この国は時々狂気に襲われる時がある。
近世では昭和恐慌から太平洋戦争終了に至るまでの間がそうであった。
冷静に現実を見つめることが出来なくなるのだ。
そして指導者が意味不明の精神論を振り回して、さらに悪いことには責任回避に汲々とする。
いま、菅政権と首都圏(1都3県)の知事達がコロナ過をめぐって責任の押し付け合いを始めている。
何とも醜い争いだ。国民の暮らしと健康を守る、などという言葉遊びはやめてもらいたい。
「嘉納治五郎と安部磯雄」を著した丸谷武士は次のように述べる。
柔道や野球のようなスポーツばかりでなく、囲碁、将棋、麻雀その他どのようなゲームも、感情的になっては勝てないことは明らかである。言うまでもなく、個人であれ国家であれ感情的になれば、右せんか左せんか、あるいは押すべきか引くべきか等々の「判断力」に「狂い」が生ずるからである。
鍛えの甘いスポーツマンやビジネスマンが、困難に遭遇してすぐ感情的になって敗れるように、国家や民族が、「内向きでひ弱な精神構造」を抱えたままでは、嘉納が勧告するような「冷静な態度を持して事を処断する」ことは、到底無理ではないか。
日本は世界の中でも、高齢化のプロセスをいち早く踏み出した国だ。
そして日本の高齢者は必ずしもやわではない。
この新型コロナが高齢者を直撃するウイールスであるゆえに、日本がどんな対応をするか世界が注目している。
我々はこの新型ウイールスを正面から受け止めるべきだ(事実をしっかり見つめること)
その上で冷静な対応が求められる。