このところの自民党の政治家の出処進退はみっともなさばかりが目立つ。
裏金問題で検察に立件されて辞職した議員もいるが、大部分は口を拭って「知らぬ存ぜぬ」だ。
誰一人責任をとらぬまま、9月の総裁選で表紙を変えればなんとなるという考えなら甘い。
岸田首相そのものが、国や党の前に自分がある。
9月の総裁選で再選するためなら何でもするのだ。
政治家の出処進退の鏡として称賛されているのが石橋湛山だ。
(1884~1973)
戦前には植民地放棄や戦争反対を訴え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張した。
「東洋経済新報」の代表を務め、戦後は政治家に転身し総理大臣になった。
しかし好事魔多しで脳梗塞を発症し2か月の絶対安静を宣告される。
「私の政治的良心に従う」としてわずか65日で辞任した。
「政治家にはいろいろなタイプがいるが、もっともつまらぬタイプは自分の考えを持たない政治家だ」 石橋湛山
自民党の3割、岸田内閣の5割が世襲政治家だ。
生まれた時から家業として政治家になる道が出来ている。
なぜ自分は政治家を目指すのか、という決定的な動機を欠いている。
だから政治家としての自分の考えを持たなくて政治家になれるのだ。
このように世襲政治家ばかりの政治集団は恐竜のように時代の変化に対応できず消え去るのではなかろうか?