究』)

「カクルは視界内から外に去るという動きをあらわし、コモルは対象が奥に入りかくれた状態をあらわす」 
(『時代別国語大辞典』:『古事記 注釈』より孫引き)

「かくる」と「こもる」の違いに着目しているうちに、おのずと天の岩屋戸神話と大嘗祭の関係に目がいざなわれますね。そのことを確認したうえで、本文に戻りましょう。

深刻な事態をなんとかしようとして、八百万(やおよろず)の神々が、天の安河原に集まってきます。彼らは、この局面を打開する知恵者として思金神(おもひかねのかみ・あれこれの思慮を兼ね備えた神の意)を抜擢します。オモヒカネは、みなさまご存知のタカミムスヒの子どもです。この設定は、これから展開されるドラマのシナリオはすべてオモヒカネが作ったものであることを意味しているのと同時に、その背後で、タカミムスヒの神が鎮座して事態を見守っていることを暗示してもいます。タカミムスヒはとてもエライ神様だ、というわけですね。

「とてもエライ」どころではない、という言い方を西郷氏はしています。


タカミムスヒは、天之御中主、神産巣日とともにいわゆる造化三神にぞくし、天地の始め高天の原に成った神である。そしてこの段以降、タカミムスヒは天照大神と対になって、天孫降臨のことをはじめ大事をとりしきる神としてしばしば登場してくる。書紀の方ではむしろ、タカミムスヒが天照大神を出しぬき単独の司令者になっている傾向さえ強い。これらはいったい何を意味するか。その解答を今すぐ出すことはできぬが、以下の物語を読み進むうえで、また記紀を比較する上で、これは一つの大事な問題点になるはずである。
(『古事記 注釈』)

それにここで即答することは控えておいて、そういう問題点があるということを頭の片隅に置いて、本文を読み進むことにしましょう。

アマテラスを天の石屋戸からおびき出して、闇で覆われた世界に光を取り戻すために、オモイノカネは、どういう仕掛けをしたのでしょうか。

まずは、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めてきて鳴かせました。夜が明けたというわけで、アマテラスに「あれ?」といぶかしがらせようとしたのではないでしょうか。
常世は、光明に満ちた世界のことで、常夜とはむしろ正反対の意味を有します。また、長鳴鳥とは鶏のことです。

それから後のドラマの展開は、以下のとおりです。三浦佑之氏の口語訳が生き生きとしていて優れていると感じられるので、そこから引いてきます。氏の訳は、村の長老の語りという設定ですから、その口調はおのずからそういうものになっています。「~の」の畳み掛けが、この箇所の次第に熱をおびていくシャーマニスティックな息づかいをよく伝ええていると思います。引用者注が多くてわずらわしく感じられるかもしれないので、「注」とだけ記します。

天の安の河の河上にある天の堅石(かたしわ:錬鉄のための石――注)を取ってきての、天の金山の真金(まがね:鉄のことを指す――注)も取ってきての、鍛人(かぬち:鍛冶屋のこと――注)のアマツマラを探してきての、イシコリドメに言いつけて鏡を作らせての、つぎには、タマノオヤに言いつけて、八尺(やさか)の勾玉(まがたま)の五百箇(いつほ)のみすまるの玉飾りを作らせての、つぎには、アメノコヤネとフトダマとを呼び出しての、天の香山(あまのかぐやま)に棲む大きな男鹿の肩骨をソック抜き取っての、ハハカ(桜桃のこと――注)を取ってきての、その男鹿の肩骨をハハカの火で焼いて占わせての、天の香山に生えている大きなマサカキ(神事に用いられる常緑樹を広く指す――注)を根つきのままにこじ抜いての、そのマサカキの上の枝には八尺の勾玉の五百箇のみすまるの玉を取りつけての、中の枝には八尺の鏡を取り掛けての、下に垂れた枝には、白和幣(しろにきて)、青和幣(あおにきて)を取り垂らしての、そのいろいろな物を付けた根付きマサカキは、フトダマが太御幣(ふとみてぐら:立派な神への捧げ物の意――注)として手に捧げ持っての、アメノコヤネが太詔戸言(ふとのりとごと:立派な神への唱え言、祝詞――注)を言祝(ことほ)ぎ唱えあげての、アメノタジカラヲが、天の岩屋戸の戸のわきに隠れ立っての、アメノウズメが、天の香山の天のヒカゲ(ヒカゲカズラ科の常緑羊歯植物――注)を襷(たすき)にして肩に掛けての、天のマサキ(マサキノカズラ・テイカカズラの古名――注)をかずらにして頭に巻いての、天の香山の小竹(ささ)の葉を束ねて手草(たくさ)として手に持っての、天の岩屋戸の戸の前に桶を伏せて置いての、その上に立っての、足踏みして音を響かせながら神懸かりしての、二つの乳房を掻き出しての、解いた裳(も)の緒を、秀処(ほと)のあたりまで押し垂らしたのじゃ。
(『口語訳 古事記[神代篇]』)

すると、「爾(ここ)に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき」という事態になりました。

まずは、オモイノカネのシナリオに登場する神々に触れておきましょう。

アマツマラ(天津麻羅):「麻羅」については、三浦佑之氏が次にように言っています。「鍛冶屋のアマツマラという名前については、あまり明確には論じられてこなかったように思われます。それは、研究者たちの多くが、マラを男根の意味だと断定するのをためらっているからではないかと勘ぐってしまいたくなるほどです。しかし、アマツマラの「麻羅」は、男根をさすとみる以外に解釈のしようがありません。」(『古事記講義』)ほかの注釈書にも当たってはみましたが、三浦氏の男根説ほどにすっきりとしたものは見当たりませんでした。
イシコリドメ(伊斯許理度売命):名義不詳とされることが多いようですが、西郷氏は「溶けた鉄を堅石(かたしは)の上できたえて凝り固めて鏡を作るという意ではなかろうか」(『古事記 注釈』第二巻)と言っています。それに関連して、氏は「神名は物語そのものと不可分に結びついているのであり、それを分からぬままにしておくのは物語の読みを中断することに、ほぼ等しい。その点、このごろの諸注が「名義不詳」を乱発するのは、良心的に見えて実はそうではないことになる。神名解釈は一種の暗号解読に似ているわけで、何とか解こうと及ばずながらも努力すべきだと思う」とも言っています。この言葉を目にして、『古事記』に登場する神々の名の意味が気になってしょうがないというのがこの文章を書き始めた動機だったのにもそれなりの意義があったことになるなと思われ、腑に落ちるところがありました。

ところで三浦氏は、アマツマラとイシコリドメのペアについて、とても面白いことを言っています。

鏡は、溶けた金属を固め鍛える鍛人(かぬち)アマツマラと相槌のイシコリドメとによって作られた最高の作品でなければならないのです。アマテラスを引き出すためにもっとも重要な役割をはたす祭具なのですから。そして、溶けた金属が固められるのは、鍛人のマラが石のように固くなるからだと考えられているのです。もう少し想像をたくましくすれば、立派な鏡は、マラを石のように凝り固める女神の力で鍛人のマラが鉄槌のごとくに固くなることによって作り上げられるのだと考えているのです。そして、オモヒカネの演出では、その神話的な幻想が、そのまま演技として舞台の上に引き出されているのです。そのさまは、ウズメの神懸かり同様に、観衆を歓喜の渦の中に投げ込みます。
(『古事記講義』)

これは大胆ではありますが、なかなかいい線をいっている解釈ではなかろうかと思われます。

タマノオヤ(玉祖命):玉作部の祖。玉作部とは、勾玉,管玉,丸玉等の玉類の製作に従事した大和朝廷の職業部のこと。弥生時代以来存在した各地の玉作集団を部として組織したもので,その部民化の時期は五世紀後半以降と考えられています。
アメノコヤネ(天児屋命):中臣連の祖。中臣氏は、宮廷祭祀に与る最強力の氏です。中臣氏のなかで歴史上もっとも有名なのは、中臣鎌足です。彼は六四五年の大化の改新の功労者であり、六六九年の死に臨んで、藤原姓を賜りました。以後その子孫は藤原氏を名乗りますが、本系は依然として中臣を称しました。中臣氏には、当然藤原氏の後ろ盾がありました。
フトダマ(布刀玉命):忌部の祖。西郷氏が「フトタマとは玉作のタマノオヤより一枚上という意味ではなかろうか」(『古事記注釈』)と言っているのが妥当であるような気がします。忌部とは、古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族です。狭義には各地の部民としての忌部を率いた中央氏族の忌部氏を指し、広義には率いられた部民の氏族も含めます。平安時代前期には、名を「斎部」と改め、斎部広成により『古語拾遺』が著され上書されました。同書は、藤原氏を後ろ盾としてのしてきた中臣氏に対する巻き返しを図って書かれたのですが、それをもってしても、祭祀氏族の座が中臣氏に占有される事態を押しとどめることはできませんでした。

中臣氏と忌部氏とは、大嘗祭の祭式を中心的に担った氏々です。『古事記』の当場面では、それらの祖が、アマテラス再臨の儀式を担っています。その一事からだけでも、私は、天の石屋戸神話と大嘗祭との関連について、きちんと検討する必要があると言いうるのではないかと考えます。大嘗祭については、その詳細について後ほど触れることにしましょう。

アメノタジカラヲ(天手力男神):高天原にいる、強い腕力を持った神。腕力それ自体を神格化したもののようです。
アメノウズメ(天宇受売命):〈ウズは、「命の、全けむ人は、畳薦(たたみこも)、平群(へぐり)の山の、 熊白儔(くまかし)が葉を、ウズに插せ、その子」(景行記)(中略)とあるウズで、木の枝葉や花などを頭に挿したものをいう。ウズメはウズを頭に挿した女、すなわち神女・巫女のいいである。(中略)ウズメは猿女(さるめ)の祖である。〉(西郷信綱『古事記 注釈』)西郷信綱氏によれば、アメノウズメの系譜をたどっていくと稗田阿礼に行き着きます。そのことについては、いずれ触れましょう(天孫降臨神話のところで触れる予定です)。

天の石屋戸神話に登場するアメノコヤネ・フトダマ・アメノウズメ・イシコリドメ・タマノオヤの五柱の神は、天孫降臨神話で五伴緒(いつとものを)としてふたたび登場することになります。それは、西郷信綱氏によれば、天の石屋戸神話と天孫降臨神話とが、大嘗祭をモチーフにしたひとつづきの神話であるからです。この議論は、『古事記』の根幹に関わるものなので、しかるべきところで非才を顧みずにこころゆくまで展開するつもりでいます。

神々については以上のとおりです。次に気にかかるのは、いわゆる小道具関係ですね。

アマツマラとイシコリドメが作った鏡は、青銅製ではなくて鉄製です。そのことの意味を考えてみましょう。

世界史においては、青銅器の時代の次は鉄器の時代だと教えられます。ところが、日本では青銅器と鉄器が弥生時代に同時に入ってきました。するとどうなるか。青銅器は、実用の武器ではなくお祭りの道具となります。鉄の方がはるかに実用的であるからです。たとえば、銅の刀剣は、「斬る」ことがほとんどできません。だから、銅は銅刀ではなくて祭祀に使われる銅剣になります。銅鏡もまた銅剣と同じように祭祀に使われます。ところが上で述べたように、『古事記』に登場する鏡は、祭祀用であるのにもかかわらず、青銅製ではなくて鉄製です。それは、どうしてなのか。工藤隆氏は、『古事記誕生』(中公新書)で次のように述べています。

これはおそらく、弥生時代の終了と共に青銅器崇拝の時代が終わり、古墳時代の戦争の時代を経るなかで、武器や諸道具における実用性としての鉄の優位性が広く認識されて、徐々に「銅」より「鉄」に価値を置く観念が支配的になり、古伝承の「銅」がやがて「鉄」へと座を譲ったということなのではないか。

とするならば、少なくとも鉄製の鏡の箇所に関しては、古墳時代を背景にしているといいうるのではないでしょうか。

次に着目したい小道具は、占いに用いる鹿の肩胛骨です。この占い方について、『魏志倭人伝』(岩波文庫)に次のようなくだりがあります。

その俗、拳事行来に、云為(うんい)する所あれば、輒(すなわ)ち骨を灼(や)きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タク(かたく)を視て兆を占う。

このくだりから、三世紀のころの日本の占いがどのように行われていたのか、垣間見ることができます。引用文は、”なにか大きな事業を立ち上げるときなどに迷いがあれば、当時の日本では、動物の骨を灼いて吉凶を占った。中国では、亀の甲に焼けた鉄串などを当ててできる裂け目で吉凶を占っているが、日本では骨で行っている”というほどの意味です。また、弥生時代の遺跡からは、焼かれたいくつもの穴を持つ鹿の肩胛骨が発掘されています。ところが、700年初頭のヤマト国家の占い法は、中国と同じように亀の甲を用いるものに転じています(工藤隆氏『古事記誕生』)。

以上のことから、天の石屋戸神話には、弥生時代から続くとても古い占い法が保存されていると言いうるのではないかと思われます。小道具に着目すると、天の石屋戸神話には複数の違った時代が層を成して存在していることが分かります。

その次に気になるのは、白和幣(しろにきて)と青和幣(あおにきて)です。これは、何なのでしょう。正直、さっぱりわかりません。西郷信綱氏は、次のように言っています。

白二キテは楮(「かぢ」とルビをふってあるが、「コウゾ」の方が人口に膾炙しているのではないか――引用者注)の木の皮の繊維で作ったヌサ(幣)、白味を帯びているのでかく称する。青二キテは麻で作ったヌサ、青味を帯びているのでかく称する。(中略)『時代別国語大辞典』が、「二キテのテはタヘ(栲)の約とするのが通説である。しかし、テは、ヒラデ・ナガテのテなどのテと同様の、~なるものの意の接尾語と考える方が穏やかであろう。・・・
ニキは素材のやわらかさではなく、神を安める意の一種のほめ詞で、それゆえ、二キテは対になるアラ~の形をもたないのであろう」といっているのは、傾聴すべき見解である。

(『古事記 注釈』)

ヌサというのは、下の写真のようなものをイメージすればよいのでしょうか。ちょっと洗練されすぎているような気がしないでもありませんが。


幣(ぬさ)

パッとその姿が浮かんでこない植物の名前がけっこうありますね。写真を、二枚だけですが、かかげておきましょう。

まずは、アメノウズメが、たすき掛けにしている「ヒカゲ」すなわちヒカゲカズラの写真です。


http://nononn.sakura.ne.jp/2005072/2005-7-2.htm より転載させていただきました。)

次に、同じくアメノウズメが、かずらにして頭に巻いている「マサキ」、すなわちマサキノカズラあるいはテイカカズラの写真です。


http://plaza.rakuten.co.jp/dai24dai/diary/201106170000/ より転載させていただきました。)

いかがでしょうか。これらの写真をながめていると、アメノウズメの姿がおぼろげながらも浮びあがってくるような気がするのは私だけでしょうか。

アメノウズメが踊って活躍する場面は、とても印象に残りますし、描写がとりわけ生き生きとしていて迫力がありますね。その箇所を原文で引いてみましょう。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋(か)けて、天の真拆(まさき)を蔓(かずら)と為(し)て、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて蹈(ふ)みとどろこし神懸(かむがか)り為て、胸乳(むなち)を掛き出で裳緒(もひも)をほとに忍(お)し垂(た)れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。
(西郷信綱『古事記 注釈』より)

私は、この場面に、尋常ではないほどのエネルギーが渦を巻くようにして横溢しているのを感じます。その中心にアメノウズメがいる。そのことの意味を、西郷信綱氏の「稗田阿礼」(『古事記研究』所収)を導きの糸にして、いささかなりとも掘り下げて考えてみようと思います。

まずは、そのコスチュームをもう一度眺めてみましょう。何を着ていたのかについては書かれていないので、想像するよりほかはないのですが、薄手の生地の着物を身にまとってヒカゲカズラをたすき掛けにするとチクチクするのではないかと思うので、麻生地のような、ある程度厚みのある生地の着物を着ていたのではないかと思われます。ヒカゲカズラの緑が映える色は白ですから、着物の色はたぶん白色系なのでしょう。また、頭にはマサキノカズラ(テイカカズラ)をかずらとして巻き、両手に笹の葉の束ねたものを持っている。それを振って、葉の触れ合う音を発していることは間違いありません。それは、生命力に満ちた自然霊の霊妙な声と表象されていたのではないかと思われます。

そんなコスチュームを身にまとって、アメノウズメは、岩屋戸の前に桶を伏せて置き、その上に立ち、足踏みして音を響かせながら神懸かりし、二つの乳房を掻き出して、解いた裳の緒を、陰部のあたりまで垂らしているのです。

神懸かりして、思わず狂乱の振る舞いにおよんだ、というわけではなさそうです。なぜなら、すべては、オモイノカネのシナリオ通りなのですから。アメノウズメの振る舞いだけがその例外というのは、ちょっと理解しがたい。

西郷氏によれば、それは自然界の邪神たちを追い払う所作なのです。その意味で、それはとても攻撃的な所作であります。私自身、どうもそういう感じがしています。西郷氏は、その説を補強するために、日本書紀の一書を引きます。天孫降臨神話のくだりです。ここで、アメノウズメは、ほとんど同じ所作をするのです。

已にして降(あまくだ)りまさむとする間に、先駆の者還りて白(マウ)さく、「一の神ありて、天の八達之衢(やちまた)に居り。その鼻の長さ七咫(ななあた)、背の長さ七尺余り。また口尻(くちわき)耀(て)れり。目は八咫鏡の如くして、てりかかやけること赤酸醤(かがち)に似れり」とまをす。即ち従(みもと)の神を遣して、往きて問わしむ。時に八十万の神有れど、皆目勝(まか)ちて相問ふこと得ず。故、特に天鈿女に勅して曰はく、「汝は是、目人に勝ちたる者なり。徃きて問ふべし」とのたまふ。天鈿女、乃ちその胸乳をあらはにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほぞ)の下におしたれて、咲(あざ)わらひて向きて立つ。云々。

天の八達之衢(やちまた)に立つ面貌怪異な神とは猿田彦のことです。この神についてはいろいろと触れるべきことがあるのですが、いまは、アメノウズメの所作の意味と彼女のイメージについて話を絞り込みたいので、措いておきます。

アメノウズメの一見色っぽい所作が、挑みかかるようなものであることがこの箇所からはっきりと見て取れますね。何に挑みかかっているのか。それは、邪神に対してである、ということになりましょう。言葉にすれば「なめんなよ」となるのでしょうか。

また、ここでもう一点注目したいのは、「汝は是、目人に勝ちたる者なり」の文言です。また、古事記にも「汝は手弱女人(たわやめ)にはあれど、いむかふ神、面(おも)勝つ神なり」とあります。アメノウズメは、目が異様にきらきらと輝いていて、強いインパクトを与える風貌であることが、これらの言い方から分かります。これを西郷氏は、シャーマンの目であり、闇の中でも精霊たちを凝める力を有する目である、という言い方をしています。女優でいうならば、ちょっと古くなりますが、故高峰秀子が思い出されます。画家の梅原龍三郎が、彼女の肖像画を描こうとしたとき、その目が顔からはみ出してしまうほどに大きくなってしまうので、訝しがっていましたが、彼女の目の光が異様に強いことに気づいてようやく納得したというエピソードが、彼女の『私の渡世日記』に書かれています。高峰秀子は、人の心を救う女シャーマンだったのでしょう。

アメノウズメは、たとえば、下にかかげたような、棟方志巧が好んでよく描く女性像によく似ているのではないでしょうか。どうも、そんな感じがしてきました。言いかえれば、アメノウズメは、日本人の心の奥深くに潜在する女性の聖なる力を形象化している。それは、縄文時代の土偶に示されている力に通じるものです。棟方志巧は、そういうものを描こうと熱中しているうち、あっという間に人生が過ぎていってしまった。そういうことなのかもしれません。柳田国男は、それを「妹(いも)の力」と呼んで、日本人の心の宝物としてとても大事にしています。



シャーマンとしてのアメノウズメの力は、実に、圧倒的なものです。なぜならそれは、高天原から邪気を一掃し、八百万の神々の曇りのない朗らかな笑い声の渦を惹起し、それをきっかけに、アマテラスがお籠りをやめ、闇の世界がふたたび光を取り戻すことになったのですから。

アマテラスが、神々の笑い声を訝しく思い、天の石屋戸を細めに空けてから、ついに外界に引き出されるまでの、神々の連繋プレーは確かに鮮やかです。しかし、それについて触れるのは控えておきましょう。ここまででけっこうな字数になっていて、これ以上読み進めるのは、みなさま大変でしょうから。

一方、一連の騒ぎを起こした張本人のスサノオは、どうなったか。当然、追放です。次回は、そのあたりから話をしましょう。

大嘗祭のこと、猿田彦と猿目の女のことなど、いろいろと言い残したことがあるような気もしますが、あれもこれも一気に言い切るのが必ずしも良いこととは言い切れないでしょうから、今回はこのあたりで筆を置きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎朝新聞若手記者の会話(小浜逸郎)

2014年05月18日 02時09分24秒 | 小浜逸郎
以下は、小浜逸郎氏のブログ「ことばの闘い」から転載した文章です。

毎朝新聞若手記者の会話



ところは東京築地、お昼時のとある喫茶店。五月の爽やかな光がドア越しに差し込んでいます。私はアメリカン・コーヒーを味わいながら、西郷信綱の『古事記の世界』を読んでおりました。

すると二人の若い男が入ってきて、私の隣のテーブルに腰を下ろし、何やら困惑したような表情で、新聞を見合いながら話し出しました。どうやら二人とも、すぐ近くにある毎朝新聞に同期で入社した記者らしい。キャリア6、7年ほど、というところか。興味を引き付けられたので、彼らの会話の一部始終を聴いてしまいました。

以下はその忠実な再現です。

A記者:ウチの社説、読んだ?

B記者:いや、今日の午前中まで『美味しんぼ』の追っかけやんなきゃならなくてそれどころじゃなかった。俺はだいたい自社の社説なんてめったに読まないよ。文化部さんは読むのかい。
A:必要がなきゃ読まないけどさ。たまたま読んだら、これはいくらなんでもちょっとひどいんじゃないかと思って持ってきたんだ。

B:昨日の集団的自衛権のやつ?

A:あれはまあ、改憲反対、安倍政権反対、平和主義がウチの社是だから、型通りの一本調子で仕方がないよ。特定秘密保護法の時も、文化人、芸能人を駆り出す役目振られて苦労したよ。マンネリもいいかげんにしてくれと正直思ったけどな。

B:で、その持ってるのは?

A:15日の「路上の民主主義 自ら考え動き出す人たち」。ちょっと読んでみてくれ。

(B、読み始める)

 私はこれを聴いて、帰宅してからその記事を探し出しました。ここに全文転載します。

 変わらなければ。
 変えなければ。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験した2011年。「第二の敗戦」といった言葉も飛び交うなか、日本社会は深い自省と、根源的な変革を求める空気に満ちていた。
 それを目に見える形で示したのが、震災から約半年後に東京で開かれた「さようなら原発」集会だ。主催者発表で6万人が参加。ノーベル賞作家・大江健三郎さんは訴えた。「何ができるか。私らにはこの民主主義の集会、市民のデモしかない」
 あれから3年近くが経った。

 ■首相がまく種
 自民党が政権に戻り、原発再稼働が推進され、大型公共事業が復活する。
 何も変えられなかった。
 冷めた人。折れた人。疲れた人。民主党政権への深い失望と相まって膨らんだ諦念(ていねん)が、安倍政権の政治的原資となってきたことは否めない。
 反対意見に向き合い、議論を深める。民主制の根幹だ。しかし首相はどうやら、選挙で選ばれた、最高責任者の自分がやりたいようにやるのが政治で、反対意見なんか聞くだけ無駄だと考えているようだ。
 憲法の縛りさえ、閣議決定で「ない」ことにしてしまおうという粗雑さ。これに対し、与党が圧倒的議席をもつ国会は、単なる追認機関と化しつつある。
 気づいているだろうか。
 首相の強権的な政治手法とふがいない国会のありようが、自ら思考し、行動する政治的な主体を新たに生み、育てていることに。怠慢なこの国の政治家にとっては、幸か、不幸か。

 ■声を響かせる
 「『Fight the power』、これは権力と闘えって意味で、ちょっと過激なんすけど、まあ英語だから大丈夫かなと」
 憲法記念日に東京・新宿で行われた「特定秘密保護法に反対する学生デモ」。集合場所の公園で約400人が声を合わせ、コールの練習を始めた。都内の大学生らが主催した、党派によらない個人参加のデモ。ネットや友人関係を通じて集まった。
 出発。重低音のリズムを刻むサウンドカーを先頭に、繰り返される「特定秘密保護法反対」「憲法守れ」。堅苦しい言葉がうまくリズムに乗っかって、新宿の街にあふれ出していく。
 大学生たちがマイクを握る。
 「自分らしく、自由に生きられる日本に生まれたことを幸せに思っています。でも、特定秘密保護法が反対を押し切って成立した。このままじゃ大好きな日本が壊れちゃうかもしれないって思ったら、動かずにはいられませんでした」
 「私は、私の自由と権利を守るために意思表示することを恥じません。そしてそのことこそが、私の『不断の努力』であることを信じます」
 私。僕。俺。借り物でない、主語が明確な言葉がつながる。
 社会を変えたい?
 いや、伝わってくるのはむしろ、「守りたい」だ。
 強引な秘密法の採決に際し、胸の内に膨らんだ疑問。
 民主主義ってなんだ?
 手繰り寄せた、当座の答え。
 間違ってもいいから、自分の頭で考え続けること。おかしいと思ったら、声をあげること。
 だから路上に繰り出し、響かせる。自分たちの声を。
 「Tell me what democracy looks like?(民主主義ってどんなの?)」のコール。
 「This is what democracy looks like!(これが民主主義だ!)」のレスポンス。
 ある学者は言う。頭で考えても見通しをもてない動乱期には、人は身体を動かして何かをつかもうとするんです――。
 彼らは極めて自覚的だ。社会はそう簡単には変わらない。でも諦める必要はない。志向するのは「闘い」に「勝つ」ことよりも、闘い「続ける」ことだ。

 ■深く、緩やかに
 5月最初の金曜日に100回目を迎えた、首相官邸前デモ。
 数は減り、熱気は失せ、そのぶんすっかり日常化している。植え込みに座って、おにぎりを食べるカップル。歌をうたうグループ。「開放」された官邸周辺を思い思いに楽しんでいる。
 非暴力。訴えを絞る。個人参加。官邸前で積み上げられた日常と、新しいデモの「知恵」がなければ、昨年12月に秘密法に反対する人々が国会前に押し寄せることも、学生たちのデモも、なかったかもしれない。
 つよいその根は眼にみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
 (金子みすゞ「星とたんぽぽ」)
 たんぽぽのように、日常に深く根を張り、種をつけた綿毛が風に乗って飛んでいく。それがどこかで、新たに根を張る。
 きょう、集団的自衛権の行使容認に向け、安倍政権が一歩を踏み出す。また多くの綿毛が、空に舞いゆくことだろう。
 社会は変わっている。
 深く、静かに、緩やかに。


(B、読み終わる。しばらく無言)

A:どうだい。

B:これだれが書いたのかな。

A:そりゃ、PさんかQさんか、どっちかだろう。他にいるわけない。

B:あの二人、たしか団塊だったよな。

A:そう、全共闘世代。

B:あの世代の感覚って、こんなもんじゃないの。

A:お前、そんな他人事みたいな言い方で済ませられる問題か。

B:だけど社会部にも、こんなのたくさんいるぞ。

A:でもこれってさ、社会部や生活部発信の記事ならまだわかるよ。社説は社の顔だぜ。社説だよ、社説。これ、全然論説にも何にもなってないじゃん。俺、これ読んだとき同じ社の社員として恥ずかしくて思わず顔が赤くなったよ。

B:まあ、お堅い政治論説ばかり書いてる彼らも時々は情緒に浸りたくなるんじゃないか。それにしても、お前にしては珍しくいきり立つな。失恋でもしたか。

A:冗談はよせ。はばかりながら、これでも文化部記者のはしくれだからな。言語表現にはちょっとばかりうるさいんだ。社説には社説のモードってものがあるだろう。へたくそな詩みたいな文章がこういう場所に許されるのか。

B:でもさ、PさんもQさんもたしか文化部上がりじゃなかったか。それで、論説委員会でたまには「文化の香り」がする文章をって考えたんじゃないの。集団的自衛権の行使容認を前にして、その方が一般読者向けにアピールするんじゃないかって。

A:「文化の香り」が聞いてあきれるぜ。安っぽい文句のオンパレードだ。文化表現が政治言説に利用されてはならないというのは、俺たち表現で飯食ってる者が守るべき鉄則じゃないのか。
 そもそもなんでたかだか400人の学生集会やデモのことを社説に麗々しく載せるんだ。それって、きちんと論理で安倍政権の政策を批判できない無力と敗北を自分から露呈しているようなもんじゃないか。

B:そうかもな。だから初めの部分で「何も変えられなかった」と書いてて、悲壮感さえ漂っているじゃないか。結局、こういう方が効果があるって見方も成り立つ。

A:効果なんてないよ。いや、なまじあるからまずいのかな。
 ともかくこの文章、常識的に見てめちゃくちゃだぜ。たとえば、特定秘密保護法のどこがまずいのか、集団的自衛権容認の何がいけないのか、こういう政策が出てくる背景には、どういう国際環境の変化があるのか、一切書いてない。ただ権力がやることだから全部反対と騒いでいるだけだ。
「首相はどうやら、選挙で選ばれた、最高責任者の自分がやりたいようにやるのが政治で、反対意見なんか聞くだけ無駄だと考えているようだ」と書いてるけど、これも客観的に見て事実に反する。安倍首相は、与党内野党の公明党の了解を何とか取り付けようと石橋を叩いて渡るくらいの時間とエネルギーを注いでいる。
「憲法の縛りさえ、閣議決定で『ない』ことにしてしまおうという粗雑さ」という表現こそ粗雑だ。国会議決が不可欠のプロセスであることは自明で、たとえ形式的とはいえ、自民党はそういう民主主義的な手続きをきちんと踏もうとしている。
「自ら思考し、行動する政治的な主体を新たに生み」なんて書いてるけど、6万人が400人に減っちゃったんだろ。何にも新たに生んでなんかいないじゃないか。「コールの練習」だってさ。練習しなきゃ動き出せない集団がなんで「自ら思考する政治的な主体」なのかね。
 400人で、なんで「新宿の街にあふれ出す」ことができるんだよ。毎日数十万人の人々であふれかえっているのが新宿の街なんだ。
「何も変えられなかった」とか「守りたい」とか言ってながら、「社会は変わっている」だってさ。
「私。僕。俺。借り物でない、主語が明確な言葉がつながる」なんてのも、政治がそんな簡単なものじゃないってことを知らない中学生みたいな幼稚な調子だ。
 一番おかしいのは、「自ら思考し」と書いてながら、「ある学者」を引っ張ってきて「頭で考えても見通しをもてない動乱期には、人は身体を動かして何かをつかもうとするんです――。」などと言わせていることだ。これは語るに落ちていて、集会やデモ参加者が何も「自ら思考し」てなんかいないことを自己暴露しているじゃないか。

B:まあ、言葉尻をとらえれば、たしかにボロはたくさんあるな。でも、これはわが社の社是に矛盾しているわけじゃない。お前がなんでそんなに熱くなるのか、俺にはそっちのほうが興味があるな。

A:いや、要するに、ただの反権力気分に便乗するんじゃなくて、いまの政治の何がどうおかしいのかをきちんと論理的な言葉で説得するのが論説の使命だろうということだよ。論説はアジテーションじゃないんだから、ちゃんと現実を総合的かつ公正に見るべきだろう。いやしくもわが社は「一流新聞」の看板を掲げているんだぜ。でも俺には最近のわが社の政治記事は三流紙にしか見えない。文化欄だって、社の政治方針に思うざま利用されているんだ。

B:あんまりそんなことを本気になって考えていると、周囲に敵を作るぞ。「自由な」文化部さんといえども、風向き次第でガシャンと封殺されることなんかいくらでもある。

A:そういう処世術はありがたく承っておくよ。でも俺はわが社のために言っているんだ。こういう水準の低い文章を「社説」などと称してのっけていると、そのうち必ずしっぺ返しを食らうよ。「公正な報道を旨とする一流紙」という看板に胡坐をかいている傲慢な社風から一刻も早く抜け出さなくちゃいけない。

B:うーん、正論だ。少し説得された。
 ああ、そうそう。それで思い出したけど、今年の入社試験には、東大生が一人も受けなかったんだってな。他紙で初めて知ったよ。ウチのデスクが嘆いてたっけ。

A:残念ながら、さもありなむと思うよ。こんなことを続けていたら、優秀な若い奴にどんどん見放されるぞ。
まあ、お互い、部局は違うけど、できることをやっていこうぜ。

B:わかったわかった。俺だって金のためだけじゃなくて毎朝に希望を抱いて入ったんだからな。「自ら考え動き出す人たち」にならなくちゃな。

二人とも、快活なような、沈鬱なような、何とも複雑な表情を浮かべながら、席を立って店を出ていきました。あの毎朝新聞にもこういう若い人がちらほら出てきたのでしょうか。大新聞の下っ端記者も、あれでなかなか大変なんだな、という感想を抱きつつ、私は、再び『古事記の世界』に没頭したのでした。午後の日差しはまだ衰えを見せないようです。

*この文章を書くにあたり、朝日新聞5月15日付の社説をそのまま拝借いたしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』に登場する神々について(その8)スサノオ・アマテラス神話④

2014年05月09日 12時55分42秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その8)スサノオ・アマテラス神話④


スサノヲノミコト絵 島根県松江市の八重垣神社にある

今回は、天の岩屋戸(あまのいわやど)の場面の前段を扱います。この場面は、スサノオ・アマテラス神話のヤマ場であると同時に、『古事記』神代(かみよ)篇のそれでもあると言われています。それで、私としてもそれなりに下準備をしようとして、けっこう時間がかかってしまうことになりました。前回アップしたのが、四月半ばですから、今回はおおよそ一ヶ月弱ぶりのアップです。

その約一ヶ月の間に読んだ古事記関連本でとくに印象に残ったのは、西郷信綱氏の『古事記の世界』(岩波新書 一九六七年)です。というより、最近はほとんどこの200ページちょっとの一冊にかかりっきりだったと言っても過言ではありません。『古事記』の叙述と歴史的事実との対応関係を過度に気にする、戦後の実証主義的な風潮を力技で押し返し、あくまでも神話の固有性から『古事記』の叙述内容を読み解こうとする西郷氏の真摯な姿勢に、私は魅了されてしまったのです。その姿勢には、政治の関与から、文学の固有性をあくまでも守り抜こうとした小林秀雄のそれに深く通じるものがあるのではないでしょうか。ふたりともに、文学の本質について深い洞察を有していることは、いうまでもないでしょう。

いま私は、不用意にも「文学の本質」と言ってしまいました。言ってしまった以上、それについてすこしだけでもふれておきましょう。たとえば、吉本隆明氏の次の言葉を引いてみます。


「政治と文学」とか「政治と芸術」といって、文学や芸術は芸術的価値と同時に政治的価値も具えていなければいけないんだと言い出す人たちがいました。でも、ぼくらにいわせれば、どう考えてもその考え方には「人間が人間である」ことや「人間性」の問題が入ってこないわけです。(中略)「人間が人間である」ことや「人間性」が入ってこないような芸術あるいは文学というのはもともと成り立たないのです。
(『日本語のゆくえ』吉本隆明 光文社知恵の森文庫 2012年)


この文章のなかの、「人間が人間である」こと、とか「人間性」といった言葉が、文学が立脚すべきものを指し示しているのは間違いないでしょう。では、「人間が人間である」ことや「人間性」とは、いったい何なのでしょうか。端的に言ってしまいましょう。それは、身体性に深く浸潤された観念領域のことです。それをいささか具体的に、ドストエフスキーが『地下生活者の手記』で語ったような、一本の煙草と世界を引き換えにすることも辞さないと臆面もなく言ってしまえる人間の心の偽らざるリアルな一側面のことである、と言ってもいいでしょうし、既婚者がひとりの女を得るために自分の社会的地位をかなぐり捨てたり家族などの身近な人々の幸福を犠牲にしたり彼らを悲惨な目にあわせたりするところに露呈されるエロスの暴力性を指していると言ってもいいでしょう。文学の本領は、人間のそういう赤裸々な姿を少なくとも絶対に敵に回さないという覚悟を決めるところにあるのではないでしょうか。吉本氏が言いたいのは、そういうことだと思います。その意味で、人間の赤裸々な姿を無視したりさらには敵に回すことさえをも辞さない社会倫理と文学の倫理とは最後のところで絶対に相容れない一点を有するのではないかと思われます。

いささか脱線が過ぎたような気がします。西郷信綱氏の古事記論に話を元に戻しましょう。

彼の、強い磁力を有する卓越した古事記論を、当拙論に取り込むことがどこまでできるのか、ちょっと分からないところがあります。というのは、その磁力があまりにも強いので、つまみ食い的な取り込みをしようとしても、あまりうまくいかないような気がするからです。かといって、氏の古事記論に全面屈服したような話を展開してみても、あまり面白そうな読み物にはならないような気もするのです。

そこで、というわけでもないのですが、いささかなりとも分かってきたのは、前回取り上げた三浦佑之氏が、西郷信綱氏の影響を深く受けながらも、その磁場から抜け出す自分なりの道筋を見つけ出そうとして試行錯誤しているということです。そのことは、例えば、次のような物言いからもうかがうことができるのではないかと思われます。

この神話(『古事記』一般ではなくて、そのなかの天の岩屋戸神話を指している―――引用者注)には、冬至の頃に行われる鎮魂祭や大嘗祭(天皇の即位儀礼)が反映していると指摘されている。冬至の頃に、さまざまな民族の間で太陽の死と再生にかかわる祭儀が行われており、この神話にもそうした性格があるだろう。ところが一方、この神話はエロと笑いのドタバタ劇という性格ももっているわけだが、それは、冬至における祭儀という側面と矛盾するものではない。祭儀には、ここに描かれているような喧騒が必要だったのであり、あまり真面目一方に考えたのでは神話の本質を見誤る危険があるということにもなる。(三浦佑之『口語訳・古事記・神代篇』(文春文庫)


西郷信綱氏は、『古事記の世界』において、天の岩屋戸神話に冬至の頃に行われる鎮魂祭や大嘗祭が反映しているという主張を、神話の本質論として展開しています(ここは、本書の白眉のひとつでもあります)。三浦氏は、当然そのことを踏まえたうえで、上に引いた文章を書いています。そのうえで、当神話の「エロと笑いのドタバタ劇という性格」にスポット・ライトを当てて、「あまり真面目一方に考えたのでは神話の本質を見誤る危険がある」という言い方で、西郷古事記論と一定の距離をとろうとしています。そうすることで、その論の成す強力な磁場に吸い寄せられるのを回避しようとしている気がするのです。

これ以上の具体論は、後ほど展開することにしましょう。

要するに、ゆったりとした論調の三浦古事記論に触れるときに、ときおり、西郷古事記論を引き合いに出すほうが、大上段に構えて西郷古事記論を論じるよりも、話の流れがスムーズになるような気がするので、そうしたいと言いたいわけです。言いかえれば、自分の力量に合ったやり方をするに越したことはなかろうと思うのですね。

そろそろ本題に入りましょう。

前提条件のない、風変わりなウケヒをした後、スサノオは「自(おのづか)ら我勝ちぬ」と一方的に勝利を宣言します。やはり自分にやましいところはない、というわけです。それで収まればよかったのですが、そうはいかないところがスサノオのスサノオたるゆえんなのですね。スサノオはスサブ神、つまりやり過ぎてしまう神なのですから。彼は、勝った勢いに乗じて、高天の原で乱暴狼藉の限りを尽くします。それを以下にリスト・アップしてみましょう。まずは、次のふたつの悪業をなします。

・アマテラスが営んでいた田の畔(あぜ)を壊し、その溝を埋める
・アマテラスが大嘗(おおにえ)を召し上がる殿に入って糞をし、それを撒き散らす

しかしアマテラスは、それを咎めず、かえってかばおうとさえするのでした。「糞をしたのは、祭りの酒に喜び酔うて吐き散らす愛しい弟の振る舞いが、そう見えただけでしょう。また、田の畔を壊し、溝を埋めたのは、稲を植えるところが狭くなって惜しいというので、そんな振る舞いをしたのでしょう」というふうに。けれど、スサノオの乱暴狼藉はいっこうにやみません。スサノオは、次のような悪業をかさねてしまうのです。

アマテラスが、忌服屋(いみはたや。神聖な機織小屋)に入って、機織り女たちに神御衣(かんみそ。神のお召し物として神に捧げる衣)を織らせていたときに、スサノオは、その服屋の棟に穴を空け、逆さ剥ぎに剥いだ斑(まだ)ら馬の皮を、そこから落し入れたのでした。すると、布を織っていた機織り女がそれを見て(あるいは、被ってしまって)驚きのあまり、放り出した梭(ひ)で思わず陰上(ほと)を突いて死んでしまったのです。

ここは、分かりにくいところ満載ですね。少しずつ解きほぐしましょう。

まず、おやっと目を疑うのは、アマテラスが機織り女たちに神のお召し物を織らせているというくだりです。アマテラスは、高天原に君臨する最高神だったはずです。なにせ、父のイザナキから、高天原の統治を任されたのですから。そのアマテラスが、目下たちに神のお召し物を織らせているということは、自分がそれを着ると明言する言葉がない以上、アマテラスのほかに最高神がいるということになってしまいますね。その神のために織っている、と。このつじつまのあわなさに関しては、本居宣長や平田篤胤や鈴木重胤といった国学の超大物たちでさえも少々閉口したようです。では、それをどう考えればいいのでしょうか。西郷信綱氏は、その点について、次のように言っています。

天照大神の亦の名は大ヒルメ(紀)(日本書「紀」の意―――引用者注)で、これが太陽神の妻つまり巫女のいいであるゆえんを説いたが、忌御屋で神御衣を織る天照大神には、まさしくこうした巫女の面影がうかがえる。果たしてこの段の紀一書には、稚日女(わかひるめ)なるもの、斎服殿で神御衣を織っており、スサノヲが斑駒を逆剥ぎにして投げこむや機から落ちて死んだとある。稚ヒルメは大ヒルメの妹だなどと昔は考えられていたが、「大」と「稚」は巫女の位づけを示すもので、稚ヒルメは下にいう「服織女」にあたる。何れにせよ、ここにうかがえるのは紛れもなく巫女としての天照大神の姿である。ところが、これも前に指摘したように天照大神はもはやたんなるヒルメではく、“solarization”とともに光りかがやく日神として天上に持ち上げられた、新たな至上神なのである。(神の代理人である巫女が神そのものになる例は少くない。)(中略)しかしこの神には閲歴があり、天空にかがやく至上神と化した後もなお古いヒルメの影がつきまとっているわけで、神衣を織るのがすなわちヒルメとしての姿だとすれば、「大嘗きこしめす」のは高天の原の至上神としてであったと見ていい。 (西郷信綱『古事記注釈 第二巻』)


西郷信綱氏は、端的に「こうだ」という言い方はなるべく避けて、「こう読める」という言い方を好んでします。より良い読みに向けて開かれた読みを心がけているからこそ、そうなるのでしょう。それはそれでできうるかぎり尊重されるべきこととは思われますが、私なりに、彼が言わんとするところをまとめると、「神はその出自を引きずる」となります。あるいは、「神はその出自を引きずることにおいて神たりえる」と。アマテラスは、太陽神の妻としての巫女、すなわち、ヒルメという出自を引きずっているし、また、それを引きずることにおいて、アマテラスたりえている。だから、″アマテラスが機織り女たちに神のお召し物を織らせる″という言い方になる。とりあえず、そういうふうに言うことができるのではないでしょうか。

次に、原文で「天の斑馬(ふちこま)を逆剥ぎに剥ぎ」とありますが、「逆剥ぎ」とは何なのでしょうか。どうやら、獣の皮を尻の方からさかさまに頭の方に剥ぐことのようです。

そこで疑問が湧いてきます。天井から、獣の血まみれの大きな皮が落ちてきて、それが自分の身に降りかかったら、さぞかし驚くだろうとは思います。しかし、驚きのあまり放り出した梭(ひ)で思わず陰上(ほと)すなわち女性器を突いてしまうとは、ちょっと大げさ過ぎるしまた不自然なのではなかろうか。さらには、それで死んでしまうのはありえないことなのではなかろうか。正直にいえば、そう感じられてしまうのです。


機織り機の梭

ちょっとだけ言葉の説明をしておくと、梭(ひ)とは、機織り機で、張られた縦糸に横糸を通す道具です。尖った船のような形をしていて、糸が巻きつけてあるそうです。ここで想像を逞しくすると、馬→巨大な男性器→梭→陰上(ほと)への突き刺さり→性交となります。それで死ぬというのですから、そこには、タブーの侵犯という罪の存在が想定されることになるでしょう。書紀本文では、服織女ではなくアマテラス自身が傷ついたことになっています。そのことと、上記の連想とをすり合わせると、近親相姦の匂いがそこはかとなく立ち込めてくるような気がしてきます。すくなくとも、その痕跡が感じられることは間違いありません。

ここで、話の角度を変えましょう。

スサノオが、ウケヒの「勝ちさび」に高天原でなした悪業の数々は、「天(あま)つ罪」としてひとくくりにできるものです。天つ罪という言葉は、『祝詞』(のりと)の中の「大祓の詞」(おほはらへのことば)に出てきます(そのことの重要性に着目したのは、国文学学者・折口信夫氏で、それをきちんと評価したのは、吉本隆明氏です)。天つ罪の内容に入るまえに、『祝詞』に触れておきましょう。以下は、藤永芳純氏の「日本古代思想における悪」という論考を大いに参考にさせていただきました。https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/14627/1/doukyr_4_061.pdf

『祝詞』は現存のものとしては、『延喜式』〔延喜五年(905)下命、延長五年(927)成立〕の巻八にあるのが主なものです。『古事記』成立の約200年後に作られたことになりますね。だれが作ったのかについては何も記述がないそうです。なお、その中の「大祓の詞」には、罪の名前が書かれているだけで、それが何を意味するかについては諸説があることをおことわりしておきます。

「大祓の詞」で天つ罪としてあげられているのは、次の九つです。(記)は『古事記』に記載があるもの、(紀)は『日本書紀』に記載があるもの、です。

① 畔放(あはなち):田のあぜをこわすこと。(記紀)
② 溝埋(みぞうめ):用水路をこわすこと。(記紀)
③ 桶放(ひはなち):木で作った用水路をこわすこと。(紀)
④ 頻蒔(しきまき):他人が種を蒔いたうえに重ねて自分の種を蒔くこと。(紀)
⑤ 串刺(くしさし):他人の田に棒を立てて所有権を主張すること。あるいは、他人の田に串を刺して人を傷つけようとすること。(紀)
⑥ 生剥(いけはぎ):生きている馬の皮を剥ぐこと。(紀)
⑦ 逆剥(さかはぎ):馬の皮を逆から剥ぐこと。(記紀)
⑧ 屎戸(くそへ):神聖な場所に大小便をまき散らして汚すこと(記紀)
⑨ 許多太久の罪:その他多くの罪

以上九つのうち、スサノオは、①②⑦⑧の四つの罪を犯したことになります。では、天つ罪とは、いったいどんな罪なのでしょうか。これらの罪のうち、①~⑤は農耕に支障をきたしたり、農耕にまつわる所有権を侵害したりする振る舞いであって、農耕社会において到底見逃すことのできない罪といえるでしょう。また、それらの振る舞いは、共同体の秩序のみならず、支配者層の権力の源泉に対する看過しがたい脅威でもありました。古代史家の石母田正氏が、「大化前代における灌漑施設が、共同体または族長に所有・規制される公的財産であったとみるほかはなく、それに対する侵害が『国之大祓』の罪のなかで、性的タブーとならぶもっとも基本的な罪とされているのは当然であろう」(「古代法」『日本歴史4』)と言っているのは極めて妥当というよりほかはないでしょう。また、⑥~⑧は神聖なものを汚すことであり、祭を冒涜することです。さらには、そのことを通じて、祭祀王としての支配者すなわち天皇に対する反逆を意味する行為であると言っていいでしょう。

⑥⑦から、馬に対する支配層の強いこだわりが感じられます。そのことにちょっと触れておきましょう。

わが国に馬が渡来したのは古くても弥生時代末期ではないかといわれています。四世紀末から五世紀の初頭には乗馬の風習も伝わっていたようです。馬の用途は、主に軍事・輸送・農耕の三つですが、当初は軍事(儀礼用を含む)が中心であったようです。首長が死ぬとその愛馬を殉葬する風習もあったようですが、後になるとその代わりに土人形の馬(埴輪)を葬るようになりました。六四五年の大化の改新以降、駅馬・伝馬の制度がつくられ、公的通信手段としての馬の利用が制度化されています。六六三年、百済救援のために朝鮮半島に出兵し、新羅と唐の連合軍に大敗したこと(白村江の戦)をきっかけに馬の軍事的利用が政策課題となりました。http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/umabunka/04-shiru/01-ningen-history/01-nihon-history/01-denrai-kamakura/index.htm

以上、古代における馬の歴史をざっと振り返ってみましたが、この一瞥からだけでも、古代の支配層にとって馬がいかに貴重なものであったのかが分かるでしょう。馬を愚弄することは、支配者の権威に挑戦する振る舞いであったのです。

天つ罪に触れたついでに、国つ罪にも触れておきましょう。「大祓の詞」は、国つ罪として次のものをあげています。

(1)生膚断(いきはだたち):ひとを傷つけること
(2)死膚断(しにはだたち):ひとを殺すこと。あるいは、死人を傷つけること。
(3)白人(しらひと):肌の色が白くなる病気で、いわゆるハンセン病の一種。
(4)胡久美(こくみ):背中に大きな瘤ができること(所謂せむし)
(5)己(おの)が母犯せる罪 :実母との相姦(近親相姦)
(6)己が子犯せる罪 :実子との相姦
(7)母と子と犯せる罪 :ある女と性交し、その娘とも相姦すること
(8)子と母と犯せる罪 :ある女と性交し、その母とも相姦すること
(9)畜犯せる罪 :獣姦
(10)昆虫(はうむし)の災 : 地面を這う昆虫による災難
(11)高つ神の災 :落雷による災害
(12)高つ鳥の災 :猛禽類による家屋損傷などの災難とされる
(13)畜仆し(けものたおし):家畜を呪い殺すこと
(14) 蠱物(まじもの)する罪 :ひとに呪いをかけること
(15)許多太久の罪:その他多くの罪

(1) は傷害罪、(2)は殺人罪と死体損傷に当たります。これを罪とするのは、私たち現代人の罪感覚になじみます。(3)と(4)は、病気・障害なので、私たちの罪感覚にはなじみませんが、ここが古代に特有なところです。個人の責任でどうにかなるものではないのですが、健常ではないものを、生を阻害する穢れとしてしりぞけるのです。(5)~(9)には、近親相姦・乱倫・獣姦など性的に忌避すべきものがリスト・アップされています。なお、『古事記』人代篇・仲哀天皇段に、それらが罪として掲げられています。(10)~(12)は天災であり、これらもまた、個人の力ではどうにもならないものではあるのですが、古代人にとっては、生を阻害する災いとして罪になります。(13)~(14)は呪術です。古代人が、呪術の力を大いに恐れていたことがうかがわれて、とても興味深いですね。もっとも、いまでも「人を呪わば穴ふたつ」という諺が残っていますから、その力を軽く見過ぎないほうがいいような気がしないでもないですけれど。

仏教では、五悪として殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゅ)が挙げられます。それらと国つ罪とを比べると、重なるのは、殺生と邪淫だけです。偸盗と妄語と飲酒とが、国つ罪には見当たりません。あるいは、それらは(15)の許多太久の罪に入るのかもしれませんが、明記された項目として見当たらないのは、もしかしたら特筆すべきことなのかもしれませんね。つまり、偸盗と妄語とを禁止しなくて済むほどに、古代日本は平和な社会だったのかもしれないと思うからです。

私は別に古代日本社会を美化するつもりはありません。ここでちょっとだけ個人的なお話しをします。私は、長崎県の対馬で生まれ育ちましたが、小学校の低学年の頃(一九六七年)まで、我が家は縁側を開けっ放しにして寝ていました。それは、当時の田舎ではそれほど珍しいことではなかったのではないでしょうか。泥棒などの侵入者を心配していたら、そんな無防備な振る舞いはできませんね。そういう牧歌的な記憶が残っているので、けっこうすんなりと、古代日本はとても平和な社会だったのではなかろうかと想像してしまうのですね。

話を戻しましょう。スサノオは、ウケヒの勝ちに乗じて調子に乗りすぎたあまり、天つ罪を犯し、高天原の神聖さを汚し、その秩序を乱したがゆえに、結局、贖罪の品物を科され、鬚と手足の爪とを切って祓えを科され、高天原から追放されてしまうことになります。それはしかたのないこととは一応思いはしますが、どこかしっくりきません。なぜでしょうか。

よくよく考えてみれば、そもそもスサノオは、イザナキから神やらひされて根の堅洲国に行く前に、アマテラスにお別れの挨拶をするために高天原に立ち寄っただけだったのですから、高天原からあらためて追放されるいわれは実のところまったくないのです。スサノオからすれば、スサノオの痛くない腹をさぐって馬鹿げた大騒ぎをやらかし、事を大きくしたのはアマテラスの方なのです。すべては、アマテラスの疑心が招いた災いである、といえなくもない。おまけに、ウケヒの成立要件を欠いたウケヒをすることを余儀なくされてもいるのです。さらには、「男神は、私の子ども」というアマテラスの「詔り別け」だって、どことなくあわてて横槍を入れられた感触があって、スサノオとしては、これまたすっきりとしません。読み手としてもすっきりしません。

どこがどうとは細かく言えないけれど、どうにも腹の虫が納まらない気分に陥ったスサノオの乱暴狼藉ぶりは、深い同情に値するものだと言えなくないのではないでしょうか。ウケヒに勝って喜んでいる者が、あそこまで自滅的な振る舞いに及ぶとは、私には到底考えられないのです。そういうひっかかりを、三浦佑之氏は、次のように述べることでうまく言い表しています。

日本書紀では、男が生まれたら清、女が生まれたら濁、という前提がきっちりと語られている。また、オシホミミの名が、マサカツアカツ(正に勝つ我が勝つ)という冠辞を持っているのをみても、男が生まれたら勝ちというのが自然である。とすれば、スサノヲは負けたことになり、濁心があったということになるが、もう一つ厄介なのは、子を生み終えた後の、アマテラスの「詔り別け」である。考えようによっては、アマテラスが横やりを入れてスサノヲの吹き出した男神を奪い取ってしまったとも読めるわけで、もともとは「詔り別け」はなかったのかもしれない。そうだとすれば、男神を生んだのはスサノヲということになり、スサノヲの心は清かったということになる。どうも、この神話は本来の形からねじまげられているように思えてならない。そして、そのねじ曲げは、天皇家の、アマテラスから男系への接続を語るためにこそ必要だったのではないか。
                                     (三浦佑之『口語訳 古事記〔神代篇〕』)


そのねじ曲げは、アマテラスにとっては能動的な意識です。いっぽう、スサノオにとっては受動的な無意識です。それゆえ、スサノオは我知らず乱暴狼藉を働き、アマテラスはそれを甘受し、甘受しきれなくなると、天の岩屋戸のなかに姿を隠し籠もってしまったのでした。アマテラスのその弱々しげな姿に、私は、勝利者の抜け目なき狡知を感じとってしまいます。その狡知が、あくまでも意識的なものであるのかどうか、いまの私にはちょっと見通せないところがあります。それは、アマテラスが、岩屋戸の薄暗がりで、太陽神に仕える巫女であった自らの出自をどこかで懐かしんでいるところがあるのかどうかよく分からないという言い方と重なるものです。あまり分かりやす言い方になっていないような気がしますけれど、現状では、これでいっぱいいっぱいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする