この2カ月ほど原子力規制委員会(以下、規制委と略記)は、7月に予定されている安全基準づくりを前にして、たたみかけるように自分たちの思い通りの方針や要請を打ち出しています。これが何を意味しているか、本ブログの読者のみなさんには大方お分かりと思いますが、このかさにかかった態度と信じがたい視野狭窄ぶり、横暴な権力行使には腹に据えかねるところがあると感じられるため、この問題について私見を述べます。ここで取り上げる規制委の方針は以下の三つです。
①3月下旬、12月に施行する予定の再処理施設の新規制基準に適合しないかぎり、青森県六ケ所村の再処理(プルサーマル計画)工場の稼働を認めない方針を突然表明した。
②5月13日、福井県敦賀市の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の運転再開を当面認めない勧告を出すことを決定した。
③ 翌14日、福井県敦賀原発2号機直下にある破砕帯が「活断層」であるとする報告書をまとめ、専門家会合でこの内容が正当なものであると正式に決定した。
これらがすべて単純な反原発、脱原発の思想にもとづく方針であることは明らかですが、ひとつひとつにはそれぞれもう少し詳しく検討してみなくてはならない事情がまとわりついています。
まず①。
六ケ所再処理工場はもともと1997年完成予定でしたが、ガラス固化過程その他でトラブルが相次いだため、完成が延び延びになり、ようやく稼動目前にまでこぎつけ、現在アクティブ試運転中でした。
プルサーマル計画は、原発の使用済み燃料として残るウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を再利用することによって、二次的に発電エネルギーを取り出し、同時に放射性核として危険度の高いプルトニウムの処分先に利用できるという発想のリサイクル計画です。まったく問題がないわけではありませんが、基本的に一石二鳥のアイデアだと言えるでしょう。世界では、1963年から運用が開始され、フランス、ドイツ、アメリカ、ベルギー、スイスなど9か国で実施されてきました。2007年までにMOX燃料集合体の装荷数6018体(57基)を処理してきた実績があります。日本でもすでに2,009年からいくつかの原発で営業運転が実施されてきました。しかし福島事故が生み出した情緒効果により休止され、現在は運転再開のめどが立っていません。
そのなかで、六ケ所再処理工場は、普通の原発と異なり、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターなどが併設され、さらにMOX燃料工場の建設も予定されており、はじめから核燃料サイクルのコンビナートとして計画されたものです。これまで膨大な費用をかけてきた事情もあり、この施設を正常に稼働させることは、事業主体の日本原燃にとっていわば悲願と言ってもいいわけです。最大処理能力はウラン800t/年、使用済み燃料貯蔵容量はウラン3000t。
現在、全国の原発が大飯を除きすべて停止していますが、停止しているからといって、これまで蓄積されてきた使用済み燃料が消え去るわけではありません。放射性廃棄物の処分先を確保してきちんと処分することは、まさに喫緊の課題です。したがって、六ケ所再処理工場の稼働は、この窮状を少しでも解決に導くための最大の手段なのです。
それにもかかわらず規制委は、法的な根拠も示さないままいきなり稼動ストップをかけました。いったい何を考えているのでしょうね。原発関係は何でも止めればいいという超ヒステリックな判断としか思えません。危険性のある廃棄物処理に真剣な熱意を示すことこそ、安全管理に責任をもつ独立機関の最大の務めではありませんか。
次の記事をお読みください。
原燃によると、稼働が認められなくても、燃料貯蔵プールの機能維持や安全確保のために、年1100億円の経費が必要という。
特に差し迫った問題は、燃料貯蔵プールの現在量が2937トンで、満杯に近いことだ。今年度は志賀原発(石川県)と伊方原発(愛媛県)から計約13トンが搬入される予定で、当面プールの容量を超えないが、26年度に60トン、27年度には320トンの搬入予定があり、稼働が遅れると計画の見直しを余儀なくされる。(産経新聞5月4日付)
さてここでプルトニウム再処理問題にかかわるので少し脱線。毎度おなじみ、朝日新聞のバカ社説をご紹介しましょう。
東京電力がフランスで保管していたプルトニウムを、ドイツが英国に持つ同量のプルトニウムと交換した。原発事故で行き場がなくなっていたプルトニウムをドイツに使ってもらうことで、国際的な減量に貢献する。さらなる圧縮も期待できる新しい試みである。こうした国際連携の活用に、政府が中心となって取り組むべきだ。(中略)
再利用の手段だった高速増殖炉計画は破綻し、普通の原子炉で使う道も原発事故で不透明になった。使うあてのないプルトニウムをどう処理するのか。各国の懸念に、日本は早急に答える必要がある。(中略)
昨年夏には、英独仏の3者で同様の交換を実施してもいる。こうした取り組みを、日本自身のプルトニウム削減にも結びつけたい。例えば、今回の契約にかかわった英国の原子力廃止措置機関(NDA)は11年末、他国のプルトニウムを引き取って英国で管理してもいいとする案を打ち出した。実際に所有権を移すとなれば課題はあるものの、日本のプルトニウムを少しでも早く減らすための有力な選択肢となる。(中略)
米韓の間で2年の延長が決まった原子力協定でも、「自国での再処理や濃縮」を求める韓国を米国が拒否した。日本に注がれる目も、厳しさを増していることを忘れてはならない。(5月4日付)
なんとまあ救いようのないひどい議論でしょう。論旨めちゃくちゃ、エゴ丸出しの公共心ゼロ、欧米コンプレックス100%。これが日本の「一流紙」(!?)を気取る新聞の「一流論説委員」(!?)が書いた文章だってさ。
まず行き場のなくなったプルトニウムをドイツに使ってもらうなら、ドイツはそのために再処理工場を稼働させるのでしょう。英国が他国のプルトニウムを引き取って管理してもいいとする案を打ち出したのなら、英国も自国なりの仕方で再処理施設をフル稼働させなくてはならないでしょう。それを日本も見習って「各国の懸念に、日本は早急に答える必要があ」り、しかも高速増殖炉が破綻していることを認めるなら、日本の再処理工場を稼働させる以外にどんな方法があるのですか。しかもそういう連携に参加するなら、他国のプルトニウムを大量に引き受ける覚悟がなくてはなりませんね。どうして「日本のプルトニウムを少しでも早く減らすための有力な選択肢となる」のですか。これってすごく身勝手な論理ですね。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自国の安全保障をおろそかにしてきたどこかの国の風潮とまったく同じ発想です。
第二に朝日新聞は、脱原発、反原発一本槍の言論を張ってきましたが、それとこの提案とはどう矛盾なくつながるのか。朝日新聞は、このたびの規制委の六ケ所再処理工場に対する無謀な要請に賛成なのか、反対なのか、そういう具体的問題については口を拭って一切触れず、きれいごとを言って済ませています。朝日論説委員さん、「一流」(ホントは五流)の言論人として、政治家や官僚を追及するときにあなた方が好んで使う「説明責任」とやらをきっちり果たしてくださいね。全然期待してないけど(笑)。
第三に、「米韓の間で2年の延長が決まった原子力協定で、自国での再処理や濃縮を求める韓国を米国が拒否した」のは、アメリカが、ナショナリズムでカッカしがちな韓国の核武装を警戒しているからで、実際その懸念はかなり現実的です。では日本には、蓄積した使用済み燃料のウランとプルトニウムを核武装に利用するような動きが中央政治に具体的にありますか。六ケ所再処理工場の運用を実施寸前まで進めることができたのも、そんなことにしてはならないという内外の力が有効に働いてきたからこそでしょう。そしてそういう国際的な信頼があるからこそ、この計画が容認されているのでしょう。なんで「日本に注がれる目も、厳しさを増していることを忘れてはならない」などと自虐的なことをのたまうのか。論理の飛躍もいい加減にしてください。
第四にこの論調には明らかに、欧米がやることならなんでも正しいという相変わらずの欧米信仰が見え見えですね。欧州諸国は地理的にたいへん近いしEUという統合機構もあるので、こういう交換ゲームもわりとたやすくできますが、日本と欧米のプルトニウムを相互に交換するとなったら、その場合の輸送リスクはどう解決するのですか。両地域の間には、剣呑な国々、テロリストたちがひしめいていることをまさかお忘れではないでしょうな。要するに、根強い欧米信仰のために目が曇らされて、交換ゲームをどう実現させるのかという現実問題に全く頭が及ばなくなっているのですね。
②高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開停止勧告の問題に移りましょう。
この問題については、三つの点に注意する必要があります。
第一に、規制委には、本来、原子力事業者に直接事業の停止を命令する権限はないという点です。原子力規制委員会設置法のどこを読んでもそういう権限があるという規定はありません。この点に多少ともかかわるのは、第四条2項の次の規定でしょうが、これが事業者への命令の権限ではないことは明白です。
原子力規制委員会は、その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、原子力利用における安全の確保に関する事項について勧告し、及びその勧告に基づいてとった措置について報告を求めることができる。
つまり、新聞記事には「命令」と書かれていますが、本当は「行政機関の長に対する勧告」なのです。もちろん規制委の人たちがそれを知らないはずはない。しかし彼らは自分たちの威力を十分知っているので、事実上「事業者に対する命令」と同じ効果を持っていることを存分に利用しているわけです。
この事情は、先の広島高裁が出した、昨年の衆院選を違憲・無効とする判決と似ていますね。違憲・無効判決が出たからと言って、国会がこれに従う法的義務はありません。ただ、「一票の格差」問題についての司法の裁定が国民や政治家に与える重みという感覚的な効果をねらったものにすぎないのです(なおこの問題については、月刊誌『Voice』6月号の拙稿を参照していただければさいわいです)。
第二に、「もんじゅ」の場合、事業主体である日本原子力開発機構(JAEA)が一万点近い機器の点検を怠っていたという事実がある点です。
この点に関しては事業者側には弁解の余地がありませんね。こういうずさんな組織に国民の生命の安全を任せるなんてとんでもないことだ、と思うのが人情でしょう。私自身もそう思います。JAEAはただちに組織体質や安全管理面での抜本的な改革を推進すべきです。
しかしそういう組織上安全管理上の課題と、ハードとしての高速増殖炉それ自体をつぶせばよいかどうかとは別問題です。反原発派は、鬼の首でも取ったように「ざまあみろ」と思っているでしょうが、両問題は分けて考えるべきです。例によって朝日新聞は、5月14日の社説で「国は一日も早くサイクル政策を捨て、もんじゅの廃炉を決めるべきだ」などと息巻いていますが、どうしてこういう感情的なことを平気で口走るのでしょうね。頭のレベルがじつに低い。
サイクル政策をすべて捨てて、現にある使用済み燃料の処理をどうするのですか。ドイツやフランスに全部押しつけるのですか。火力に過度に依存して、資源獲得競争激化の真っただ中におかれたら、日本はエネルギーの安全保障が維持できるのですか。もし「一日も早く」再生可能エネルギーによる電力供給が賄えるとでもいうなら、朝日さん、そのやり方をぜひ教えてください。
もちろん、組織問題、安全管理問題がきちんと解決するまで、当分の間、「もんじゅ」の稼働(かつても実験炉としてのみ稼働していた)は、見合わせなくてはなりません。ですがこれを機会に高速増殖炉実用化への可能性を捨ててしまえばよいのかと言えば、それは違います。この点が第三点目です。
私は、高速増殖炉の実用可能性を捨ててはいけないという趣旨の文章をすでにこの美津島さんのブログに投稿しました(http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3003123/)。この原稿は月刊誌『正論』6月号にも掲載されましたが、ここで、もう一度、その重要性について述べておきます。
高速増殖炉は、中性子の運動速度を速めることによって、ウラニウム238に効率よく吸収されるようにし、プルトニウム239を核燃料として取り出せるようにする装置です。現在冷却材等に問題があることは事実ですが、これらの技術的な諸問題が解決されれば、天然ウラン60%が利用可能となるので100倍近い利用率が達成できます。原理的には可能なはずですから、エネルギー安全保障の観点からは研究開発の火を絶やさないことがぜひとも必要なのです。大阪大学名誉教授、チェコ工科大学客員教授の江尻宏泰氏は次のように書いています。
(高速増殖炉は)現在、種々の技術試験中であるが、地道な研究開発が最重要な課題だ。安全で安定した動作が可能になれば、エネルギー源として有望である。(『ビックリするほど原子力と放射線がわかる本』サイエンス・アイ新書)
要するに、なべて人間社会の物事は、冷静で地道な努力と、ある視点だけに特化せず常に全体を見渡す洞察力との組み合わせによって進んでいくのであって、大騒ぎしてただ反対、反対などと叫んでいるだけでは、何も生まれてこないということです。
③福井県敦賀原発2号機直下にある破砕帯が「活断層」であるとする専門家調査団の報告書を規制委が了承した件に移りましょう。
調査団の報告書によれば、2号機直下の破砕帯D-1の延長上にK断層が存在します。このK断層が9.5万年前に形成されたとみられる地層に変位を与えており、かつK断層の近くを走る活断層の「浦底断層」と連動して動いた形跡があるので、活断層と判断したというのですね。なお規制委は13万~12万年前よりも新しい時代に動いた断層を「活断層」と定義しています。しかし素人考えで見ても、この断定には三つの疑問が残ります
一つは、ついこの間まで規制委は、活断層の定義を40万年前としていたのに、いつの間に13~12万年前と、その定義を緩めたのでしょう。私はその時点を確かめることができませんでしたが、いずれにしても、地質学を唯一の判断根拠にして調査を進める人たちがこんなにあっさりと判断基準を変えるということは、現在の水準では、何年前以降に生じた断層が活断層であるかどうかについて定説がないことを示していますね。そんなあやふやなレベルの学問にだけ頼って判断を下してよいのでしょうか。
第二に調査箇所は2号機直下から300mも離れています。たしかにD-1破砕帯はその調査箇所付近まで延びているようですが、その延長とK断層とが一致するとどうして断定できるのでしょうか。仮に一致していたとしても、それだけで2号機が廃炉に値するなどと結論できるでしょうか。
第三に調査報告では、K断層が活断層である「浦底断層」と連動した「形跡がある」と言っています。「形跡がある」というだけで、証拠だと断定してはならないことは、犯罪捜査などの場合は常識ですね。まして10万年も前のただの「形跡」です。この報告がいかに曖昧な根拠しか示せていないかがわかろうというものです。「はじめから結論ありき」が明らかです。
これに対して事業者側の原電は、K断層は活断層ではなく、またD-1破砕帯はK断層の東8メートルにあるG断層と連続しており、G断層は13~12万年前の地層には変位を与えていないので、活断層ではないと主張しています。
さてどちらが正しいのか、どちらも正しくないのか、素人にはわかりませんね。いずれにしてもこの論争は、「自然科学」という名を借りた神学論争で、「風が吹けば桶屋が儲かる」式のマユツバ話という印象が否めません。
くどいようですが、みたび朝日新聞のバカ社説(5月16日付)の一部を引用しておきましょう。「敦賀原発 退場勧告は当たり前だ」と反原発運動団体のチラシみたいにセンセーショナルな見出しがつけられています。
今回の議論の進め方は妥当であり、結論を支持する。とりわけ、有識者会合が過去のしがらみを断ち、これまでの原発の安全審査などにかかわったことのない研究者で構成された点を評価したい。(中略)
原電は有識者会合の結論に納得していない。反論の権利はあるが、覆すだけの科学的根拠がないまま「休炉」を続けるのは、核セキュリティーを含む安全を考えると好ましくない。(中略)
活断層研究はまだ発展途上の学問領域だ。今回は違うが、研究者によって活断層かどうかの判断がわかれることも少なくない。かつて「活断層ではない」と判断されたものが、学問の進展で「活断層」と変わることはあるだろう。
読むだけでゲンナリです。支離滅裂とはこれを言う。
有識者会合の議論の進め方がなぜ妥当なのかと言えば、「これまでの原発の安全審査などにかかわったことのない研究者で構成された」からだというのですね。つまり安全審査の専門家ではない点がかえってよかったのだと言っています。ハナから、安全審査にかかわった専門家はすべて権力と癒着していて利権に結びついているから信用できないと主張していることになります。ここにこの大新聞が、いかにある勢力だけに媚びるポピュリズム・メディアであるか、その腐敗した体質がいかんなく発揮されています。
次に事業者の原電には、覆すだけの科学的根拠がないとエラそうに決めつけています。しかし妥当かどうかはともかく、いま両論併記したように、原電側もそれなりに科学的な分析を提示しています。「科学」の権威を振りかざす相手と同じ土俵で闘うには、「科学」という意匠を用いるほかはないですからね。それを無視しているのは、「科学」を尊重しているはずの朝日さん、あなた自身ですよ。
さらにとんでもないことを言っています。活断層研究がまだ発展途上で、研究者によって判断がわかれることが少なくないと認めておきながら、どうして規制委の調査報告だけを科学的として絶対化するのですか。かつて「活断層ではない」と判断されたものが「活断層だ」と変わることがあるなら、逆に「活断層だ」と判断されたものが「活断層ではない」と判断されることだってあるわけじゃないですか。そうなったとき、一部科学カルト教のいわれなき権威にすがってきた朝日論説委員さん、あなたは自分の言論に責任を取りますか。
これにて朝日に代表される低レベル・サヨク・メディアが、「科学」という葵の印籠を振りかざしながら、じつはイデオロギーのためにそれを利用しているだけで、まともな科学的精神など何も持ち合わせていないことが明瞭になったと思います。
この原稿を書いている最中(5月18日)に、次のようなニュースが飛び込んできました。
原子力規制委員会の専門家調査団は17日、東北電力東通原発(青森県)敷地内断層の評価会合を開き、「耐震設計上考慮すべき活断層である」と断定した報告書案を提示した。ただ断定する根拠が明確ではなく、耐震設計審査指針上の「否定できない限り活断層」とみなす姿勢を貫いたものだ。同じ理屈は敦賀原発(福井県)の報告書でも提示されたが、有識者から「科学的な判断なのか」と疑問の声が上がっている。
さらに立証責任の偏りが結論に影響した。調査団の審議では、事業者側が活断層ではないとする証拠を示す必要がある。事業者側から「説明責任を過剰に転化している」との批判があるが、調査団は「事業者が明確に否定できない限り活断層」との姿勢を崩していない。専門家によると、活断層研究はまだ発展途上の学問領域であり、(中略)「活断層はないとする証明は大変困難だ」と指摘する。
敦賀の報告書に加わった宮内崇裕・千葉大教授は「科学的にということで引き受けたが、それと離れたものを求められた気がした」と苦言。藤本光一郎・東京学芸大准教授も「学術論文には到底書けない」と感想を漏らしていた。(産経新聞5月18日付)
活断層はないとする証明が大変困難なのは当然のことで、これはちょうど、近代法治国家では、刑事被告人に、犯行を犯していないことを証明する義務がないのと同じです。規制委をはじめとした人権大好きのサヨク人士のみなさん、反原発イデオロギーにもとづいて、活断層がないとする証明をすべての事業者に要求するなら、このあたりの論理的整合性に少しでも思いをいたしてくださいね。
この点については、すでにHCアセットマネジメント社長・森本紀行氏の「非科学的な原子力規制委員会の行動を憂う…不公正を許してはならない」という論文があります(http://blogos.com/article/62257/)。一部引いてみましょう。
……それを考えると規制委員会は、科学の名のもとに何か科学とはまったく次元の異なることを論議していると認識できる。議論されるべき活断層の定義は、地質学という科学の問題ではなくて、あくまでも原子力安全基準との関連におけるものだ。施設の立地を制限するという政策目的に従属した行政の問題、まさに政治の問題なのである。
原子力に限らず安全性の問題は、完全な安全性の証明や保証があり得ない以上、残された微小な危険を総合的な利益考量のなかで国民として受け入れるかどうかという政治決断に帰着する。
規制委員会は、検事兼裁判官のような役割をもつように見える。原子力事業者に「これは活断層だろう」という嫌疑をぶつけ、「反論があるなら、その嫌疑を自分で晴らせ」と言うようなもの。その上で、「反論は不十分だから、嫌疑通りの廃炉という裁きを受けろ」と命じる。そのような構図にみえる。原子力事業者はお白州に土下座させられているようなものであって、お奉行様に嫌疑を持たれたら、もうお終いということだ。
私もこのとおりだと思います。このほかにも規制委は去る2月6日に、沸騰型の原子炉にフィルター付きベント設備の設置を義務づける新安全基準を了承しました。しかしこれは工事が極めて難しく完成には2年かかりますので、国内に26基ある沸騰型の原子炉はすべて再稼働できなくなります。
さらに4月3日、規制委は、放射性物質を多量放出するような原発事故の発生確率を原発一基につき100万年に一回以下に抑えるとする安全目標を定める方針を決めました。これはアメリカが原発を新設するときの目標と同じそうですが、何にせよ、100万年に一回だってさ!
人間の歴史時代が始まってまだ1万年足らずで、しかもここ数百年で文明の発達が驚くべき速度でなされてきたのに、100万年後の人類社会がどうなっているか、予想がつくんですかね。原発技術が500年後にせよ1万年後にせよ、いまのままで続いているわけがないでしょう。まあ、それはある計算上の言い方にすぎないよ、と誰かが言うでしょうが、それにしてもこういうトンデモ数字で私たちの身近な問題であるはずの「安全目標」なるものを表現しようとする、その非現実的感覚って、いったい何なんでしょうね。
以上見てきたように、いまの原子力規制委員会が、あのオウム真理教も真っ青の科学カルト(エセ科学)精神にすっかりやられており、日本のエネルギー行政にとって不可欠である総合的な視野、ある限界内におけるバランスある政治的決断の必要性の認識をまったく持ち合わせていないことがほぼ明らかになったと思います。その正体は、恐怖感情と不安感情だけを根拠に反原発、脱原発イデオロギーを押し通すという意図によってつくられた、非理性的、反国民的な組織ということができるでしょう。
〈コメント〉
Commented by プシケ♂ さん
美津島さん、久しぶりにブログ本体にコメントを失礼します。
小浜さま、初めまして、文章拝読させていただきました。
まさに仰るとおりで、「恐怖感情と不安感情だけを根拠にした反原発、脱原発イデオロギー」ですね、もはや。。
以前、Twitterで美津島さんにはお伝えした感想だったかと思いますが、〈放射能〉に関する問題は、多くの日本国民にとって、被爆国としてかねてから、そして、東日本大震災以後は一層、感情の問題として刷り込まれ、受け止められています。
そうした中で、なにやら権力を批判・否定することだけが趣味というか、人生となっている人種と組織は、どうやらこの反原発に活路を見出そうとしているのでしょう。
これまでは有効だった歴史認識、中韓へのご注進も、国民の外交・安全保障に関心が高まった目下の状況下では効果なし。経済面でも(TPPは綱渡りだと思いますので私は反対ですが)なかなか付け入るスキをみせない。
特に反日マスコミは反原発が最大の武器だという認識で選挙まで国民に「反原発、脱原発イデオロギー」を刷り込むのでしょうね。
※目下ネタとしては、橋下氏がかっこうのエサを提供してくれているようですが。
で、私が考えるのはこれをどう周囲に伝えるか、逆に、伝えないかという点です。
目前であり、大丈夫な感じはしますが、参院選で安倍総理が負けてもらっては困りますので。
(安倍総理が長期的に安定できる環境を手に入れれば、おバカな反原発路線は大軌道修正されるでしょう)
ネットを情報源として認知した人たちはもうよいかと思います(中にはそれによって反原発に目覚めちゃう感覚の方もいるようですが)、自ら信用できると感じた情報源に触れたうえでの考えた結果で行動(投票)するでしょうから。
ただ、少なくともまだ私の周囲では、新聞・テレビニュースは大きな影響を持っていることは確かです。まさか新聞にウソは書いてないだろうという感覚でいますから。ほんとかよ?という感想持ちながらもテレビを情報源にしてます。
そうした人たちからすると、引用された社説などを読み、なんとなく、あくまでなんとなく刷り込まれるのでしょうね。
テレビニュースはさらにその傾向だと思います。
普段は自分の仕事などのことで頭がいっぱい、気分転換も兼ねて、なんとなく新聞、テレビを見る。それ自体は仕方がないです。
そうした人たちにどう伝えればいいのかなと思う昨今です。(こうした人たち能動的に調べたり、考えてみたりはしないようです)
雑感です。そんな雑感を持ちつつ拝読しました。
続編楽しみにしております。
追伸:引用された新聞の文章、まじめに読もうとすればするほど意味がわからなくなります。あんな文章で給料もらってていいんですかねと、いつも思います。
Commented by 美津島明 さん
To プシケ♂さん
美津島より。小浜逸郎氏から、プシケさんの上記のコメントについてのご返事をいただきました。次に掲げます。
*****
プシケさんへ commented by kohamaitsuo
ご丁寧なコメント、ありがとうございました。まったくおっしゃる通りと思いま
す。単純でおバカな反権力派って、いつも政治・行政のほころびを狙ってあちこ
ちと「課題」を嗅ぎまわり、弱点と見るや狡猾に勢力拡大を図るのですね。かの
民主党政権はその最大のものでした。政権崩壊後も始末が悪いのは、規制委のよ
うな病巣がそのまま残っていることです。次回に書こうと思っていますが、たと
え安倍安定政権が続いたとしても、特別の欠格事由がない限り、5年任期の委員
たちを罷免することができないんですよ。どうしましょうかね。
それと、プシケさんの言われるとおり、普通の人たちは忙しいですから、何とな
くテレビや新聞に接して、ふうん、そんなものか、とサブリミナル・レベルで刷
り込まれてしまいますね。
そこがまさに、彼ら反日マスコミの付け目でしょう。オピニオンは、朝日の低能
社説のようなもののほうがかえって通りがいいのかもしれません。
96条改正もいまのところ反対派の方が上回っているようです。めげず、粘り強く、それぞれのポジションでできることを続けていくほかはないと思います。「継続は力なり」!
Commented by tiger777 さん
規制委の活断層専門家が暴走しているのは確かであり、先の立川断層調査では人工物を活断層を確認したと誤って発表した教授は「見たいものが見えてしまった」と述べたというお粗末振り。
しかし、このドタバタはこの学者が単にアホだったということで済んでしまい、活断層学者自体の権威が揺るいだ訳ではない。そのため、敦賀原発直下にある破砕帯が活断層かどうか、小浜氏のいう「どちらが正しいのか素人にはわからない。いずれにしてもこの論争は「自然科学」という名を借りた神学論争」に確かになってしまっている。
「活断層研究はまだ発展途上の学問領域だ」といわれると納得してしまいそうだが、本当は発展途上の学問領域は「地震発生原因の研究つまり地震学それ自体」だ、と考えてみるべきではないか。
東日本大震災の地震学者の慌て振りやイタリア地震学者が予知失敗で有罪となってから、地震被害の誇大予測に拍車が掛かっているが、これらの動きに心ある人たちは、なんだか地震学者の連中はおかしいなと感じ始めている。つまり今の地震学って大丈夫なのかと。そう今の地震学そのものがおかしいのだ。
活断層説すら仮説でしかない。地殻の歪みの蓄積と弾性反発という概念も、ゼンマイ時計のようにエネルギーを溜めこむ性質という簡単なアナロジーで地震のエネルギーを説明できるのか?素人にも不思議なことばかりだ。
活断層は地震の原因ではない、としたらどうか。そうなれば、神学論争から降りてまともな議論ができるのではないか。
これらの定説地震学を否定して、地震は地下の爆発によって起こるものだという地震爆発論という説を石田昭氏が提唱している。地震爆発論とは、地震というのは地殻下で水素と酸素に解離した水が爆発を起こす現象、それが地震の爆発的エネルギーになっているのだと。
石田氏は「活断層というのは虚妄の概念。断層は地震の原因ではなく、あくまでも過去の地震の痕跡でしかない。活断層が動くと地震になるという定説論者は原因と結果を取り違えている」と。
この説は定説地震学からみればトンデモ理論のようだが、日本の地震学の流れを発展させたものといえるとのこと。今この説は誰にも認められていないが、現在の地震学を巡る閉塞状況を突破できる力を秘めているのではないか。
Commented by 美津島明 さん
To tiger777さん
小浜逸郎氏に、tiger777さんのコメントをお伝えしたことをご報告いたします。
tiger777さんのコメントのおかげで、石田昭という学者の存在を初めて知りました。活断層地震原因説がまだ仮説の段階にあることもよく分かりました。ありがとうございます。
①3月下旬、12月に施行する予定の再処理施設の新規制基準に適合しないかぎり、青森県六ケ所村の再処理(プルサーマル計画)工場の稼働を認めない方針を突然表明した。
②5月13日、福井県敦賀市の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の運転再開を当面認めない勧告を出すことを決定した。
③ 翌14日、福井県敦賀原発2号機直下にある破砕帯が「活断層」であるとする報告書をまとめ、専門家会合でこの内容が正当なものであると正式に決定した。
これらがすべて単純な反原発、脱原発の思想にもとづく方針であることは明らかですが、ひとつひとつにはそれぞれもう少し詳しく検討してみなくてはならない事情がまとわりついています。
まず①。
六ケ所再処理工場はもともと1997年完成予定でしたが、ガラス固化過程その他でトラブルが相次いだため、完成が延び延びになり、ようやく稼動目前にまでこぎつけ、現在アクティブ試運転中でした。
プルサーマル計画は、原発の使用済み燃料として残るウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を再利用することによって、二次的に発電エネルギーを取り出し、同時に放射性核として危険度の高いプルトニウムの処分先に利用できるという発想のリサイクル計画です。まったく問題がないわけではありませんが、基本的に一石二鳥のアイデアだと言えるでしょう。世界では、1963年から運用が開始され、フランス、ドイツ、アメリカ、ベルギー、スイスなど9か国で実施されてきました。2007年までにMOX燃料集合体の装荷数6018体(57基)を処理してきた実績があります。日本でもすでに2,009年からいくつかの原発で営業運転が実施されてきました。しかし福島事故が生み出した情緒効果により休止され、現在は運転再開のめどが立っていません。
そのなかで、六ケ所再処理工場は、普通の原発と異なり、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターなどが併設され、さらにMOX燃料工場の建設も予定されており、はじめから核燃料サイクルのコンビナートとして計画されたものです。これまで膨大な費用をかけてきた事情もあり、この施設を正常に稼働させることは、事業主体の日本原燃にとっていわば悲願と言ってもいいわけです。最大処理能力はウラン800t/年、使用済み燃料貯蔵容量はウラン3000t。
現在、全国の原発が大飯を除きすべて停止していますが、停止しているからといって、これまで蓄積されてきた使用済み燃料が消え去るわけではありません。放射性廃棄物の処分先を確保してきちんと処分することは、まさに喫緊の課題です。したがって、六ケ所再処理工場の稼働は、この窮状を少しでも解決に導くための最大の手段なのです。
それにもかかわらず規制委は、法的な根拠も示さないままいきなり稼動ストップをかけました。いったい何を考えているのでしょうね。原発関係は何でも止めればいいという超ヒステリックな判断としか思えません。危険性のある廃棄物処理に真剣な熱意を示すことこそ、安全管理に責任をもつ独立機関の最大の務めではありませんか。
次の記事をお読みください。
原燃によると、稼働が認められなくても、燃料貯蔵プールの機能維持や安全確保のために、年1100億円の経費が必要という。
特に差し迫った問題は、燃料貯蔵プールの現在量が2937トンで、満杯に近いことだ。今年度は志賀原発(石川県)と伊方原発(愛媛県)から計約13トンが搬入される予定で、当面プールの容量を超えないが、26年度に60トン、27年度には320トンの搬入予定があり、稼働が遅れると計画の見直しを余儀なくされる。(産経新聞5月4日付)
さてここでプルトニウム再処理問題にかかわるので少し脱線。毎度おなじみ、朝日新聞のバカ社説をご紹介しましょう。
東京電力がフランスで保管していたプルトニウムを、ドイツが英国に持つ同量のプルトニウムと交換した。原発事故で行き場がなくなっていたプルトニウムをドイツに使ってもらうことで、国際的な減量に貢献する。さらなる圧縮も期待できる新しい試みである。こうした国際連携の活用に、政府が中心となって取り組むべきだ。(中略)
再利用の手段だった高速増殖炉計画は破綻し、普通の原子炉で使う道も原発事故で不透明になった。使うあてのないプルトニウムをどう処理するのか。各国の懸念に、日本は早急に答える必要がある。(中略)
昨年夏には、英独仏の3者で同様の交換を実施してもいる。こうした取り組みを、日本自身のプルトニウム削減にも結びつけたい。例えば、今回の契約にかかわった英国の原子力廃止措置機関(NDA)は11年末、他国のプルトニウムを引き取って英国で管理してもいいとする案を打ち出した。実際に所有権を移すとなれば課題はあるものの、日本のプルトニウムを少しでも早く減らすための有力な選択肢となる。(中略)
米韓の間で2年の延長が決まった原子力協定でも、「自国での再処理や濃縮」を求める韓国を米国が拒否した。日本に注がれる目も、厳しさを増していることを忘れてはならない。(5月4日付)
なんとまあ救いようのないひどい議論でしょう。論旨めちゃくちゃ、エゴ丸出しの公共心ゼロ、欧米コンプレックス100%。これが日本の「一流紙」(!?)を気取る新聞の「一流論説委員」(!?)が書いた文章だってさ。
まず行き場のなくなったプルトニウムをドイツに使ってもらうなら、ドイツはそのために再処理工場を稼働させるのでしょう。英国が他国のプルトニウムを引き取って管理してもいいとする案を打ち出したのなら、英国も自国なりの仕方で再処理施設をフル稼働させなくてはならないでしょう。それを日本も見習って「各国の懸念に、日本は早急に答える必要があ」り、しかも高速増殖炉が破綻していることを認めるなら、日本の再処理工場を稼働させる以外にどんな方法があるのですか。しかもそういう連携に参加するなら、他国のプルトニウムを大量に引き受ける覚悟がなくてはなりませんね。どうして「日本のプルトニウムを少しでも早く減らすための有力な選択肢となる」のですか。これってすごく身勝手な論理ですね。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自国の安全保障をおろそかにしてきたどこかの国の風潮とまったく同じ発想です。
第二に朝日新聞は、脱原発、反原発一本槍の言論を張ってきましたが、それとこの提案とはどう矛盾なくつながるのか。朝日新聞は、このたびの規制委の六ケ所再処理工場に対する無謀な要請に賛成なのか、反対なのか、そういう具体的問題については口を拭って一切触れず、きれいごとを言って済ませています。朝日論説委員さん、「一流」(ホントは五流)の言論人として、政治家や官僚を追及するときにあなた方が好んで使う「説明責任」とやらをきっちり果たしてくださいね。全然期待してないけど(笑)。
第三に、「米韓の間で2年の延長が決まった原子力協定で、自国での再処理や濃縮を求める韓国を米国が拒否した」のは、アメリカが、ナショナリズムでカッカしがちな韓国の核武装を警戒しているからで、実際その懸念はかなり現実的です。では日本には、蓄積した使用済み燃料のウランとプルトニウムを核武装に利用するような動きが中央政治に具体的にありますか。六ケ所再処理工場の運用を実施寸前まで進めることができたのも、そんなことにしてはならないという内外の力が有効に働いてきたからこそでしょう。そしてそういう国際的な信頼があるからこそ、この計画が容認されているのでしょう。なんで「日本に注がれる目も、厳しさを増していることを忘れてはならない」などと自虐的なことをのたまうのか。論理の飛躍もいい加減にしてください。
第四にこの論調には明らかに、欧米がやることならなんでも正しいという相変わらずの欧米信仰が見え見えですね。欧州諸国は地理的にたいへん近いしEUという統合機構もあるので、こういう交換ゲームもわりとたやすくできますが、日本と欧米のプルトニウムを相互に交換するとなったら、その場合の輸送リスクはどう解決するのですか。両地域の間には、剣呑な国々、テロリストたちがひしめいていることをまさかお忘れではないでしょうな。要するに、根強い欧米信仰のために目が曇らされて、交換ゲームをどう実現させるのかという現実問題に全く頭が及ばなくなっているのですね。
②高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開停止勧告の問題に移りましょう。
この問題については、三つの点に注意する必要があります。
第一に、規制委には、本来、原子力事業者に直接事業の停止を命令する権限はないという点です。原子力規制委員会設置法のどこを読んでもそういう権限があるという規定はありません。この点に多少ともかかわるのは、第四条2項の次の規定でしょうが、これが事業者への命令の権限ではないことは明白です。
原子力規制委員会は、その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、原子力利用における安全の確保に関する事項について勧告し、及びその勧告に基づいてとった措置について報告を求めることができる。
つまり、新聞記事には「命令」と書かれていますが、本当は「行政機関の長に対する勧告」なのです。もちろん規制委の人たちがそれを知らないはずはない。しかし彼らは自分たちの威力を十分知っているので、事実上「事業者に対する命令」と同じ効果を持っていることを存分に利用しているわけです。
この事情は、先の広島高裁が出した、昨年の衆院選を違憲・無効とする判決と似ていますね。違憲・無効判決が出たからと言って、国会がこれに従う法的義務はありません。ただ、「一票の格差」問題についての司法の裁定が国民や政治家に与える重みという感覚的な効果をねらったものにすぎないのです(なおこの問題については、月刊誌『Voice』6月号の拙稿を参照していただければさいわいです)。
第二に、「もんじゅ」の場合、事業主体である日本原子力開発機構(JAEA)が一万点近い機器の点検を怠っていたという事実がある点です。
この点に関しては事業者側には弁解の余地がありませんね。こういうずさんな組織に国民の生命の安全を任せるなんてとんでもないことだ、と思うのが人情でしょう。私自身もそう思います。JAEAはただちに組織体質や安全管理面での抜本的な改革を推進すべきです。
しかしそういう組織上安全管理上の課題と、ハードとしての高速増殖炉それ自体をつぶせばよいかどうかとは別問題です。反原発派は、鬼の首でも取ったように「ざまあみろ」と思っているでしょうが、両問題は分けて考えるべきです。例によって朝日新聞は、5月14日の社説で「国は一日も早くサイクル政策を捨て、もんじゅの廃炉を決めるべきだ」などと息巻いていますが、どうしてこういう感情的なことを平気で口走るのでしょうね。頭のレベルがじつに低い。
サイクル政策をすべて捨てて、現にある使用済み燃料の処理をどうするのですか。ドイツやフランスに全部押しつけるのですか。火力に過度に依存して、資源獲得競争激化の真っただ中におかれたら、日本はエネルギーの安全保障が維持できるのですか。もし「一日も早く」再生可能エネルギーによる電力供給が賄えるとでもいうなら、朝日さん、そのやり方をぜひ教えてください。
もちろん、組織問題、安全管理問題がきちんと解決するまで、当分の間、「もんじゅ」の稼働(かつても実験炉としてのみ稼働していた)は、見合わせなくてはなりません。ですがこれを機会に高速増殖炉実用化への可能性を捨ててしまえばよいのかと言えば、それは違います。この点が第三点目です。
私は、高速増殖炉の実用可能性を捨ててはいけないという趣旨の文章をすでにこの美津島さんのブログに投稿しました(http://mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/3003123/)。この原稿は月刊誌『正論』6月号にも掲載されましたが、ここで、もう一度、その重要性について述べておきます。
高速増殖炉は、中性子の運動速度を速めることによって、ウラニウム238に効率よく吸収されるようにし、プルトニウム239を核燃料として取り出せるようにする装置です。現在冷却材等に問題があることは事実ですが、これらの技術的な諸問題が解決されれば、天然ウラン60%が利用可能となるので100倍近い利用率が達成できます。原理的には可能なはずですから、エネルギー安全保障の観点からは研究開発の火を絶やさないことがぜひとも必要なのです。大阪大学名誉教授、チェコ工科大学客員教授の江尻宏泰氏は次のように書いています。
(高速増殖炉は)現在、種々の技術試験中であるが、地道な研究開発が最重要な課題だ。安全で安定した動作が可能になれば、エネルギー源として有望である。(『ビックリするほど原子力と放射線がわかる本』サイエンス・アイ新書)
要するに、なべて人間社会の物事は、冷静で地道な努力と、ある視点だけに特化せず常に全体を見渡す洞察力との組み合わせによって進んでいくのであって、大騒ぎしてただ反対、反対などと叫んでいるだけでは、何も生まれてこないということです。
③福井県敦賀原発2号機直下にある破砕帯が「活断層」であるとする専門家調査団の報告書を規制委が了承した件に移りましょう。
調査団の報告書によれば、2号機直下の破砕帯D-1の延長上にK断層が存在します。このK断層が9.5万年前に形成されたとみられる地層に変位を与えており、かつK断層の近くを走る活断層の「浦底断層」と連動して動いた形跡があるので、活断層と判断したというのですね。なお規制委は13万~12万年前よりも新しい時代に動いた断層を「活断層」と定義しています。しかし素人考えで見ても、この断定には三つの疑問が残ります
一つは、ついこの間まで規制委は、活断層の定義を40万年前としていたのに、いつの間に13~12万年前と、その定義を緩めたのでしょう。私はその時点を確かめることができませんでしたが、いずれにしても、地質学を唯一の判断根拠にして調査を進める人たちがこんなにあっさりと判断基準を変えるということは、現在の水準では、何年前以降に生じた断層が活断層であるかどうかについて定説がないことを示していますね。そんなあやふやなレベルの学問にだけ頼って判断を下してよいのでしょうか。
第二に調査箇所は2号機直下から300mも離れています。たしかにD-1破砕帯はその調査箇所付近まで延びているようですが、その延長とK断層とが一致するとどうして断定できるのでしょうか。仮に一致していたとしても、それだけで2号機が廃炉に値するなどと結論できるでしょうか。
第三に調査報告では、K断層が活断層である「浦底断層」と連動した「形跡がある」と言っています。「形跡がある」というだけで、証拠だと断定してはならないことは、犯罪捜査などの場合は常識ですね。まして10万年も前のただの「形跡」です。この報告がいかに曖昧な根拠しか示せていないかがわかろうというものです。「はじめから結論ありき」が明らかです。
これに対して事業者側の原電は、K断層は活断層ではなく、またD-1破砕帯はK断層の東8メートルにあるG断層と連続しており、G断層は13~12万年前の地層には変位を与えていないので、活断層ではないと主張しています。
さてどちらが正しいのか、どちらも正しくないのか、素人にはわかりませんね。いずれにしてもこの論争は、「自然科学」という名を借りた神学論争で、「風が吹けば桶屋が儲かる」式のマユツバ話という印象が否めません。
くどいようですが、みたび朝日新聞のバカ社説(5月16日付)の一部を引用しておきましょう。「敦賀原発 退場勧告は当たり前だ」と反原発運動団体のチラシみたいにセンセーショナルな見出しがつけられています。
今回の議論の進め方は妥当であり、結論を支持する。とりわけ、有識者会合が過去のしがらみを断ち、これまでの原発の安全審査などにかかわったことのない研究者で構成された点を評価したい。(中略)
原電は有識者会合の結論に納得していない。反論の権利はあるが、覆すだけの科学的根拠がないまま「休炉」を続けるのは、核セキュリティーを含む安全を考えると好ましくない。(中略)
活断層研究はまだ発展途上の学問領域だ。今回は違うが、研究者によって活断層かどうかの判断がわかれることも少なくない。かつて「活断層ではない」と判断されたものが、学問の進展で「活断層」と変わることはあるだろう。
読むだけでゲンナリです。支離滅裂とはこれを言う。
有識者会合の議論の進め方がなぜ妥当なのかと言えば、「これまでの原発の安全審査などにかかわったことのない研究者で構成された」からだというのですね。つまり安全審査の専門家ではない点がかえってよかったのだと言っています。ハナから、安全審査にかかわった専門家はすべて権力と癒着していて利権に結びついているから信用できないと主張していることになります。ここにこの大新聞が、いかにある勢力だけに媚びるポピュリズム・メディアであるか、その腐敗した体質がいかんなく発揮されています。
次に事業者の原電には、覆すだけの科学的根拠がないとエラそうに決めつけています。しかし妥当かどうかはともかく、いま両論併記したように、原電側もそれなりに科学的な分析を提示しています。「科学」の権威を振りかざす相手と同じ土俵で闘うには、「科学」という意匠を用いるほかはないですからね。それを無視しているのは、「科学」を尊重しているはずの朝日さん、あなた自身ですよ。
さらにとんでもないことを言っています。活断層研究がまだ発展途上で、研究者によって判断がわかれることが少なくないと認めておきながら、どうして規制委の調査報告だけを科学的として絶対化するのですか。かつて「活断層ではない」と判断されたものが「活断層だ」と変わることがあるなら、逆に「活断層だ」と判断されたものが「活断層ではない」と判断されることだってあるわけじゃないですか。そうなったとき、一部科学カルト教のいわれなき権威にすがってきた朝日論説委員さん、あなたは自分の言論に責任を取りますか。
これにて朝日に代表される低レベル・サヨク・メディアが、「科学」という葵の印籠を振りかざしながら、じつはイデオロギーのためにそれを利用しているだけで、まともな科学的精神など何も持ち合わせていないことが明瞭になったと思います。
この原稿を書いている最中(5月18日)に、次のようなニュースが飛び込んできました。
原子力規制委員会の専門家調査団は17日、東北電力東通原発(青森県)敷地内断層の評価会合を開き、「耐震設計上考慮すべき活断層である」と断定した報告書案を提示した。ただ断定する根拠が明確ではなく、耐震設計審査指針上の「否定できない限り活断層」とみなす姿勢を貫いたものだ。同じ理屈は敦賀原発(福井県)の報告書でも提示されたが、有識者から「科学的な判断なのか」と疑問の声が上がっている。
さらに立証責任の偏りが結論に影響した。調査団の審議では、事業者側が活断層ではないとする証拠を示す必要がある。事業者側から「説明責任を過剰に転化している」との批判があるが、調査団は「事業者が明確に否定できない限り活断層」との姿勢を崩していない。専門家によると、活断層研究はまだ発展途上の学問領域であり、(中略)「活断層はないとする証明は大変困難だ」と指摘する。
敦賀の報告書に加わった宮内崇裕・千葉大教授は「科学的にということで引き受けたが、それと離れたものを求められた気がした」と苦言。藤本光一郎・東京学芸大准教授も「学術論文には到底書けない」と感想を漏らしていた。(産経新聞5月18日付)
活断層はないとする証明が大変困難なのは当然のことで、これはちょうど、近代法治国家では、刑事被告人に、犯行を犯していないことを証明する義務がないのと同じです。規制委をはじめとした人権大好きのサヨク人士のみなさん、反原発イデオロギーにもとづいて、活断層がないとする証明をすべての事業者に要求するなら、このあたりの論理的整合性に少しでも思いをいたしてくださいね。
この点については、すでにHCアセットマネジメント社長・森本紀行氏の「非科学的な原子力規制委員会の行動を憂う…不公正を許してはならない」という論文があります(http://blogos.com/article/62257/)。一部引いてみましょう。
……それを考えると規制委員会は、科学の名のもとに何か科学とはまったく次元の異なることを論議していると認識できる。議論されるべき活断層の定義は、地質学という科学の問題ではなくて、あくまでも原子力安全基準との関連におけるものだ。施設の立地を制限するという政策目的に従属した行政の問題、まさに政治の問題なのである。
原子力に限らず安全性の問題は、完全な安全性の証明や保証があり得ない以上、残された微小な危険を総合的な利益考量のなかで国民として受け入れるかどうかという政治決断に帰着する。
規制委員会は、検事兼裁判官のような役割をもつように見える。原子力事業者に「これは活断層だろう」という嫌疑をぶつけ、「反論があるなら、その嫌疑を自分で晴らせ」と言うようなもの。その上で、「反論は不十分だから、嫌疑通りの廃炉という裁きを受けろ」と命じる。そのような構図にみえる。原子力事業者はお白州に土下座させられているようなものであって、お奉行様に嫌疑を持たれたら、もうお終いということだ。
私もこのとおりだと思います。このほかにも規制委は去る2月6日に、沸騰型の原子炉にフィルター付きベント設備の設置を義務づける新安全基準を了承しました。しかしこれは工事が極めて難しく完成には2年かかりますので、国内に26基ある沸騰型の原子炉はすべて再稼働できなくなります。
さらに4月3日、規制委は、放射性物質を多量放出するような原発事故の発生確率を原発一基につき100万年に一回以下に抑えるとする安全目標を定める方針を決めました。これはアメリカが原発を新設するときの目標と同じそうですが、何にせよ、100万年に一回だってさ!
人間の歴史時代が始まってまだ1万年足らずで、しかもここ数百年で文明の発達が驚くべき速度でなされてきたのに、100万年後の人類社会がどうなっているか、予想がつくんですかね。原発技術が500年後にせよ1万年後にせよ、いまのままで続いているわけがないでしょう。まあ、それはある計算上の言い方にすぎないよ、と誰かが言うでしょうが、それにしてもこういうトンデモ数字で私たちの身近な問題であるはずの「安全目標」なるものを表現しようとする、その非現実的感覚って、いったい何なんでしょうね。
以上見てきたように、いまの原子力規制委員会が、あのオウム真理教も真っ青の科学カルト(エセ科学)精神にすっかりやられており、日本のエネルギー行政にとって不可欠である総合的な視野、ある限界内におけるバランスある政治的決断の必要性の認識をまったく持ち合わせていないことがほぼ明らかになったと思います。その正体は、恐怖感情と不安感情だけを根拠に反原発、脱原発イデオロギーを押し通すという意図によってつくられた、非理性的、反国民的な組織ということができるでしょう。
〈コメント〉
Commented by プシケ♂ さん
美津島さん、久しぶりにブログ本体にコメントを失礼します。
小浜さま、初めまして、文章拝読させていただきました。
まさに仰るとおりで、「恐怖感情と不安感情だけを根拠にした反原発、脱原発イデオロギー」ですね、もはや。。
以前、Twitterで美津島さんにはお伝えした感想だったかと思いますが、〈放射能〉に関する問題は、多くの日本国民にとって、被爆国としてかねてから、そして、東日本大震災以後は一層、感情の問題として刷り込まれ、受け止められています。
そうした中で、なにやら権力を批判・否定することだけが趣味というか、人生となっている人種と組織は、どうやらこの反原発に活路を見出そうとしているのでしょう。
これまでは有効だった歴史認識、中韓へのご注進も、国民の外交・安全保障に関心が高まった目下の状況下では効果なし。経済面でも(TPPは綱渡りだと思いますので私は反対ですが)なかなか付け入るスキをみせない。
特に反日マスコミは反原発が最大の武器だという認識で選挙まで国民に「反原発、脱原発イデオロギー」を刷り込むのでしょうね。
※目下ネタとしては、橋下氏がかっこうのエサを提供してくれているようですが。
で、私が考えるのはこれをどう周囲に伝えるか、逆に、伝えないかという点です。
目前であり、大丈夫な感じはしますが、参院選で安倍総理が負けてもらっては困りますので。
(安倍総理が長期的に安定できる環境を手に入れれば、おバカな反原発路線は大軌道修正されるでしょう)
ネットを情報源として認知した人たちはもうよいかと思います(中にはそれによって反原発に目覚めちゃう感覚の方もいるようですが)、自ら信用できると感じた情報源に触れたうえでの考えた結果で行動(投票)するでしょうから。
ただ、少なくともまだ私の周囲では、新聞・テレビニュースは大きな影響を持っていることは確かです。まさか新聞にウソは書いてないだろうという感覚でいますから。ほんとかよ?という感想持ちながらもテレビを情報源にしてます。
そうした人たちからすると、引用された社説などを読み、なんとなく、あくまでなんとなく刷り込まれるのでしょうね。
テレビニュースはさらにその傾向だと思います。
普段は自分の仕事などのことで頭がいっぱい、気分転換も兼ねて、なんとなく新聞、テレビを見る。それ自体は仕方がないです。
そうした人たちにどう伝えればいいのかなと思う昨今です。(こうした人たち能動的に調べたり、考えてみたりはしないようです)
雑感です。そんな雑感を持ちつつ拝読しました。
続編楽しみにしております。
追伸:引用された新聞の文章、まじめに読もうとすればするほど意味がわからなくなります。あんな文章で給料もらってていいんですかねと、いつも思います。
Commented by 美津島明 さん
To プシケ♂さん
美津島より。小浜逸郎氏から、プシケさんの上記のコメントについてのご返事をいただきました。次に掲げます。
*****
プシケさんへ commented by kohamaitsuo
ご丁寧なコメント、ありがとうございました。まったくおっしゃる通りと思いま
す。単純でおバカな反権力派って、いつも政治・行政のほころびを狙ってあちこ
ちと「課題」を嗅ぎまわり、弱点と見るや狡猾に勢力拡大を図るのですね。かの
民主党政権はその最大のものでした。政権崩壊後も始末が悪いのは、規制委のよ
うな病巣がそのまま残っていることです。次回に書こうと思っていますが、たと
え安倍安定政権が続いたとしても、特別の欠格事由がない限り、5年任期の委員
たちを罷免することができないんですよ。どうしましょうかね。
それと、プシケさんの言われるとおり、普通の人たちは忙しいですから、何とな
くテレビや新聞に接して、ふうん、そんなものか、とサブリミナル・レベルで刷
り込まれてしまいますね。
そこがまさに、彼ら反日マスコミの付け目でしょう。オピニオンは、朝日の低能
社説のようなもののほうがかえって通りがいいのかもしれません。
96条改正もいまのところ反対派の方が上回っているようです。めげず、粘り強く、それぞれのポジションでできることを続けていくほかはないと思います。「継続は力なり」!
Commented by tiger777 さん
規制委の活断層専門家が暴走しているのは確かであり、先の立川断層調査では人工物を活断層を確認したと誤って発表した教授は「見たいものが見えてしまった」と述べたというお粗末振り。
しかし、このドタバタはこの学者が単にアホだったということで済んでしまい、活断層学者自体の権威が揺るいだ訳ではない。そのため、敦賀原発直下にある破砕帯が活断層かどうか、小浜氏のいう「どちらが正しいのか素人にはわからない。いずれにしてもこの論争は「自然科学」という名を借りた神学論争」に確かになってしまっている。
「活断層研究はまだ発展途上の学問領域だ」といわれると納得してしまいそうだが、本当は発展途上の学問領域は「地震発生原因の研究つまり地震学それ自体」だ、と考えてみるべきではないか。
東日本大震災の地震学者の慌て振りやイタリア地震学者が予知失敗で有罪となってから、地震被害の誇大予測に拍車が掛かっているが、これらの動きに心ある人たちは、なんだか地震学者の連中はおかしいなと感じ始めている。つまり今の地震学って大丈夫なのかと。そう今の地震学そのものがおかしいのだ。
活断層説すら仮説でしかない。地殻の歪みの蓄積と弾性反発という概念も、ゼンマイ時計のようにエネルギーを溜めこむ性質という簡単なアナロジーで地震のエネルギーを説明できるのか?素人にも不思議なことばかりだ。
活断層は地震の原因ではない、としたらどうか。そうなれば、神学論争から降りてまともな議論ができるのではないか。
これらの定説地震学を否定して、地震は地下の爆発によって起こるものだという地震爆発論という説を石田昭氏が提唱している。地震爆発論とは、地震というのは地殻下で水素と酸素に解離した水が爆発を起こす現象、それが地震の爆発的エネルギーになっているのだと。
石田氏は「活断層というのは虚妄の概念。断層は地震の原因ではなく、あくまでも過去の地震の痕跡でしかない。活断層が動くと地震になるという定説論者は原因と結果を取り違えている」と。
この説は定説地震学からみればトンデモ理論のようだが、日本の地震学の流れを発展させたものといえるとのこと。今この説は誰にも認められていないが、現在の地震学を巡る閉塞状況を突破できる力を秘めているのではないか。
Commented by 美津島明 さん
To tiger777さん
小浜逸郎氏に、tiger777さんのコメントをお伝えしたことをご報告いたします。
tiger777さんのコメントのおかげで、石田昭という学者の存在を初めて知りました。活断層地震原因説がまだ仮説の段階にあることもよく分かりました。ありがとうございます。
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