ペンギンの話
私は、昨年末の31日にFBのプロフィール写真を、マンダラからペンギンに変えました。自分としては、マンダラもけっこう気に入っていたのですが、どうもあまりウケがよくないような感触があった(「いいね!」をいただく回数が少なくなった)ので、そうしたのです。それにちなんで、次のような短い文章もアップしました。
私は、ペンギンが大好きです。陸上に上がったときのあの頼りないよちよち歩きと、水中でのあのシャープで力強い泳ぎとの落差のはなはだしさが、私の自然体の想定を快く打ち破ってくれるからです。また、鳥類であることの自由闊達さを大空においてではなくて水中で表現する、というシュールさも魅力です。さらには、陸上で親ペンギンが子どもペンギンを慈しむ姿にも、同じく子どもに対する深い情愛を示す哺乳類の一種である人間として、共感を覚えます。
もしかしたら、ペンギンが鳥類であるというお話を意外に感じた方がいらっしゃるかもしれません。しかし、オーストラリアに生息する「キーウィ」は翼が完全に退化していて、飛べないどころか小指の先ほどの「翼の痕跡」しか残っていないそうです。それでも「キーウィ」は鳥類に分類されます。ましてや、翼がちゃんと残っているペンギンが、鳥類に分類されていけないわけがありません。
キーウィ
大空を飛べない鳥であるペンギンは、水中をいわば「飛ぶ」ことができる。そのことに、私なりの自由へのあこがれの思いを託しているのかもしれません。人生って、しがらみだらけですからね。
まことに勝手な言い分になりますが、あの強烈な生臭さだけはなんとかならないものか、とは思います(笑)。
おおむね好評だったようで、「いいね!」が四つつきました。それにのほほんと気を良くしていたのですが、ひょんなことから、ペンギンの進化過程が気になってしかたがなくなってきたのですね。
それで、ネットでいろいろと検索してみたところ、ちょうどいい感じのサイトが見つかりました。http://www.pen-t.com/shinka/umidori.htm
同サイトによれば、南半球のペンギンと北半球のオオウミガラスとは、(ちょっと難しい言葉になりますが)平行進化をしてきたそうです。平行進化とは、同じ種類ではないのに、南北両半球において、同じ生活条件の元で、同じような食生活を営んでいる(つまりニッチが同じ)海鳥が、同じような姿、生活形態を示すように進化することを言います。
表の見方ですが、空中での飛行にだけ翼を使う「段階A」にある海鳥は、南半球ではウミツバメ類、北半球ではカモメ類、というふうに横に対応させます。次に、水中での潜水と空中での飛行の両方に翼を使う「段階B」にある海鳥は、南半球ではモグリウミツバメ類、北半球ではオオハシウミガラスです。そうして、もっぱら潜水のためにだけ翼を使う「段階C」にある海鳥(潜水型海鳥)は、南半球ではペンギン類、北半球ではオオウミガラスとなります。
ちなみに、南半球のペンギンは十七種類だそうです。http://www.pen-t.com/bunnrui/shikibetu.htm個人的な感想ですが、見た目が立派でめざましい感じがするのは、キング・ペンギンとエンペラー・ペンギン、超絶の愛くるしさで人間どもを虜にしてしまうのは、身長30㎝のコガタペンギンではないでしょうか。
エンペラーペンギン
コガタペンギン
ところで気にかかるのは、北半球のオオウミガラスです。北半球に、南半球とそっくりなオオウミカラスがいるなんて話は、聞いたことありませんよね。それで不審に思って調べてみたところ、次のような事実が判明しました。該当箇所から引きましょう。ちょっと長くなりますね。http://www.pen-t.com/gaisetu/name-of-penguin.htm
オオウミガラス
上の絵のように、このオオウミガラスは非常にペンギンに似ている。現在のペンギンと同じように海鳥で、空は飛べない。体長は約75cm、体重5kg。
この鳥は二五〇年もの間、人間に乱獲(らんかく)され続けた。珍しくもない鳥だったので、研究もされていなかったし、満足な標本もなかった。全くの産業用、食用だったのだ。
乱獲の結果、急激(きゅうげき)に数が減り、初めて絶滅の危機(ぜつめつのきき)に気づいたのである。
そのため各地の博物館などで標本が必要になり、コレクターにも高値(たかね)で売れるようになった。その行為(こうい)がますます絶滅に手を貸してしまったのだ。
最後の数十羽は細々とアイスランドのエルディと呼ばれる小さな岩礁(がんしょう)で生息していた。
イギリス人は死体であっても高値をつけ、捕獲(ほかく)のために漁師をやとって容赦(ようしゃ)なくとり続けた。 そのエルディで、この世に残った最後の二羽のオオウミガラスが抱卵中(ほうらんちゅう)であった。そこを捕獲のために上陸してきた漁師におそわれた。オオウミガラスは卵をあきらめて逃げようとしたがそれもかなわず、最後の二羽は殺された。そして抱卵中だった最後の卵も漁師にふみつぶされてしまった。
漁師たちは、それが最後の個体だということは知らなかった・・・
こうして、かつて北半球で「ペンギン」と呼ばれていた「オオウミガラス」は一八四四年六月四日に完全に絶滅したのである。
オオウミガラスは、人間の商業的な捕獲(ほかく)によって絶滅した最初の鳥であった。
卵は食用に、羽毛は防寒(ぼうおん)の保温材(ほおんざい)とするために、手当たり次第に殺されて、船に山積みにされ、ヨーロッパへと運ばれていたのだった。
人類の蛮行(ばんこう)によって絶滅させてしまったオオウミガラス。その反省をこめて、アメリカ鳥学会の会誌には、「オオウミガラス」を意味する『Auk』という名称(めいしょう)がつけられている。
あまり物知りではない私は、この事実を目の当たりにして少なからずショックを受けました。そうして、ひとりのペンギン好きとして、とても悲しい思いに襲われました。五〇男がしょげかえってしまったのです。これでは、せっかくの正月気分が台無しです。
解説者は、「人類の蛮行」と言っていますが、私はここを、「アングロサクソンの蛮行」と書きかえたいと思います。
そうして、話はいささか野暮になりますが、二〇〇八年のリーマン・ショックを引き起こした欧米金融グローバル資本の強欲さにも、さらには、現在進行中のTPP交渉においてゴリ押しをしようとするアメリカ側の胸の内にも、この、オオウミガラスを絶滅に追いやったアングロサクソン民族の強欲であるがゆえの「蛮行」のDNAが埋め込まれている、という印象をどうにも払拭できないのです。
周りを海に囲まれた日本列島は、文化的には、天敵のいないガラパゴス島のような状態が室町時代まで続きました。それゆえ、獰猛でこすっからい外来種的な行動様式に対する防御において、日本人は、どこか脆弱な面があります。比喩的に言えば、文化の古皮質レベルにおいてそうなのです。だから、アングロサクソンの強欲追求の魔の手から逃れようと、よちよち歩きをするオオウミガラスの姿が、私には、ひとごととはどうしても思えません。なんとも絶望的な逸話ではありませんか。絶滅する最後の瞬間のオオウミガラスの悲しそうな目が、私には鮮明に浮かんできます。一神教的な言い方をすれば、その悲しみはほとんど、造物主としての神のそれと重なります。
そう考えるにつけ、ペンギンを慈しむ気持ちがますます深くなってきます。
私は、昨年末の31日にFBのプロフィール写真を、マンダラからペンギンに変えました。自分としては、マンダラもけっこう気に入っていたのですが、どうもあまりウケがよくないような感触があった(「いいね!」をいただく回数が少なくなった)ので、そうしたのです。それにちなんで、次のような短い文章もアップしました。
私は、ペンギンが大好きです。陸上に上がったときのあの頼りないよちよち歩きと、水中でのあのシャープで力強い泳ぎとの落差のはなはだしさが、私の自然体の想定を快く打ち破ってくれるからです。また、鳥類であることの自由闊達さを大空においてではなくて水中で表現する、というシュールさも魅力です。さらには、陸上で親ペンギンが子どもペンギンを慈しむ姿にも、同じく子どもに対する深い情愛を示す哺乳類の一種である人間として、共感を覚えます。
もしかしたら、ペンギンが鳥類であるというお話を意外に感じた方がいらっしゃるかもしれません。しかし、オーストラリアに生息する「キーウィ」は翼が完全に退化していて、飛べないどころか小指の先ほどの「翼の痕跡」しか残っていないそうです。それでも「キーウィ」は鳥類に分類されます。ましてや、翼がちゃんと残っているペンギンが、鳥類に分類されていけないわけがありません。
キーウィ
大空を飛べない鳥であるペンギンは、水中をいわば「飛ぶ」ことができる。そのことに、私なりの自由へのあこがれの思いを託しているのかもしれません。人生って、しがらみだらけですからね。
まことに勝手な言い分になりますが、あの強烈な生臭さだけはなんとかならないものか、とは思います(笑)。
おおむね好評だったようで、「いいね!」が四つつきました。それにのほほんと気を良くしていたのですが、ひょんなことから、ペンギンの進化過程が気になってしかたがなくなってきたのですね。
それで、ネットでいろいろと検索してみたところ、ちょうどいい感じのサイトが見つかりました。http://www.pen-t.com/shinka/umidori.htm
同サイトによれば、南半球のペンギンと北半球のオオウミガラスとは、(ちょっと難しい言葉になりますが)平行進化をしてきたそうです。平行進化とは、同じ種類ではないのに、南北両半球において、同じ生活条件の元で、同じような食生活を営んでいる(つまりニッチが同じ)海鳥が、同じような姿、生活形態を示すように進化することを言います。
表の見方ですが、空中での飛行にだけ翼を使う「段階A」にある海鳥は、南半球ではウミツバメ類、北半球ではカモメ類、というふうに横に対応させます。次に、水中での潜水と空中での飛行の両方に翼を使う「段階B」にある海鳥は、南半球ではモグリウミツバメ類、北半球ではオオハシウミガラスです。そうして、もっぱら潜水のためにだけ翼を使う「段階C」にある海鳥(潜水型海鳥)は、南半球ではペンギン類、北半球ではオオウミガラスとなります。
ちなみに、南半球のペンギンは十七種類だそうです。http://www.pen-t.com/bunnrui/shikibetu.htm個人的な感想ですが、見た目が立派でめざましい感じがするのは、キング・ペンギンとエンペラー・ペンギン、超絶の愛くるしさで人間どもを虜にしてしまうのは、身長30㎝のコガタペンギンではないでしょうか。
エンペラーペンギン
コガタペンギン
ところで気にかかるのは、北半球のオオウミガラスです。北半球に、南半球とそっくりなオオウミカラスがいるなんて話は、聞いたことありませんよね。それで不審に思って調べてみたところ、次のような事実が判明しました。該当箇所から引きましょう。ちょっと長くなりますね。http://www.pen-t.com/gaisetu/name-of-penguin.htm
オオウミガラス
上の絵のように、このオオウミガラスは非常にペンギンに似ている。現在のペンギンと同じように海鳥で、空は飛べない。体長は約75cm、体重5kg。
この鳥は二五〇年もの間、人間に乱獲(らんかく)され続けた。珍しくもない鳥だったので、研究もされていなかったし、満足な標本もなかった。全くの産業用、食用だったのだ。
乱獲の結果、急激(きゅうげき)に数が減り、初めて絶滅の危機(ぜつめつのきき)に気づいたのである。
そのため各地の博物館などで標本が必要になり、コレクターにも高値(たかね)で売れるようになった。その行為(こうい)がますます絶滅に手を貸してしまったのだ。
最後の数十羽は細々とアイスランドのエルディと呼ばれる小さな岩礁(がんしょう)で生息していた。
イギリス人は死体であっても高値をつけ、捕獲(ほかく)のために漁師をやとって容赦(ようしゃ)なくとり続けた。 そのエルディで、この世に残った最後の二羽のオオウミガラスが抱卵中(ほうらんちゅう)であった。そこを捕獲のために上陸してきた漁師におそわれた。オオウミガラスは卵をあきらめて逃げようとしたがそれもかなわず、最後の二羽は殺された。そして抱卵中だった最後の卵も漁師にふみつぶされてしまった。
漁師たちは、それが最後の個体だということは知らなかった・・・
こうして、かつて北半球で「ペンギン」と呼ばれていた「オオウミガラス」は一八四四年六月四日に完全に絶滅したのである。
オオウミガラスは、人間の商業的な捕獲(ほかく)によって絶滅した最初の鳥であった。
卵は食用に、羽毛は防寒(ぼうおん)の保温材(ほおんざい)とするために、手当たり次第に殺されて、船に山積みにされ、ヨーロッパへと運ばれていたのだった。
人類の蛮行(ばんこう)によって絶滅させてしまったオオウミガラス。その反省をこめて、アメリカ鳥学会の会誌には、「オオウミガラス」を意味する『Auk』という名称(めいしょう)がつけられている。
あまり物知りではない私は、この事実を目の当たりにして少なからずショックを受けました。そうして、ひとりのペンギン好きとして、とても悲しい思いに襲われました。五〇男がしょげかえってしまったのです。これでは、せっかくの正月気分が台無しです。
解説者は、「人類の蛮行」と言っていますが、私はここを、「アングロサクソンの蛮行」と書きかえたいと思います。
そうして、話はいささか野暮になりますが、二〇〇八年のリーマン・ショックを引き起こした欧米金融グローバル資本の強欲さにも、さらには、現在進行中のTPP交渉においてゴリ押しをしようとするアメリカ側の胸の内にも、この、オオウミガラスを絶滅に追いやったアングロサクソン民族の強欲であるがゆえの「蛮行」のDNAが埋め込まれている、という印象をどうにも払拭できないのです。
周りを海に囲まれた日本列島は、文化的には、天敵のいないガラパゴス島のような状態が室町時代まで続きました。それゆえ、獰猛でこすっからい外来種的な行動様式に対する防御において、日本人は、どこか脆弱な面があります。比喩的に言えば、文化の古皮質レベルにおいてそうなのです。だから、アングロサクソンの強欲追求の魔の手から逃れようと、よちよち歩きをするオオウミガラスの姿が、私には、ひとごととはどうしても思えません。なんとも絶望的な逸話ではありませんか。絶滅する最後の瞬間のオオウミガラスの悲しそうな目が、私には鮮明に浮かんできます。一神教的な言い方をすれば、その悲しみはほとんど、造物主としての神のそれと重なります。
そう考えるにつけ、ペンギンを慈しむ気持ちがますます深くなってきます。
最近シルクスクリーンを習い始めた者ですが、エンペラーペンギンの写真が素晴らしいので、絵の版を作るのに、この写真を元にしたデザインで作っています。(現在制作中)
始める前に了解を得てから使わせていただこうと思いましたが、コメント欄が有ることに最初は気が付かなくて失礼致しました。
ブログの写真を使わせてもらっていることを教室では話しており、好評なので制作を続けたいですが、ご都合が悪いようでしたら中止いたしますので、ご面倒おかけしますが、コメントのお返事お願い致します。