白洲次郎は1902年(明治35)兵庫県生まれ。
GHQ支配下にあった終戦後の日本で吉田茂の懐刀として活躍、GHQと対等に渡り合った。
「日本ぐらい自分でものを考えるやつが少ない国はありませんよ。違ったことをいうと、そこらへん全部ご機嫌が悪い」
日本人のこの通弊は今も治っていないようだ。
白洲は英国ケンブリッジ大学に入学した。ここで「ノブレス・オブリッジ」を学んだ。
恵まれて生まれた人間は心して生きよ、ということだ。
薔薇(クイーン・エリザベス)
次のような発言もまったく的を射ている。(1956年11月号文芸春秋)
「日本国民は、もっとはっきり政治に対する意見をいうべきだとかんがえる。法律的に政治が天皇のものであった時代はいざ知らず、現在は国民全部がもっと政治に関心をもって、勇敢に発言するにあらずんば民主主義は発展しないし、政治もよくならない」
白洲次郎は昭和17年から3年ほど農業をしたことがある。
恐らく敗戦を見越していたのだろう。あるいは「カントリージェントルマン」足らんとしたのか?
薔薇(ポール・ボキューズ)