『教育格差の根っこは「普通」が違うこと』の続き
まだ続きがあるの?と言われそうだが、
このブログは私の備忘録でもあり、「現代ビジネス」の昨年の記事へ興味深いのが有ったので続きを書くことにした。

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釧路出身で東大を卒業された方が、「文化と教育の地域格差」について「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」と熱く語っておられる記事で、
『仮にめでたく大学進学という選択肢が与えられ、十分に学力があり、経済的にも恵まれ、いざ大学進学を志したとしても、田舎の子供にはさらなる障壁がいくつも立ちはだかっている。思いつくままに羅列してみよう。
○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親
<中略>
○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)
○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)
○過去問を閲覧することができない
○各種模擬試験の案内がない
田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。』
と書いてあるのを読むと、山口県で暮らしていた私の学生時代もそうだったし、今のウドンタニも同様だと言える。
筆者は「地域格差」として書いて居られるが、「地域による普通の違い」と言い換える事も出来るだろう。
この記事は大きな反響があったそうで、続編として『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』も書かれたが、続編では読者の反論や質問に答えておられ「普通の違い」が浮き彫りになっている。
『格差に気づくこと自体に高度なリテラシーが必要』は本当にそうで、息子が中学入試で理数特別クラスへ落ち、今度こそと高校受験で再チャレンジしても駄目で、こんなに勉強しているのに何が悪いのか、どんなに考えても解らなかった。
娘の友達が通い始めた塾と間違えて入った塾が、偶々息子の友達の天才J君が通った塾なのを壁のメダル付きの写真で気付き、そこを娘を通わせて初めて学校とは違う勉強をしているのに気が付いたのだった。(恥w)高度なリテラシーなんか無い私だが、偶々間違えて名前が似た別の塾へ入ってラッキー!だった。
息子が塾や家庭で一生懸命取り組んだのは「学校の教科書へ書いてある問題」であり、進学校の理系特別クラスの入試で出題されるのは「学校の教科書へは書いてない問題」だったのだ。寝る間を惜しんでどんなに勉強しても「内容が違うことを勉強している」のであり、合格しないのは当然だ。
それに気が付いたのは、息子が高2で娘が小5の二学期。二人共受験まで1年半しかなく、小学生な娘は素直に親の言う通りに学んでくれたが、既に自我が形成されている息子は「普通」が変えられない。「僕はPAT1(タイの大学入試共通試験の数学)の問題集で、ちゃんと勉強している。パパが言うような勉強はテストへ出ないよ。」と言い張るのだ。
タイで売っている数学の参考書や問題集の大部分は教科書レベルであり、それで勉強しても受験では100点満点で20点台な平均点前後にしかならないのだが、息子の普通ではそれが分からない。
息子が受け入れてくれたのは既にバンコクの大学へ通いながら別の大学を目指した2年目の受験の時。
模試の結果が想定外に悪くて落ち込んでいたので、私が数学の問題へ目を通すと点取り問題まで逃している息子。解けなかった簡単な問題を5問ほど解いて見せ、「現役受験生が解けない問題を三十年前の受験生が解けるのは何故かな?」と追い詰めて、ようやく私が指示する勉強を始めたが、時既に遅し。www 長年の積み重ねによる学力格差は、ほんの数ヶ月でどうにもならず、PAT1の得点が前年より僅か十数点増えただけで終わってしまった。
普通の違いに気が付くのは難しく、例え他から指摘されても「普通」と思っているものは変えられない。
変えられないから違いが日々積み重なり、どうしようもない格差となるのだろう。
私が普通と思って子供へやらせているのも、タイの地方の公立学校からタイの国立大学を目指す勉強であり、タイではインター校から海外の大学を目指す人も多い。そこへは私が知らない「普通」がある。
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○「せめて県内の大学に行ってほしい」と希望する親
<中略>
○塾や予備校の不在(都会にどんな機関があるのか知る機会もない)
○近所の本屋に受験参考書が揃っていない(取り寄せるべき参考書を知る機会もない)
○過去問を閲覧することができない
○各種模擬試験の案内がない
田舎者は、こうした数多の困難によって、教育から隔絶されている。』
と書いてあるのを読むと、山口県で暮らしていた私の学生時代もそうだったし、今のウドンタニも同様だと言える。
筆者は「地域格差」として書いて居られるが、「地域による普通の違い」と言い換える事も出来るだろう。
この記事は大きな反響があったそうで、続編として『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』も書かれたが、続編では読者の反論や質問に答えておられ「普通の違い」が浮き彫りになっている。
『格差に気づくこと自体に高度なリテラシーが必要』は本当にそうで、息子が中学入試で理数特別クラスへ落ち、今度こそと高校受験で再チャレンジしても駄目で、こんなに勉強しているのに何が悪いのか、どんなに考えても解らなかった。
娘の友達が通い始めた塾と間違えて入った塾が、偶々息子の友達の天才J君が通った塾なのを壁のメダル付きの写真で気付き、そこを娘を通わせて初めて学校とは違う勉強をしているのに気が付いたのだった。(恥w)高度なリテラシーなんか無い私だが、偶々間違えて名前が似た別の塾へ入ってラッキー!だった。
息子が塾や家庭で一生懸命取り組んだのは「学校の教科書へ書いてある問題」であり、進学校の理系特別クラスの入試で出題されるのは「学校の教科書へは書いてない問題」だったのだ。寝る間を惜しんでどんなに勉強しても「内容が違うことを勉強している」のであり、合格しないのは当然だ。
それに気が付いたのは、息子が高2で娘が小5の二学期。二人共受験まで1年半しかなく、小学生な娘は素直に親の言う通りに学んでくれたが、既に自我が形成されている息子は「普通」が変えられない。「僕はPAT1(タイの大学入試共通試験の数学)の問題集で、ちゃんと勉強している。パパが言うような勉強はテストへ出ないよ。」と言い張るのだ。
タイで売っている数学の参考書や問題集の大部分は教科書レベルであり、それで勉強しても受験では100点満点で20点台な平均点前後にしかならないのだが、息子の普通ではそれが分からない。
息子が受け入れてくれたのは既にバンコクの大学へ通いながら別の大学を目指した2年目の受験の時。
模試の結果が想定外に悪くて落ち込んでいたので、私が数学の問題へ目を通すと点取り問題まで逃している息子。解けなかった簡単な問題を5問ほど解いて見せ、「現役受験生が解けない問題を三十年前の受験生が解けるのは何故かな?」と追い詰めて、ようやく私が指示する勉強を始めたが、時既に遅し。www 長年の積み重ねによる学力格差は、ほんの数ヶ月でどうにもならず、PAT1の得点が前年より僅か十数点増えただけで終わってしまった。
普通の違いに気が付くのは難しく、例え他から指摘されても「普通」と思っているものは変えられない。
変えられないから違いが日々積み重なり、どうしようもない格差となるのだろう。
私が普通と思って子供へやらせているのも、タイの地方の公立学校からタイの国立大学を目指す勉強であり、タイではインター校から海外の大学を目指す人も多い。そこへは私が知らない「普通」がある。
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