行雲流水の如くに

武田信玄と上杉謙信、好みから言えば謙信だが学ぶなら信玄。

われは毫(ごう)も天下に望みなし。ただ機に臨みて戦うのみ、これがわが分なり。生は生、死は死、これわが守るところなり。

上杉謙信

武人としての潔さは清々しい。

北条氏康と今川氏真の連合軍が武田信玄軍を包囲したため、自給不能の甲斐の人々は塩を絶たれた。

武田を潰す良いチャンスとばかり、氏康は謙信に是非とも味方になるように誘った。

この時の謙信の言葉がすごい。

「信玄と敵対するのはあくまで戦場でのこと。塩責めなど武士のとるべきことではない。ましてや、その苦しみは良民にも及ぶにおいておや。良民をいたずらに苦しめるのは武士の本意にあらず」とこの誘いを拒絶した。

そして越後から甲斐へ塩を送り届けた。

これが俗に言う「敵に塩を送る」

 

ジュンベリーが真っ盛り

 

謙信はすごくわかりやすいタイプだが、信玄はかなり複雑だ。

性善説よりも性悪説に立って人間を見ていたような気がする。

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。

一生懸命だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳が出る。

言い訳ばかりの裏金議員に聞かせたいものだ。

 

ミツバツツジが咲き始めた

チューリップとユーフォルビア


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コメント一覧

megii123
shimaさん、おはようございます。
そうでしたね、子供のころは木下藤吉郎の出世物語が好まれました。
草履をふところで温めた話など有名でした。
ところが徳川家康は「狸おやじ」というあだ名でバカにしていましたね。
どうも日本人は客観的に物事を見るのが苦手で「好き嫌い」で判断しがちです。

徳川の300年は戦争をしない国であった、という事実は評価してよいと思います。
それは家康の祖業において立てた方針が長期を展望していたからと思います。
fumiel-shima
行雲さん、おはようございます。

私達が子供の頃からいろんな機会で知り得たこの二人の武将の言葉や戦いの様子、そして治世・・・

「武田菱」や「武田の赤備え」で勇猛果敢な情景が浮かびますが
私も上杉謙信に軍配を揚げたいと思いますね。

大阪冬の陣、夏の陣などでも私が育った周辺(富山県氷見市)やそのころの漫画や物語でもそうだったと思いますが、豊臣方の真田幸村や豊臣方の武将の生き方が大きく評価されていたと思います。

そのため、子供のころから「豊臣は正」「徳川は悪」という図式のようなものまで・・・
megii123
リナリアさん、こんばんは。
ジュンベリーは、今年は花付きが良いようです。
5年ほど前に野ネズミにかじられて心配しましたが元気に復活しました。
昨年秋に剪定をしたのが良かったのかもしれません。
実はいつもジャムにしますが、木の上の方は鳥たちにまかせています。
チューリップなどは朝晩の寒暖の差が良い色付きになっているのかもしれません。

今日の夜から急激に冷え始めました。
先ほど暖房を入れたところです。
michiyo2859
megiiさん、こんばんは☺︎

ジュンベリーが見事な花付きでびっくりしました。こんなにたくさんの花は初めてで紅い実になる頃も綺麗でしょうね。ツツジ、チューリップ、ユーフォルビアの花色も美しく、特にチューリップは最近こちらはあまり花茎を伸ばして咲かなくなってきました。

本当に裏金議員に聞かせたいです。また、今回も中途半端で終わるのでしょうね。

気温差に気をつけてお過ごし下さいね(╹◡╹)
megii123
手賀沼日記さん、こんにちは。
ご賛同ありがとうございます。
こちらに移ってもう20年近くになります。
それまでは北柏に住んでいましたので、手賀沼は良く行きました。
watanabe_march
好みは謙信、学びは信玄、私もそう思います。
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