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行雲流水の如くに

「重荷を負うて遠き道をゆく」ーー家康を考える

若いころは秀吉や信長の方が好みだった。

しかし年とともに家康の方が深みがあると思うようになった。

「堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ。勝つ事ばかり知って、負けることをしらざれば、害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」

歌が1首ついている。

人はただ身のほどを知れ草の葉の露も重きは落つるものかは

今の若い人は会社に入ってもすぐやめるという。

昔は「石の上にも3年」ということわざがあり3年間はなんとか辛抱したものだ。

武道でも「受身3年」といわれ、基礎をみっちり叩き込んだほうが最終的には強くなる。

「若いころの苦労は買って出もせよ」ということわざもあった。

 

最近、パワハラ・セクハラの度が過ぎて批判されたり、任半ばで辞職する地方の首長や国会議員が相次いでいる。

何ともお粗末な話だが、身から出た錆だ、同情の余地なし。

家康の次の言葉を学んでおくべきだった。

大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである。

恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで、憎まれている。

だから大将というのは勉強しなければならないし、礼儀をわきまえなければいけない。


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コメント一覧

megii123
飲兵衛さん、家康の隠れた逸話ありがとうございます。
やはり地元でないと分からないことがありますね。
家康は確かに臆病だったようですが、臆病と慎重とは裏表ということでしょうね。

大久保彦左衛門の話は、安倍晋三と家庭教師だった平沢勝栄とかぶりますね。
晋三があまりに出来が悪いので勝栄は何回か晋三の頭を小突いたようです。
それを根に持って晋三は勝栄を大臣にしませんでした。
megii123
べつらさん、こんにちは。
諸葛亮は私も大好きです。
将たる者、単純ではいけませんね。
ましてや人間性にもとる行為は許せません。

今の自民党でこれはという人物がいないのが、情けない。
上川陽子を持ち上げる動きがありますが、何とも茶番です。
megii123
kenちゃん、こんにちは。
ご両親が、土佐の「いごっそう」ですか。
私は香川県で単身赴任を3年近くしましたが、高知には良く行きました。
まさに南国土佐で、豪快でした。
特に酒は!(笑い)

一言でいうと、家康は「堪忍の人」ですね。
先を睨んで堪えるということはなかなかできませんね。
しかも慎重です。
「あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である」
suishaalbum
行雲流水の如くにさん~今日は。

徳川家康といえば岡崎と並んで我が浜松も縁深いところ、
若かりし家康についてのエピソードが数あります。

飲兵衛の住んでいる近くに「小豆餅」と「銭取」と言う地名
があります。
家康がお忍びで領地を見回っていた時、茶目っ気を出して
茶店の小豆餅を食い逃げ、それに気が付いた茶店の婆さんが
追いかけて代金をせしめたのが「小豆餅」と「銭取」の由来
だそうです。

ところで出典は忘れてしまいましたが(たぶん大久保彦左衛門も
三河物語?)
その中で徳川家の最強の侍大将・本多忠勝が
「我が殿は今でこそ街道一の弓取り、大将軍の器だと言われて
いるが、実はとんでもない弱虫で、ちょっとでも困ることがあると
すぐにいじけて爪を噛みだす悪い癖がある。
その姿があまりにみっともないので何度も諫言申し上げたのだが
とうとう直らなかった」と述べています。
どうやらこちらが本当の家康なのかも?

ちなみに三方ヶ原の合戦で武田信玄に大敗、逃げる途中で恐怖の
あまり脱糞したのを、通りかかった大久保彦左衛門に見つかり
「やあやあ~殿が脱糞いたしたぞ、臭い臭い~!」
と大声で囃し立てられたのを終生根に持ち、三河譜代の重臣が
大名に取り立てられるなか、彦左衛門だけは数千石の旗本止まり
だった原因の一つだと言われtいます。
bellavoce3594
こんにちは。
本日もいい言葉をありがとうございます。
私は親の介護をしている時に、ほとんど外に出られなくて1時間ほどヘルパーさんが来られた時にスーパーなどに買い物に行けたという時に「三国志」に夢中になりました。諸葛亮は「恐られながらも、慕われた」とありました。
今の政治家はこうではありません。公金も自分が好きなようにしてもよい、若い女性を変な衣装で踊らせ、悦になるなど、不倫もあり、裏金など当然という傲慢な意識、国民に「道徳」を学校で教えろといいながら、肝心の政府は???
国民をバカにしている、この前の選挙もボロ負けだったのはなぜなのか、多分わかっていないと思います。
knsw0805
行雲さん、おはようございます。
父が好きでしたね。山岡荘八愛読書でした。私も行雲さんと同じです。最初は秀吉や信長を読みまして、40代頃から徳川家康を読みだしたような気がしますが、家康の本からは家康の人間性がまるで感じられなくてあまり好きではなかったような気がします。父は苦労人でそれに無口ですから、まるで家康を絵に描いたような人でした。生きている時はあまり好きではなかったです。喜怒哀楽がはっきりして勝気、才気あふれる母が好きでした(笑)両方が土佐の「いごっそう」「ハチキン」です(爆)
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