山上容疑者による安倍元首相殺害事件、そして木村容疑者による岸田首相への爆弾事件は似た部分が多い。
二人に共通しているのは「社会から孤立している」という気持ちだろうか。
その孤立感をいやす何かが決定的に欠けていた。
それは親の愛情や親友であったり、場合によっては仕事や宗教であったりするだろう。
親鸞の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
この言葉は深いし、なかなか理解しがたい。
高森顕徹氏は次のように解釈している。
阿弥陀如来は、すべての人は、「煩悩の塊」であり、助かる縁なき極悪人と見抜かれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているのだ。
もし彼らを全面的に受け入れてくれる人なり宗教があれば別の道があったのではなかろうか?
この国がいま問われているのは、
安倍・菅・岸田と三代にわたる「倫理観の喪失」が目に余るということだろう。
それはひいてはその政治スタイルを糺すことの出来ない国民の側の無力さもあるのだが。
1930年代に、クーデターやテロが頻発したのだが、その遠因は昭和恐慌による国民の困窮、それを収められない政治の混迷があった。
それを横目で見ながら、軍部が力を得て国家社会主義的な方向に走り出したところにある。
岸田政権が危ういのは、物価高騰という庶民の困窮を見過ごして防衛費倍増に走っていることだ。
一旦立ち止まって、
この国をもう一度見つめ直す機会にすべきではなかろうか。