〔編集者より〕数日前、読書会仲間のM氏から、次のようなメールをいただきました。オウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の死刑報道にちなんでの山村明義氏のFBコメントの紹介です。山村氏は、松本智津夫の実家を一年間取材しています。それに基づく見識にはおのずからなる説得力があります。なお、読みやすさを考慮して、適宜行替え、文言の補足などをしたことをお断りしておきます。
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M氏:昨晩のフジテレビの報道番組では、まるで松本智津夫の追悼番組の様相で、怒りがこみ上げできて、チャンネルを切り替えました。こうした番組を制作する思想の根底にあるのが、山村明義さんが指摘する、「左翼リベラル思想」だと思いました。以下、紹介します。
〈松本死刑囚の死刑が執行されたことから述懐されること〉
――山村明義(作家)さんのfacebook投稿より
○その1〔7月5日(木)〕
本日発動される米国の対中経済制裁と中国の報復制裁といういま喫緊の課題である国際情勢の内幕を記そうと思っていたが、同日、麻原彰晃こと、松本智津夫の死刑が執行されたというニュースが入ったので、二回に分けてそのことについて書くことにしたい。
時は村山富市政権下の96年3月、私は米中が対立していた「台湾危機」の取材で、中国のミサイルが上空を飛び交う台湾の金門島から帰国し、以前から熊本県の波野村や松本サリン事件など数多くの事件で注目していたオウム真理教事件の取材に本格的に入った。私自身、ジャーナリストとしてまだ30代半ばの油が乗り切っていた頃で、「自分はどんな取材でも誰よりも早く、正確に本質を突く記事が書ける」と自負していたからである。
だが、このオウム真理教事件だけは勝手が違った。地下鉄サリン事件から警察庁長官狙撃事件と続いた凄まじい凶悪犯罪というだけでなく、戦後GHQが特権を与えた新興宗教が絡んだテロ事件であり、かつマスコミや警察、自衛隊ですら内側から食い込まれた日本国家権力の中枢をまさに破壊しようとした大事件だったからだ。
オウム真理教事件の本質を突くためには、まず麻原の人間性を知る必要があると考えた私は、警視庁が強制捜査に入る前の山梨県上九一色村と、教団の資金源となった熊本県波野村に入り、その後同県八代市の松本智津夫の両親、兄弟ら家族たちに会うことにした。
父親の本籍を遡ると、原籍には現在の北朝鮮の記載があり、背景と素性に謎が多いのにかかわらず、リベラルメディアは誰もその取材を行っていなかったからだ。運良くあるルートから実家で家族会議が行われるという情報が入り、私ともう一人が同席できた。
その家族会議の席で飛び交っていたのは、「智津夫は死刑にした方がいい」という言葉であった。すぐ上の三男などは、「死刑にしてもらうように家族が当局(法務省)に頼みに行くべきだ」とまで語っていた。家族でさえ「死刑にした方がいい」と断言した理由は、彼ら自身が松本智津夫自身の行ってきた「業と罪の深さ」を熟知していたからである。
その後ジャーナリストとして一人だけ家族に食い込んだ私は、1年近くにわたり彼らを取材した。そのなかで、とりわけ家族内で「松本智津夫に酷似し、最も強い影響を与えた」とされる長男は、話を聞いているうちによく突如として怒り出し、「自民党政権が悪い」「大企業が悪い」などと、日本の政治や社会批判をぶちまけ、その怒りの矛先は日本の国家・社会やメディアにも向けられた。
事件の数年後に亡くなった父親や長男、三男と交わしたやり取りの記憶は、いまでも私の脳裏や身体にこびりついて離れない。彼らによれば、松本智津夫の政治思想は、完全に「左翼リベラル」で、朝鮮半島に強い愛着を持っていたという。
その一方で彼は、「親父は北朝鮮で誇りある警察官だったから(息子の松本智津夫がオウム真理教事件を起こした)」などと、どう考えても矛盾し、論理が倒錯した内容を説明していた。そのため、その裏を取ろうと、当時の警察官名簿を懸命に調べたが、父親の名前は一切出てこなかった。(以下次号)
○その2〔7月6日(金)〕
オウム真理教事件の首謀者・松本智津夫の父親は、果たして本当に北朝鮮の警察官だったのか?もともとオウム真理教と北朝鮮とは、サリンの原料輸入を担当していた村井秀夫刺殺事件を始めとして、当時から北朝鮮の関与説が濃厚だった。
松本家の教育思想にも取材を行った。彼らの教育方針は、あくまで「男尊女卑」や「年功序列」という当時の九州に残っていた儒教的なもので、家族で末っ子だった智津夫は、その方針に激しい憎悪とコンプレックスを併せ持っていたという。
それでも、「麻原彰晃」の思想は、実は兄弟ではなく、父親に影響があるのではないかと疑っていた私は、松本家に何度か出入りするうちに、一度だけ家族が居なくなった隙に父親の部屋に行き、「戦時中、北朝鮮にいて何をやっていたのか?」「北朝鮮をどう思うか?」と尋ねて見たことがあった。父親は不自然な笑いを浮かべ、何も答えようとしなかった。
私は仕方なく「智津夫を何度も殴って教育した」という教育係の長男に取材先を切り替えたが、長男は「日本は朝鮮に悪いことをした。日本人全員が土下座して謝罪すべきだ」などと、まるで朝日新聞のようなことを言い出した。私は「その考えは智津夫に教えたのか?」と聞くと、「そうだ。日本という国家は今も昔も完全に悪い。日本が悪かったことをこの俺が智津夫にも何度も教えた」と、戦後日本人の自虐史観と日本国家への批判思想を徹底的に伝授した、と語っていた。
しかし、彼らはあくまで共産主義革命思想を学習していたわけではない。どちらかというと、「反体制」「反権力」という戦後日本に跋扈した「左翼リベラル思想」であり、彼らは日本を守るのではなく、「日本を悪く言うことが正しい」と思い込んでいたのだった。「麻原彰晃」を育てた思想。それは間違いなく、「宗教」でなく、「左翼リベラル思想」であった。
1年間、松本智津夫の家族に潜入して取材した結果、私はこれから日本は、いよいよ新興宗教という戦後日本の自由主義と、個人の権利や外国の思想を極限大にまで高める「平等主義」を混ぜ合わせた「左翼リベラル思想」に悩まされることになるだろうと予測し、その思想に自ら見切りを付けた。
それから23年が経過したが、現在も日本のマスメディアはその思想背景や真相を国民に明らかにするための取材もせず、言及もしない。マスメディア自身が戦後日本の左翼リベラル思想を無批判に受け入れ、その恩恵を感じたまま、それから抜けきれないからだ。
とりわけ朝日新聞や東京新聞、TBSなどの左翼リベラルメディアは、オウム真理教事件の背景にある思想が、自らの思想と瓜二つであることがまるでわかっていない。彼らはあくまでその思想性について見て見ぬ振りをしているのだ。
すべての取材を終えたとき、私は身体も心も疲弊し切っていた。その最大の理由は、戦後日本のマスメディアには、この「戦後最大の凶悪犯罪」と呼ばれるオウム真理教事件で最も重要な鍵を握っている「思想的真相」を解き明かすのは絶対に無理だ と確信してしまったことである。