G7サミットはいろいろ問題はあるが、一応成功したと言って良いだろう。
岸田首相は、この成果を引っ提げて意気揚々と解散に打って出るつもりだった。
ところがなぜ断念したか?
「解散をしなかったのではなく出来なかった」というのが真実ではなかろうか。
自民党政治のやり方は極めて日本的だ。
特にボスを決める戦いは昔から派閥間の談合で決まる。
(猿の社会は喧嘩が強いのと統率力で決まるがこちらの方がすっきりする)
安倍首相が長期政権を築けたのは最大派閥の安倍派がバックにいたからだ。
ところが岸田派は安倍、茂木、麻生派に次いで第4派閥だ。
今回他派閥の長が岸田首相の解散権容認で動いた気配はない。
逆にポスト岸田を狙う茂木幹事長は「解散阻止」で動いた気配が濃厚だという。(雑誌選択)
意図したものかどうかは不明だが公明党との選挙区調整で大混乱をきたした。
公明党も地方選直後の総選挙は望まない。
自民党幹部の中で唯一岸田首相の意向に沿って動いたのは森山裕選挙対策委員長だけだと言われている。
岸田首相は解散見送りに関し、
「最大の収穫は解散権をとっておくことができた」と述べたが、負け惜しみにしか聞こえない。
夏の人事の焦点は、誰を幹事長にするかだ。
茂木幹事長を「斬れるかどうか」がポイント。
斬っても斬れなくても夏の人事は一波乱ある。
マイナカードの混乱が収まっていなければ秋に解散などとても出来ないだろう。
何やら1991年の「海部首相おろし」に似てきた。
(海部首相は、弱小派閥の河本派出身で竹下派に依存していた)