われは毫(ごう)も天下に望みなし。ただ機に臨みて戦うのみ、これがわが分なり。生は生、死は死、これわが守るところなり。
上杉謙信
武人としての潔さは清々しい。
北条氏康と今川氏真の連合軍が武田信玄軍を包囲したため、自給不能の甲斐の人々は塩を絶たれた。
武田を潰す良いチャンスとばかり、氏康は謙信に是非とも味方になるように誘った。
この時の謙信の言葉がすごい。
「信玄と敵対するのはあくまで戦場でのこと。塩責めなど武士のとるべきことではない。ましてや、その苦しみは良民にも及ぶにおいておや。良民をいたずらに苦しめるのは武士の本意にあらず」とこの誘いを拒絶した。
そして越後から甲斐へ塩を送り届けた。
これが俗に言う「敵に塩を送る」
ジュンベリーが真っ盛り
謙信はすごくわかりやすいタイプだが、信玄はかなり複雑だ。
性善説よりも性悪説に立って人間を見ていたような気がする。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
一生懸命だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳が出る。
言い訳ばかりの裏金議員に聞かせたいものだ。
ミツバツツジが咲き始めた
チューリップとユーフォルビア