美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

先崎彰容 「「権威」とは、なにか ―民主党政権三年間を総括する―」 (イザ!ブログ 2012・12・11掲載)

2013年12月05日 01時40分27秒 | 先崎彰容
この国の民は、「過去」におきた出来事を忘れっぽい。今回の衆院選が終われば、マスコミや世論は、今後の政局に話題を集中し、口角泡を飛ばしはじめることだろう。主役は自民党や日本維新の会などであって、民主党政権とはなんだったのか、議論や総括などしないはずである。だから一六日の投開票に先回りして、ここで民主党政権の三年間を総括したいのである。だから「過去」とはなんのことはない、いま現在わたしたちが政権を委ねている民主党のことを言っているにすぎない。

一二月六日の新聞は民主党の政権陥落と、意外なまでの自民党の躍進を予測している。毎日新聞の世論調査によれば、自民党は単独過半数の勢いをしめし、民主党は大敗、第三極の台風の目・日本維新の会もさほどの伸びは示さないらしい。

前回の特別寄稿とおなじく、筆者の評論の関心は、一貫して「時代の背景をよむ」ことにしかない。現実世界には政治や経済さらに外交問題と日々めまぐるしく事件事故がおこる。その事件事故へのおしゃべりは、政治評論家や国際関係論の専門家にお任せする。筆者の関心は、それらの事件の背景にある、日本人の精神構造、無意識のうちに陥っている私たちの傾向にある。紙面の裏に透けてみえる私たち自身の心の構えにある。それは日々の出来事からすこしだけ視線をはなすこと、物事を俯瞰することによって見えてくる。それを筆者は「時代の背景をよむ」と言っているのだ。

空洞化する権威
三年間の民主党政権で、なにが白日のもとに曝されたか。

三年前の選挙で、わたしたち自身が民主党を選んだ以上、民主党の失態は国民自身の失態である。筆者はふたつの象徴的な事例から「民主党とは、なんだったのか」という問いに答えよう。

民主党政権の三年間でもっとも大きな事件が、昨年の東日本大震災とその後の復興政策にあることは言うまでもない。三月一一日、時の政権トップに座っていたのは、まだ野田首相ではなく、菅直人氏であった。菅氏があいつぐ福島第一原発の水蒸気爆発にパニックをおこし、首相官邸で、あるいは現地で怒号を挙げていたことを記憶している人もいるはずだ。

では次のような光景を覚えているだろうか。

二一日、福島県入りした首相は、田村市総合体育館を訪れた。大熊町・富岡町・川内村を追われ、避難を余儀なくされていた人々がそこにはいた。どれだけの時間そこにいて、なにを話したのか、実際のところは不明である。しかしテレビ画面に何度も映されたのは、足早に帰ろうとしている首相にたいして、「もう、帰るんですか!」と声を荒げた夫婦のシーンであった。

菅氏はすこし、うろたえているように筆者にはみえた。踵を返して彼らのもとに足を運び、そして話をしているようだった。

この映像に「民主党とは、なんだったか」を解き明かす第一の鍵がある。

考えてもみればよい、一国の首相と呼ばれる人物に、いかに混乱と困難があろうとも、わたしたち市井の人間が詰問すること、これは異常な事態である。異常だという感覚があればこそ、テレビは繰り返しこの映像を流したに違いない。ではなにが「異常」なのか。わたしたちが漠然と抱いてしまう違和感とはなんなのだろうか。

それは次のようなことだ。

民主党政権の中枢は、いわゆる「団塊の世代」によって占められていたはずである。菅直人氏自身が、市民運動から身を起こしたいわゆるリベラル派の人物である。団塊の世代が若いころ行ったことは、権威にたいする違和の表明であった。大学行政でも国家権力でもよい、体制とよばれているものに対して不満を表明し、場合によってはとにかく既成のものへ「NON」を突きつけること、これが若者の特権とすら思われていた。

その後彼らは若者を卒業し、大人として社会へと巣立っていった。社会の歯車をまわす一員となり、彼らは、今度は順番として日本国家を切りまわす年齢に達した。六〇歳過ぎの人間こそ、現在の日本社会の中枢を実際に担当にしている人間たちである。

この世代を象徴する菅直人氏が、市井の人間から、なんの躊躇もなく詰問されたことが重要だ。なぜならこのとき、菅直人氏は、みずからの行ってきたことに「復讐」されたのだから。あらゆる権威の否定、体制への違和の表明を行ってきた青春時代を、自身はすっかり忘れていたかもしれない。しかし反権威と反体制の意識は、日本社会全体を腐食しつづけていたのだ。

菅氏はみずからが始め、すっかり忘れていたことに、ある日突然襲われたのだった。それは足下が急に落盤崩壊したのとおなじである。菅氏はいまこそ、権威と権力をともに手中におさめ、最良の意味で行使し、全国民を取りまとめ陣頭指揮し、一切の責任を取る立場にいた。だが振りかざそうとした権威と権力の刀が、腐ってボロボロになっていることに気がついたのである。

第一の結論を言おう。

民主党政権とは、はるか一九六〇年代の権威否定の精神の象徴である。もっとも威厳を必要とする場面で、その腐食が露呈された。要するに、一九六〇年代以来、隠しとおしてきた問題が、未曽有の危機で露呈したということ、これが第一の論点である。

暴力装置について
では民主党から見えてくる、ふたつ目の課題とはなにか。

この菅直人氏に象徴される問題は、実はそれ以前からすこしずつ垣間見えていた。当時、政権の実質的権力を握っていたとしばしば言われた仙谷由人氏の自衛隊をめぐる発言を、ここで思い出してほしい。

マスコミの言うことは、いつも半分しか信じない方がいいというのが、筆者の立場である。だからどういう話の流れで、仙谷氏が発言したのかはわからない。しかし2010年11月当時騒がれたままを言えば、仙谷氏は自衛隊を「暴力装置」とよび、これがマルクス主義の用語であったこと、これがしきりに詰問された。最終的には「さらに勉強しなおします」という意味不明な反省の弁で事態の収集がはかられた。事の真相がどうであれ、ここに第二の問題点の鍵が潜んでいるのだ。

それは次のようなものだ。

実質的権力者とも言われた仙谷氏が、暴力を司る自衛隊を嘲笑するような発言をしたことの意味を考えよう。もし仮に、日本がきわめて流動的・不安定な状態にあったとすれば、暴力をうまくコントロールできないことは政権の命取りになる。氏自身の生命が危ういだけではない、自衛隊の士気が落ちるだけでも済まされない。政権は、最終的に暴力を掌握しているからこそ権力をにぎっているのであって、自衛隊が政権に反旗をひるがえせば、それはまさしく戦前のテロ事件と同じことを帰結したかもしれなかったのだ。暴力をみずから手放すことへの危うさの認識が、仙谷氏にはまったくない。

このような嗅覚が、日本の政治権力の頂点にないとは、なんともおめでたいことではないか。政権が暴力を手から滑り落とすことへの危険性に思い至らないことは、まさしく致命的ではないのか。幸いにも自衛隊が決起することも、反乱軍になることもなかった。それはそれで安堵すべき事態だ。だが仙谷発言に象徴される暴力への鈍感さこそ、まさしく平和ぼけ以外のなにものでもないのである。

張子細工の権威
菅直人氏と仙谷由人氏、このふたりが示した象徴的事件から最後に結論がでてくる。

菅氏に浴びせられた怒号は、今日の日本がいかに既成の権威が地に落ちてしまったかを示している。権威とは、上からの圧力ではない。権力ではない。人びとがみずから生きていく際の基準と価値を置く、暗黙の前提にほかならない。社会の秩序を維持する安全装置にほかならない。

だが震災と菅氏のうけた屈辱は、今の日本に「安心」の最終根拠の不在をしめしてしまった。原発問題で、人びとがどこまでも「安心できない」と騒ぐのは、菅氏の地に落ちた権威とおなじことを意味しているのだ。

だが一方で、仙谷氏があれだけの失態を演じながらも、暴力はそれ自体コントロール不能に陥ることはなかった。

だからこの国の権威と権力は、完全崩壊の一歩手前にある、というのが妥当な時代判断だと筆者は思う。たしかに菅氏は権威崩壊を教えてくれた。しかし一方で仙谷氏の自衛隊に関する発言は、この国の秩序が、いまだ最低限の範囲で安定していることを教えてもくれた。張子細工になった権威が、今後、権力と暴力によってどう取り扱われるか――これが民主党政権を俯瞰した、筆者の感想である。

民主党政権が示して見せたものは、だから三年間だけのことではないのだ。それは一九六〇年代から、現在が復讐されているということであり、およそ半世紀の日本のあり方そのものを象徴してしまっている。要するに、民主党政権とは、半世紀のこの国の帰結を象徴するような存在だったということである。

以上の見解は個人的なものであり、所属する団体等とは一切関係ありません。

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先崎彰容  「橋下・石原現象」について――「父」とは何か  (イザ!ブログ 2012・12・7 掲載)

2013年12月04日 23時13分37秒 | 先崎彰容
ブログ主人より。また一人、強力な言論人の登場です。先崎彰容(せんざき あきなか)氏です。小浜逸郎氏からのご紹介で、この度、当ブログにご参加いただくことになりました。まだ三〇代でありながら、その博覧強記ぶりに私が舌を巻いたのは一度や二度ではありません。

専攻は、近代日本思想史・日本倫理思想史の大学人です。著書・共著もすでに二冊以上あります(『個人主義から“自分らしさ”へ—福沢輸吉・高山樗牛・和辻哲郎の「近代」体験』、『高山樗牛—美とナショナリズム』ほか)。近くナショナリズムにかんする新書も出版の予定とお聞きします。

これから、先崎氏がどういう文章を書くことになるのか、今からとても楽しみにしています。読書会での彼の、既成のアカデミズムの枠を突破しようという野心に燃えた若々しい姿が、今回の文章にも静かに躍動しています。

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「橋下・石原現象」について――「父」とは何か

                              先崎 彰容

11月16日、約束どおり野田民主党政権は衆議院を解散した。翌年の総選挙後にほんとうの問題がやってくる。選挙後の政党間の離合集散、これが人びとの本当の注目の的だからだ。日本は「二大政党制」だと言われているが、実際は一〇以上の政党が今回の選挙では乱立し、その後の離合集散をねらっている。選挙前ですら、数日前にできた政党が今日には他の政党に吸収されてしまっていて、情報を追いかけるのに苦労するくらいだ。

だが、その立役者こそ橋本氏の日本維新の会であり、石原慎太郎氏の太陽の党であったことは間違いない。「太陽の党」とは当然、石原氏のデビュー作『太陽の季節』をもじったものだろう。とすれば、氏は一橋大学時代から八〇歳をむかえる今日まで、何ひとつ成熟していないことになる。橋本・石原氏が二大政党のなかに割って入る可能性や、今後の政局について口角泡を飛ばしておしゃべりすることは、いわゆる「政治評論家」にお任せしよう。

私が以下で述べたいのは、彼ら自身への個人的評価云々ではなく、「橋本・石原現象」とでもいうべき事態についてである。つまり、彼らふたりに象徴される、現代日本の特徴を述べてみたいのである。

札つきの悪たとえばこんな話を、私たちはいくらでも耳にしたことがあるはずだ――中学生の頃、彼は手のつけようもない「札つきの悪」だった。学校に行かないのは当たり前、金色に染めた髪をジェルでがちがちに固め、バイクを改造し深夜の国道を乗りまわし、警察に追いかけられたことも一度ではなかった。高校に入るころには、周囲も認める地元一番の不良になり、不良連中のあいだでも一目置かれる存在になっていた。

警察に何度も頭を下げにいった母親はすっかり困り果ててしまった、近くにボクシングジムがあるから行くとよい、と友人に進められた。ボクシングジムの会長は母親の話をきいて「今度、練習につれてくるのがいい」と武骨に言った。母親は金髪の息子をつれて、ジムを訪れる。道端で人を殴りつけているエネルギーを、ここでなら犯罪にならずに発散してくれるのでは…というのが母の本音だった。札つきの悪は、ジムの会長からこういわれる「おれのこと、殴っていいよ」。馬鹿にされたと思った札つきは、思い切りこぶしを振りあげた。でも一度もあたらなかった。

その日から、札つきの悪の練習がはじまった。

もちろん、学校などとうの昔に中退しているから練習に行こうと思えば、朝から行けた。でも起きるのが苦手で、午後からの練習が多かった。ジムの会長はそれを叱り飛ばした。札つきの悪が、練習道具を投げつけ出て行ったことも何度もあった。だがジムの会長は、悪に才能があることを見抜いていた。一度だけ、ことばでは足りずに思い切り、吹っ飛ぶくらいに殴り飛ばしたことがある。金髪の悪は、黙って下を向いていた。

それから数年がたった。

今夜は世界チャンピオンを決める戦いである。そこで勝利者インタビューをうけ、赤く膨れ上がったまぶたから涙を流しているのは、あの札つきの悪である。今でも髪は金髪だが、チャンピオンベルトを肩にかけ、片方の腕には小さな子供が抱かれている。そして悪は言った「ジムの会長には感謝のことばもありません」。

金髪とサングラス
なぜこんな例からはじめたかには、もちろん理由がある。東京都知事をなげうってまで「国政の第三極」をつくろうという石原慎太郎氏には、それなりの決意があるだろう。東日本大震災の際には、東京消防庁の活躍に感謝の涙をながし、尖閣諸島を国が動かなければ東京都が買うと発表し、そして今回の決意に石原氏は至った。つねに注目をあつめる発言と行動は、ある小説家の発言をひけば「無意識過剰」でなければできるものではない。その力強さは、2012年の人びとを惹きつけてやまない。

橋下氏もまた、石原氏とおなじ人生の道を後から追っているようにみえる。橋下氏の家族にどのような悲劇やドラマがあったのか、私にはまったく興味がない。また持つべきでない。ただ橋下氏が、高校時代ラグビーに打ち込みながら大学卒業後、弁護士となりテレビ出演していた時には髪を染めサングラスをしていたこと。そして大阪府知事となり、ある機会に偶然、私は講演を目の前で聞いたのだが、そこで「上司の言うことを聞かない部下など、どこでもやっていけない。私の言うことを聴くべきだ」といった趣旨の発言をしていたことだけで事は足りる。

橋下氏の心には、あの札つきの悪とおなじ「怒り」が宿っている。何にむかって放てばいいのか、対象がわからない怒りと反抗の心が宿っている。それは、自分を社会のどこに位置づけたらいいのか分からないことからくる混乱であり、さらに自分の思っているような自分に、未だなっていないことへの怒りと不安の表現だった。金髪にサングラスとは、自己主張のひとつの方法である。世間をふり向かせたい、自分を見てほしいと言うのは、自分がなりたい位置づけに未だ収まっていなかったことの、あからさまな象徴である。

人から何か指示されるのは気に喰わない。社会全体が、自分から見れば、苛立たしく「よくない」ものに見える。そのとき、橋下氏は髪を染め、自分への注目をもとめ、そしてようやく今度は、自分が人から認められ、人を指示する側にまわったとき髪を染めるのをやめ、サングラスをとった。社会を直視できるようになったからである。そして今度は、人びとに自分の意見を聴くことを求め、礼儀正しくなれと言っているのだ。

あの札つきの悪だった息子が、警察に親に当たり散らしながら、実は自分でも何に向かって怒りをぶつけていたのか、その怒りの出所もわからないまま物を破壊していた時代、そしてボクシングに出会い、おそるべき努力で頂点をつかみとった時の思いに近い経験を、橋下氏はくぐりぬけてきたにちがいない。

私は石原慎太郎氏と橋下徹氏に対する個人的な攻撃に一切、興味がない。だから私は、彼らの心のなかを占領している苛立ちと怒り、そして反抗の心を「橋下・石原現象」とカッコつきで書いているのだ。第一の結論をここで言おう。この「橋下・石原現象」こそ、2012年現在の私たち日本人の多くの心を、もっともはっきりと示した現象なのだ。

荒涼としたことば
ところで、橋下・石原氏にたいする批判や警戒心の言葉が溢れかえっていることを、私たちは知っている。彼らをファシスト・独裁者呼ばわりし、警戒すべきだと主張する精神科医や、自称保守主義者のなかにさえ、彼らを本物の保守ではないと叫び主張する人がいることを私たちは知っている。

だが私がわざわざ「橋下・石原現象」を、ボクシングの話から始めた意味はここにもあるのだ。

自分の怒りや苛立ちをどうしようもない人間にたいして、それを叱り飛ばす精神科医や保守主義者は、実はPTAのおばちゃんよろしく、説教=啓蒙しているにすぎない。啓蒙主義は、ぜったいに橋下・石原氏には届かない。グレている人間はさらに殻を閉ざし、自らが理解されていない、世間から理解されていないという苛立ちを増幅するだけだからだ。

その結果は見え透いている。怒りを爆発させるか、あるいは凄まじい努力の後に、どうしても自分を世間に認めさせようとするか、いずれかだ。「橋下・石原現象」に、啓蒙的なお説教や「あなたは危ない」式のことばは何ももたらさない。グレた人間はいっそう、心を閉ざすだけである。

橋下氏にたいする批判に、反撃をしかける氏自身の口調は常軌を逸した激しいものだ。新聞やマスコミは、それを扇情的にかきたて拍手喝采する。さらに「ハシズム」に警告を発する人びとも当然存在する。だが橋下氏からみれば、どちらも自分を分かってくれない人間どもにすぎないのだ。そしてここに第二の結論がでてくる。

橋下氏のことばも、その橋下氏を注視・喝采することばも、さらに警告を発する自称知識人のことばも、すべてのことばが怒りをふくみ、そして毛羽立っている。荒涼としたことばの世界が言論界を、ジャーナリズムを、つまりは日本人全体を覆っている。

これは恐ろしいことではないだろうか。

私が「橋下・石原現象」とわざわざ言ったのには意味があった。橋下氏のことばに込められている暗い感情、憤怒は、実は現在の日本社会の毛羽立った状態をもっともよく象徴している。

ことばなどで、なにが分かる?現実社会はことばなどとは違う生々しいものだ。人はよくそう言う。だがおそらくそれは間違いだ。いま、日本社会はことばが荒廃し粗雑な手つきで取り扱われている。それを一人の政治家と、その周囲のことばの風景に私は見いだす。それが日本社会全体の象徴だと確信する。

これからも橋本氏の怒りは増幅しつづけるであろう。橋下氏の眼には、ひとつひとつの社会現象の欠点がみえ、「見えすぎる」自分に驚き自負心を感じながら、怒りをぶつけて破壊して行くことだろう。喝采する人びとと、批判する人びとがいる。だが橋下氏は分かっているのだ、実は自分が世間から一切、分かってもらえていないことを。だれも本当の自分のことを理解してはくれず、自分は孤独なのだということを。そして多くの日本人も孤独を抱えたまま生きているということを。

橋下氏は、ボクシングの例で言えば、実はいまだ札つきの悪の時代である。サングラスははずした、だが橋下氏を理解し承認してくれる人間はまだどこにもいない。

石原氏について石原慎太郎氏は『太陽の季節』で芥川賞を受賞した小説家である。つまり彼はことばの世界から出発した。では、彼はことばの荒廃になぜ参加してしまうのだろうか。それはこれまた私たち自身のことばへの通念を、石原氏が代表しているからである。

小説家はつねに、前衛的であるはずだと石原氏は言う。私たちもまた小説家とはつねに実験し、創造し、前衛的な存在だと思っている。それはことばが、つねに「破壊的」であらねばならないという意味だ。新しくなければならないという意味だ。だが本当だろうか?ことばとは、むしろ失われた過去に私たちの危うい現在をつなぎとめる行為ではないのか?

小説はもちろん、新奇なものを求めるであろう。だがことばとは、和歌の本歌取りが端的にしめすように、本来、過去とのつながりを意識せずには成り立たないもののはずである。保守思想家であれば、なおさらのことだ。だが石原氏のことばからは、破壊の匂い、つまりは死の匂いしか漂ってこない。ここにも何かに苛立ち、つねに欠点を破壊しようという荒涼とした心が垣間見える。

その石原氏は、しばしばジャーナリズムから「父」の象徴とみなされてきた。また石原氏自身、みずからを強い「父」であると自負し、教育論も展開してきた。そのマッチョイズムは、三島由紀夫さえもどこかコンプレックスを抱くような「無意識過剰」なものであった。

だとすれば、いま、髪の毛を黒くしサングラスを外した橋下氏にとって、石原氏は「父」となりうるのだろうか。橋下氏はみずからの心のなかにある不満、孤独を癒し、人びとから認められたいという承認欲求を満たすことができるだろうか。

成熟とはなにか
私の結論は「NO」だ。それは「父」のイメージが、石原氏と私とではまったく違うからである。そしてこの違いが、今後の日本国民全体の意識を、さらに殺伐とした風景にしてしまうのか、あるいは一人の人間を成長させ、やがてはボクシングチャンピオンにし家族をもつことができるのか、要するに成熟した日本をつくりあげられるかの分岐点だと思うのだ。

人は子供のとき父親に叱られる。しかしその叱るはずの行為が、いま大きな問題を生みだしている。「幼児虐待」という問題である。年上の人間が、年下の子供を「怒る」。その怒り方によって、おなじ行為が「教育」にもなるし、「暴力」に豹変することもあるのだ。

ではその違いは何か?「叱る」とは畢竟、上位の者がみずからが正しいと思う「ルール」を、下位の者に強制することに他ならない。だから教育問題は、かならずルールや秩序を「強制」していいのか、悪いのかをめぐる堂々巡りの議論に終始する。強制を否定し、子供に自由を与えるべきだと叫ぶ陣営と、いやいや子供には絶対にすべきでないことを教える=強制すべきだという陣営がお互いを罵倒する風景を私たちはいくらでも見てきた。このように、「教育」と「暴力」を峻別するのはむずかしいのである。

子供はルールを教えなければ何をなすべきか基本的にしらない、か弱い存在である。その子供にもしルールを強圧的に教えこみ、スパルタ教育をすれば「強い」子供が育つだろうか?むしろ事態は逆に進んで行くのではないか。

子供はスパルタへの恐怖心から、何がメッセージとして、ルールとして言われているのかわからず、パニックを起こしてしまう。相手が、つまりは父が何かを「怒っている」ことは分かるが、何をすべきなのかを理解できない。怒りだけが伝わる。それでは恐怖しか伝達しない。一方の父もまた、怒る自分が最終的には何をめざして怒っているのか、わからなくなる。こうして家庭においてもまた荒みきったことばが、怒号として、泣き叫ぶ子供の声として2012年の日本の家庭に現れているのではないか。

私が言いたい最終的な結論は次のようなことなのだ。

この父は「父」ではない。「父」とは、子供にたいしてルールを「強制」する人間のことである。だが、その「父」には、かならず包容力がなくてはならない。子供にルールの大事さを教え、時には厳しいことばをかけつつも、一方で、子供が社会で転びそうな場合には、そっと後ろに手をまわし気づかれぬように支える度量がなくてはならない。かならずそこには一種の「余裕」が必要なのだ。

子供から大人になることは、大きな川を必死に泳ぎながら高い堰を飛び越えるような困難な作業だ。子供にとって、それは大きな賭けである。大人はそれを見守り、本流から外れそうになる魚たちにそっと手を差し伸べ、支流からもとの流れにもどす。だが流れに逆らい泳ぎつづけること自体を、可哀そうだと止めることはない。それは過保護だからだ。このような姿こそ「父」ではないか。

だが、ひるがえって石原慎太郎氏と橋下徹氏に、このような「余裕」があるとは思えない。石原氏のマッチョイズムを喝采し、父権の再興をもとめる人間に、この包容力への嗅覚があるだろうか。子供を「見守る」腕っ節の太さがあるだろうか。

そう思って「橋下・石原現象」を眺めてみると、私は言いようのない不安を覚える。橋下氏には、いまだボクシングジムの会長のような「父」がいない。氏の存在を承認し、彼を包容するだけの人間にめぐり会えていない。また一方で、父を自認する石原氏は、実はどちらかと言えば、札つきの悪のまま大人になってしまった存在で、彼自身にもさらに上位の「父」が必要なのかもしれない。実はこの国には、本当の意味での「父」がいない。「父」がいなければ札つきの悪はチャンピオンになり、家庭をもつことができない。父親からの罵声は、国民という子供たちをさらに動揺・興奮させるだけではないのか。何を破壊すればいいのか、何を怒られているのか、私たちは本当のところ、分かっていないではないか――この比喩が、比喩ですまされないことを、私はことばの荒廃というささやかな、しかしまことに重要な部分に見いだしてきた。

そして最後に述べておこう。「余裕」ある父性を帯びた人物を選ぶこと、これこそが今回の選挙で求められる私たちの判断基準なのだ。

以上の見解は個人的なものであり、所属する団体等とは一切関係ありません。
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