以前、横浜美術館で見たが、その時は唐招提寺の障壁画が大々的に喧伝されて
いたけれど、この画家を意識したのはこのときからだと思う。
だいたい、”湖畔に白い馬”っていうイメージで「ダサ!」と思っていたのだ。
だから横浜で見たときにはとても驚いた。
山が迫ってくる。わたしの心象の山が。
雪解けの渓谷のスケッチがあった。
かなり”りある”なスケッチからだんだんと細部を
省き、こそげ落とし、そして最後になめらかな曲線と
流れる水と石へと変換していく。
見事と言うほか無いくらいすてきな昇華だとおもう。
本質をそのままに、要らない部分を排除するのはとても
難しいことだと思う。
そして、アブストラクトにならないぎりぎりのナイフリッジを
歩むと言うことはどういうことなのだろう。
ともて不思議でとても共感できる、あの風景。
迫ってくる山。そしてわたしが視た川。
わたしのこころに映し出される風景をそのままに
画布へと定着されていく不思議。
この画家はわたしにとってとても重要である。
でも白い馬はいらないんですけれど。
いたけれど、この画家を意識したのはこのときからだと思う。
だいたい、”湖畔に白い馬”っていうイメージで「ダサ!」と思っていたのだ。
だから横浜で見たときにはとても驚いた。
山が迫ってくる。わたしの心象の山が。
雪解けの渓谷のスケッチがあった。
かなり”りある”なスケッチからだんだんと細部を
省き、こそげ落とし、そして最後になめらかな曲線と
流れる水と石へと変換していく。
見事と言うほか無いくらいすてきな昇華だとおもう。
本質をそのままに、要らない部分を排除するのはとても
難しいことだと思う。
そして、アブストラクトにならないぎりぎりのナイフリッジを
歩むと言うことはどういうことなのだろう。
ともて不思議でとても共感できる、あの風景。
迫ってくる山。そしてわたしが視た川。
わたしのこころに映し出される風景をそのままに
画布へと定着されていく不思議。
この画家はわたしにとってとても重要である。
でも白い馬はいらないんですけれど。