川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

12月11日/ 今日は何の日

2012-12-11 00:15:00 | 誕生日

(1948年)谷村新司誕生日

谷村新司と聞いて、曲より先にパッと頭に浮かぶことは次のふたつ。

先ず、'90年代の深夜に放送されていた『たかじんnoばぁ~』という人気番組にゲスト出演した時のこと。
ストリップ嬢(だったかな?)と写真撮影をした時の泣けるエピソード、それから、覗き部屋の店を訪れた際、そこでカーキ色の国民服を着てボーイのバイトをしていた若い男が、デビュー前のデーモン小暮(現・デーモン閣下)だと後に知ったというエピソード。
あの放送回で彼が話したこのふたつのエピソードは、妙に印象に残っている。

次に、僕が好きなキャンディーズについてネットで検索すると、決まってロック・キャンディーズ(「アリス」以前に谷村が組んでいたバンド)が引っ掛かること。
南海キャンディーズと同じくらい目障り(笑)。


12月10日/ 今日は何の日

2012-12-10 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1968年)三億円事件発生

当時の三億円は、今で言えばその十倍以上の貨幣価値に匹敵する正に大金。
ただ、何百億・何千億という数字が当たり前のように飛び交ったバブルの時代を経験して以降は、大して驚く程の金額に思えなくなってしまったのが、ある意味恐ろしい……。

事件の象徴のように紹介されるのが、あの有名な白黒のモンタージュ写真。
あれは、事件発生から遡ること約一年前に事故死した19歳の少年の顔写真を遺族に無断で加工使用したもので、全くの別人。
本来なら、過去を振り返るテレビ番組では、目線を入れたりモザイク処理した上で紹介せねばならないものだが、そこまで気を遣っている局は殆んど無い(たまに見掛ける程度)。
プライバシー侵害も甚だしいし、誤った認識を世間に広めたという意味でそれを作成した警察の罪も大きい。
結局本件は時効となり、今も真相は明らかになってないが、このモンタージュ写真の流布が、犯人逮捕のきっかけを奪うひとつの要因になったとも考えられる。
あの顔が人々の脳裏に刷り込まれた為、正確な目撃情報が集まらなくなってしまったのではないか?


12月9日/ 今日は何の日

2012-12-09 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1986年)ビートたけしらによるフライデー襲撃事件

写真週刊誌『フライデー』による過剰な取材に激怒したビートたけしが、たけし軍団を連れて版元の講談社を訪れ、同誌編集員らに暴行を働き、現行犯逮捕された事件。
約半年間の謹慎の後、執行猶予の判決が確定すると同時に、たけしを含む軍団全員が芸能界に復帰した。

一部番組やCMが打ち切りになったものの、代役を立て放送を続けた『元気が出るテレビ』等を観ていると、マスコミは追放なんてさらさら考えてないな、と当時から感じていた。
確実に数字が取れる大物を失いたくないのと、『フライデー』に我が身を照らし合わせ、普段自らが行っている取材姿勢を反省した面も多少あったのかも知れない。
この事件に対し、世間ではたけしに同情する声が多数を占め、もし芸能界から追放しようものなら、批判の矛先が自分達マスコミに向けられる可能性すらあった。
復帰を許したのは、倫理観というより実務的理由によるところが大きいと正直思う。

一方出版界では、事件を契機に、この世の春を謳歌していた写真週刊誌の勢いにブレーキがかかり、全体に部数を落とし、廃刊の浮き目に遭う雑誌も現れた。
そんな中、当事者である『フライデー』は今も発行され続けているというのは何とも皮肉だ。


12月8日/ 今日は何の日

2012-12-08 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1941年)真珠湾攻撃

南方作戦を無事貫徹するには、西太平洋海域の制海及び制空権を確保せねばならない。
その障害且つ最大の脅威である米海軍太平洋艦隊を撃滅する目的で、それらが停泊するハワイオアフ島真珠湾を、南雲忠一中将指揮下の機動部隊が、日本時間未明に奇襲した。
戦史上、航空機による艦隊攻撃が成功した初めての例で、日本側の作戦はとりあえず成功裡に終わるも、この時、戦艦を沈めることは出来たものの主力空母は全くの無傷で、それが後に日本軍を徹底的に苦しめることになる。

真珠湾攻撃を語る際よく言われるのが、いわゆる騙しうち。
日米交渉打ち切りの文書を渡す前に攻撃をしかけたことを、米側は激しく非難。
この点を強くアピールすることで、それまで開戦に反対だった米国内の世論を参戦の方向へと導いた。
いかなる理由があれ、日本国外務省の怠慢は責められて然るべきだが、そもそも開戦直前の宣戦布告自体が条約違反であり、予定通り文書を渡していても批判は免れなかった気もする。
と同時に、ドイツのポーランド侵攻や米国によるベトナム戦争開戦も正式な宣戦布告はされておらず、この件に関し、日本を一方的に卑怯者呼ばわりするのは明らかにバランスを欠く。



(1963年)力道山がナイトクラブで暴力団員に刺される

赤坂のナイトクラブで暴力団員と口論になり、ナイフで腹を刺され入院。
手術は成功したが、医師から禁じられていた飲酒や食事を、空腹に耐え兼ねて行ったことで症状が悪化。
一週間後の12月15日に化膿性腹膜炎で亡くなった。

日本のプロレスの礎を築いた立役者。
空手チョップを繰り出し、次々と白人レスラーを倒すその姿に、敗戦で自信を失っていた多くの日本人は熱狂し、国民的英雄に祭り上げられたが、よく知られるように、彼の出自は日本ではなかった……。

この事件がなかったら、その後力道山は、日本のプロレス界はどうなっていただろう。
当時酒によるトラブルが絶えなかったそうだから、同じような騒動を起こしていた可能性は高い。
また、暴力団との繋がりもあり、それを許さない風潮が時代の推移と共に強まるにつれ、彼を批判する声が高まり、その名声を最後まで維持出来なかったかも知れない。
アントニオ猪木やジャイアント馬場は、現在我々が知るような地位までのぼり詰めることが出来たか、そして、いつまでも力道山の輩下に収まっていられたか(特に猪木は)。
色々と興味は尽きない。



(1980年)ジョン・レノンが射殺される

ニューヨークの自宅アパート(通称ダコタハウス)前で、マーク・チャップマンというファンを名乗る男の凶弾に倒れ病院に搬送、懸命の救護も虚しく命を落とす。
享年40。

およそ5年に及ぶ主夫生活を終え、待望の新作『ダブル・ファンタジー』をリリースしたばかりで、その早過ぎる人生の終焉は今なお世界中のファンから惜しまれている。
アルバムの完成度の高さから言って、その後どれだけ多くの名作を生み出したかを思うと残念でならないし、その可能性を奪った犯人への恨みは、薄らぐどころか一層増すばかりだ。
チャップマンは現在も収監されており、数回に渡る保釈申請は全て却下されているが、自由の身となる日は刻一刻と近付いている(精神疾患を理由に、通常より短い刑期が適用された為)。
法的にはそうされなければならないと分かっているが、感情的には、一生裟婆の空気を彼には吸ってもらいたくない。
彼は一人のミュージシャンの命だけでなく、無限に広がる夢や希望や憧れを奪ったのだから。
それは、刑期という無味乾燥な数字では絶対に埋められない。



(1982年)三波伸介死去

僕の実家がある地域では、当時テレ東がネットされておらず、『凸凹大学校』は他局で土曜の昼1時にオンエアされていた。
いわゆる半ドンを終え、学校から帰り、作り置きされた昼食をとりながらこの番組を観るのが週に一度の楽しみだった。
急逝により、大人気のまま番組は打ち切られた。
欠かさず観ていた筈なのに、最終回の記憶が何故かない。
何らかの用事があって観逃したのか、或いは、悲しい幕切れを目撃するのを拒んでしまったのか、思い出せない。

三波伸介と言えばもうひとつ、『笑点』の司会が印象に残る。
祖母の影響で視聴していたが、子供にも伝わる大喜利でのあの暴走寸前の司会振りは最高だった。
自分をネタに披露された噺に大笑いしながら、一転ツンとなり、「全部持ってけ!」と松崎真に座布団撤去を言い放つ理不尽な司会は観ていて本当におかしかった。
悲しみ一色に包まれたお別れの放送回は途中で観るのを止めた。
その事実を、認めたくなかった。

『笑点』は現在も人気番組として君臨しているが、彼がいなくなって以降、僕は一切観なくなった。
僕にとって『笑点』イコール三波伸介。
あの日から、時間を止めたままにしている。
これからも動かすつもりはない。



(2005年)ジェイコム株大量誤発注事件

新規上場されたジェイコムの株式に於いて、みずほ証券の担当者が「61万円1株売り」とするところを誤って「1円61万株売り」と入力。
異常を示す警告画面を無視したことで、暫くはそのままの状態が続き、損失を怖れた投資家からの売り注文が殺到する一方、一部の投資家が修正される短期のうちに大量買い、そして大量の売り注文を出し莫大な利益を得た。
最も有名なのは「B・N・F」と称する20代(当時)の若者で、後に「ジェイコム男」と呼ばれる彼は、この取引きで何と20億を越える利益を得たという。
いやはや凄い人物がいたものだ。

何かのテレビでインタビューにこたえるB・N・F氏の様子を拝見したが、資産をひけらかすでもなく、生活振りはいたって質素で、カップ麺をすする姿は何だか微笑ましさすら感じられた。
これといって特徴的なところがない点が、却って今風の独特な人間性をあらわしてたように思う。
彼はこれから先どのような人生を送るのだろう。
ずっとネットトレードを続けていくつもりだろうか。


12月7日/ 今日は何の日

2012-12-07 00:15:00 | 忌日

(1984年)大川橋蔵死去

歌舞伎・時代劇俳優。

大川といえば何と言っても『銭形平次』。
18年・全888回の長期放送は、ドラマとしては今じゃちょっと考えられない記録だ。
小学生の頃水・日の週2回書道教室に通っていて、水曜夜8時に終わり、家路に着くと、祖母が『銭形平次』を観ているのがお決まりのパターンだった(その為フルで平次を鑑賞することはなかった)。
小6の秋に書道を辞め、代わりに学習塾に通うようになってからも、たまたま水曜8時までという講義スケジュールだったので、帰宅して途中から観るというパターンは変わらなかった。

長く続いた平次も1984(昭和59)年4月4日に終了する。
はっきりと思い出せないが、塾の講義が長引いたか何かで、その日に限り帰宅が遅くなり、結局最終回を観ることが出来ず、現在に至るも未見のままである。
いつか是非じっくりと鑑賞したいものだ。

平次が終わって僅か8ヶ月後、大川は55歳の若さでこの世を去る。
訃報に接した際、まるで平次を演じ切るまで延命させられていたかのように思えた。