美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

大瀧詠一、エルヴィスを語る(その3・完結編)

2019年10月02日 16時38分55秒 | 音楽

メンフィス

*エルヴィスをめぐって、大瀧詠一がいかに《ロック》なるものにこだわっているか、以下の文章からよく分かります。80年代の偉大なる「ポップス・シンガー大瀧詠一」のイメージが強烈に残っているせいで、「ロック・シンガー大瀧詠一」がかすんでしまった感があります。しかし——これは誰が言ったのか忘れてしまいましたが——1969年に登場した「はっぴいえんど」のメンバー4人、すなわち、細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂のなかで、ロックに対するこだわりが最も強かったのは大瀧詠一だったのです。そんな大瀧が、セールス的には鳴かず飛ばずの70年代を経て、81年に『ロンバケ』をひっさげ「ポップス・シンガー大瀧詠一」として私たちの前にその雄姿を現した経緯については、これから折に触れ述べてゆきたいと思っております。

こう書いて来ますと、60年以降はエルヴィスはロックをうたってないのか?という疑問がわくと思われますが、答えは残念ながらイエスです。スクリーンのエルヴィス、サントラ盤でのエルヴィス、素敵でした。しかし、何かを徐々に失っていきました。それは、熱いもの、初期の頃にこれがロックだ!と伝えてくれた熱気と興奮です。辛うじて『アカプルコの海』での「ボサノバ・ベビー」をうたうシーンで、その片鱗を窺わせたに止め、正直エルヴィス老いたりの感が強かったのです。

しかし、それを一番よく知っていたのは彼本人でした。

《エルビス・オン・ステージ》

で、ロックンローラーとして、キングとして甦りました。60年代は、お付きの作家が持ち帰りで曲を書いているといった感じで、ハッキリ言って駄作が多く、「サッチ・ア・ナイト」や「ラビング・ユー・ベイビー」といった古い録音の再発の方が新鮮に聞こえたものでした。そこで、ステージを再開した彼は、デビュー当時と同じように、他人の歌でも、うたいたい歌を片っ端からうたうという、思い切った初心に帰る方法を取ったのですが、これが見事に成功、初期の熱気と興奮を再現してくれたのです。ここでエルヴィスはロックとは何かを、再び教えてくれました。ステージであろうと、レコーディングであろうと《ライブ》であること、年令(ママ)には関係ないこと、必要なのは成熟ではなく、熟す間の緊張感のようなものだと、そして直接訴えかける姿勢が何よりも大事なロックの根本である、と。

デビューがブルースの「ザッツ・オール・ライト」で、再デビューが「ポーク・サラダ・アニー」と、彼の故郷・メンフィス地方に関係が深いのも何かの因縁だったのでしょう。

Elvis Presley.... Thats Alright (Mama)- First Release - 1954


エルヴィスのロックは、アクションと色気、この二語に尽きるという気がします。もう映画でしか見られませんが『さまよう青春』での「ミーン・ウーマン・ブルース」、『監獄ロック』での有名なシーン、『ラスベガス万歳』での「カモン・エブリ・バディ」、『オン・ステージ』『オン・ツアー』などで見られる彼の姿、あれがロックなんだナァと、しみじみ思う、今日この頃ではあります。

FOREVER ELVIS

(以上、終了です)

Elvis Presley - Mean Woman Blues ( HD)


Elvis Presley / C'mon Everybody (Viva Las Vegas) ラスベガス万才 / エルヴィス・プレスリー


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大瀧詠一、エルヴィスを語る(2)

2019年09月30日 15時57分21秒 | 音楽


*前回に続き、大瀧詠一のエルヴィス語りを『大瀧詠一 Writing &Talking』から引きます。

タイプⅡは、ブルブルふるえるコンニャクの幽霊みたいな声でうたう歌——「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」「アイ・ガット・スタンド」(同タイトルを検索しましたが、ありませんでした。「アイ・ガット・スタング」が正しいのではないかと思われます——引用者注)などですが、このタイプでは例の、上げた音程を急激に降下させる、アノ手が出てくるのです。

エルヴィスのファンの人なら誰でも大好きな、ワイヤーが切れて落下するエレベーター風唱法。頭からつまさきに刺激が一気に走ります。これはもうエルヴィスならではの独断場ですね。

Elvis Presley - I Need Your Love Tonight w/lyrics


Elvis Presley - I Got Stung


タイプⅢは、ミディアム・テンポで抑えに抑えたうたい方をする——「冷たくしないで」「恋にしびれて」「テディ・ベア」「アイ・ベッグ・オブ・ユー」——などがそうです。個人的にはこのタイプが一番好きです。長く聞いていると最後にはここに来るような気がするんですが、どうでしょう?バラードのようなうたい方あり、しかもビートもあり、一挙両得・二宮尊徳、一粒で二度美味しい、得をしたような感じがするサウンドだと思うんですが、我田引水の感、無きにしも非ずといったところでしょうか。

しかし、「冷たくしないで」がファン投票で5位にランクされたということは、日本のエルヴィス・ファンの質の高さを証明している、と思います、ホントに。

(次回が当シリーズ最終回です)

Elvis Presly Don't Be Cluel 冷たくしないで


エルヴィス・プレスリーElvis Presley/恋にしびれて All Shook Up (1957年)


Elvis Presley - Teddy Bear - 1957


アイ ベグ オブ ユー
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大瀧詠一、エルヴィスを語る(1)

2019年09月29日 23時21分42秒 | 音楽


*大瀧詠一いはく「自分はエルヴィスで産湯をつかった」「1956年にメジャー・デビューしたエルヴィスに、それまでのアメリカのポップスが凝縮されている」。などなどの発言から分かるとおり、大瀧詠一にとって、エルヴィス・プレスリーはとてつもなく大きな存在だったのです。付け加えれば、大瀧詠一とともに「はっぴいえんど」を事実上のリーダーとして結成した細野晴臣氏は、大瀧氏に対して、当時の同氏を振り返って「あなたといえば、どうしてもエルヴィスを連想するんだよね。あの、とても似ているんだけど、なんというか、ちまちまっとした、あの大瀧‐プレスリーは、とても強烈だったんだね」。〈大瀧詠一といえばプレスリー〉というのは、当時の松本隆も共有していることのようです。以下は、『大瀧詠一 writing & talking』 からです。

***

Elvis Presley - Hound Dog (1956) HD 0815007


『ハウンド・ドッグ』の出だしで、エルヴィスの声にしびれ、意味は分からなかったけれど、怒鳴っていることは当時小学生だったボクにも分かったので、一緒に大声をあげて怒鳴ったものでした。気持ちがスカッとするんですよネ。「お富売ビスさん」や「夕焼けとんび」では味わえなかった解放感でした。

*「お富さん」は春日八郎の、「夕焼けとんび」は三橋美智也の、それぞれ代表曲です。

《怒鳴ること!》
これがロックの第一印象でした。
ユエン ナズバラ ハンド―
友達のひとりは、ナズバラをナバラスと歌っていましたが、ひょっとすると、
所以 夏薔薇 反動
と歌っていたのかもしれませんが、何はともあれ気張って歌うのがロックである、という認識をこの曲が与えてくれました。このシャウティング・スタイルがエルヴィスのロック、タイプⅠです。「監獄ロック」「冷たい女」「恋の大穴」と初期の頃しか聞けません。

もちろん、中・後期にもその時々のシャウト唱法は聞かれますが、〈絶叫〉ということになると、喉チンコが見えるほど口を開けているジャケットが示すとおり、初期に限るようです。

監獄ロック/エルヴィス・プレスリー

冷たい女

エルヴィス・プレスリーElvis Presley/恋の大穴A Big Hunk o' Love(1959年)





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大瀧詠一「指切り」

2019年07月04日 20時22分24秒 | 音楽


このところずっと堅めの文章が続きました。ここで、ちょっとコーヒー・ブレイクを。
大瀧詠一の「指切り」をお聴きください。以下は、本楽曲を聴きながら読んでいただければ幸いです。

Eiichi Ohtaki - 指切り


本楽曲は、1972年11月25日に発売された大滝詠一のソロ・ファーストアルバム『大瀧詠一』の収録曲です。『大瀧詠一Writing & Talking』(白夜書房)から、『大瀧詠一』制作の背景に触れた大瀧自身の言葉を引用します。

(1971年11月20日に発売されたはっぴいえんど通算2作目のスタジオ・アルバムである――引用者補)『風街ろまん』をやってたときに三浦光紀が「大瀧くん、ソロをやらないか」って言ってきてね。で、リーダーの細野(晴臣――引用者補)に「ソロやらないかって話、来たんだけど」って聞いたら「話があるうちにやっといた方がいい」って言ったから、それでやる事にしたんだよね。巷では大瀧がソロの野望をむき出しにして、とか言われたけど(笑)。

今にして思えばベルウッドへのはっぴいえんど引き抜き作戦であったということがわかりますね。そのダシにオレが使われたんだな結局。ファースト・アルバム発表以降見かえりがありませんでしたけどね(笑)。

引用文中の三浦光紀は、はっぴえんどが所属するURCレコードの制作現場に出入りしていた、キング系レコード会社ベルウッド所属の人物です。

次は、本楽曲についての大瀧自身の解説です。引用は、1995年3月24日発売のリマスター版添付のライナー・ノーツから。

これは一番〈はっぴいえんど〉的ではないサウンドとでも言いましょうか、まさに今言われるところの〈ポップス〉作品第一号でした。テーマは(はっぴいえんどの楽曲で、大瀧がヴォーカル担当の――引用者補)「かくれんぼ」と同じ〈恋愛の不毛〉風のものでしたが、サウンド(コード進行)がポップスしていました。(同じテーマは次の松本作品「VELVET MOTEL」(1981年3月21日発売の『A LONG VACATION』収録――引用者注)に引き継がれます)そのサウンドのキーとなったのがフルートと女性コーラスでした。フルートを担当したのは吉田美奈子です。69年ぐらいに細野を通じて知り合いましたが、71年春頃には「五月雨」でベースを担当していた元・ブルース・クリエイションの野地義行と〈PUFF〉というグループを結成し、そこで確かフルート演奏もしていたように記憶しています。エンディングが長いのは、彼女のフルートの演奏を十分に聞かそうという配慮からです。「夢で逢えたら」のエンディングが長いのも彼女の歌を十分に聞いてもらおうという配慮からですヨ)

またここで初登場したのが〈女性コーラス〉です。当時のフォーク・ロック系に女性コーラスが使われると言うことは全くない時代でしたし、当時のバンドは演奏は自給自足ですから特に女性コーラスがセッションで起用されるということは非常に稀でした。(もちろん女性がいるグループは別ですよ)ここで初めてシンガーズ・スリーの〈伊集加代子〉さんと出会います。この後このアルバム、サイダー・シリーズ、ナイアガラの一連もの、80年代のソニー時代から「怪盗ルビー」(1988年小泉今日子の楽曲、作曲は大瀧――引用者注)まで、殆どの大瀧作品に参加することになるのですが、この頃はまだお互いに全くの手探り状態で、これほどの長いツキアイになるとは当時思いもしませんでした。一つ言い切れるのは、彼女達とこのようなサウンドとの組み合わせの第一号はこの曲である、ということだけは確かです。

そしてこの曲は74年に〈ナイアガラ第一号アーティスト〉となったシュガー・ベイブによってカバーされ、デモ・レコーディングやステージでと随分演奏されました。更に90年にはピチカート・ファイヴによってもカバーされ、〈大瀧詠一→山下達郎→田島貴男〉と歌い継がれた歌となりました。

このボーカル・テイクは一番最初にテスト的に歌ったものでしたが、吉野ミキサーが異常に気に入り、冗談ながらも「これを使わないならこの仕事を降りる」とまで言われたのでそれを使うことになりました。まだ歌を掴んでいないあやふやな感じが良かったのだと思います。(もちろん、何度歌ってもこれ以上のことはなかったと思います)

ちなみに、ボーカリストとして名高い吉田美奈子は、このときフルート&ピアノプレイヤーとして公式に初登場したことになります。印象に残る魅力的なフルート演奏ですね。抜群のセンスの良さを感じます。中学時代からの親友Sの一押しアーティストだけのことはあります。Sは、大学生のころから約40年間、山下達郎と吉田美奈子を相当に聴きこんでいます。

また、山下達郎は、とあるラジオ番組で大瀧詠一に向って、「指切り」が大瀧作品のなかで一番好きという旨の発言をしています。『大瀧詠一』を聴くまでは洋楽一辺倒だったが、本アルバムをきっかけに、日本のポップスもきちんと聴くようになったそうです。

パーソネルは、以下の通りです。
作詞:松本隆
作曲&アレンジ:大瀧詠一
ドラムス:松本隆
ベース:細野晴臣
ピアノ&フルート:吉田美奈子
コーラス:シンガーズ“Sexy”スリー
パーカッション:江戸門、宇野、多羅尾

「多羅尾」は大瀧詠一の変名、というのはわかるのですが。「江戸門」と「宇野」がだれなのか、よく分かりません。お分かりの方、教えていただけませんか?


一言だけ、個人的な感想を述べれば、大瀧詠一の肩の力の抜けきった繊細な歌声は、とても魅力的です。

ところで、Wikipediaによれば本楽曲は、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を意識して作られた曲だそうですが、ベースまでそのままでは面白くないので、ザ・ステイプル・シンガーズの「リスペクト・ユアセルフ」風にしたとの由。参考までに、当2曲も紹介いたします。

Al Green - Let's Stay Together


The Staple Singers - Respect Yourself
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大滝詠一特集(1)『NIAGARA CONCERT ‘83』について(その4)

2019年03月27日 20時35分18秒 | 音楽


今回は、『NAIAGARA CONCERT ‘83』CD2の最後まで行ってしまいましょう。

十二曲目は、「Train Of Love~サマー・ローション」です。当曲が歌われたのは、一九七七年六月二〇日渋谷公会堂での「THE FIRST NIAGARA CONCERT」においてです。なぜ「FIRST」なのかといえば、当ツアーが、ナイアガラ・レーベル発足以来初めてのコンサート・ツアーだったからです。七七年六月一九日の大阪毎日ホールを皮切りに、二〇日が渋谷公会堂、二一日が仙台電力ホール、二四日が名古屋勤労会館、二四日が福岡電気ホールという日程のなかでの、当収録は二〇日のものです。

「Train Of Love」は、ポール・アンカが作詞・作曲した楽曲で、アネットが六〇年四月に発表し、全米第三六位を記録しました。同年七月にはイギリスの女性シンガー・アルマ・コーガンが発表し、全英第二八位を記録しました。日本では、最近亡くなった森山加代子が「恋の汽車ポッポ」の邦題で六一年に日本語でカヴァーしました。
ここで大瀧詠一は、その歌詞を大幅に改変して歌っています。

「サマーローション」は、大滝詠一が資生堂のCMソングとして七三年四月に録音した曲なのですが、なぜかしら、一回しかオン・エアされませんでした。

参加ミュージシャンとしては、ギター村松邦男、キーボード井上鑑(あきら)の名が挙がっています。

原曲に触れると、アネットの小悪魔的ヴォーカルがなかなか魅力的です。

森山加代子に関しては、弘田三枝子や中尾ミエなどとともに草創期のジャパンポップスのシンガーとして、大滝詠一は、彼女を哀惜の念を籠めながら高く評価しています。森山加代子は、今年の三月六日に永眠なさいました。合掌。個人的な経験になりますが、一九七〇年、当方中二の春か秋に、函館の野外会場で彼女が歌うところを生で(無料で)観ています。中学生の私にとっても、はじけるような、とてもキュートな歌いっぷりだったことが、いまでも印象に残っています。自然体のコケティの持ち主と申しましょうか。彼女の生来の持ち味なのでしょうね。

Annette Funicello - The Train Of Love


森山加代子 恋の汽車ポッポ(1) 1961 / The Train Of Love


十三曲目は、「Dream Lover~Travelin’Man」のメドレー。一九七六年一〇月七日渋谷公会堂で実施された「GO!GO!NIAGARA」で歌われたものです。

「Dream Lover」は、ボビー・ダーリンが五九年四月に発表した自作自演の曲で全米第二位を記録し、「Travelin’Man」はリッキー・ネルソンが六一年四月に発表した曲で全米第一位を記録しています。当曲の作者ジェリー・フラーは、リッキー・ネルソンに多数の楽曲を提供しているほかに、ゲイリー・パケット率いるユニオン・ギャップの「ヤング・ガール」などのヒット曲を作詞・作曲しています。

Bobby Darin - Dream Lover


Travellin' Man Ricky Nelson


十曲目の「Who Put The Bomp」もそうですが、曲調やテンポやコード進行が似ている曲をさりげなくメドレーにしてしまうところに、大滝ワールドの大きな特徴がありますね。

十四曲目は、「Blue Suede Shoes」です。エルヴィス・プレスリーが五六年三月二三日に発表した楽曲で、全米二四位を記録しました。作者のカール・パーキンスのヴァージョンは五六年一月に発表され、全米カントリー・チャートで第一位、ポップチャートで第二位を記録しています。二人のプレイを掲げておきましょう。

Elvis Presley - Blue Suede Shoes 1956 (COLOR and STEREO)


1956 HITS ARCHIVE: Blue Suede Shoes - Carl Perkins (a #1 record)


演奏メンバーに、エレキギター村松邦男、キーボード坂本龍一の名が見られます。

一五曲目は、ポール・マッカートニーの「Yesterday」です。録音状態は決して良くないのですが、一九六六年十一月三日、岩手予餞会での演奏というだけでも話題性十分です。高校生のころの歌、ということになりますね。このころのヴォーカルにすでに大滝詠一らしさがうかがえます。

(次回に続く)
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