楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

政治家は出来ないことを言ってはいけない

2024年12月30日 | 日記
石破首相の母方の曽祖父は、日本のキリスト教史に名を残す金森通倫という人物で自身は4代目のクリスチャンとのこと。

作家の佐藤優氏は石破首相が豹変するのは「祈った上で聞こえてくる神の声に耳を傾け、それに従うようにしている。プロテスタントのキリスト教徒である筆者には石破氏の内在的論理が皮膚感覚でわかるのである。」と述べている。

ちょっと分からない。


国会で質問者が引用していたが、作家の高村薫氏が石破首相について、 「本当に口の軽い人だなあ、と改めて思っていますよ。」「政治家は、出来ないことは言ってはいけないんです。口が軽いとはそういうことです。」と評している。

烈しく同意する。

華奢な指を見ていると、国の行方を左右するような事を行うための周到な準備も胆力も無いような気がする。


竹下登元首相の〝言語明瞭、意味不明〟の物言いは有名だったが、視点の定まらない目線で語られる〝石破節〟も引けを取らない。

大事なことは黙し、ひと言で済むような言わずもがなのことを回りくどく語る。

〝納得感〟に包まれそうになる。
霞ヶ関と自民党の緩急自在の流れに浮いたまま首相と共にどんぶらこと流されそうだ。


忘れてならない大事なことを思い返すことを続けなければと思う。


「Nws23」のオープニングテーマ曲 (1989/2008  筑紫哲也)




今日の年の暮れ

2024年12月27日 | 日記



芽が出かかっていた馬鈴薯を2階の窓際のプランターに植えてみたら通常の草丈くらいに伸びてきた。夏の馬鈴薯収穫作業を思い出す。
品種名は『インカのめざめ』。黄色くて甘いイモだ。
太陽に向かって伸びるので、毎朝向きを変える。



   



隣の千歳市に住んでいる大学ラグビー部の友人が10月に届けてくれた「落葉キノコ」を冷凍しておいた。
朝の味噌汁に秋が広がる。


 
       


鮭の飯寿司を漬け込んでひと月が経ったので樽開きをした。
上等の仕上がりだ。妻は麹が苦手なので私だけの正月の楽しみだ。


今日は朝から2階の部屋の掃除をした。天井のホコリを払い、窓ガラスを拭き、掃除機をかけ、机の周りを綺麗にした。
明日は風呂と玄関が私の担当である。



「第九」の秘話を重ねて聴く

2024年12月25日 | 日記
2019年12月28日の九州交響楽団の久留米公演(現田茂夫指揮)は、ベートーベンの交響曲第九番が日本で初めて市民を前に演奏された1919年12月3日から数えて100年目の記念すべき演奏会だった。
数年前、NHKラジオの特集番組で知った。


100年前に演奏したのは「久留米俘虜(捕虜)収容所」のドイツ兵47人、会場は当時の久留米高等女学校だった。

因みに、日本で初めて〝第九〟が演奏されたのはこの1年前の1918年6月1日、徳島県の鳴門市にあった「板東俘虜収容所」の中だった。

当時、収容所ではハーグ条約によって、捕虜の人権と自主性が尊重された運営が行われていて、吹奏楽、合唱、オーケストラなどのサークルが活発だったという。


1914年に勃発した第一次世界大戦で、日本は当時ドイツの租借地だった中国の青島を攻略し、敗れたドイツ兵約5,000人が日本各地12箇所の俘虜収容所に送られ、久留米には約1,400人、徳島には約1,000人が収容されていた。


オーケストラの楽器は青島から持ち込んだもの、水瓶に皮を張ったティンパニーなどの手作りしたものが使われた。

久留米では戦争終結でドイツ兵が祖国に帰るにあたり「お別れコンサート」が開かれた。
高等女学校の生徒の剣舞の披露の後に〝第九〟が演奏され、女子生徒がシューベルトのセレナードの楽譜を持参して演奏をリクエストし、ドイツ兵が驚いたというエピソードが残っている。


ドイツ兵捕虜は〝第九〟とともに沢山の宝物を日本に残してくれた。

徳島では「ドイツ橋」と呼ばれるメガネ橋を造り、「ドイツ菓子とパン」の製造技術が地元の店に伝承された。昔、車で徳島を通ったことがあったが見逃したのは残念だ。

久留米ではローマイヤー株式会社(本社;栃木県)が今に受け継いでいるヤギシタの「豚のロースハム」「ソーセージ」の技術が伝えられ、帝国ホテルにも伝わったという。

1925年には銀座に『レストラン ローマイヤー』が出店された。

そしたまた、久留米と言えば〝ブリジストン〟だが、ゴムの配合などの加工技術を教えたのはドイツ兵捕虜だった。


指揮者の現田茂夫氏は演奏に当たり、「〝第九〟は、人はすべて兄弟である」と唱っていると語っている。

今、世界の各地で争いが起き、戦争捕虜とその家族は悲惨で残酷な扱いを受けている。
一年も早く、平和が訪れて欲しい。


戦争は絶対にあってはならないが、捕虜収容所にまだ人道的な良心があった時代の秘話と〝第九〟が重なる年末だ。




年賀状の準備を始めた

2024年12月22日 | 日記
 


銀行が泥棒していたとはまさに想定外の出来事だ。

今日、近くの郵便局の前を通りかかったら「全国郵便局強盗対策強化中」の張り紙。

世の中が変わってしまった。


年賀状仕舞いが増えてきているとか。出すところを少し整理した。
キース・ジャレットを聴きながら。

同世代の1945年生まれの79才。
道南の江差町に住んでいた若い頃、ジャズ好きの友人と函館から連絡船に乗って青森まで聴きに行ったことがあった。
椅子から立って弾く姿が印象的だ。

現在、脳梗塞からのリハビリ中で「もうピアノを弾くことは無いだろう」と語っているのが寂しく残念なことだ。




1989-10-01 バッハ 『ゴルドベルク変奏曲』より「アリア」


サンタクロースの思い出

2024年12月20日 | 日記



日本海側と中央部の岩見沢市、幌加内町は大変な雪のようだ。

岩見沢に勤務していて、休日に3回、除雪したことを思い出す。
冬に幌加内の母子里地区へ出張すると牛舎が極寒の雪原に埋もれていた。
恵庭は今のところ殆ど降らず、申し訳ない気持ちだ。


いつものように小さなクリスマスツリーを飾った。
サンタクロースを信じていたのはいつ頃までだったかとふと思う。

夜中に何度も起きて玄関を見に行っていた記憶が小学校1年まで住んでいた山奥の家の造りと重なるので多分その頃までかもしれない。

何度、〝サンタさん〟に頼んでも届かなかったのが細い木を曲げて作られた背当てのあるソリだった。
エスキモーの人達の犬ぞりを小さくしたような形をしていた。

小学校2年の時に転校し、新しい家の玄関にサンタクロースは来なくなったがソリは身体には小さくなり壊れるまで冬の相棒だった。

親は値段が高くて手が出なかったのだろうなと後になって知った。
イヌイットも今はスノーモービルという。
今はプラスチックの時代、懐かしいあの形のソリも見かけなくなった。


マンフレディーニ   合奏協奏曲作品3の12 「クリスマス協奏曲」第1楽章

「政倫審」をこれ以上続けても無意味ではないか 

2024年12月18日 | 日記
臨時国会が間もなく終わるが、政治資金規正法再改正に一歩前進はあったものの、〝裏金づくり〟は「誰が主導し、いつから、何のためにやったのか」という衆議院選挙前の疑問は残ったままだ。

国会の政倫審が開かれているので衆議院インターネット中継をちょっと見ていた。

「裏金の存在を知らなかった。」
「会計は事務所の責任者に任せていたので、〝裏金作り〟は報道で初めて知った。」
「政治資金収支報告書に記載しないという会計処理は派閥事務局からの指示だった。」

という類の弁明が〝金太郎飴〟のように繰り返されている。


元・防衛大臣の稲田朋美議員は、2022年5月に当時の派閥会長の安倍総理と1対1で会った際に、キックバックの廃止を伝えられているにも拘わらず、自身の事務所で裏金作りが行われていることを知ったのは2023年末だっという。

派閥会長からそのような話があったら、すぐに自分の事務所がどうなっているのか調べるのではないか。弁明全体が信じられない。


萩生田議員は、裏金作りにも机の現金の使途にも一切関わっていないという弁明だ。3,000万円近い現金は口座からわざわざ下ろしたものという。
事務所の担当者によって議員のノーチェックで使われていたかもしれず、それだけで政治家失格ではないか。


政治資金規正法違反(虚偽記載)で有罪判決を受けた安倍派の事務局会計責任者である松本淳一郎氏は、裁判で「ある幹部から続けることになったと告げられた」と証言している。
松本被告は幹部協議に同席していた。

キックバックは、当時の会長だった安倍元首相の指示で2022年4月に中止が決まったが、同8月の幹部協議後に一転して継続することになり、幹部らが還流継続を所属議員らに周知したとされている。


松本淳一郎氏の裁判の証言は「新たな事実」である。
既に終わった幹部協議出席者の弁明は「キックバックがどのように再開されたか分からない。」というもので食い違いがある。

塩谷氏(元安倍派会長)、下村氏(元文科相)、西村康稔・前経済産業相、世耕弘成・前党参院幹事長の4人に加え、裏金作りが始まった頃の派閥会長である森喜朗氏の「国会証人喚問」が必要と思う。

政倫審は明日12/19に終わるが、これ以上続けても「政治とカネ」の核心である「裏金」の解明に繋がらない。


何かシックリしない臨時国会が終わる

2024年12月16日 | 日記
臨時国会の会期末が21日に迫る中、国会では政治資金規正法再改正や衆参政治倫理審査会開催など難題が山積し、日程は窮屈さを増していた。
自民にとっては補正予算案の12日中の衆院通過が至上命題だった。

このため、国民民主には〝103万円の壁〟の扱いで、「来年から178万円を目指して」という空証文で、立憲には「予備費の付け替えで能登復興対策を増額」で顔を立てさせ、「能登は賛成、補正は反対」というチグハグナな拠り所を与えて見事に乗り切った。


立憲・野田代表は「補正予算は水ぶくれ」と批判していたが、あっさりと通してしまったのはどうしたものか。

立憲の安住衆院予算委員長は補正予算本体の修正をもっとすべきであったが、初登板で混乱を避けたと見られても仕方ない。

これは長いことお互いに国会対策をやって来た自民の森山幹事長との水面下のやり取りで利害が一致したからであろう。
 

政治倫理審査会は公開、非公開で揉めているが変則で開催してもいいし、通常国会に先送りしてもいいので残るは政治資金規正法再改正だ。

これについては、自民、立憲の国対委員長が16日、国会内で会談し、自民は「政策活動費」を全面廃止する野党提出法案に賛成する意向を示し、一部を非公開にできる「公開方法工夫支出」を検討項目として付則に盛り込む修正は見送ることになった。つまり、成立する。

「方法を工夫する」という回りくどく、何のことやら分からない表現で附則に残しておいて、法律の施行段階で条文の中に息を吹き返らせようとするのだから、自民党はよほど〝裏金〟の温床が欲しかったのだろうが諦めたのはやはり少数与党の悲哀か。


かくして、17日に補正予算は成立し、臨時国会はすんなり21日に終わることになった。

〝奇跡の国会運営〟〝森山マジック〟と自民は浮かれるのだろうが、はたして政権交代に向けて野党はそれでよいのか。

綱渡りの政権運営を気脈の通じた与野党の元国対委員長二人が切り回しているようで気になり始めている。

年明けの通常国会で、立憲はもっと毅然と戦わなくてはダメだ。


国民民主はどこまで持ち応えられるか

2024年12月15日 | 日記
国民民主党は1月からの通常国会で審議される2025予算の成立と引き換えに〝103万円の壁〟をいくらにすることで折り合うつもりだろうか。

ガソリン税の廃止は勝ち取ったので、次の選挙用の虎の子のカードだ。
中途半端で妥協は出来ないし、突っ込み過ぎて国会を停滞させると「党利党略だ」という世間の批判の高まりが気になってくる。


現時点で国民民主の要求は178万円、自民党の回答は123万円。絵に描いたように要求の7割だ。来年から178万円を目指すらしい。

財務省と財務省出身の 古川元久 政策調査会長のメンツを賭けた戦いは興味津々である。


上げ幅の根拠を国民民主の「最低賃金上昇率」にするか、財務省の「物価上昇率」にするかの議論だが、103万円は生活する上での〝必要経費〟という考え方だから、財務省の主張が本筋である。

国民民主の古川政策調査会長は知ってか知らぬか、先の衆院選挙公約に掲げる時に不覚にも吟味が足りず、古巣の財務省に「先生、それ違いますよねぇ」と弱みを握られてしまった。

事実、財務省は「食料と家賃の上昇率」をベースに123万円をはじき出しており、ジワジワと攻めてきている。


国民民主は「最低賃金上昇率」でどこまで持ち応えられるか。
算定の根拠に〝食料と家賃〟以外に何を追加するか、方針転換をせざるを得ない状況ではないか。

落としどころが決まれば「理屈」は財務省のプロがいかようにも作るのが常だ。最後は財務省側から決着の知恵の手が差し伸べられて着地するのではないか。
官僚は〝5と3と8〟が大好きだ。7の次は〝8割回答〟で妥結か。

事実、自民党の宮沢洋一税制調査会長はゴルフに例えて「グリーンがどこにあるのか見えない」とちゃちゃを入れ始めている。


国民民主の今回の動きは、単独で抜け駆けしても根本解決には至らず、政権交代しなければ公平な税制も適正な社会保険料負担も自民党政治の疑惑解明も、何一つ根本的には実現しないことが明かになる良いケースだと思う。

これから野田立憲代表がどこで野党統一戦線構築の旗を揚げるか、注目だ。


パソコン〝かかりつけサポーター〟も必要

2024年12月14日 | 日記
1週間ぶりに気温差10℃以上の東京から帰ってきて翌日、パソコントラブルに見舞われた。

朝、2階が寒いので灯油パネルヒーターに加えて電気暖房器具2台を点けてパソコンを使っていたところ、家の電流制御ブレーカーが落ちてしまい、PCの突然のシャットダウンでインターネットが繋がらなくなってしまった。


スマホで検索しながらいろいろやってみても状況は変わらず、以前に来てもらったPC修復業者のBさんに電話してみた。

電圧の急激な変化で光回線の変換機器(ONU)が故障する場合もあるのでプロバイダーのサポートセンターに問い合わせてチェックして貰ってはとのアドバイス。
早速、照会してONUのランプの点滅状態からセッティングのし直しが必要であることが分かった。


電話リモートでONUを初期化し、PCからプロバイダーのIDとパスワードを入れ直して無事開通した。半日を要した。

サポートセンターの担当の人に、「もう一度、操作の仕方を教えてください。」と言うと、「う〜ん、難しいのでその時はまた電話してください。」と丁重なご返事。

それもそうか。以後は不注意に気をつけよう。
Bさんにもお礼の電話をしてハプニングは終わった。


身体のケアはかかりつけ医院があるが、PCを使っている間は〝かかりつけサポーター〟も必要である。



年の瀬に聴きたくなる曲 カッチーニ『アベ・マリア』


長逗留おわり

2024年12月12日 | 日記
東京6日目  12月12日(木)




長逗留したがずっと良い天気だった。
今日、寒さが増している北海道へ。
家は冷えているだろうな。

昨日は83才の兄夫婦と新宿でお昼を食べて、目黒の雅叙園ホテル東京の「百段階段」を見物した。

正確には99段の階段に沿って配置された昔の宴会場に日本画、天井画、彫刻が施されている。
随分と豪勢なものだ。

戦時中は出征の別れの宴も行われたそう。
「怪我をした。病気になった。と忌避して、絶対に帰ってこい。」と父親が涙ぐむこともあったそう。

外国人の姿が目立った。