祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

今日も何処かで・・・。

2012-05-20 19:56:30 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
デビルマン ED
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今日も何処かで漫画史研究家?

2012-05-20 06:42:12 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
2012年、昭和の少年少女漫画史研究家であり、アニメーション史研究家である社会学士・本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介をします!

昨日は、明治大学・米沢嘉博記念図書館のトークイベント

『「増刊ヤングコミック」と青年劇画の世界』ー70年代の劇画誌ブームを総括するー

講師:橋本一郎、戸田利吉郎、筧悟/司会進行:赤田祐一

に参加して、懇親会は久しぶりに二次会迄。

今日は、何処に行こうかな?(笑)

画像は、弥生美術館企画展のチラシになります!(左上から①⑨わたなべまさこ②⑦⑧内藤ルネ③⑩田村セツコ④佐藤なみ子⑤水森亜土⑥竹久夢二11.作者不明、12.松本かつぢ)


大正100年記念【大正から始まった日本のKawaii展】カワイイ・ファンシーグッズを中心に


2012年4月5日(木)~7月1日(日)


休館日◎月曜日

時間◎午前10時~午後5時(入館は4時半まで)

料金◎一般900円 大高生800円 中小生400円

*竹久夢二美術館と二館併せてご覧いただけます。

*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

弥生美術館

〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-3
TEL.03-3812-0012
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp


ファンシー・グッズの元祖は、大正ロマンの画家・竹久夢二の店から登場しました。
大正3年、夢二が東京日本橋に開店した「港屋絵草紙店」では、アール・ヌーウ゛ォー調の草花図案をほどこした千代紙や半襟などが販売され、それまでの小間物屋とは一線を画す、新しい感覚で評判になりました。
昭和初年代から10年代にかけては高畠華宵や佐藤なみ子など叙情画家の絵に飾られた便箋や封筒が流行り、松本かつぢの「くるくるクルミちゃん」は、少女文化における最初のグッズ・キャラクターとなって、ポチ袋やふろくに描かれました。
戦後の駄菓子屋では蔦谷喜一のぬり絵が人気を博し、昭和30年頃になると、内藤ルネ・水森亜土・田村セツコ・わたなべまさこが出現し、カワイイ絵付きのマグカップやペンケースが少女の生活を彩りました。
そして昭和50年代にサンリオの製品が流通するようになった頃からは、日本国中がカワイイもので埋め尽くされるようになりました。
2012年は、大正元年から数えて100年目の年にあたります。
今や「kawaii」という世界の共通語となり、日本発祥の文化として注目されている「カワイイ」の100年間を、ファンシー・グッズの数々でたどっていきます。

竹久夢二美術館では、

竹久夢二美術館
2012年企画展
2012年大正100年


夢二と大正時代Ⅱ
「セノオ楽譜」デザインと京都時代の夢二を追って
ー大正5~8年を中心にー

夢二と「大正時代」
竹久夢二と大正時代を再発見!


2012年は、大正元(1912)年から数えて、ちょうど100年を迎えます。
大正時代(1912~1926)は、明治と昭和に挟まれた、わずか15年という短い年月でしたが、西欧文化が流入し、近代化が進んで個性と自由が尊重された時期ということもあり、現在の暮らしの原型ともいえる要素が多く登場し、また短い期間ながら様々な出来事もありました。
大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二(一八八四~一九三四)は、まさしく大正期を中心に活躍し、この時代の寵児となりました。
夢二の作品や足跡を辿ることによって、大正時代の出来事や風俗、また流行が鮮明に伝わってきます。
★★★
当館(弥生美術館)では一年を通じて、夢二と大正時代を再発見していきます。
2012年1月より、年4回開催する企画展で、大正を4つの時期に分けて、夢二の残した芸術また人生の歩みを、時代の出来事と併せて紹介していきます。
館所蔵の大正時代の夢二作品や資料の数々を、ぜひご覧下さい。


夢二と大正時代Ⅱ

「セノオ楽譜」デザインと京都時代の夢二を追って

ー大正5~8年を中心にー

大正一〇〇年に当たる二〇一二年の企画展(夢二と大正時代)の第二弾は、大正五~八年にスポットを当て、夢二の芸術と足跡を辿ります。
夢二は大正五年から、「セノオ楽譜」の表紙絵を手掛け始めます。
大正期は音楽を愉しむ手段として、楽譜が出版されました。
当時最も多くの発行部数を誇った「セノオ楽譜」は、古今東西の楽曲で構成され、夢二は約二八〇点に及ぶ表紙絵を描き、浮世絵風の美人画からアール・ヌーウ゛ォー調の図案まで、数々の優れたデザインを残しました。
また大正五年末には、東京を後にして、夢二は生活の拠点を京都に移します。
この地で最愛の女性・笠井彦乃と共に暮らし、夢二は画業面でも新たな展開を迎え、人生で最も幸福な時を過ごしました。
本展では第一部で「セノオ楽譜」のデザインと当時の音楽事情を紹介、第二部では京都時代の夢二作品を中心に、笠井彦乃との恋愛を振り返ります。
さらに写真や広告より、大正初~中期の出来事や風俗を併せてご覧頂きます。


竹久夢二

セノオ楽譜「春潮」大正7年
セノオ楽譜「ハバネラの歌」大正8年
「都をどり」大正前期頃


学芸員によるギャラリートーク

6/10(日)15時~16時


竹久夢二美術館

弥生2-4-2

Tel:03(5689)0462


私は、先週5月13日(日)の午後二時から弥生美術館のギャラリートークに参加し、午後三時からは、竹久夢二美術館のギャラリートークに参加する予定が参加出来ず。(涙)

午後四時からの出版美術研究会の会合にだけ参加しました。

今後の展覧会予定


7/5~9/30[夢二と大正Ⅲ 夢二の恋と関東大震災をめぐって ー大正9~12年を中心にー]

10/4~12/25[夢二と大正Ⅳ モダンの幕開けと夢二、次代の抒情画家を追って ー大正13~15年を中心にー]


さて、【のらくろ館】のある東京都江東区森下文化センターでは、今日


【田河水泡と弟子たち~そのユーモアの世界と系譜~】


があります。


「漫画『のらくろ』の作者・田河水泡は、江東区で幼少期から青年期までを過ごした本区ゆかりの漫画家です。
本講座では、日本の漫画界に大きな足跡を遺した田河水泡と弟子たちの人と作品、そしてそのユーモアの世界に迫ります。


回数:全5回
時間:14:00~15:30
定員:一般30名
会場:森下文化センター AVホール
料金:5000円(全5回分)
*美術館の入館料は、現地での実費徴収になります。

おすすめの内容/講師

第1回 5/20(日)漫画史における『のらくろ』~水泡のユーモア世界/漫画・風刺画史研究 清水勲

第3回 7/15(日)田河水泡の弟子たち①~愛弟子が語る田河水泡/漫画家・のらくろトリオ 永田竹丸、漫画家・のらくろトリオ 山根青鬼


〔申込先・主催〕

公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 江東区森下文化センター


今年の清水勲先生からの年賀状の返事には、


謹賀新年

「今年も大いに
ご活躍下さい」(直筆のメッセージ)

最近の活動

出版:生誕150年記念『ビゴーの150年』2011年9月刊(臨川書店・4700円)/『諷刺画研究』57号・2012年1月刊/『江戸戯画事典(仮題)』(臨川書店・近刊)

講演:2月5日「大衆漫画の歴史300年ー江戸戯画と現代漫画はどうつながるのか」横浜開港資料館

コメンテーター:朝日新聞「サザエさんをさがして」2011年は4回登場

主な活動の場:京都国際マンガミュージアム・昭和館・川崎市岡本太郎美術館・日本仏学史学会


日本漫画資料館・(有)美術同人社・日本諷刺画史学会

2012年 元旦 清水勲


と、ありました。

永田竹丸先生からは、寒中見舞いをいただいております。
山根青鬼先生の作品については、オンデマンド出版として、コミックパークから、

㈱パインウッドカンパニー編集・発行

『山根青鬼・山根赤鬼漫画道中記』

小学館・編集・発行

『名たんていカゲマン』

が発売されています。

清水勲先生は、漫画史研究家の第一人者。
同志社大学教授の竹内オサム先生、故・米澤嘉博さん、中野晴行さん達が漫画史研究家として、優れた業績を残しております。

本来、私が監修した【少年画報大全】は、米沢さんに依頼されていたもの。

米沢さんの代役として私、本間正幸が急遽大抜擢され幸運なデビューを飾り、今日があるのです。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーション史研究と、大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして少年少女漫画史の研究になります。


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
発行部数は軽く一万部を越えている。


大学教授の肩書きを持つ著者たちが、小さな出版社から発行部数三千部で増刷もなく、発売数年で自由価格本となり、絶版の道を辿っているのは何故か?
多くのマンガ評論家の研究本の類と【少年画報大全】とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編(笑)はOKだろう。


昭和の少年少女漫画史研究家を看板に、最近は昭和のアニメーション史研究家としても売り出し中の社会学士


本間正幸
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夜明けのうた

2012-05-20 06:00:00 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
岸 洋子 - 夜明けのうた
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眠れマッハバロン

2012-05-20 00:34:00 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
スーパーロボット・マッハバロン EDフル 2008PEACE MIX
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