川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

12月6日/ 今日は何の日

2012-12-06 00:15:00 | その他

(1994年)「音の日」制定

1877年12月6日にエジソンが蓄音機を発明したことにちなみ、日本オーディオ協会が、オーディオや音楽文化の発展に寄与することを目的に1994年に制定。

客観的に見て、現在オーディオ熱は下火な状況にある。
何でもPCひとつで出来るようになった今、いい音を得るのに、わざわざ個別の機器を揃えたり、コードやケーブルを交換したりなどという面倒なことに取り組む人はめっきり少なくなった。
メーカーによる新作発表のペースも極端に落ちている(信じられないかも知れないが、今の携帯・スマートフォンのように、'90年代初頭までは年に最低二回、新製品が発売されていた)。
そもそも、音の良さを細かく追求する姿勢自体が薄れている。
高い機器を買った時点で満足し、それ以上のチューニングを殆んどの人はしない。
昔からのオーディオ好きとしては寂しい限りだが、これも時代の趨勢だろう。
ただ、僕はこれからもオーディオに対する関心を失うことはない。
PCの中の一機能程度に認識することは、絶対にない。
趣味だから、世の中の流れに妥協する必要なんてないのだから。

写真は、僕が子供の頃に憧れたYAMAHAのレコードプレーヤー・GT-2000。
欲しかったなぁ。
受注生産で構わないから、いつか復刻してくれないかなぁ……。


12月5日/ 今日は何の日

2012-12-05 00:15:00 | 忌日

(2000年)鈴木その子死去

スタートは料理研究家、後に美容研究家にもなり、そちらの方がより一般的なイメージとなった。
それを決定づけたのは、あの独特の白塗りメイク。
明らかに過剰なメイクだったが、本人にはそうとは思えなかったのだろう。

90年代後半、急にメディア、それもテレビへの露出が多くなり、仕事量が激増したが、もしかしたら働き過ぎで体調に異変が生じたのではないか、とも想像される。
あの横井英樹の邸宅跡地を手に入れたと伝えられた時、何となく嫌な予感がしたが……いや、そういうオカルトめいた話はよそう。
科学的根拠はないのだから。


12月4日/ 今日は何の日

2012-12-04 00:15:00 | 誕生日

(1954年)奥山和由誕生日

松竹出身の映画プロデューサー。
その手腕は広く知られているが、個人的には、一人の少女の人生をある意味狂わせた人物としてのイメージが強い。
思い込みがあるにせよ、その固定観念を僕は長年払拭出来ずにいる……。

1983年9月、あだち充原作の漫画『みゆき』が実写映画化された。
映画はヒット、そして、若松みゆき役を演じた沖縄出身の新人・宇沙美ゆかりに注目が集まった。
時代はアイドル全盛期。
彼女も御多分に漏れず翌年3月、シングル『蒼い多感期』でレコードデビュー。
その年のレコード大賞新人賞の最有力候補とまで言われたが、売り上げはいまいちで、アイドル歌手としては伸び悩んだ。
反面、出演するドラマの評判は良く、女優としての期待の方が徐々に高まっていった。
スタートが映画だったことを考えれば、歌が駄目でも、演技でその才能が認められるのは彼女には相応しい、且つ自然な流れだったとも言える。
そのまま行けば、今でも女優として息の長い活動を続けていたかも知れない。
また、それだけの実力の持ち主でもあった。

しかし、ひとつの選択が彼女の運命を大きく左右することになる。

彼女のもとにあるドラマの企画が持ち込まれた。
本人は非常に乗り気だったそうだが、同じ頃、松竹からも映画主演の話が持ち上がった。
撮影時期が重なる為、どうしてもどちらかを選ばねばならない。
悩む中、映画への出演を、社を代表し熱烈に説いたのが奥山氏だった。
結果、彼女はドラマを断り、映画をえらんだ。
そして撮影、映画は公開された。

さて、その映画『Vマドンナ大戦争』を、今日覚えてる人はどれくらいいるだろう。
さして話題にもならず、今では忘れられた作品と化している(回顧番組で振り返られることすら稀だ)。
では、断ったドラマの方はどうか。
タイトルは『スケバン刑事』。
こちらはシリーズ化される程の人気を博し、主演に限らず、脇を固める女性アイドルまでも絶大な支持を得、四半世紀以上経った今でも名作ドラマとして語り継がれている。

これを受け、本人は当時どんな心境だったろう。
本当のことは彼女にしか分からないから、何人もこれが真実だと断定することは出来ない。
ただ、何か思うところがあったかも、と想像するのは難くない。
映画の公開から程なくして突然彼女は故郷・沖縄へ帰り、そのまま芸能界を引退した。

こう書くと奥山氏が悪い人のように受け止めるかも知れないが、本人の名誉の為にも正確に記しておく。
真相は、今も判らない。
何があったのか、現在に至るも全く明らかになっていない。
それに、彼はあくまで仕事に取り組んだだけであり、不当なことは何もしていない。
映画がヒットするのを確実に約束することなんて誰にも出来ないし、ドラマでなく映画をえらんだのは宇沙美ゆかり本人でなく、所属事務所の強い意向だった可能性もある。
彼女はただ事務所の決定に従っただけかも知れない。
或いは、これらのことは実は一切関係なく、単に彼女の個人的な、例えば家庭の事情で引退したのかも知れない。
とにかく、真相は不明のままだ。

以上を踏まえ、それでもなお、僕は奥山氏に良い感情を抱けないでいる。
それは、リアルタイムで事の成り行きを見守っていた中で、あんな展開を見せられては、彼が余計なことをしなければ彼女には別の、それも女優としての輝かしい道が拓けていただろうとの思いを抑え切れないからだ。
これからもずっと僕はそう思い、いや信じ続けるだろう。

公開初日に友達と連れ立って『みゆき』を観に行った、まだ小学生だった幼い僕に、彼女はとても眩しく見えた。


12月3日/ 今日は何の日

2012-12-03 00:15:00 | 忌日

(1999年)スキャットマン・ジョン死去

スキャットによる独特の唱法で注目を浴びたシンガー。
全く予備知識のなかった当初、失礼ながらただの色物的存在かと思ったが、実は彼は吃音症を患っており、そのハンディを逆手にとって生まれたのが唯一無比のあの歌い方だと知り、認識を改めた。
ハンディを嘆くのでなく、それを肯定的に働かせる発想は素晴らしいし、また、インタビュー等で見せる明るいキャラクターも大変好感を持てた。

デビューは52歳、亡くなったのは57歳という遅咲きだったが、決して不幸な人生ではなかったと思う。
人間どんな困難に遭遇しても考え方ひとつで道が拓けることを実証した彼の姿は、同じ障害を持つ人に限らず、多くの者に生きるヒントを与えてくれたのではないか。


12月2日/ 今日は何の日

2012-12-02 00:15:00 | スポーツ

(1944年)沢村栄治戦死

戦前の日本プロ野球界を代表するピッチャー。
その栄誉を称え、巨人は彼の背番号14を永久欠番とし、球界も沢村栄治賞(その年最も活躍したピッチャーを表彰する)を制定した。

最初の徴兵で野球ボールより3倍も重い手榴弾を投げたことで肩を痛めた為、速球派からコントロール主体の技巧派に転換。
引き続き活躍したものの、2度目の徴兵で更に肩を痛めたことで、命綱であるコントロールも失い成績は下降、所属する巨人から解雇され、引退を余儀なくされる。

そして3度目の徴兵時、乗っていた輸送船が台湾沖の東シナ海でアメリカの潜水艦の攻撃を受け撃沈し、他の乗組員と共に死亡。
享年27。
無事に生きていれば、プロ野球の発展に何らかのかたちで貢献したに違いない。
このような悲劇を、決して繰り返してはならない。