美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

9.21日銀の総括的な検証とそのNHK報道について (小浜逸郎)

2016年09月25日 19時55分15秒 | 小浜逸郎


小浜逸郎氏ブログ「言葉の闘い」http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/arcv からの転載記事です。21日の総括的検証をめぐる、大手マスコミの日銀ヨイショぶりはひどいものです。管見の限りでは、「量から金利へ 苦肉の策」という小見出しを掲載した産経新聞がややまし、という印象を受けました。では、ごらんください。

  9月21日、日銀は政策決定会合で、「金融緩和強化のための新しい枠組み」と称して、量的・質的金融緩和導入以降の経済動向と政策効果についての「総括的な検証」を行い、その見解を発表しました。
 その要旨を見ますと(産経新聞2016年9月22日付)、例によって、事実と異なることが平然と書かれていたり、物価上昇が目標どおりにいかなかったことを「外的な要因」のせいにしています。
 たとえば――
 まず、「大規模な金融緩和の結果、物価の持続的な下落という意味でのデフレはなくなった」と書かれています。「物価の持続的な下落という意味での」と但し書きをつけているところがいかにも苦しいですが、事実は、4~6月の消費者物価指数はすでに発表されているとおり、0.5%下がっています。2%目標には程遠いのに、これを「デフレはなくなった」とは何事でしょうか。
 次にこの目標達成ができなかった原因を、原油価格の下落、消費増税後の需要の弱さ、新興国経済の減速といった「外的な要因」に帰しています。しかし、日銀は、そうした金融政策以外の要因とかかわりなく、リフレ派理論に従って、金融緩和だけで目標を達成できるとコミットメント(責任履行を伴う約束)したのですから、こういう言い訳は通用しないはずです。さまざまな外的要因をいつでも考慮のうちに入れておかなければ、そもそも目標設定の意味がありません。
 さらに、マネタリーベース(法定準備預金+現金通貨)の拡大が「予想物価上昇率の押し上げに寄与した」と書かれていますが、「予想」(=期待)と付け加えているところがミソで(誰が予想しているのか?)、現実の物価上昇率とのかかわりについては何も言及されていません。手の込んだ言い逃れです。当局が勝手に2%と予想すれば、それで「寄与」したことになるというわけです。予想して量的緩和を行い、その予想が全然当たらなくても、予想自体はもとのままなのだからその予想に「寄与」したのだ、というめちゃくちゃな論理です
 最後に、マイナス金利の導入が長期金利の低下までもたらしたので、国債の買い入れとマイナス金利との組み合わせが有効であることが明らかとなったと書かれています。マイナス金利の導入は、市中銀行の経営を圧迫するという大きな副作用をもたらしていますが、それについては何も触れられていません。おまけに、長期金利まで低下したからといって、融資は一向に促進されず、投資も消費もほとんど伸びず、実体経済には何の有効な結果ももたらしていません
 要するに今回の「総括的な検証」なるものは、全編、この間の日銀の政策が(2013年当初を除き)効果がなかった事実をあったかのようにごまかして正当化するための「検証」だったということになります。
 経済評論家の島倉原(はじめ)氏は、日銀が「これまでのコミットメントに加え、安定的に2%を『超える(オーバーシュート)』ことを現行のマネタリーベース拡大政策の新たなターゲットとする」と述べているのに対して、次のように書かれています。まったくこの通りというほかはありません。

しかしながら、もともと効果が乏しいと自らが認めている(この認識自体は正しい!)中央銀行の目標設定を、言葉遊びのレベルで「2%を実現する」から「2%を超える」に強めたところで、どれほどの上乗せ効果が見込めるというのでしょうか。
こうした政策を「新しい枠組み」として掲げていることが、むしろ現行の金融政策の迷走ぶりを示していると言えるでしょう。
(「金融政策の迷走」三橋経済新聞9月22日付)
https://mail.google.com/mail/u/0/#inbox/1574f72adf60f6a9

 もっとも島倉氏も私も、黒田バズーカが無意味だったと言っているのではありません。それはそれで一時的に円安、株高を導き輸出産業はいっとき息を吹き返しました。しかし3年にわたる「大胆な金融緩和」は、デフレ脱却にとって一番必要な内需の拡大にはまったく結びつきませんでした。これは金融政策だけではデフレ脱却には限界があるということを図らずも証明しているわけです。日銀としては、デフレ脱却のための政府の無策ぶりを公然と批判するわけにもいかず、苦し紛れの弁解に終始したということなのでしょう。
 このブログでも繰り返してきましたが、消費や投資が冷え込んでいるときに政府は消費増税という最愚策を断行して、日本経済にさらに致命的な打撃を与えました。また内需拡大のためには緊縮財政路線を即刻改めて、本来アベノミクス第二の矢であった「積極的な財政出動」を継続し続けなければならなかったのに、それも1年だけしかやりませんでした(ようやくその方向に舵を切ろうとはしていますが、財務省のプライマリーバランス回復論がいまだに大きく壁として立ちはだかっています)。
 
 さて9月21日の18時、NHKラジオ夕方ニュースでこの日銀の「新しい枠組み」問題を取り上げていました。ここに解説者の一人として登場した第一生命チーフエコノミストの熊野英生氏は、この件に関して、日銀の政策には限界があるので政府の財政運営に期待するという趣旨のことを語っていました。ここまでは一応同意できます。もっともこれは今回の日銀のペーパーにもすでに書かれていることですが。
 熊野氏はもともと日銀出身のエコノミストなので、日銀の政策に異を唱えないのはわからないではありません。問題なのは、彼が、この「新しい枠組み」によってデフレ脱却が可能なのかという最も聴取者の関心を呼ぶ疑問に対して、政府の財政運営への期待に言及しながら、脱却を困難にしてしまった2014年の消費増税の失敗や、いまようやくシフトしつつある積極的な財政出動政策についてまったく触れようとしなかったことです。
 熊野氏が、期待されるべき政府の財政運営として言及したのは、規制緩和による成長戦略(つまりアベノミクス第三の矢)であって、これは小泉改革以来の構造改革路線なので、百害あって一利なしです(拙著『デタラメが世界を動かしている』第三章参照)。
 熊野氏ばかりではありません。同席していたNHK解説委員の関口博之氏の解説や、アナウンサーのかなりしつこい質問の中にも、消費増税の「しょ」の字も財政出動の「ざ」の字も出てきませんでした。
 今日の番組のテーマは日銀の「新しい枠組み」と「総括的な検証」についてなので、それはまた別問題だ、という弁解があるかもしれません。しかし、すでに番組中で政府の財政運営について触れているのですから、デフレ脱却を遅れさせた過去の致命的な失敗事例に一言も触れないというのはおかしいですし、これから進むべき積極的な財政政策の前に財務省の緊縮財政路線が大きな壁として立ちはだかっている事情について何も語らないというのもはなはだ客観性に欠ける。マクロ経済問題を語るには、常に総合的な視野を手放さないようにしなければなりません。
 私の印象を付け加えるなら、ここにはそこに話をもっていかないような何らかの圧力がはたらいているか、そうでなければ、NHK番組構成陣の狭量な頭がそこまで及ばないかのどちらかとしか考えられません。一般の聴取者にとってただでさえ難しい経済問題です。公共放送NHKがこういう偏頗なレポートを続けているようでは、デフレ脱却へ向かっての国民の気運は、いつまでたっても高まらないでしょう。
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やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その4) (小浜逸郎)

2016年04月30日 12時08分21秒 | 小浜逸郎
〔編集者記〕「やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか」の最終回を転載します。ところで、本日の読売新聞電子版の「北の核・ミサイル問題への対応協議…日中外相 」という見出しの記事中に「中国はミサイル発射などの軍事挑発を続ける北朝鮮を問題視しており、会談では、国連安全保障理事会による対北制裁の履行に向けて日中両国で緊密に連携していくことを確認」とあるのを目にしました。一抹の不安がよぎったのは、私だけでしょうか。これを読むと、極東の軍事的脅威の最たるものは北朝鮮の暴発であり、それに対して、今後日中が連携して臨むかのように読めます。日本にとっての軍事的脅威の最たるものは、北朝鮮ではなくて、尖閣諸島・沖縄・南シナ海に覇権を及ぼそうとしている中共であって、当敵国と安全保障面で連携するかのような外交的スタンスの取り方をするのは、軍事同盟国アメリカの目に安全保障面でのダブルスタンダードと映るのではなかろうかと想像され、危惧の念が湧いてくるのです。日本の仮想敵は、本論中にもあるとおり、中共一国です。その認識と整合性のある対中外交を展開しなければ、日本は、軍事同盟国アメリカの不信を招くだけなのです。



***

 中国人は、厳しい大陸の環境で鍛えられた、強い個人主義、同族主義的な意識で自分たちを固めています。ですから、自分たちの利益になることは何でもします。役人の賄賂は当たり前で、そもそも中国語には賄賂に当たる言葉がないそうです。逆にわれに利あらずと見るや、責任などとらずに逃げ出してしまいます。党中央の周辺に群がる富裕層でも、人民元の価値が下がりそうだと踏めば、すぐにドルに換金して資本を国外に逃がしてしまいます。
  また州政府も必ずしも中央政府に従順ではなく、じつは面従腹背、勝手に自分たちの地域を治めているようです。うまく一国にまとまりようがないのを、共産党政府が強権によって何とかまとめているのですが、その共産党の中でも熾烈な権力争いが絶えません。全人代には各地方の代表が集まってきますが、委員が演説をしていても、妙にひっそりしています。野次など飛ばす人はいません。それは、演説文があらかじめ配られていて、それを読めばいいので、音声を聞いても言葉が通じないからです。
 さて、ここから美津島氏の問題提起の②に続きます。もう一度書きます。

②保守派の一部には根強い「中国経済崩壊待望論」は、その根に、にっくき強敵・中共が戦わずして滅んでくれないものかという脆弱な精神ならではの願望を隠し持っている証拠である。

 これはよく的を射ていますね。嫌中本はひところではないにしても相変わらずよく売れているようです。しかしここではまず、一般の中国人と権力を握っている中共政府とを分けて考える必要があるでしょう。「保守派の一部」にとっての「にっくき強敵・中共」とは、中国人一般ではなく、軍備拡張をどんどん行って膨張主義政策をとっている権力集団の中共政府です。これが戦わずして滅んでくれないかという願望を日本の保守派の一部が抱くのは、気持ちとしてはわかりますが、しかし、実際に中国経済が崩壊すると、国際社会全体に大きな悪影響をもたらすわけですから、一番困るのは周辺諸国です。つまり韓国であり北朝鮮であり日本です。
 中国のような巨大地域の経済および政治体制の崩壊(の危機)は、国内的には暴動や革命などによる政変のかたちをとるでしょう。あるいは戦国時代のように、いくつかの国に分裂するかもしれません。
  こうなった時、周辺諸国、ことに我が国にはどういう形で火の粉が降りかかってくるでしょうか。第一に大量の流民、難民が押し寄せてくることです。第二には、切羽詰まった現政権が国内矛盾を糊塗するために、反日をさらに煽り、場合によっては人民の不満のエネルギーを戦争に向けて発散させる形をとることです。あるいは、人民軍が党の統制に従わなくなり、勝手に暴走するかもしれません。また、国内分裂の場合には、各地方に核施設があるので、核兵器使用の管理統制が効かなくなります
  いずれにしても、私たちは中国経済の崩壊を「ざまあみろ」と喜ぶわけにはいかないのです。それどころか、いずれのシナリオを考えるにしても、いまの日本にはこの火の粉をきちんと振り払う力と心構えができていないという事実に戦慄すべきなのです。美津島氏が、保守派の一部の隠し持っている「脆弱な精神ならではの願望」を深刻な事態として憂慮するのは、こういうことを考えているからだと思われます。

  対中共戦略についてまとめましょう。
 私たちは最大のやくざ国家・中共の隣人として、絶妙なスタンスをとることを強いられているようです。

①南シナ海への侵略に対しては、アメリカの対抗措置をもっと実効性のあるものにするように促す。合わせて日本として可能な限りこれに呼応できる戦術を講じる。
②一方で、アメリカの「リバランス」の限界をよくわきまえ、日本がアジアの平和を守る盟主として友好国に主体的に連帯を呼びかけ、集団安全保障体制を確立する。
③また、中共の日本孤立化戦略に対抗するため、米露の媒介役として新しい日露外交を展開する。
④SDR入りなど、国際金融市場の常識に反するアンフェアな経済戦略に対しては、そのルール違反の事実をことあるごとに国際社会に向けて発信していく。同時にAIIBによって集められた資金が軍備拡張に使われることの危険を訴えていく。
⑤中国経済の崩壊とその結果としての政変によって起こりうる事態に備えて、流民・難民対策の真剣な追求、国防予算の一層の拡充、そして場合によっては、アメリカとの緊密な協調の下に、核武装の可能性も模索する。


 だいぶ話がきな臭くなってきたと感じられた読者もいると思います。しかし国内統治や経済の内実がぼろぼろなくせに国外には見栄ばかり張って覇権国家たろうとしている中共に、中長期的な視野で対抗するためには、これらのことを本気で課題に上らせる必要があると思います。(この項おわり)
コメント (2)
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やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その3) (小浜逸郎)

2016年04月27日 15時03分10秒 | 小浜逸郎
〔編集者記〕4月15日のロイターによれば、大陸中国の2016年第1・四半期の国内総生産(GDP)成長率は前年同期比6.7%増で、前年第4・四半期の6.8%増から鈍化し、6.2%だった09年第1・四半期以来、7年ぶりの低水準となりました。当論考で指摘されている大陸中国経済の減速ぶりが、いっそう明らかになった形です。



 この一、二年の中国経済の激しい減速については、すでにいろいろな数字や現象によって明らかになっています。それは田村秀男氏の指摘するとおり、不動産や設備への過剰投資による供給過多、金融バブルの崩壊、二千兆円を超える企業債務、輸入額の極端な落ち込みなどに現れています。ちなみに二〇一五年のGDP成長率の公式発表が6.9%とされていますが、これはデタラメで、実際にはマイナス成長だろうというのは、中国経済に関心のある人ならだれでも気づいていることです。
 中国のGDP成長率公式発表がデタラメだというと、近年の中国が急速に発展しその経済規模が日本を抜いて世界第二位にまで達したと聞かされている読者はいぶかしく思われるかもしれません。まずは中国の経済統計はまったくあてにならないという話を少しだけしましょう。
 これは、当の首相である李克強氏がそう発言していて、当てになるのは、鉄道貨物輸送量と電力使用量だと暴露しているのです。これらは生産と流通の実態を示しますから、ごまかしが効きません。もう一つごまかしが効かないのは、外国が相手である貿易額です。
 さて評論家の石平氏がある会合で語ったところによれば、二〇一三年にはGDP成長率が7.5%、電力の成長率が7.7%と、それなりに釣り合っていたのですが、わずか二年後の二〇一五年には、鉄道0.5%、電力▲11.9%、貿易▲8%、輸入額はなんと▲14.2%だそうです。これでGDP成長率6.9%が達成できるわけがありません。
 中国経済がこれほどひどくなったのには、その構造的要因が関係しています。GDPを構成するのは主として投資と消費ですが、中国の場合、投資の割合が七割と、他国に比べて異常に高く、その分消費の割合が低いのです(日本は消費約六割、アメリカは約八割)。これは、民間需要がついてこれないのに、国営企業がやたら設備や不動産や生産財や耐久消費財を作りまくって、結局は一般庶民がそれを消化しきれずに、過剰な在庫を抱えてしまうことを意味しています。
 それでも何しろ巨大な人口を抱えていますから、成長期には需要はいくらでもあると考えられ、人件費が安いので商品価格も低く抑えられていました。需要が供給を上回っている(インフレギャップ)間は、それ作れやれ作れで実際に生産活動も盛んでしたが、ここに政府の市場経済に対する未熟な認識が災いしたのか、生産と消費のバランスについての大きな見込み違いが生じました。やたらと人民元を刷りまくり、際限なく財政出動をした結果、インフレが深刻化します。人件費は急速に上がり始め、商品価格も上昇、逆に貨幣価値が下がったので、資本は海外に逃避します。日本など外国資本がうまみを感じられなくなったため生産拠点を東南アジアなど外国に移し始めます。石平氏の語るところによれば、人件費は十年間で三倍に跳ね上がったそうです。
 また中国はもともと都市と農村の貧富の差が激しい国で、農村から都市への移動の自由も許されていません。上位一割が所得の九割を握っており、沿岸部に八割の資本が集中しているとも言われています。こういうアンバランスな社会構造の国を、単に広大な国土と巨大な人口を抱えているからという理由で「魅力的な市場だ」と考えるのは間違いです。ミクロレベルでは、大成功を収める人や企業も当然出てくるでしょうが。
 要するにこの数年間の中国は、高度成長、急激なインフレ、急激なデフレという景気の波を驚くほど短期間に経験したことになります。いま中国大陸のあちこちには「鬼城」と呼ばれる巨大なゴーストタウンがいくつも存在します。価格は下がっていますが、買い手がほとんどつきません。膨大な在庫は、ダンピングによって国内及び周辺の発展途上国向けに捌かれるほかはないでしょう。するとますます価格低下が起き、デフレの進行に歯止めがかからなくなります。原油価格がこれだけ下がるのも、中国の輸入の落ち込みが大きく影響していると言われています。

 二〇一六年三月三日のNHK「クローズアップ現代」で、中国経済の減速を扱っていました。中共政府は、今年の全国人民代表大会(全人代)で、ゾンビ化した国営企業をつぶす、二百万人規模の中都市を百三十個作って企業を誘致し、農民を都市に移動させる、消費拡大のために農村にネット通販を導入する、資金力のある人に起業を勧めるなどの計画を発表したそうですが、どれも効果の見込めない切羽詰まった空想的な政策です。
ゾンビ企業の多くは石炭や鉄鋼、造船、建設資材など中国の基幹産業部門であり、これらをつぶすと大量の人々が路頭に迷います。その雇用問題をどう解決するのか。資源国オーストラリアとの貿易関係も悪化の一途をたどるでしょう。
 また、賄賂の効く企業だけが生き残ることになり、独裁体制がますます強まるとともに、人民の不満と怨恨がいっそう高まるでしょう。一説に、年間暴動数十八万件と伝えられていますが、もっと増えるに違いありません。
 二百万人都市百三十個の人口は二億六千万人、日本の人口の二倍です。財源はどうやって捻出するのか。独裁国家で資本規制が効くから、またまた大判振る舞いの財政出動で乗り切るつもりか。その後のインフレ→デフレのサイクルの繰り返しの解決策は?
 農民が不足したら食料問題をどうやって解決するのか。教育水準や生活水準の低い農民にインターネットを使いこなして商品を購入するだけの力があるのか。不景気の時の起業の試みは韓国でも日本でも、大多数が失敗に終わっています。これらのことが何も考えられていません。
 結局、こういうほら吹き的な政策をぶち上げて何とかなると考えるのは、大陸風の粗雑な国民性に由来するとしか思えません。
 一般に中国の民衆は、自分と自分の親族しか信頼していず、愛国心などは持っていません。そんなものを持つにはあまりに文化風土が複雑すぎるのです。中国は昔から時の政権がハッタリをかましては失敗し、王朝交代(革命)を繰り返してきました。しかもその王朝は異民族の征服や異民族同士の混淆によって成り立っています。そう、中国とは、日本人が考えるようなまとまりのある「国家」ではなく、もともと一つの(恐ろしい)グローバル世界なのです。
 万里の長城はいまでこそ、「偉大な」古代遺産として扱われていますが、北方民族の侵入を防ぐために築かれたというこの長大な遺跡は、何度も作りかえられています。実際にはいくらでも乗りこえが可能で、作られている脇からどんどん異族が侵入していたし、壁のこちら側と向う側での交易がおこなわれたこともあり、軍事的にはほとんど役に立たなかったという話を聞いたことがあります。それでも権力の誇示のために築城をやめない。そういう夜郎自大な大陸型国民性を今の中共もそのまま引き継いでいるのでしょう。中華「人民」共和国の支配者は、人民のことなど考えていないのです。
 欧州諸国が中国市場に幻想を抱いてAIIB(アジアインフラ投資銀行)に我先にと参入したり、イギリスが習近平氏と原発建設計画の契約を交わしたりするのも、この国(地域)が時の権力によってかろうじてまとまりの体裁を保ってはいるが、じつはバラバラであるという実態の恐ろしさをよく知らないからです。大英帝国時代のイギリスは植民地経営上、多少はよく知っていたでしょうが。いまではそれを忘れてしまったのでしょう。
 二〇一六年三月一日、米格付け会社の大手ムーディーズは、中国の信用格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げました(産経新聞二〇一六年三月三日付)。同記事によると、一四年末時点での地方債務残高は約四二〇兆円であり、一六年一月末の外貨準備高はピーク時に比べて約20%減ったとのこと。資本流出の流れは止まっていません。中共当局は資本移動の規制や人民元安の抑制策でこれに対処しようとしていますが、これは、景気回復のための金融緩和や財政出動策と矛盾しています。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるわけですね。また先述の国有企業つぶしでは、少なくとも六百万人の退職者が出ると見られているそうです。欧州諸国も、こういう記事を見せつけられれば、少しは幻想から覚めるのではないでしょうか。
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やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その2) (小浜逸郎)

2016年04月23日 17時09分29秒 | 小浜逸郎
ブログ編集者より:小浜逸郎氏の論考「やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか」の「その2」を転載します。文中、当ブログ編集者の名前が登場しています。今回読み直していると、拙論を過分なほどに高く評価していただいていることが身に沁みました。世界を見る目をできうるかぎり研ぎ澄ませてゆきたい。その思いを強くしています。


中国外務省から流出したと言われている「2050年の国家戦略地図」

 したたかな中共が日米分断のために仕掛けてきている歴史戦(情報戦)、軍事戦、経済戦に対して勝つために、日本はどういう構えで臨むべきか。この問題について私は、名ブロガー・美津島明氏との間でやりとりを交わしました。以下、彼の戦略的思考が最もよくわかる部分を中心に、その要約を記すことにします。
http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/8296dbef736bc6f829557a9b953b5108http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/4f3de8609978e49caac110f7026b0aa1
 私はまず、日本が「南京事件」と「慰安婦問題」という二つの歴史認識問題(情報戦)で惨敗を喫したこと、しかもこの敗北が単に中韓に対するものではないことを指摘しました。これは二〇一五年十二月二八日になされた「日韓合意」を欧米メディアがどう受け止めたかを見ればすぐにわかります。
http://jcnsydney.blogspot.jp/2016/01/ajcn_8.html ここには、かつての戦勝国である米英豪と国際連合、さらには、自分たちは反省したが日本は反省していないなどと嘘八百を言い続けているドイツまで含めて、じつによってたかって日本に敵対的な包囲網が形成されています。これを仮に「戦勝国包囲網」と呼んでおきましょう。
 ちなみに、ことわるまでもありませんが、中共は第二次大戦終結時、まだ成立していませんし、韓国は日本の統治下にあったのですから、いずれも戦勝国ではありません。要するにどちらも反日を正当化するために「戦勝国」であるかのごとくに成りすましているだけです。
 さてこれまで私は、日本の対米従属からの脱却と真の自主独立の重要性を説いてきました。これに対して美津島氏は、自分も心から「自虐史観」からの脱却を望むものであると断った上で、次のように述べます。

 野放図で無自覚で感情的な「脱自虐史観」ほど、中共の歴史戦にとっての好餌はほかにない。なぜなら、第一に、中共の歴史戦の狙いが、日米を分断させておいて、孤立した日本を叩くところにあるからであり、第二に、敗戦国・日本が不可避的に選ばざるを得なかった「自虐史観」から脱却しようとすると、必然的に情理両面からのアプローチによって反米が導き出されるからである。これは「心ある日本人の脱自虐史観」がもつ危険性である。

 つまり無自覚な「脱自虐史観」は、ただの感情的な反米意識につながることになり、それは、日本の孤立を狙う中共の思うつぼだというのですね。これは一見意表を突いているようですが、よく考えられた冷徹な指摘です。かつての対米戦争における惨めな敗北の大きな原因の一つが、アメリカのABCD包囲網による日本の孤立化政策にあったことは明らかだからです。
 しかしただアメリカの言うなりになることと、対米外交を通して対等で巧妙な駆け引きを行なって国益を引き出すこととはまったく異なります。この区別を明瞭につけない限り、日本はかえって永久に対米従属を通して中国の狙う戦勝国包囲網に取り巻かれてしまうでしょう。私のこの応答に対して、美津島氏は次のように説きます。

 中共が挑んでくる歴史戦の論点は、①南京事件問題 ②いわゆる従軍慰安婦問題 ③首相の靖国神社参拝問題 ④東京裁判史観問題 ⑤憲法改正問題の五つである。日本がこの戦いに勝つことは、敗戦国である日本にとって準世界大戦クラスの大きな意義を持つ。日本が中共に勝つためには、「戦勝国連合VS孤立した日本」という構図にハマることだけは避けなくてはならない。中共は、脱自虐史観がはらむ潜在的な日米対立を、はっきりと嗅ぎ当てていて、それを利用しようとする。この事実に対して、脱自虐史観論者は、自覚的であらねばならない。さもなければ、図らずも日米分断に加担し、日本の安全保障体制を危機にさらす愚を犯しかねない。
 Gゼロ状況下では、主権国家を健全なナショナリズムが支えることが必須となる。そこで、脱自虐史観は、大きな役割を果たすことになる。だから、それを捨ててしまうには及ばない。しかし一方で脱自虐史観は、反米の契機を有するがゆえに、日米分断を図る中共に徹底利用されるという弱点を持つ。私たちはこの両面性に目を曇らせてはならず、徹底的にリアリストでなくてはならない。アメリカとの関係に移して論じるなら、アメリカへの精神的な依存を断ち切った自立的精神で同国に臨む一方で、同国の属国という国際的に認知された客観的ポジションをフル活用する、ということになる。つまり、衰退するアメリカの覇権を側面からサポートするという位置からもろもろの提言をすることで、国益をちゃっかり追求するというしたたかな姿勢を堅持する必要がある。

 
 この反米でもなければ対米追随でもないマキャベリズム的なスタンスを維持することは、アメリカに対するたいへんな外交手腕が必要とされますね。そこで私は次のように応じました。それは具体的には、たとえば、冷戦時代からの仲の悪さを残しているアメリカとロシアの媒介者の役割を演じ、そのことによってロシアと中共との分断を図るというようなことであろう、と。
 この対米外交戦略は当然、同時に対露外交戦略でもあります。安倍政権は、対露外交のテーマを北方領土返還交渉に限っているようですが、この交渉は、プーチン政権にまったくその気がないのですから、いくら交渉を重ねても無意味です。ものほしさを見透かされて天然ガスを法外な値段で売りつけられるかもしれません。
 それよりは、欧米の経済制裁と原油価格の下落とルーブル安との三重苦を抱えているロシアの弱点をよく見抜いて、それに対する支援を提供する形で、ロシアが中共に泣きつくのを阻止する方向に外交の舵を切る方がはるかに有益です。そのことによって、アメリカにとって脅威である中露接近という事態を防ぐことができ、アメリカに対しても点数を稼ぐことができるわけです。
もちろん、日本がなぜロシアに接近するのかについては、アメリカに十分理解してもらう必要があるでしょう。大事なことは、外交には対一国相手ということはあり得ず、関係諸国の思惑を常に複合的に考慮しなくてはならないということです。
 美津島氏はまた、次の二つの指摘をしました。ここから話は、中共が抱える経済危機の問題に移って行きます。

①二〇一六年一月に行なわれたダボス会議において、黒田日銀総裁が、中共は資本規制を強化すべきだと発言したことは、中共を「大敵」としてはっきりと認識できずに、愚かにも敵に塩を贈ってしまう日本政府の脆弱な精神構造を象徴しており、こうした精神構造こそが「危機」のなかの最大のものである。
②保守派の一部には根強い「中国経済崩壊待望論」は、その根に、にっくき強敵・中共が戦わずして滅んでくれないものかという脆弱な精神ならではの願望を隠し持っている証拠である。


 この二点については、私も同じようなことを考えていて、大賛成です。
 ①については、少し解説が必要でしょう。幸いここに、産経新聞特別記者・田村秀男氏の的確な論説がありますので、それを導きの糸とすることにしましょう。
http://blogos.com/article/156836/

 黒田総裁は先の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、中国の資本逃避が止まらないことを憂慮し、北京当局による資本規制強化を提起した。この発言は国際金融界をリードし、国際通貨基金(IMF)も容認に傾いている。英フィナンシャルタイムズ(FT)紙は1月26日付の社説で、黒田提案を引用しながら、「中国には資本規制が唯一の選択肢」だと論じた。
 IMFもFTも、中国金融市場の自由化を条件に、人民元のIMF特別引き出し権(SDR)構成通貨への組み込みを支持した。資本規制強化はそれに逆行する。北京のほうからはそうしたくても、大っぴらにはできないし、IMFもFTも率先して言い出すのも具合が悪かった。そこで渡りに船とばかり、思いがけず飛び出した黒田節に飛びついたようだ。
 考えても見よ。資本規制強化で中国の市場危機が収まるとでも言うのだろうか。危機は中国の過剰投資、過剰設備と日本のバブル期をはるかに上回る企業債務とその膨張から来ている。資本逃避は人民元資産に見切りを付けた中国国内の企業や投資家、預金者が海外に持ち出すことから起きている。資本規制の強化はこの流れを当局の強権によって封じ込めるわけだが、同時に人民元を少ない変動幅でドルにペッグさせる管理変動相場制の堅持を意味する。


 田村氏は、この論説を皮肉たっぷりに結んでいます。

日銀が通貨スワップで中国の統制強化の手助けをするのは、金融や経済を超えた政治の領域である。日銀は日本の経済再生、脱デフレのための金融政策に撤すればよい。

 田村氏の言いたいことはおそらくこういうことです。中共は金融資本市場の常識である変動相場制に移行していず、ドルを基軸とした管理変動相場制を採りつづけていながら、EUやIMFに働きかけて人民元の国際通貨入りの約束を取り付けるというアンフェアな振る舞いをしている。それを黒田総裁がわざわざ後押しするような発言をするとは、反日国家を助ける利敵行為ではないか、と。まさに美津島氏の先の指摘と一致するわけですね。
 要するに中共は為替変動を市場に任せず、これからも独裁国家として為替操作を狡猾に行い続けるのでしょうが、それをIMFやEUは知っていながら、中国市場の大きさという幻想に目が眩んで、人民元のSDR入りを認めてしまったということです。IMFのラガルド専務理事はれっきとした親中派で、中共の執拗なはたらきかけに屈し、「自由な為替市場の実現に向けて努力する」という、まったくあてにならない曖昧な「約束」を信用したフリをしてSDR入りを認可してしまいました。田村氏は、元財務官僚の黒田総裁だけではなく、財務省国際局の元官僚の多くが親中派であることを具体的な事例を挙げて証明しています(月刊誌『正論』二〇一六年四月号)。
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やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その1) (小浜逸郎)

2016年04月21日 10時03分40秒 | 小浜逸郎
ブログ編集者より:小浜逸郎氏のブログ「ことばの闘い」に掲載された「やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか」シリーズ4回分を順に転載します。ここで用語について、ひとつ触れておきます。それは、「中共」という用語に関することです。当論考では、いわゆる「中国」という言葉が使われずに一貫して「中共」という言葉が用いられています。私も書き手として、当論考と同じ姿勢をキープしています。私の場合、次の三つがその理由です。①「中国」という呼称には、「ひとつの中国」という中国共産党のイデオロギーが織り込まれている。同党を利するような不用意なことをしたくない。言い換えれば、台湾の民主主義を側面支援したい。②「中国」という呼称を使うと、大陸中国が、中国共産党という全体主義的な権力によって独占的に支配されているという事実が糊塗されてしまう。③「中共」という呼称を用いることで、中国共産党に支配されている大陸チャイニーズとの密やかな連帯の念を表明したい。彼らを敵に回したくない。以上です。「中共」という呼称に違和感を持っていらっしゃる方がいることを最近知ったので、参考までに申し上げた次第です。

***



  ★一ヶ月以上もお留守にして申し訳ありませんでした。じつはいま、4月に刊行予定の『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)という本の執筆でてんてこ舞いしております。しかし、あまりブランクを置くのもどうかと思い、以下、4回シリーズで対中共戦略について書くことにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。また、近刊にご期待ください。

 アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの跋扈のような状態を呈しています。
 さて、やくざ状態といえば、中共こそは最大のやくざ国家であり、しかもわが国はそのすぐ隣にいるという恐ろしい関係に置かれています。中共の現状とたくらみに触れないわけにはいきますまい。まず東アジアの国際政治情勢から話しはじめましょう。
 中共政府は、周知のとおり、尖閣諸島の領有権の主張を始めとして、フィリピンから実効支配を奪った南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)での人工島における滑走路建設と旅客機着陸、西沙諸島(パラセル諸島)への戦闘機配備など、国際秩序を無視して矢継ぎ早にその露骨な膨張主義を実現しつつあります。
 さらに最近では、二〇一六年二月から中国船を南沙諸島のジャクソン環礁周辺海域に五隻常駐させ、フィリピン漁船を追い払っています(産経新聞二〇一六年三月三日付)。
 これに対するアメリカの対応は、次の通りです。
 まず尖閣問題に関しては、二〇一六年一月二七日、米太平洋軍のハリス司令官が、「尖閣諸島が中国から攻撃されれば、米軍は同諸島を防衛する」と発言しました。安全保障を現実に米軍に依存している日本としては、この発言が出てきたことは、一見心強いように思えます。また、このメッセージをもし中共側がまともに受け止めるなら、アメリカの軍事力を恐れている中共としては、「尖閣には下手に手を出さないほうがいい」と考えるかもしれません。そういう宣伝効果は確かにいくらかはあるでしょう。
 しかし、それほど期待しないほうがよいと思います。
第一にこの発言は、二〇一〇年九月の漁船衝突事件の時のオバマ大統領発言「尖閣諸島は安保条約の適用対象である」を、より具体的にブレイクダウンしたものにすぎないからです。オバマ大統領は、あの時、日米安保条約は自分が生まれる前から決まっていたもので、自分はそれを受け継ぐだけだとも言っています。ところでこの発言中の「安保条約」とは第五条を指します。第五条の該当部分は以下の通り。

 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 当時も議論になりましたが、この条文では、「武力攻撃」と明示されており、中共の部隊が漁民を装って尖閣に上陸し実効支配してしまうような「グレーゾーン」については触れられていません。また「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」と書かれており、もし米議会が尖閣有事に際して軍事行動をとることを否決してしまえば、この条文は生きないのです。もっとも歴代大統領がしばしば行使する「大統領令」を発動すれば、これは合衆国憲法第2条1項の「大統領の行政権」の範囲内にあると考えられますから、軍の最高司令官としてその種の指令を活かすことは不可能ではありません。しかし大統領が尖閣問題をよほどの国際的緊張として認識するのでない限り、当分の間、その可能性はないでしょう。在日米軍は沖縄基地を減らしてグァムに撤退させる計画をすでに何年も前から既定路線としています。
 さて今回のハリス司令官の発言も「尖閣諸島が中国から攻撃されれば」となっており、グレーゾーンは想定されていません。ですからこの発言はオバマ発言をただ繰り返しているだけです。
 第二に、このハリス発言によって、平和ボケの多くの日本人がさらに安心してしまい、「やっぱりアメリカさんが何とかしてくれるさ」と、相変わらず惰眠をむさぼりつづけようとする逆効果もあるということです。
 何度も言われていることですが、他国のいざこざのために自国民の血を流すほど、いまのアメリカはお人好しでもなく、その余裕もありません。外交・軍事を中東からアジアへシフトする「リバランス」というのも、「世界の警察官」をやめたことの言い訳として使われている気配があります。次期大統領の共和党指名候補として最有力視されているトランプ氏に至っては、安保条約の不公平を言い立てる始末です。彼のこの発言は、アメリカの内情を考えるかぎり、リアリティがあります。
 日本はいよいよ自主防衛を真剣に考えなくてはならない段階にきているのです。とはいえ、これはアメリカとの同盟関係、協力関係を断つというような意味ではまったくありません。

 次に南沙諸島人工島の滑走路と西沙諸島の戦闘機配備の問題ですが、米軍はこれに対抗して「航行の自由」作戦をこれまで二回行いました。一度目は二〇一五年一〇月に駆逐艦を、二度目は二〇一六年一月にイージス艦を、いずれも中共が「領海」と称する一二カイリ内を航行させたのです。今後もこの作戦を続けると宣言しています。
 また、ハリス長官は、二〇一六年二月二四日には、西太平洋に空母二隻を常時配備することは難しいと述べる一方で、最新鋭のズムワルト級ステルス駆逐艦や、攻撃型原子力潜水艦の前方展開を検討していることを明らかにしました。(産経新聞二〇一六年二月二六日付)
 さらにジャクソン環礁における中国船の常駐に対しては、カーター国防長官が、中国の「好戦的な行動」に懸念を表明、中国が軍事拠点化を追及すれば「それに見合う結果を伴う」として対抗措置を取ると警告しました(産経新聞二〇一六年三月三日付)
 さてこれらの対抗策ですが、これについても私は、アメリカの本気度を疑っています。というのは、中共のこの海域における振る舞いは、国際秩序を破壊する明白な軍事的侵略行為にほかなりません。それこそフィリピンやベトナムに対する「力による現状変更」です。にもかかわらず、アメリカは、威嚇効果、抑止効果を狙って軍用艦を通過させることと駆逐艦や原潜の前方展開を「検討している」と述べること、口だけの警告を発することにとどまっています。手ぬるいというほかありません。
 これまでのアメリカだったら、ただちに空母を海域に派遣し、即時戦闘態勢のプレゼンスを示すでしょう。また、同盟国オーストラリアや日本に対して具体的な協力を呼び掛けてくるはずです。このような緊張状態を作り出すことがいいことか悪いことかは別として、そういうことを迷わず敢行するのがアメリカという国についての私たちのこれまでの理解です。
 しかしこの対応を見ていると、いまのアメリカは、明らかに中共との間に西太平洋での緊張を高めることを回避しているとしか考えられません。軍事費も削減しなくてはならないし、「大国」中国との衝突となれば、ただでさえ厭戦気分の漂う国民の支持を得るのは並大抵ではない、ベトナム戦争以来膨大な戦費と犠牲者を出してきた結果、アメリカにとっていいことは何もなかった、はるばる西太平洋くんだりで戦端を開くより、さしあたって、山積した内政問題に集中した方が得策ではないか……とまあ、ホワイトハウスやペンタゴンが本当にそう考えているかどうかわかりませんが、いずれにしても、この問題に関してアメリカに過度の期待を寄せることができないのは確かです。
 一方、こうしたアメリカの行動に対する日本の対応ですが、支持表明はしているものの、具体的な協力行動は自分からは何もしていないに等しいと言ってよいでしょう。例によって拱手傍観の構えです。次期総理候補の一人と目されるある国会議員は、「南沙諸島の問題は日本には関係ない」と発言したそうです。
 私はこの事態を非常に憂慮するとともに、この国会議員の無知とノーテンキぶりにあきれます。尖閣問題というと、直接目に見える領土問題なのでわかりやすいため、日本人はすわ大変だと大騒ぎします。しかしどちらかといえば、むしろ南沙諸島、西沙諸島における中共の傍若無人ぶりのほうが、日本の国益、総合的な安全保障を脅かす大問題なのです。というのは、原発をいまほとんど停止している日本は電力の九割を火力に頼っていますが、その資源である石油の八割強を中東に依存しています。もちろん電力ばかりでなく、その他のエネルギー、民生品なども多くは石油を原料としています。それがみなマラッカ海峡経由で南シナ海を通って運ばれてくるのです。
 この日本にとって死活問題であるシーレーンをもし何らかの形で中共に押さえられたら、石油供給の道が閉ざされ、日本は一発でアウトです。いまの中共の対日戦略を見ていると、政治的には日米分断をはかる一方で、経済的には日本のシーレーンを断とうとしているか、そうではないとしても自国の「領海」を広げてそれをネタに何らかの干渉を仕掛け、こちらが拒否すれば無理な条件闘争に持ち込もうとしているとしか思えません。「日本には関係ない」などとバカなことを言っている場合ではないのです。
 先ほど、南シナ海におけるアメリカの対中行動が手ぬるいと言いましたが、アメリカの国益からすれば、それも無理からぬところがあります。対米従属と対米依存に長く慣らされてきた戦後日本人の多くは、「いざというときにはアメリカが何とかしてくれる」とどこかで思っているようですが、もうそういう時代ではありません。
 自国の安全保障は、軍事ばかりでなく、エネルギー、食料、医療、防災その他、すべて自国で守る力を持たなくてはなりません。目下の問題に関してアメリカにアジア諸国の軍事的安全保障に本気で取り組む気が逓減しているなら、日本こそが同盟国アメリカに対して外交手腕を発揮して、主体的に協力を呼び掛けていくべきなのです。
 たとえばこれは単なる一例ですが、アメリカが「航行の自由」作戦を決行したなら、ただちに日本もそれに呼応して、同じ十二カイリの海域にタンカーを通過させ、それを海上自衛隊に護衛させるといった具体的なアイデアが考えられます。これは憲法違反には当たらないはずです。
 中共は、日本列島、沖縄、台湾、フィリピンと連なる列島群を第一列島線と位置づけ、まずはこの内側の海域を支配することを考えています(すでに実行しつつあります)。もちろんこれは阻止しなくてはなりません。しかしこの時、アメリカがこれに積極的に対抗せず、断固たる措置を講じないなら、中共の実効支配が既成事実化していきます。すると次に、小笠原諸島から、グァム、サイパンなどマリアナ諸島へと続く第二列島線との間に大きな空白地帯が生まれます。中共は当然味をしめてこの空白地帯への進出を目論むでしょう。このようなじわじわと海洋進出を進める中共に対して、いったいどの国がこれに対抗しうるのか。
 答えは簡単です。名実ともに大国である日本こそが、アジアの平和を守る盟主として、台湾、フィリピン、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、インドなど、利害の共通する友好的な国々をまとめ上げ、集団安全保障体制を構築する役割を担うべきなのです。もっとも、答えは簡単でも、日本の政府や国内世論や野党勢力の体たらくを見るかぎり、こういう構想がすぐに実現するとはとても思えませんが。
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