安倍元首相が参院選遊説中に凶弾に倒れたという驚愕のニュースが飛び込んできた。
いかなる理由があろうとも言論を暴力で封殺することは許されることではない。
その上で、ここで大事なことは、一呼吸おいて冷静になることだろう。
先ず目前に迫った7月10日の参院選は粛々と行うべきだ。
あわてふためいて先送りなどはすべきでない。
犯人の状況が今一つはっきりしないので断定的なことは言えない。
ただ私は最近の世の中の「空気」が嫌な方向に流れていることを危惧していた。
それは1930年代にだんだん似通ってきていることだ。
1927年に始まった「金融恐慌」で銀行の取り付け騒ぎが起こり、世情が騒然となっていった。
一方で軍部は満州に進出して戦線拡大を図っていた。(1931年満州事変)
今回の事件はロシアによるウクライナ侵攻が何らかの影響を与えていると思う。
プーチンによる「話し合いの政治」から「戦争を仕掛けてケリをつける政治」。
それと同時並行で始まった物価の高騰。
それらが複合して短絡的行動に出るものが現れやすくなる。
政治学者の小室直樹の言葉を思い出した。
一般に、責任は限定されたもので、その限りにおいては、常にきちんと責任を取る。
この原則の無いところにデモクラシーはありませんよ。
いつでも無責任に転化しうる無限責任ほどデモクラシーの土壌に異質的なものはない。
今回の事件を契機に「民主主義」が大いに語られるだろうが、私はやや複雑な想いで事態を見ている。
それはこの機会に「安倍晋三的なもの」を克服しなければ、この国は立ち直れないと思うからだ。
民主主義は必ずしも暴力だけで崩れるのではない。無責任な倫理観の欠如によっても崩れ去るのだ。
「この時代の空気」がおかしな方向に流れないように、一人ひとりが自覚することが大事なのだろう。