政治の分野から「平安時代」が語られることは余りない。
それは戦争の無い時代だったからだろう。
延歴3年(784年)平安王朝成立後、若干の例外を除いて常備軍を全廃している。戦争放棄だ。
それから5百年以上、外国とはいかなる戦争もしていない。
蒙古が日本に攻めてこなかったらもっと続いていただろう。
ところがある期間、日本人は狂ったように戦争好きになる。
日清戦争以降アジア・太平洋戦争までがそうだった。
この時の敗戦の深い傷から二度と戦争はしないと誓った。
それは日本国民がだ。(ここは主語を明確にしておきたい)
しかし、この誓いが今や風前の灯火である。
戦争経験者がどんどん少なくなり、あと10年もしたらほぼいなくなるだろう。
田中角栄の心配が現実のものになるのではと憂慮する。
戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。
平和について議論する必要もない。
だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない。
軍備増強を国債で賄う、などと言う暴論が自民党から堂々と出るようになった。
さらには「敵基地攻撃論」なども出始めた。
それに対して自民党内からは反論の声も出ない。
かろうじて財政再建論者のグループから声が上がる程度だ。
日ごろ「平和の党」を唱える公明党からの声も小さい。
結局、中国などに強気の発言を繰り返す人たちは、戦争の痛みも考えず、戦力の現実も知らないまま、脊髄反射的に「戦争論」を述べているだけだろう。
丹羽宇一郎は語る、
戦争をしないための重要な抑止力は政治家の質である。
しかしこのところの政治家の質の劣化が著しい。
今ほど国民に主権者としての自覚や責任感が求められている時代はない。