美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「条約」についての一視点 (イザ!ブログ 2013・9・4 掲載)

2013年12月21日 22時12分36秒 | 外交
「条約」についての一視点



Wikipediaによれば、条約(treaty)とは、「国際法上で国家間ないし公的な国際機構で結ばれる成文法である。すなわち、国際法にもとづいて成立する国際的合意であり、国家および国際機構を拘束する国際的文書が条約である」と規定されます。また、「日本国においては、政府が同意している条約は、天皇が国事行為として公布し、日本では国内法と同等に受容され、効力は一般的な法律よりも優先する(憲法第98条2項による。ただし憲法に対しては劣位にある)」とも記載されています。このことはTPPのISD条項をめぐって一般に広く知られるようになりました。野田前総理が、この「法律に対する条約の優越」をめぐって、自民党の佐藤ゆかり議員の質問にまともに答えられず、とんだ赤恥をかいたのは記憶に新しいですね。

このように一見、強い効力を有するかのような条約なのではありますが、わたしたち日本人は、国家間の条約がいとも簡単に相手国によって一方的に破られる苦い経験をしたことを忘れていません。大東亜戦争における日本の敗北が決定的となった段階で、一九四一年年四月十三日に日本と中立条約を結んでいたソ連は、日本に対して宣戦布告をし、旧日本領への侵攻を断行し、同条約を破棄したのです。Wikipediaから、その詳細を少しだけ拾ってみましょう。ソ連は、一九四五年「8月8日(モスクワ時間で午後5時、満州との国境地帯であるザバイカル時間では午後11時)に突如、ポツダム宣言への参加を表明した上で『日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた』として宣戦を布告、事実上条約を破棄した。9日午前零時(ザバイカル時間)をもって戦闘を開始し、南樺太・千島列島および満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった」。

当時の日本政府にとって、これは痛事という言葉では足りないほどの衝撃を与えられた出来事でした。晴天の霹靂とは、まさにこういうことをいうのでしょう。なぜなら、一九四五年四月五日、翌年期限切れとなる条約をソ連側は延長しないことを日本に通達してきたのですが、日本側はなおも条約が有効と判断して、アメリカとの和平工作をめぐって、ソ連側にその仲介をしてくれるよう再三にわたって依頼したのですから。

実は、ソ連のこの(日本側にとっては)卑劣な行動は、あらかじめ、国際社会からの承認を受けたものだったのです。ご存じのこととは思われますが、一応そのこともかいつまんで説明しておきましょう。

戦況がほぼ明らかになってきた一九四五年二月四日~十一日に、アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンという世界の三巨頭がソ連領クリミア半島のヤルタで協議をしました。有名なヤルタ会議です。ここでルーズベルトは、スターリンに対して、ドイツ降伏の二、三ヵ月後に日ソ中立条約を破棄して対日参戦するよう要請しました。ルーズベルトはその見返りとして、日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)をソ連に与えるという密約を交わしたのです(ヤルタ協定)。

スターリンからすれば、日本側の痛憤をあえて突き放した言い方をすると、事実上の世界の覇権国家からお墨付きを前もって得ていることがらを現実のものにしただけのことなのです。それに対する日本の抗議など負け犬の愚かしい遠吠えにしか聞こえなかったことでしょう。そうして、それは至極まっとうな感覚なのです。このことから、私たち日本人はおそらく無限の教訓を導き出すことができるものと思われますが、いまはそのことは措きましょう。

ソ連の日ソ中立条約の破棄という歴史的な事実に関して、故・高坂正堯(こうさかまさたか)氏が『海洋国家日本の構想』(1969年増補版発刊)でとても興味深いことを言っています。以下、引用します。

ソ連との間に不可侵条約を締結しても、かつて日ソ不可侵条約が簡単に破棄されたことから観て意味がない、とする議論に触れて西春彦氏が述べていることはまことに興味深い。

ふたつほど注が必要でしょう。

ひとつは、引用文中に「かつて日ソ不可侵条約が簡単に破棄された」とありますが、これは率直に言えばいただけないということ。ここは「日ソ不可侵条約」ではなく、「日ソ中立条約」と正されねばなりません。なぜなら、「日ソ不可侵条約」は、一九三九年当時、駐ソ大使だった東郷茂徳が盛んに政府にその交渉・締結の進言をしていた対ソ外交のアイデアであって、そこには、日独伊三国軍事同盟阻止の意志がはっきりと織りこまれていたからです。東郷茂徳は、権力政治の観点から、三国軍事同盟は明らかに日本にとってマイナスに作用すると判断していたのです。つまり彼は、日本が軍備の強化につとめることはやむを得ないが、いたずらに国際紛争に巻き込まれることはできうるだけ避けたいと考えていたのです。そう考える東郷は、ドイツの仲介抜きの「日ソ不可侵条約」を構想していたのです(『東郷茂徳 伝記と解説』藤原延壽・ふじわらのぶとし)。

それと、東郷を駐ソ大使のポストから強引に更迭した松岡外相が、三国同盟締結の後にソ連と結んだ「日ソ中立条約」とは、性質のまったく異なるものでした。その点に関して、Wikipediaは、次のように述べています。

当時の日本はアメリカなどと関係が極端に悪化していた。当時の駐ソ連大使・東郷茂徳は、日独伊三国軍事同盟の締結に反対し、むしろ思想問題以外の面で国益が近似する日ソ両国が連携することによって、ドイツ、アメリカ、中華民国の三者を牽制する事による戦争回避を考え、日ソ不可侵条約締結を模索していた。

ところが、松岡洋右が外務大臣に就任すると、構想は変質させられ、日独伊三国軍事同盟に続き、日ソ中立条約を結ぶことによりソ連を枢軸国側に引き入れ、最終的には四国による同盟を結ぶ(「日独伊ソ四国同盟構想」。松岡自身は「ユーラシア大陸同盟」と呼称)ことで、国力に勝るアメリカに対抗することが目的とされた。

できうるかぎり対米戦争を回避しようとした東郷の「日ソ不可侵条約」構想と、対米戦争が勃発した際に日本をなるべく軍事的に有利なポジションに置こうとした松岡の「日ソ中立条約」とは、似て非なるものだったのです。

ふたつめは、西春彦氏がどういう人物かについて。人脈的には、東郷茂徳筋の外交官です。東郷茂徳が駐ソ大使を務めているころは本省勤務でしたが、先ほど述べた東郷の駐ソ大使更迭をもたらした一九四〇年七月の「松岡人事」によって、建川美次駐ソ大使に随行する形で、公使としてモスクワに赴任しました。そうして、日ソ中立条約調印までのプロセスを現場でつぶさに目撃しました。また、一九四一年、東條内閣の外務大臣となった東郷は、西を日本に呼び戻して外務次官に任じました。さらに、後の東京裁判のときには、東郷の弁護人をつとめた人でもあります。

前置きが長くなりました。西氏の発言を見てみましょう。

太平洋戦争が始まるときから、日本政府としては、この戦争で日本の国力が疲弊したならば、ソ連は満州その他にやってくるだろうということを想定していたのです。・・・・・だからこっちが忠実に条約を守り、バランス・オブ・パワーを失わないようにする。この点はソ連との外交の特質といっていいくらいだから、大いに用心すべき点である。がその覚悟があれば、ソ連と条約を結んでもいいと思う」(『中央公論』一九六一年一月号)

外交官の、条約をめぐる現場感覚がどういうものであるかを知るうえで、とても興味深い発言ですね。一般の日本人がソ連の条約破棄を憤るのとかなり趣を異にしています。国際政治のバランス・オブ・パワーへの透徹した視線を感じます。これをとらえて、高坂氏がとても鋭い指摘をしています。

西氏は不可侵条約が無意味だといっているのではない。また逆に、不可侵条約さえ結べば丸裸でよいともいってはいない。条約はその背後の力関係が大きく崩れない限り有用であると述べているのである。(太字は引用者によるもの。以下同じ)

こう述べたうえで、高坂氏は、戦後日本の知識人批判をする。その言葉は、左翼系知識人と保守系知識人との両方の弱点を射抜いているように、私には感じられます。

日本には、一方では条約を神聖視して、条約さえあればそれでよいと考える人々と、条約などというものはあてにならぬから赤裸々な権力政治以外に国際社会のなかで生きる道はないとする人々とがある。明治以来、ずっとこの二つの態度が交錯して来た。しかし、それはともに間違っているのである。

では、どう考えればいいのか。高坂氏は、条約の本質を次のように述べます。

国際社会の現実と遊離した条約は意味を持たない。しかし、そうかといって、すべての条約が無意味であるわけではない。条約は現実を法的なものにし、強めるのである。

私は、これで条約の「現実的な意味における」本質は尽きているのではないかと思われます。私なりにそれをあえて言いかえれば、自国の国力の充実を抜きにして、条約の文言の一字一句を後生大事に抱えていても、あまり意味がないということでしょう。つまり、国力が充実している国は、相手国がそれ相応の敬意を表さざるをえないので、条約の文言はおのずと守られることになる。反対に、国力が衰退傾向にある国は、相手国が敬意を表する意味が次第になくなってくるので、条約の文言がどれほどに素晴らしいものであろうと、それは破られやすくなる。そういうことになるのではないかと思われます。

ここまで読み進められた方は、おそらく、高坂氏は日米安保条約についてどう言っているのか、知りたがっているのではないでしょうか。彼は、それについて次のように言っています。

日米安保条約についても同じことがいえる。日本には日米安保条約さえ結んでいればよいかのようにいう人があるが、日本の安全は極東の情勢にかかっているし、日米関係は全般的な友好関係の有無にかかっている。日米両国の全般的な友好関係が崩れた場合、仮に日米安保条約があっても、それは意味がないのである。

これを読んで思うことが、ふたつあります。

ひとつめ。高坂氏は、1960年代の半ばにおいてすでに、これからの外交問題の中心は、対中国関係であると断定しています。その見通しが正しかったことは、近年ますます明らかになってきています。それどころか、最近の中国の国力は、高坂氏がそう断言したころと比べて、格段に大きくなっています。その膨張する国力を背景に、尖閣問題に象徴されるように、近年の中国は露骨に日本の領土侵犯を繰り返し、日本がわずかの隙を見せれば、その領土を掠め取ることを辞さない態度を示しています。「日本の安全は極東の情勢にかかっている」という観点からすれば、日本の安全は明らかに脅かされているのです。

ふたつめ。「日米関係は全般的な友好関係の有無にかかっている」という観点からすれば、民主党政権の三年三ヶ月は、非常に危なかったことが分かります。そのころは、日米関係に「全般的な友好関係」なんてまったくなかったし、特に、鳩山と菅は、その関係をあえて破壊しようとさえ試みたのですから。彼らは、本当に恐ろしいことをしてくれたものです。いま思い出しても、妙な脂汗が出てきます。また、そのころの日本は全般的な国力が衰退して、アメリカが日本との条約をまともに守る気分が明らかに低下していました。

「そのときに比べればいまの方がマシ」という、恐怖で萎縮した精神が、言いかえれば、「羹に懲りて膾を吹く」精神が、いまの安倍政権支持の心理的な基盤になっていなければいいのですけれど。なぜなら、そういう心理的な状態では、まともな判断がしにくくなるからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呉善花氏、チャンネル桜出演  (イザ!ブログ 2013・8・21 掲載)

2013年12月19日 08時30分53秒 | 外交
呉善花氏、チャンネル桜出演

韓国出身の評論家で拓殖大国際学部教授の呉善花氏(56)=日本国籍=が韓国への入国を拒否され、日本に引き返したことは、先月の二八日にお伝えしました。http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/c03e3b4be3114411215830bda4997405

その呉氏が、その翌日にチャンネル桜に出演し、その詳細について語っている動画を見つけましたので、アップしておきます。

呉氏のお話を聞いていて思ったこと、感じたことをいくつか述べておきます。

まず、これは、二八日のブログにおいても半ば以上申し上げていたことです。呉氏が、今回の韓国の振る舞いに対して怒っているのは当然のことですが、そこには、それと同じくらいに国を愛するがゆえの憂憤の情が感じられるということです。「こんな馬鹿なことをしているうちは、韓国はいつまで経っても近代国家にはなれない」という思いが感じられるのですね。言葉にすれば、そういう冷静なものになるのですが、そこには韓民族特有の激情がからんでいます。私はそこにとても惹かれるものを感じてしまいます。

次に、日本のメディアの対応について。入国拒否の理由は、呉氏本人に対してまったく告げられなかったのにも関わらず、当局は、日本のメディア向けには「理由は本人にしか告げられない」と嘘の情報を流しています。NHKなどの日本のメディアは、本人から情報の裏をとらないで、韓国当局の言葉をそのまま流しました。韓国当局もとんでもないですが、日本のメディアも取材のイロハを踏まえぬ拙劣な報道ぶりを反省すべきでしょう。

さらには、この事件を大きく取り上げようとしない日本のメディアの人権感覚の鈍さ、媚韓ぶりは、相変わらずとはいえ、根深い大きな問題点です。何をやっているのでしょうか。大手マスコミの連中は高給取りなんだから、それ相応の仕事をしなさいな。情けなさすぎます。

また、今回の、韓国の(おそらくは)国がかりの呉氏に対する暴力的な振る舞いを批判する自国のメディアがまったくない状況には、こちらをゾッとさせるものがあります。韓国の「反日という病い」は、「膏肓に入る」段階が相当に進んでいるようです。呉氏は、その病の危うさに警鐘を鳴らし続けている真の愛国者なのです。韓国がそのことを理解する日は来るのでしょうか。

最後に。私は、こういうことをきちんと伝えようとするメディアがほかにないから、チャンネル桜のソースを使っているだけです。その振る舞いを、「右翼」と蔑称されるのは、本当に心外です。チャンネル桜が取り上げようとする素材のレベルくらいのことなら、イギリスのBBCやアメリカのCNNなどは毎日のようにごく普通に取り上げています。日本のメディアのスタンダードがおかしいのです。というより、日本のマスコミは、あまりにもタブーが多すぎます。まるで、料簡の狭いムラの住民のようです。それくらいのことが分からない視界狭窄のお馬鹿さんは、私が取り上げる情報のベースをあげつらうことができないことをまずは肝に銘じ、次に、先進国のマスコミのスタンダードを学習すべきです。とくに、中途半端な、いわゆる「リベラルな読書人」連中がそうです。ただの馬鹿のくせにお利口さんと自分のことを勘違いしているのは、見ていられません。私は、彼らのような存在に対して、ささやかな言論人の端くれとしてではありますが、強い否定の感情しか抱いていません。これは、公人と私人とを問わない話です。アメリカの懐のなかで暴れるふりをすることが、あたかもなにか意味のあることであるかのような中学生レベルの錯覚を(利用)している連中が、私は嫌で嫌でたまらないのです。甘ったれるよなって。その程度の感情のレベルで、右だ左だと色分けされた日にゃあ、たまったもんではありませんわ。


【ファシスト国家】人権蹂躙!韓国の呉善花氏入国拒否問題[桜H25/7/29]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呉善花氏の入国拒否について (イザ!ブログ 2013・7・28 掲載)

2013年12月18日 22時15分48秒 | 外交
呉善花氏の入国拒否について

今朝(7月28日)の産経新聞によれば、韓国出身の評論家で拓殖大国際学部教授の呉善花氏(56)=日本国籍=が韓国への入国を拒否され、日本に引き返していたことが、7月27日に分かりました。韓国にとって反日が国是なのは分かっています。百歩譲って、それが愛国のひとつの形であることを認めたとしましょう。

その上で申し上げます。呉善花氏は、心からの愛国者です。彼女の著書を素直に読んだ者にとって、それは自明のことです。彼女の膨大な著書は、お互いの文化を深く知りあうことで、日韓関係がもっとまっとうなものになることを祈念して書かれたものばかりです。彼女は、できうることならば、その架け橋になりたいと思っているのです。それほどの愛国者はめったにいません。

彼女のそういう姿勢が視野に入らない韓国国民や当局の狭量さには、致命的なものがあります。それに加えて、彼女は今回冠婚葬祭で訪韓しただけなのです。言論活動のために入国しようとしたわけではありません。また、こういう、言論人に対する韓国国家による陰湿な圧力のかけ方・嫌がらせは、今回に限りません。以下の阿比留瑠比氏の記事で、それがよく分かることでしょう。

普段から、やれ民主主義だ、言論の自由だと騒いでいる左翼メディアや知識人は、この事件に怒りの声を発するべきです。韓国当局に対して堂々と異議申し立てをしなければいけません。それができないようであれば、彼らの唱える民主主義や言論の自由の主張は、底の浅い寝言に過ぎません(朝日や毎日は、少なくとも今日の朝刊では、この事件を取り上げていません)。ささやかながらも言論活動に関わる者のひとりとして、私は、今回の件に対して、韓国当局に異議申し立てをします。「正当な理由もなく、言論人・呉善花氏に対して陰湿でレベルの低い嫌がらせをするのはやめろ。彼女に対する入国拒否措置を撤回せよ」と。

ところで安倍内閣は、今回の件に対して、知らんぷりを決め込むつもりなのでしょうか。自国民、それも公人ではなくて一私人が、正当な理由もなく、隣国への入国を拒否されたのですよ。せめて、抗議の意を表する通達くらいは出すべきであると、私は考えます。そうすることによってこそ、安倍内閣がまっとうな人権感覚を尊重する価値観外交を「本気で」展開する気でいることが、国際社会に周知されるのではないでしょうか。それとも、安倍内閣は「本気」ではないのでしょうかね。これは、政府が看過しうるほどに小さな事件ではないと、私は考えます。ナメないほうがいいでしょう。

次に、産経新聞阿比留瑠比記者のFB記事(7月28日)を掲げておきます。韓国当局による呉善花氏に対する嫌がらせ・圧力がけが根深いものであることがよく分かるものと思われます。

今朝の産経新聞(14版~)には、拓殖大教授の呉善花さんが韓国に入国拒否された記事が載っています。実は昨夜はデスク番で午前2時過ぎまで会社にいた私も、この記事を書いたわけではありませんが少しバタバタしました。

で、呉さんと韓国をめぐってどうしても思い出してしまうのが、10数年前の出来事です。当時、まだ韓国籍だった呉さんが、都内で開かれたあるシンポジウムで、出身地である韓国・済州島で暮らしていたころ、「慰安婦の強制連行など一切聞いたことがなかった」という趣旨の発言をした際のことでした。

ご承知の通り、済州島は詐話師、吉田清治が慰安婦狩りをした証言し、後に現代史家の秦郁彦氏が現地調査をしたところ、全くデタラメであることが発覚した場所です。それだけに、韓国当局も神経質になっていたのかもしれません。

私がシンポでの呉さんの発言を産経紙面でちょっと紹介したところ、その日の夜に呉さんから電話がかかってきて、「済州島の実家や親類の家が、韓国の公安に家宅捜索された。何も出てこないのを知っていての嫌がらせだ。どうしよう」という相談がありました。

そのときは、呉さんの意向で記事にはしませんでしたが、まあ、そういう側面のある国なわけですね。あれから10数年経ったというのに、今回もこんなことをしているわけです。なんか、悲しくなってしまいます……。


人の脇腹を突くようなマネは許しがたい。呉善花さん、めげないでくださいね。



〈コメント〉

*Commented by ぱんたか さん
 先日のTPP問題始め、ユニークな切り口の論評をとても有難く勉強させていただいております。
 朝鮮半島は、歴史始まって以来シナの影響下にあって、自分は“大中華”の一員という認識があるようですから、日本という東夷など程度の低い民族が世界に頭角を現し、剰え短い期間とはいえ自国を統治するなどあってはならないこと、という劣等意識があるのではないでしょうか。
 
 ソウルに長く住んでいる元産経新聞の黒田勝弘さんによると、最近、本音は親日という韓国人が増えているという話もありますので、一概に決めつけることは出来ないでしょうが、子供に対するように、軽く受け流すのがいいように思っています。
 いつの日か真実の歴史を学んだ時、赤恥をかくのは彼らですから。
 但し、日韓以外の国に“従軍慰安婦”が恰もあったように宣伝するなどについては、日本政府はその都度公式に抗議し、場合によっては外交的・経済的対抗手段をとるべきです。

 今回の呉善花さんのことについても同様です。
 彼女は日本国民ですから、自国民を護る意味で断固とした処置をとる必要があるでしょう。
 菅官房長官は、今日午前の記者会見で「極めて残念」との見解を表明し「事実関係を把握した後、適切に対応したい」とのことですが、今回の東アジアサッカー競技での横断幕のこともありますので、もっと強い対応が必要ではないでしょうか。

 それから、阿比留記者のお名前は瑠比さんかと思います。


*Commented by 美津島明 さん
To ぱんたかさん

いろいろと教えていただいて、ありがとうございます。菅官房長官が、この件で記者会見をやっていたなんて、知りませんでした。日韓サッカーでの韓国サポーターの馬鹿な振る舞いについては、さすがに知っていましたよ。やれやれ、です。しかし、嘆いてばかりもいられません。こういうことに関しては、変に「大人の対応」などと寝言を言わずに、ぱんたかさんがおっしゃるように、厳重に抗議すべきでしょう。それでこそ、安倍外交の基本が国際的に周知されます。「とにかく波風立てないのが、いい外交だ」という「百姓路線」が無意味であることはもはや自明ですからね。だから今回は、安倍内閣に、きっちりと言うべきことは言っていただいたいと思うのです。

個人的なことを言えば、私は呉善花さんの年来のファンです。その、我が身を韓国と日本の間に思い切りよく置いて、日本に滞在し続けることによる心境の変化を率直に語る誠実さが、こちらのハートに響くのですね。だから、そういう正直な彼女をいじめる韓国が許せない、というのが、今回アップした文章の感情的な意味での原動力です。本文中でも申し上げましたが、彼女はオーソドックスな愛国者なのです。日韓の真の友好関係を願っている人なのです。今回のことで被った彼女の心の痛手は、察するにあまりあります。

「瑠衣」は「瑠比」の誤りとのご指摘、感謝します。


*Commented by ぱんたか さん
To 美津島明さん

 お早うございます。
 ご丁寧なコメント、痛み入ります。

 呉善花さんは、私も“隠れファン”のつもりでおります。
 本当なら、こういう人をこそ韓国は大切にしなければならないと、私はかねがね思っています。

 問題は、朝日を始めとする“内なる敵”ではないでしょうか。
 これを退治する根本的方法は、まことに迂遠ではありますが、より多くの日本人が“お仕着せの歴史”を脱却して、正しい近現代史を学び直すことだと思っております。

 今、『逝きし世の面影』を読みはじめましたが、ザルのような私の頭には難物中の難物です。 


*Commented by 美津島明 さん

To ぱんたかさん

> 問題は、朝日を始めとする“内なる敵”ではないでしょうか。
> これを退治する根本的方法は、まことに迂遠ではありますが、より多く の日本人が“お仕着せの歴史”を脱却して、正しい近現代史を学び直す  こ とだと思っております。

私も、そのように考えています。いわゆる東京裁判史観を中央突破することを通じて、私たちは、戦前とつながることができるようになるのではないかと思っています。では、どうやって東京裁判史観を中央突破するのか。私の場合は、非力ながらも東郷茂徳の手記とがっぷり四つで取り組むことで、それを果たそうと思っています。どこまでできるのか、まったくわかりませんが、一応、そういう心積もりです。また、コメントをお寄せください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本がTPP交渉に参加するメリットは、やはりない  (イザ!ブログ 2013・3・13 掲載)

2013年12月10日 22時17分45秒 | 外交
最近、TPPの問題点をめぐって、東京新聞が頑張っています。どうした風の吹き回しでしょう。

TPP参加に極秘条件 後発国、再交渉できず」2013年3月7日

環太平洋連携協定(TPP)への交渉参加問題で、二〇一一年十一月に
後れて交渉参加を表明したカナダとメキシコが、米国など既に交渉を始めていた九カ国から「交渉を打ち切る権利は九カ国のみにある」「既に現在の参加国間で合意した条文は原則として受け入れ、再交渉は要求できない」などと、極めて不利な追加条件を承諾した上で参加を認められていた。複数の外交関係筋への取材で七日分かった。

各国は今年中の交渉妥結を目指しており日本が後れて参加した場合もカナダなどと同様に交渉権を著しく制限されるのは必至だ。

関係筋によると、カナダ、メキシコ両政府は交渉条件をのんだ念書(レター)を極秘扱いしている。交渉全体を遅らせないために、後から参加する国には不利な条件を要求する内容だ。後から入る国は参加表明した後に、先発の国とレターを取り交わす。

カナダなどは交渉終結権を手放したことによって、新たなルールづくりの協議で先発九カ国が交渉をまとめようとした際に、拒否権を持てなくなる。


交渉参加に前向きな安倍晋三首相は、「『聖域なき関税撤廃』が前提ではないことが明確になった」と繰り返しているが、政府はカナダとメキシコが突きつけられた厳しい条件を明らかにしていない。日本がこうした条件をのんで参加した場合、「聖域」の確保が保証されない懸念が生じる。

カナダ、メキシコも一部の農産品を関税で守りたい立場で、日本と置かれた状況は似ている。国内農家の反対を押し切り、対等な交渉権を手放してまでTPPの交渉参加に踏み切ったのは、貿易相手国として魅力的な日本の参加とアジア市場の開拓を見据えているからとみられる。

先にTPPに参加した米国など九カ国は交渉を期限どおり有利に進めるため、カナダなど後発の参加国を「最恵国待遇」が受けられない、不利な立場の扱いにしたとみられる。

<TPP交渉参加国> 2006年、「P4」と呼ばれたシンガポールとニュージーランド、チリ、ブルネイによる4カ国の経済連携協定(EPA)が発効。これに米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが10年に加わり、9カ国に拡大した。その後、カナダとメキシコも参加を表明し、12年10月の協議から11カ国で交渉している。   (東京新聞)

政府がこの報道を否定していないところをみると、どうやら事実であるらしい。

また、TPP交渉参加を煽り続けてきた大手五大紙が、東京新聞の当報道に真正面から触れようとしないのは想定内と言えるでしょう。まったくもって、絵に描いたような売国奴ぶりです。

私は、当報道を目にするずっと前からTPP交渉参加に反対してきました。当報道に接することで、その思いはさらに強くなりました。

TPP交渉参加推進派の言い草のひとつは、「TPP交渉になるべく早く参加して、日本は自国に有利な条件を勝ち取ればいい」ですね。当報道は、その論拠を木っ端微塵にしてしまいました

日本がこれから交渉に参加しても、カナダやメキシコと同じ条件を呑まされるのは目に見えています。とするならば、日本が自国に有利な条件を勝ち取るための土俵そのものが鼻っから奪われた形で交渉に臨むことを日本は強いられるのです。というか、こんなやり方は交渉でもなんでもない。最有力国のアメリカの「日本はしのこの言っていないで、アメリカ(グローバル企業)の財布になってればいいの」という本音が透けて見えますね。

東京新聞・TPP爆弾記事第二弾をお読みください。

TPP協定素案 7月まで閲覧できず  2013年3月13日

環太平洋連携協定(TPP)をめぐり、日本が交渉参加を近く正式表明した場合でも、参加国と認められるまでの三カ月以上、政府は協定条文の素案や、これまでの交渉経過を閲覧できないことが分かった。複数の交渉関係筋が十二日、明らかにした。

オバマ米政権が「年内妥結」を目指し各国が交渉を進展させる中で、日本が交渉の詳細情報を得られるのは、最速でも三カ月以上たった七月ごろ。正確な情報を得るのが遅れ、日本が不利な状況で交渉を迫られるのは確実で、貿易や投資、各国共通の規制のルール作りに日本側の主張を反映させる余地がますます限られてくる。

交渉筋によると、正式に参加国と認められた段階で閲覧できるのは、各国がこれまでに協議して決めた協定の素案や、各国の提案、説明資料、交渉に関わるEメールなどで、数千ページにのぼる。参加国以外には公表しない取り決めになっている。

日本政府は協議対象となる輸入品にかける税金(関税)の撤廃や削減、食品の安全基準のルール作りなど二十一分野で関係省庁が個別に情報収集しているが、交渉の正確な内容を入手できていない。ある交渉担当者は、日本側の関心分野の多くは「参加国となって文書を見られるまで、正式には内容が分からないところがある」と述べた。

日本が参加国と認められるには、各国の承認が必要で、米国の例では議会の承認を得るために最低九十日は必要な仕組みになっている。安倍晋三首相が近く参加表明した場合でも、五月に南米ペルーで開く第十七回交渉会合に、日本は傍聴者(オブザーバー)としても参加できない。

シンガポールで十三日まで開催中のTPP第十六回交渉会合で情報収集する日本の非政府組織(NGO)アジア太平洋資料センターはじめ、米国、ニュージーランドの市民団体によると、米国の交渉担当官は会合で「日本には正式な参加国になる前に一切の素案や交渉経緯を見せられない」と各国交渉官に念押しした。さらに、「日本には一切の議論の蒸し返しは許さず、協定素案の字句の訂正も許さない」と述べた。  (東京新聞)


自民党の、TPPに関する六つの基本方針をあたらめて掲げましょう。これらが妥当な方針であることは論を俟ちません。

(1)政府が「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り交渉参加に反対する。
(2)自由貿易の理念に反する自動車などの工業製品の数値目標は受け入れない。
(3)国民皆保険制度を守る。
(4)食の安全安心の基準を守る。
(5)国の主権を損なうような投資家・国家訴訟(ISD)条項は合意しない。
(6)政府調達・金融サービスなどは、わが国の特性を踏まえる。

交渉の中身がいまのところ明らかにされていないし、これからも当分明らかにされない状況が続く以上、現状ではこれらの六条件を貫くことができるのかどうかまったく不明です。明らかにされた後、もしもこれらの六条件に抵触するような協定素案があったとしても、日本側がそれを変更しうる可能性はまったくありません。日本は、どんな素案であってもしぶしぶ丸呑みするよりほかはないのです。

こういうものをふつうはギャンブルと言います。それもただのギャンブルではなく、負ける可能性が極めて高いギャンブルです。そういう悪質なものに対しては、「君子危うきに近寄らず」の態度で臨むのが良識なのではありませんか。日米同盟を強化するために、歴史的に長い時間をかけて育んできた「お国柄」を破壊するのは賢い振る舞いとは言えません。ギブ・アンド・テイクのギブとテイクが、等号で結ばれるのではなく、ギブ>テイクとなるのです。というのは、国を守るためにこそ日米同盟を強化するのでしょうが、「お国柄」は、守るべき国の核心部分であるからです。アメリカに国を守ってもらうために、守るべき国の核心部分を差し出すのは、なんとも不合理なことだとは思われませんか。属国根性ここに極まれり、の思いが去来します。「非関税障壁の撤廃」とは、要するに、「お国柄」を破壊することなのです。それに加えて、ISD条項やラチェット条項によって、「お国柄」の破壊が永続化・固定化される危険性が現実のものとなってきました。 

自然環境を守ることも大切ですが、「お国柄」という名の社会環境を守ることも、社会的動物としての人間にとって、極めて大切なのではないでしょうか。そういう視点を根底に織り込んだ「理性的なナショナリズム」を自分のものにすることが、いまや強く求められているのではないでしょうか。

明日十五日にも、安倍首相はTPP交渉参加を表明する形勢です。それが「日本を取り戻す」こととは正反対の意思決定であることを、私は言明しておきます。首相の心中が穏やかなものでないことを信じよう、とは思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美津島明  中国船が接続水域外へ  ――抑止力の本質について  (イザ!ブログ 2012・12・18 掲載)

2013年12月05日 22時15分09秒 | 外交
まずは、次の記事をごらんください。



中国船が接続水域外へ 
2012.12.18 11:40 [尖閣諸島問題] msnニュース

沖縄県・尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域を航行していた中国海洋監視船3隻と漁業監視船1隻は17日午後6時40分ごろまでにすべて接続水域を出た。第11管区海上保安本部(那覇)が18日、明らかにした。

11管によると、中国当局の船は11日から7日連続で尖閣諸島周辺の接続水域内を航行しているのが確認されていた。

接続水域の外に出たのは海洋監視船「海監50」「海監110」「海監111」の3隻と漁業監視船「漁政206」。巡視船などが、その後も監視・警戒を続けている。

「安倍効果」が対外面においても発揮されているようです。私はここに、「抑止力」の原点を垣間見る思いがします。「ヘタなことはできないぞ」という警戒心を相手に抱かせることが、「抑止力」の核心を成しているのではないでしょうか。

強面を作って鉄砲をずらっと並べることだけが抑止力の増強ではないのです。それは抑止力の現象面に過ぎません。私たちはどうやら、「領土問題を抱えている相手国に対して毅然とした態度をとることは戦争につながる」、という臆病な幻想を捨て去る時期に来ているようです。

勇気は余裕を生みます。余裕は、不測の事態に対処する余地をもたらします。そこに、鍛え上げられたリアリズムが生じることになりましょう。しかるに、蛮勇は臆病の裏返しに過ぎません。臆病は、針小棒大の妄想を掻き立てるだけです。そこに生まれてくるのは、力は正義なりというずぶずぶのクソ・リアリズムか、足場のしっかりしていないふわふわとしたアイデアリズムだけです。安倍さんに、蛮勇や臆病さとは異なる、リアリスティックな勇気を感じるのは私だけではないでしょう。つまり、静かなるリアルな勇気こそが「抑止力」の核を成している、と言い直したほうがよいのかもしれません。

それは、平和をリアルに愛する国民が腹の底に持つべきものでもあるのではないでしょうか。「抑止力」とは、平和を創出するための現実的な努力の集積によって生み出されるものである、とさらに言い直してみたいと思います。そういう努力を積み重ねるプロセスにおいて、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(憲法前文)する余地などどこにもないことは、申し添えておきたいと思います。寝言や空想からは、平和は生まれてきません。これまで呑気に寝言や空想にふけっていられたのは、日本がアメリカの軍事的な秩序に組み込まれていたからにほかなりません。それが、周辺諸国にとっては、リアルに大きな抑止力だったのです。それが証拠に、日米同盟関係に「トラスト・ミー」と「友愛の海」の虚言によって亀裂が生じた途端に、中国・ロシア・韓国との間に事実上の領土問題が先鋭化された形で生じたではありませんか。

つまり、アメリカが日本の抑止力の事実上の担い手だったので、われわれ戦後の日本人の多くは、抑止力なるものを自分に引き寄せてマジメに考えてこなかったのです。

しかし、そういう「幸福な」時代は完全に終りを告げようとしています。たとえ、日米同盟が安倍さんのおかげで修復できたとしても、それは三年三ヶ月前とまったく同じものとはならないでしょう。日本もそうですが、アメリカもまた不況の泥沼からまだ抜け出すことができていないからです。いまのアメリカに、他人の面倒まで見ている余裕は、実のところないのです。

だから、日本は抑止力とは何かについて自力で考え抜くことが今後はどうしても必要になってきます。それは、ごく普通の国家ならごく普通にやっていることです。それを日本も抜き差しならない形でやるべき時を迎えているだけのこと、と言ってもいいでしょう。

しかしわれわれは、無から有を生むようにして、それを考案するには及ばないのではないでしょうか。冒頭の記事に触れたように、現実の動きを虚心に注意深くしかも鋭敏に観察すれば、それを考えるヒントはちゃんとあるのです。

漠然とですが、それは、思想の新しいフィールドが広がり始めていることをも意味するような気がしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする